その男㉒
「質問とか意見ではないんですが・・・」
何かありますか?と問われて、答えた。
「この競技の選手は起床時の脈拍は通常で40、疲労がある場合は50を超えるとおっしゃいましたよね?」
画面の資料を見ながら確認している。
「同じように僕も毎日起床時の脈を計測しているんですけど、一番低かった時で確か30だったので、それを聞いて思わずドヤ顔してしまいました。ごめんなさい、どうでもいい話で」
昨日、オンラインでミーティングのようなことがあり、その際に「その男」が発した言葉だ。
「その男」は十年以上起床時の脈を計測し、体調管理の指標としていた。
これだけの期間、計測を続けると朝の脈から色々な傾向が見えてくるのだ。
ちなみに、大会の日の朝は脈が高くなる傾向があるようだ。
メンタルの弱さを物語っているのかもしれない。
それにしても、ミーティング中にも自分の事をアピールしてしまう「その男」
目立ちたがり屋だねぇ。ナルシストだねぇ。
社会人四年目。
「その男」にとって2度目の出場となる世界選手権が開催されたこのシーズン。
そちらについて振り返る前に、「その男」にとって記念すべき、しかしいつもと違う悔しさや悲しさがこみ上げてくるレースがあった。
非常に特殊なシーズン初めだった。
例年であれば、年内のワールドカップは、北欧から始まり、中央ヨーロッパに移動していくという流れだ。
このシーズン、初戦のルカはいつもと変わらない。
しかし、翌週はカナダのケベック、キャンモアで行われることとなっていた。
日本チームは初戦のルカ終了後、一度日本へ帰国。
成田に到着したのが午前中だが、空港近郊のホテルを予約し、日中はそこで過ごした。
夕方にチェックインをもう一度やり直し、いざカナダへ。
激しい移動だったことを覚えている。
カナダのレースに特筆することはない。
あるとすれば、マススタートの開始1㎞もしない時点で、みやっちと「その男」の二人が揃ってトップまで躍り出だことだろうか。
後に映像をみたが、アナウンサーも随分興奮していた。
その後数分後、トップ集団の遥か後ろで二人がレースを展開していたことは書くまでもない・・・
毎年、1ピリ(年内)にワールドカップが行われている伝統の会場があるが、このシーズンは世界選手権直前に開催された。
その会場が、「その男」が最も愛する会場。
「スイス・ダボス」
だ。
世界選手権前週のワールドカップは、世界選手権に比較的近い会場で行われる。
このシーズンの世界選手権はイタリアのヴァルディフィエメでの開催だ。
ダボスでのワールドカップは世界選手権と同様種目のスプリント、15㎞インディビジュアルが行われた。
プレ世界選手権のようなものだ。
このシーズンは15㎞スケーティングが行われた。
「その男」がこのワールドカップに出場するにあたり、気持ちの持ち方がいつもと違っていた。
「世界選手権50㎞に向けての調子の確認、本番に近い緊張感の中でのスピード練習の一環」
世界選手権50㎞に向けて、1カ月以上前から準備は始まっていた。
このことについてはその時が来たときに書きたいと思っている。
それが功を奏したのだろうか?
随分とリラックスして走ることができていた。
周回差の選手をうまく利用しながら、最小限の疲労でタイムを削っていく。
その男は周りの選手をうまく使いながら、レースを進めていくのが得意のようだ。
抜かれた選手についていくとき、何を考えているのだろうか?
答えは
「あきらめる」
のようだ。
後ろから抜かれたということは、すでに30秒負けている。
残念ながら、抜かれた時点ではその選手のほうが上だ。
あとからスタートした周回差の選手と一緒になれば、相手はまだ体がフレッシュなので余力がある。
一周走り終わっている自分のほうがダメージを受けている。
それであれば、ゴールまでついていくのはなかなか難しいだろう。
ならば、ゴールまでついていくこと「は」あきらめるのだ。
「あの平地まではついていこう」
「あの上り終わりまではついていこう」
「あそこまで行けば下りになって、後ろにいれば休めることができるから、あそこまではちょっと無理をしてでもついていこ
う」
その都度、ついていく場所の目標を決めているようだ。
その目標の場所までついていくことができたら、次の目標をすぐに決める。
「次はあそこまでついていければ・・・」
そこまでついていければ、また目標をすぐに更新する。
最終的には
「よし、ここまできたらあと少しだ、ゴールまでついていこう、ついていける」
「最後は抜き返してやろう」
といった流れになるようだ。
抜かれた段階でゴールまでついていこうと自分を鼓舞するのは、「その男」にとっては心身にかかるストレスが大きかったようだ。
それであれば、ゴールまでの距離を細分化していき、ゴールまではいけなくてもそれぞれの区間をついていく。
それぞれの区間をついていく積み重ねの結果、ゴールまでついていくことができる。
といったようだ。
良い意味で
「あきらめる」
ことを意識しながら走っていたようだ。
もちろん、力が足りず引き離されることのほうが多かったようだが・・・
さて、ダボスでのレース。
ゴールした段階では3位だった。
いつものようにシードグループのスタートは後ろなので、強い選手が「その男」の前に入ってくる。
しかし、前に入ってくる選手がまばらだ。
シード選手がゴールを始めてもなかなか順位が下がらない。
ゴール後に、スクリーンの前でその様子を見ていたが、シード選手が「その男」のタイムを下回ってゴールをするたびに、ファビオが喜ぶ。
「その男」もその都度喜びが大きくなっていく。
だが、
ある選手がゴールに向かっている時だけは、喜びが一切なかった。
「このタイム差は・・・まずい。今じゃないんだ・・・ここじゃないんだ・・・・」
「たのむ早くゴールしてくれ、「その男」に勝ってくれ。」
さっきまでニコニコしていた男の顔に、笑顔は消えていた。
「その選手」が最後の直線に入った。
「その選手」にタイムが加算されている。
ゴールをしなければ、タイムは止まらない。
「その選手」がターゲットとする順位が下がっていく。
そのたびに表示される選手の名前が変わっていく。
しばしして、「その男」の名前も表示された。
しかし、「その男」のタイムも下回り、「その男」の名前も消えた。
消えてしまった。
「その男」の名前が消えた約3秒後、「その選手」がゴールを切った。
それは、「その男」が「その選手」に3秒勝ったということを意味する。
「その選手」
それは
「ペッテル」
だ。
「その男」はよくイメージしていたようだ。
オリンピックの50㎞。
レースは49.9㎞地点まできた。
他の選手を引き離し、スプリント勝負に入った二人の選手。
ペッテルと「その男」だ。
ペッテルの得意なスプリントだが、それに食らいつき、最後は数ミリの差で「その男」が勝ち金メダル。
ペッテルに対しての初勝利だ。
オリンピックの50㎞で金メダルを獲得しての初勝利。
という「妄想」を。
「その男」はペッテルに対する初勝利はオリンピックになると「妄想」していたようだ。
このことで自分を鼓舞していたようだ。
だが。
場はダボス。
最終的な順位は
「その男」、11位。
ペッテル、14位
ペッテルに初勝利をした。
ペッテルの初勝利をしてしまった。
世界ジュニアで出会ってから、「その男」にとっての絶対的な英雄。
その絶対的な英雄に勝ったにもかかわらず、喜びが全くなかった。
なぜか悔しさを感じた。
悔しくて涙がでたが、それを励ましてくれたトレーナーの近藤さん。
その時は本当につらく、感謝しているようだ。
キャビンに戻った。
ファビオが喜んでいる。
山口さんはいつものようにクール。
「11位だぞ、バウアーにもヘルナーにも、ペッテルにも勝ったぞ!」
子どものようにはしゃいでくれるファビオ。
「いやいや11位だぞ、トップ10に入れなかった。詰めが甘い」
冷静な山口さん。
とんでもない温度差。
ベストリザルトを出したこの日も、決して褒めることをしてくれない山口さん。
そういうところが大好きなようだ、「その男」は。
お礼を言ってキャビンから出ようとしてドアの目の前まで来たとき、ふと後ろを向いた。
「その男」は見逃さなかった。
さっきまでクールだった山口さんが、嬉しそうにファビオと握手をしているのを。
やっぱりカッコいいよ、山口さん。
その男㉑
「ちょっとミーティングしよう。時間ある?」
中央大学四年生の「その男」
当時、クロカンチーフを担当していた。
このシーズンから中大クロカンチームのコーチになったのが今井さんからの連絡だった。
今井さんは50㎞にとにかく強かった。
ソルトレイクオリンピック50㎞入賞。
2003年世界選手権50㎞9位。
長距離種目において間違いなく日本クロカン史上、最高の選手だ。
その今井さんは中央大学OBなのだ。
大先輩だ。
数年後、世界選手権でのインタビュー。
「その男」は解説の今井さんからの言葉に緊張を隠せなかったのは、そのためのようだ。
始めは助監督も含む3人で「ミーティング」を行った。
助監督は一次「ミーティング」後に帰宅。
今井さんと「その男」は二次「ミーティング」へと移行した。
「来る途中にドイツビールを飲めるお店があったから、そこに行こう」
おっと、ミーティングなのにビールというワードが出てしまった。
気にしない、気にしない。
今井さんも海外転戦が長く、ドイツに行く機会も多々あったようだ。
久しぶりにドイツビールが飲みたかったらしい。
「Stein house」
というお店で飲んだ。
カウンターに座ってのミーティング。
お酒を飲みながらも、資料を見ながら真面目にミーティングもした。
シーズンの流れや、練習方針を確認したことを覚えている。
「ちょっと話が聞こえてきたんですけど、中央大学の方ですか?」
カウンター越しに立っている「その女性」が聞いてきた。
「その女性」からの質問を皮切りに、話がどんどん広がっていった。
どうやら「その女性」は、中央大学の隣の大学に通っているらしい。
どうやら「その女性」は、南平駅(中大寮の最寄り駅)の隣、高幡不動駅付近に住んでいるらしい。
どうやら「その女性」はドイツ留学に2年間行っていたようで、つい最近帰国したばかりで、すぐにこのお店でバイトを始めたらしい。
どうやら「その女性」は・・・・
そろそろやめておくことにしよう。
通っている大学や住んでいる場所がすぐそこ。
共通の話題も多かった。
ミーティングはいつの間にか終了しており、気が付けば「その女性」を含む3人でずっと話続けていた。
「住んでるところも近いんだし、とりあえず連絡先を交換しておきなよ」
今井さんが言った。
カウンターに置いてあったコースターを今井さんが「その女性」に渡した。
「その女性」からコースターを受け取った「その男」は照れながらも随分とよろこんでいたようだ。
ちなみに13年ほど前に、「その女性」がアドレスを書いたコースターは今、「その男」の家の引き出しに眠っている。
その後、「その男」と「その女性」は連絡を取り合った。
およそ1週間後、すぐそこにあるにもかかわらず、一度も行ったことのなかった多摩動物公園へ。
「目が随分充血してるけど大丈夫かな・・・」
と思った「その男」
「その女性」に対する優しさがあったようだ、当時はまだ。
動物を集中して見ることはほとんどなく、話し続けた記憶がある。
動物園を出てからも一時間ほどは歩きながら話しただろうか?
ひたすら話した後、「その女性」は再びバイトへ向かった。
翌日。
「その男」の携帯が鳴った。
「その女性」からのメールだった。
ワクワクしながらメールを開く「その男」
「顔はイマイチだけど、優しい青年だったよー」
と書かれている。
「?」
「??」
直後に「その女性」からもう一通メールが来た。
「さっきのメール開かないで!!」
手遅れだ。
既に「その男」はメールを読んでいる。
どうやら、「その女性」の友達に送ろうとしていたメールを、「その男」に送ってしまったらしい。
誰のことを言っているのかは容易に想像できたが、確認しなかった。
「顔はイマイチ・・・」
大切なのは中身ということを、「その男」は数年後に証明することになる。
話は戻り・・・
三日後くらいだっただろうか?
浅川の河川敷に、「その男」と「その女性」の姿はあった。
5~6時間は話し続けたと思う。
その数日後。
その二人の姿は八王子のスタバにあった。
その数日後・・・
もうやめておこう。
大学四年生の「その男」
夏前からは「その彼女」との一年間をずいぶんと楽しんでいたようだ。
「ラグビー部の友達に会いに行ってくるわー」
「今日はチア部の友達と飲み会なのさ」
なぜかはわからないが、「その男」は同部屋の後輩にうそをついて、「その彼女」に会いに行っていた。
きっかけは忘れたが、「その男」に「彼女」ができたという話を同部屋の後輩にしたとき。
一年生のノリが「ニヤリ」と笑った。
「おかしいと思ったんですよ。帰ってくるたびに香水の匂いがしていたから」
ばれていたようだ。
バレたのは
「その彼女」のモスキーノの香水のせいだよ。
ん?
聞いたことがあるフレーズだな。
まぁいいや。
シーズンに入るとなかなか会う機会はなかったが、わずかな時間があれば会いに来てくれた。
バレンタインデイに一緒にいられない時は、前倒しで手作りチョコを届けてくれた。
余談だが・・・
あれから十数年。
「今年のバレンタインはゼーフェルトだなぁ」
というと、
「そうね、バレンタインの日に一緒にいられないからチョコ上げられないわ、残念」
棒読みのコメントが帰ってきた。
時の流れとは残酷だ・・・
大学卒業後は北海道へ戻ることが決まっていた「その男」
必然的に卒業後は会う機会が急激に減った。
それでも月に一回くらいのペースで北海道に遊びに来てくれていた。
ドイツでのU-23には現地に駆けつけて応援をしてくれた。
几帳面な「その彼女」はよく手紙とハガキを送ってくれた。
この十数年、「その彼女」から貰ったたくさんの手紙やハガキのほとんどは、いまだに手元にある。
その男が北海道に戻った2年後、その「彼女」も北海道に移住した。
そして
「2012年4月25日15時36分」
「その男」と「その嫁」の誕生だ。
今日の夕食は、久しぶりににぎやかだったようだ。
長男が
「パパの鍋おいしそうだな~」
と何度も行ってくる。
次男はすぐお腹がいっぱいになったようで、あっという間に食事終了。
三男は何を言っているかよくわからないが、おいしいおいしいと言いながら、焼きそばをほおばる。
食事が終了して数分後。
薄暗い部屋の中。
三兄弟と「その男」は唄を歌った。
おいしいケーキを食べた。
久しぶりに家族での食事、デザート。
姿は見えても、同じ場所にいられないのは少しだけ寂しかったようだが。
今日は「その嫁」の誕生日。
洋子、誕生日おめでとう。
その男⑳
吉報が届いた。
「その男」の所属するチームが、全日本選手権のリレーで優勝したらしい。
優勝したこともうれしいが、それに加えてされにうれしいことがあった。
一走の今村と、アンカーのマサトは「その男」のスキーを使い走ったらしい。
本田さんからスキーを使わしてほしいとの連絡があり、「その男」は快諾した。
もともとそのつもりでいたようだ。
実際に走りチームの力となることはできなかったが、用具面だけでも力になれたことがうれしい。
チーム最年長の「その男」がいなくても、若い四人の走りで優勝した。
頼もしい限りだ。
「新たなチャンピオンの誕生だ」
社会人三年目。
このシーズンは、世界選手権、オリンピックのビッグイベントは開催されなかった。
ワールドカップが中心となるレースだ。
ツールドスキーの完走をはじめとする、ワールドカップでの記憶も鮮明にあるが、どうやら国内で開催された二レースのほう
がより印象的だったようだ。
意外と思われるかもしれないが、そのうちの一つがバーサー大会だ。
高校一年生以来の出場となるバーサー大会。
最後に出場した時は、旭川競馬場を発着するコースだったが、この時は富沢コースを使用してのレース。
15㎞コースを3周する45㎞だったように記憶している。
そのレースには、社会人になっても競技を続けていたハチロウも出場していた。
数日後に全日本選手権が開催されるためか、競技選手の出場は決して多くなかった。
後ろを引き離したが、その時に唯一ついてきたのがハチロウ。
長い間二人で滑ることとなった。
残り1.5㎞ほどで「その男」が一気に仕掛け、そのままフィニッシュ。
優勝した。
その優勝が印象的だったのか?
いや違う。
レース終了後に、珍しく観戦に来ていた、「その男」の彼女、後に嫁となる彼女から言われた一言が印象的だったのだ。
「すごい楽しそうだった、レース中もダウンをしている時も」
確かに楽しかったことを覚えている。
大学の後輩と一緒に優勝争いをできたことが。
嬉しかったんだろうなぁ。
ハチロウは今でも「その男」にとって大切な後輩だ。
もう一つの印象的だったレース。
3月下旬に名寄で行われた全日本選手権だ。
リレー、15㎞クラシカル、50㎞スケーティングの3レースが行われた。
最終日の50㎞スケーティングは、全日本選手権のチームスプリントで初優勝した時のパートナー、本田さんの引退レースだ。
既に日は回っていたと思うので、50㎞当日の深夜。
トレイに起きた「その男」
暗闇の中でふと思った。
「引退する本田さんって、今どんな心境なんだろう」
全く想像できなかったようだ。
さて、レースはというと・・・
「その男」がぶっちぎっていた。
吹雪の中で行われており、過酷なレースとなった。
このレースは、10㎞コースを5周する。
4周目に入るスタジアム。
後ろには誰もいない。
3周目の中盤から一気に「その男」が抜けたのだ。
集団がバラけるまでは、成瀬さん、トムヤと走っていた。
4周目の序盤。
タイム差までは覚えていないが、後ろには二人の姿はない。
コース脇では、コーチが2位とのタイム差を教えてくれた。
「ん?聞き間違えか?」
と思いながらも、そのままレースを進める。
四周目中盤。
違うコーチがタイム差を教えてくれる。
「いや、聞き間違いじゃないな・・・」
コーチの口から発された人物の名前が
「宇田」
に代わっていた。
さらに、四周目序盤で聞いたタイム差よりも一気に詰まっている。
動揺したのか?
「その男」の体が固まった。
後ろを振り向くと、宇田の姿が見え、振り向くたびに大きくなってくるのがわかる。
宇田が近づいてくれば近づいて来るほど、「その男」の体は固まっていった。
四周目中盤過ぎ。
一気に抜かれた。
数百メートルしかついていけなかった気がする。
抜かれたことにより、さらに体は固まった。
宇田以外との選手とのタイム差もドンドン詰まってきた。
そして次々と抜かれていく。
最後のレースとなる本田さんにも抜かれた。
普段は負けないような相手にも抜かれた。
最後の一周は地獄だった。
残り5㎞地点ほど。
一人の選手がうつぶせで倒れていた。
数キロ前に抜かれた日大のユウマだ。
「お前の大学の先輩、本田さんの引退レースだぞ、頑張れ!」
本当は自分に言いたかったことを、ユウマにぶつけたようだ。
そんなこと言えるパワーが残っているならしっかり走れ、「その男」
抜かれ続けながら、なんとかゴールをした。
確か16位だったと思う。
宇田がぶっちぎって優勝。
2~3分ちぎっていた。
もともと力はあった彼だが、優勝に絡むとはだれが予想しただろう。
しかもぶっちぎって。
また一人、新たな全日本チャンピオンの誕生だ。
そして、このレースで本田さんが引退した。
昔から強かった本田さんの事は、「その男」が中学生の時から知っていた。
本田さんの引退に、時代の流れを強く感じたようだ。