コーヒーを飲みながら、パソコンに向かう「その男」
傍らにはスマホ。
「セイコースポーツリンク」
のサイトが開かれている。
全日本最終レースの50㎞が始まっているようだ。
ホテルの一室でそれを眺めていることに、相変わらずの違和感を感じている。
今日でシーズンオフを迎える選手が大多数では?
シーズンの締めにはもってこいの、過酷なレースとなっているだろう。
あぁ栄冠は君に輝く。
まだまだ甲子園に影響され続けているようだ、「その男」
年々早くなっているように感じていたようだ。
あっと言う間に時間が過ぎていき、シーズンが始まったかと思えば、気が付けば終わっている。
またこのシーズンがやってきた。
4年に1度のオリンピックシーズン。
オリンピックへ挑戦は、2006年のトリノオリンピックから始まっていた。
2014年のソチオリンピックでは、リレーメンバーによって代表を勝ち取った。
しかし、個人戦での出場権獲得には至らなかった。
平昌オリンピック前シーズン。
ついに個人の派遣標準を突破した。
「次のオリンピックで、このオリンピックのリレーを笑い話にするくらいの成績だしてくれ。お前らならできるよ」
「絶対的なエース」が、ソチオリンピック後にかけてくれた言葉だ。
もう一つ、大切な目標があったのだ、「その男」には。
そして、日本チームには。
「リレーでのオリンピック出場権獲得」
ソチオリンピックでは、オリンピック前年の世界選手権で8位に入っており、それにより派遣標準を突破した。
しかし、平昌オリンピック前年に開催された世界選手権は、宮沢と「その男」のみの出場で、リレーには出場していなかった。
ワールドカップも含めて、オリンピック前年シーズンは、リレーには参加をしていなかったのだ。
そこで提示されていた派遣標準が
「オリンピック派遣標準を突破している選手を「除いて」、年内のワールドカップで30位以内1人、40位以内2人」
だった。
個人戦での派遣標準が前回と同じだった。
それと照らし合わせると、前回の派遣標準だったリレー8位に入るには、この順位をとる選手が四人必要だという判断のようだ。
「その男」は、オリンピック派遣標準を昨シーズンで突破していた。
そのため、リレーの派遣標準を突破するために、どんな順位をとったとしても加算されない。
オリンピックでリレーに出場するためには、「その男」以外の選手に頑張ってもらうしかない。
「ハードルは決して低くはない、しかし達成できない基準ではない」
年内のワールドカップ。
チャンスは4会場、9レースだ。
フィンランド・ルカ ミニツール
ノルウェー・リレハンメル スプリント、スキーアスロン
スイス・ダボス スプリント、30㎞スケーティング
イタリア・トブラ 15㎞スケーティング、15㎞クラシカル。
このレースの中で、上記の基準を切る選手が3名必要なのだ。
団体戦のみならず、個人戦も同様の大会が選考レースだ。
リレー出場権を目指しワールドカップを走った選手が
ナショナルチームの「宮沢」
アジアランキングトップで枠を獲得した、「ノブヒト」
U-23組から「馬場」、「宇田アキヒト」
FISレースからの昇格組、「レンティング」、「蛯名」、「カイチ君」
そして、「その男」
全てのレースを全員が転戦したわけではないが、日本チームのリレー派遣獲得は、このメンバーに託された。
ちなみにFISレースから昇格した蛯名は「その男」の練習パートナー。
もう一人のパートナーノブヒト、蛯名、「その男」
いつも競い合っている三人が、世界の舞台でまた出会えたことをうれしく思ったようだ。
レンティングはナショナルチームから漏れてしまっていたが、さすがの実力でワールドカップ組に合流してきた。
彼の力と雰囲気作りは日本チームには必要だ、「確実」に。
ルカでのワールドカップ。
宮沢がスプリントで30位以内に入った。
「30位以内一人」
を突破。
ディスタンス種目となるリレーの派遣標準ではあったが、スプリントも反映されたのだ。
しかし、派遣標準の条件を削れたのは宮沢のリザルトのみで、この会場で標準突破はならなかった。
この会場でのレースに出場した蛯名は、レース後の帰国が決まっていた。
「その男」も次の会場となるリレハンメルへ移動するため、フィンランドのヘルシンキ空港までは彼も一緒に行動した。
空港での別れ際。
忘れられない言葉。
「あとはお願いします」
蛯名が言った。
握手をした。
普段から一緒にいる蛯名とは握手をすることなどほとんどない。
彼の気持ちが伝わってきた。
肩を組むことはよくある。
肩を組んで、グダグダ話しながら歩くことがあるからだ。
いつもと変わらない肩の組みかたで、最後に一緒に写真を撮って別れた。
リレー派遣標準突破をかけて日本を代表して走った選手が一人、日本へ帰っていった。
リレハンメル会場。
スプリントで、同様に宮沢が30位以内に入ったと記憶している。
その男は16位。
しかし、このレースでも40位以内に入る選手がほかにいない。
また派遣標準を突破できなかった。
この会場で帰国をすることになっていカイチ君。
リレー派遣標準を突破したとしても、彼が帰国する段階では突破できていなかった。
このことから考えると、カイチ君が派遣される可能性は極めて低い。
「一緒に走りたかったです」
と言われた。
もちろん「その男」もだ。
ソチオリンピックで一緒に走った、「憧れのライバル」の弟。
同じ苗字を持つ彼と一緒にリレーを組みたかった。
「その男」は一つ断っておきたいことがあるようだ
「成瀬さんの弟、カイチ君」
という書き方が多くなってしまっている。
その男に多大な影響を与えた人の弟、特別視するのは当然だ。
しかし、「その男」は「成瀬さんの弟のカイチ君」としてだけ接しているのではない。
一人のアスリートの「成瀬開地」という人物と接している。
言葉にするといいたいことを伝えるのが難しいが。。。
レース後、彼とも写真を撮影した。
また一人、日本を代表してリレー派遣獲得を目指した男が帰国した。
翌週はダボス。
U-23組が合流だ。
その男は15位。
いい調子を維持できている。
このレースでワールドカップ初出場となったのが、宇田アキヒトだ。
2015年、ファールン世界選手権に出場した宇田の弟。
本人に聞いたわけではないが、おそらく絶望したのだろう。
ワールドカップの想像以上のレベルの高さに。
ダボスでのレース翌日
練習を開始しようとする「その男」に
「後ろ走っていいですか?」
と聞いてきた。
珍しい。
試合では得意なはずの人と走ることが、練習では苦手なのだ、「その男」は。
そのため、自然と人と一緒に走ることを避けていて、そういった雰囲気も出ていたと思う。
そんな空気をだしている、彼から見れば何歳も年上、普段はなかなか接点のない「その男」にそう尋ねてきたのだから。
彼はずっと「その男」の後ろを滑り続けた。
会話もせずに。
ほとんど言葉を発することがない練習だったが、宇田に言った言葉。
「スキーの中心で蹴るんだ。スキーの芯をとらえろ」
その言葉を今の「その男」自身に伝えたい。
ダボスでも標準突破はならなかった。
翌週はラストチャンス。
トブラでのディスタンス2レースだ。
ダボスでのワールドカップ後。
オリンピック個人戦出場を目指し、スプリントに集中していた宮沢がブログを更新した。
年内のスプリントはダボスがラスト。
彼にとっての得意種目はダボスで終わってしまったのだ。
彼の更新したブログの文章が忘れられない。
「個人でのオリンピック出場がなくなりました」
と書かれていた。
得意のスプリントが終わり、可能性がグッと下がったことは理解できる。
「その男」にはわからないほど、スプリントに集中していたのだろう。
だが、宮沢も翌週のトブラでのディスタンス2レースに出場することとなっていた。
「個人戦派遣標準を切るチャンスは、残り2レースある。決して得意な種目ではないのはわかるが、なぜすでにあきらめている?個人でのオリンピック出場がなくなったと言い切れる?最後まであきらめるな、絶対に。全力を尽くせ、最後まで。」
本人には言わなかったが、そんなことを思いながらモヤモヤしながらそのブログを読んだことを覚えている。
最後まであきらめるな、絶対に。
目標達成のために、自分が命を懸けて努力してきた時間を無駄にするな。
さて、トブラのワールドカップ。
やはり周りの選手は、特にオリンピックイヤーは順当に走ってくる。
実力通りに走ってくる。
そこに日本チームが付け入る隙は無かった。
40位以内に2選手が入ることができなかった。
トブラのレースに出場したノブヒト、レンティング、宮沢、馬場、宇田、「その男」
レース後に写真を撮影した。
どうやら「その男」は日本代表としてリレー派遣出場獲得を目指し、ともにを歩んだ過程を残しておきたかったようだ。
リレー派遣への挑戦が終わった。
「じゃ、先輩一言お願いします」
その夜、宮沢がおちゃらけながら言った。
対象的に、急に真顔になった「その先輩」
「日本の全選手を代表して、リレー派遣標準突破をかけて走ったことを誇りに思ってほしい」
その時の空気にふさわしい言葉でないのはわかっていたものの、どうしても伝えたかったようだ。
「あとは俺と石さんに任せろ」
そう伝えると「その先輩」の表情も緩み、事は始まった。