その男⑯
今朝もまた喜んでいる。
筋肉がだ。
筋肉痛、継続中。
ちょっとわからなくなっている部分がある。
筋肉を維持するために、向上するために筋トレに励んでいるのか。
それとも筋肉痛になることで感じることができる、ある種の安心感が欲しいためか。
体を動かしていることを、使っていることを筋肉痛になることで感じているらしい。
そんなに追い込まなくていいぞ、「その男」
今日もまた、ブログを書き終わるとその流れで動き始めるようだ。
やれることをやっていくことで、生活リズムがさらに確立されてきている。
自然と体を動かす流れができてきているようだ。
丸四年の大学生活を経て、北海道へ戻った。
札幌に住むことになったが、「その男」の生まれ育った村と比べると十分に都会である。
しかし、大学四年間を東京で過ごしたことにより、札幌は住み心地が良かったようだ。
高校生の時までは、札幌でさえ人が多くていやだと思っていたはずだ。
慣れとは怖い。
あれから四年たっている。
トリノオリンピックが開催されてからだ。
社会人一年目のこのシーズン、バンクーバーが開催される。
選考方法は、おおよそ前回大会と同じだ。
場所はノルウェーに変わったものの、まずはノルウェーでのFISレースに参加。
二レースに出場し、その成績により一週間後に同会場で行われるワールドカップに参加権利を獲得することができる。
そのワールドカップを皮切りに、毎週末行われるワールドカップに参加をしながら、オリンピック出場に向けてアピールしていくという流れだ。
四年前は、シーズン初めのFISレースでつまずいた。
その後も、「その男」はシーズン入りで何度も失敗をしている。
シーズンインは11月上旬から海外で迎えていた。
11月中旬には毎年FISレースに出場していたが、うまく走れない。
11月いっぱいで日本に戻っていたが、帰国後少ししてから徐々に走りの感覚が良くなってきていたようだ。
シーズンイン直後になかなか走れないこの問題。
かなり深刻だ。
シーズンイン直後から成績をアピールしなければならない、シニアの世界では。
どうすれば解決できるのか。
考えた。
そこで出した対策が
「意識だけでもいいから、シーズンインを早くする」
だ。
11月上旬に海外でシーズンインをするのと同様に、9月下旬から10月上旬にかけて、氷河でのスキー練習をヨーロッパで行っていたようだ。
それを利用した。
その氷河トレーニングをシーズンインと位置付けたのだ。
意識だけは、例年よりも一か月近く早くシーズンインを迎えたこのシーズン。
それが功を奏したかはわからないが、ノルウェーのFISレースでは日本人で3番目に入り、同会場でのワールドカップでの出場権を得た。
とはいっても、スキー大国ノルウェーでのFISレース。
50位近かったように記憶している。
いざワールドカップ。
全く歯が立たなかった。
後ろから数えて10番目ほど。
トップからどれだけ遅れたか覚えていない。
オリンピック出場に向けては全くアピールすることができず、終えてしまった。
しかし、このシーズンは、トリノオリンピックとは違う点があった。
もう一度ワールドカップ出場権をかけてのFISレースがあった。
ノルウェー国内の別会場でのFISレースだ。
ここでは日本人二番目だった。
日本人トップの成瀬さんに数秒負けた。
そのレース結果で、ワールドカップ出場権を再び得た。
オリンピック出場に向けてアピールができる。
会場は
「スイス・ダボス」
だ。
「その男」のブログに何度も登場した、その会場だ。
その後この会場が、レースが特別となるのは、「その男」のブログに書かれている通りだ。
「58位。トップから1分55秒。30位まで42秒。」
ダボスでの成績だ。
持っている力を全て出し切った結果がこれ。
このレースが、「その男」にワールドカップポイント獲得となる30位を強烈に意識させることとなったようだ。
「どうやったらこの42秒を縮められるか?5㎞で約15秒。1㎞で約3秒。333mで約1秒」
自然と考えた。
昨シーズンの最終レース終了時、「夢のような話」だったワールドカップポイント獲得をするためにはどうすればいいのか。
ダボスでのレースを終え、帰国をした。
オリンピックに向けて十分にアピールできたとは思えない。
しかし、このシーズンはさらにオリンピックに向けたアピールをできる機会があった。
年末年始、「その男」の育った村と、札幌で開催されるFISレースが「参考」レースとなっていたのだ。
「選考」レースではない、「参考レース」だ。
優勝した。
「その男」の育った村でのFISレースで、成瀬さんを抑えて二種目とも優勝した。
成瀬さんが二種目とも二位だ。
毎年「その男」の育った村でのFISレースには参加をしていたが、この時が初優勝だった。
「参考」レースという大事な一戦での初優勝。
勢いに乗った。
が、
オチがあるのが「その男」というのは、中学生でスキーを間違えたあの時から変わっていないようだ。
年始に行われた、札幌でのFISレース。
直前に風邪を引いた。
それが全てではないが、札幌のFISレースでは二種目とも六~七位程度に沈んだ。
大馬鹿野郎。
勝負弱いな、「その男」よ。
札幌での2レースで優勝したのは成瀬さん。
見せつけられた、勝負強さを。
オリンピックに向けたアピールは札幌にて終了した。
ダボスでのワールドカップでは、一応日本人でトップだった。
札幌でのレースは散々だったが、「参考」レースでは四レース中二種目で優勝した。
「大丈夫だ、きっと選ばれる。けど、ワールドカップの順位は悪いし、札幌でのレースもよくなかったし・・・」
発表日が近づくにつれ、不安も増していった。
選ばれた場合は、事前に連絡があるはずだ。
携帯をチェックする回数が、いつも以上に増えた。
なかなか鳴らない電話。
残念なことに、発表当日もいつもと変わらない時間が過ぎており、気が付けばいつの間にか終わっていた。
バンクーバーオリンピックに選出されたのは
「恩田さん」
と
「成瀬さん」
だった。
「日本の絶対的なエース」
と
「憧れのライバル」
だ。
また力の差を見せつけられた。
また存在が遠のいた。
また目標を達成できなかった。
その男⑮
自己満足で日々更新を続けているようだ。
自己満足で昔を振り返っているようだ。
それでも
「ブログを見ているよ」
「更新楽しみにしてるよ」
そんなことを言われると随分と喜んでいるようだ、「その男」は。
どうやら褒められると伸びるタイプらしい。
今日も張り切って三回更新だ。
猿もおだてりゃ木に登る(ちょっと使い方違うかな?)
お待ちしています
「更新楽しみにしてるよ」
の言葉を。
「何かおかしくないか?違う、こうじゃない。」
その男はインターハイで四冠をした。
世界ジュニアでメダルを取った。
大学二年生のインカレでも優勝した。
しかし、大学三年生シーズンは優勝がゼロ。
ぶっちぎって勝っていた選手に負けた。
負けたことのなかった選手にも負けた。
「これが「その男」なのか?」
自問自答した。
自然と悔しさがこみ上げてきたの覚えているようだ。
「こんなのは俺じゃない」
と。
当時、ナショナルチームのランク分けは、上からA、B、C、そしてWだ。
Wはウェイティング。ナショナルチームの下部的な位置づけになるのだろうか?
大学四年生シーズン、マサヤとノブヒトはCランクだった。
「その男」はWランク。
はっきりと差が出た。
「俺のほうが強かったよな?速かったよな?」
ナショナルチームメンバーリストを見るたびに悔しがった。
「何かおかしくないか?違う、こうじゃない」
「その男」の思うおかしいこと、違うことを正すべく、大学四年シーズンは昨年とは全く違う気持ちでオフシーズンを過ごした。
大学三年時、あまりにも低かったモチベーションが冬の成績に影響した。
大学四年時、気持ちを入れ替え競技に取り組んだことにより、同じように冬の成績に影響した。
年始に札幌で行われたFISレースでは社会人選手を抑えて優勝した。
インカレでは、スケーティングではマサヤに負けた。
しかし、クラシカルではぶっちぎって優勝した。
大学生の世界大会となる、ユニバーシアドでは五位入賞をした。
それらの成績が認められ、ついにワールドカップ組に選出されたようだ。
フィンランドのラハティ、スウェーデンのファールンと、その後何度も訪れることとなる場所で行われたワールドカップ。
一緒に参戦したのが
「恩田さん」
と
「成瀬さん」
だ。
嬉しかったようだ。
「日本のエース」
と
「憧れのライバル」
と一緒にワールドカップに出場できたことが。
「その男」は出場していないが、トロンハイムのスプリントに出場した恩田さん。
テレビ観戦していたが、その姿に痺れた。
決勝戦でノルウェー三選手を引き連れて最後の直線に入ってきた。
最後のダブルポールで負けてしまい、表彰台は逃したが、ラストに入る前のダイヤゴナルは世界一速かっただろう。
「その男」も出場した、ファールンのワールドカップ。
20㎞スキーアスロンが行われた。
マススタートだったが、スタート直後に後ろから勢いよく突っ込んだ選手。
成瀬さんだった。
クラシカルのレーンとレーンの間を、小さい体がスルスルとすり抜けていっている姿を後ろから見ていた。
トップからわずかの差でゴールした成瀬さん。
FISのホームページで確認したところ、トップからわずか19秒差の17位だった。
さて、「その男」はというと・・・
トップから3分10秒遅れの53位。
翌日は15㎞スケーティングだった。
前日のタイム差でスタートするパシュート方式で行われた。
「その男」は余裕のウェーブスタート。
一緒にウェーブスタートした中に、その数年後には世界のトップクラスまで躍り出る、イギリスの「ムスグレイフ」がいたのを覚えて言える。
このファールンのワールドカップはミニツール形式で行われた。
現在のミニツールの三レースの総合とは違い、四レースの総合で行われた。
初日 スプリントクラシカル
二日目 3.3㎞スケーティング
三日目 20㎞スキーアスロン
四日目 15㎞スケーティングパシュート
「その男」は初日に行われたスプリントで女子選手に負けたということを補足しておくようだ。
四レースの総合順位は6分30秒ほど遅れた57位。
世界との力の差を見せつけられた。
それと同時に、恩田さん、成瀬さんとの力の差も見せつけられた。
ワールドカップでポイントをとる。
「その男」にとってはまだ夢のような話だったようだ。
振り返っても厳しい大学生活だった。
その分得るものも多かったように思える。
大学を卒業した「その男」は北海道へ戻った。
社会人スキーヤーとして、新たなスタートを切るために。
大学四年生の時には、「その男」にとってその後の人生を大きく変える出来事があった。
それは明後日まで取っておきたいと思う。
特別なその日まで。
その男⑭
どうやら例年通りのようだ。
ホテル生活を開始し、三日目までは運ばれてきた弁当を食べていた。
何もしないで体重が落ち続け、68.8㎏まで減ったのは書いたとおりだ。
その後。
ホテルを移動しスーパーでの買い物が可能となり、自分で料理をするようになった。
甘いものが大好きな「その男」
ついでに・・・と、買い物に行くと甘い物につい手が伸びてしまう。
それに加え、お義母さん、お義姉さんからもおいしいお菓子が届いた。
「その男」の嫁に、ホテル生活で必要な荷物を送ってもらった時にも、お菓子が入っていた。
それらを勢いよく短期で食べた結果・・・
体重は73.6㎏まで増量。
わずか四日ほどで、4.8㎏の増量に成功してしまった。
痩せるのは難しいが、太るのはあっという間。
毎年、春になると増量に成功してしまう「その男」
学習能力がないねぇ。
ひねくれていた。
「どうせ練習したって、大会に出られないこともあるんだろ?」
すぐ自分に言い訳をした。
あまりにも意識の低かった一年だと思う。
気持ちの整理をするのに時間がかかっていたようだ、大学三年生になった「その男」は。
振り返っても、そのシーズンの明確な目標を思い出すことができない。
印象的なことや、思い出もあまりないようだ。
その意識の低さは、冬の成績に全て反映された。
新潟県の妙高で行われたインカレ。
初日 スプリント。
予選通過をしたが、ヒート一回戦で転倒。
順位は覚えていない。
優勝者は一年生のノブヒトだ。
二日目 10㎞クラシカル。
「その男」はクラシカルを得意とする。
結果は三位。
優勝したのはマサヤだ。
二位に入ったのは、ノブヒトと同じく一年生のミキト。
まさかミキトにも負けるとは思っていなかったようだ。
マサヤ、ミキト、ノブヒトの三人は早稲田大学に所属している。
当時の早稲田は本当に強かった。
三日目 30㎞スケーティング。
入賞はした。
しかし、順位は正確に覚えていない。
七位くらいだろうか?
誰に負けたかもいまいち思い出せない。
ぶっちぎって優勝をしたのはマサヤ。
距離種目二冠だ。
二位に入ったのはハチロウ。
「その男」と同じく中央大学で、一学年下の後輩だ。
自分で言うのもなんだが、ハチロウは「その男」を目標に競技に取り組んでいるようだった。
「その男さんに追いつけるように頑張ります!」
なんてよく言ってくれたっけか。
そのハチロウに負けてしまった。
なんとなく申し訳ない気持ちになってしまったのを覚えている。
最終日 リレー。
優勝した。
早稲田に勝った。
リレーは足し算にもなれば、掛け算にも、引き算にもなることは経験から知っている。
足し算では決して勝つことのできなかったであろう早稲田に、勝った。
なんとしてでも勝ちたいというチームの団結力が、力の足し算ではなく、掛け算になったようだ。
前年度も同じメンバー、同じ走順でインカレを制している中央大学。
二連覇だ。
ちなみに、二年連続で一走を託されたのは、「その男」の大切にするブログに時折登場する炎の料理人、シンジだ。
一走のスペシャリストとして、その翌年のリレーも彼は一走を託されている。
なんとなく過ぎていく大学三年生のシーズン。
三月中旬、「その男」は再び新潟県、妙高市にいた。
全関西が開催され、そこに参加する同志社大学のサポートをするためだ。
なぜ同志社大学かって?
ワタルが所属するからだ。
そして、全関西は彼の引退レース。
ワタルの引退レースを見たくて、最後をサポートしたくて妙高へ向かったわけだ。
ワタルの最後のレースはリレーだった。
頭にハチマキを巻き、全力で走っている彼の姿は忘れられない。
レース後、引退したワタルはチームメートに胴上げをされていた。
「その男」も加わりたかったが、遠くからそれを見ていたようだ。
「学年は先輩だけど、立場は後輩」
のワタル。
立場が先輩の「その男」が、立場が後輩のワタルの前で泣いてるのを見せるわけにいかないしょ?
ワタルが引退する喜びか、一緒にスキーができなくなる寂しさかはわからないけど、少し離れたところで泣きながらその様子を見ていたようだ。
全関西の数日後、ジュニアオリンピックも妙高で行われた。
ワタルと二人で、高校生のサポートのためそのまま妙高に残った。
変わらず、「その男」が卒業した高校スキー部を指揮するのは小池先生だ。
何もかもうまくいかない大学三年生シーズン。
どうやら思うところがあったようだ。
小池先生の部屋を伺い、胸の内を明かした。
その後、何度も小池先生を訪ねては胸の内を明かすことになるが、これが初めてだったと記憶している。
「その男」は、誰かに自分のことを真剣に話すことが大の苦手だ。
しかし、思っていることを隠すことなく話せる相手が小池先生のようだ。
ジュニアオリンピックも終え、シーズンも終わりを迎えようとしていた。
すべてのレースが終わり、改めて「その男」のシーズンを振り返り始めた時に、ふと思ったようだ。
「何かおかしくないか?絶対におかしい。違う、こうじゃない。」