その男⑲
また焦りが加速したようだ。
このホテル生活も残り六日となった「その男」
濃密な過去を振り返る日々も、わずかとなってきている。
現在は社会人二年目まで振り返ることができたようだ。
過去が現在まで追いつくには、あと10年ほどある。
一日で一年を振り返っていては、ホテル生活中に現在まで間に合わない。
まずい、それだけは。
最も懸念されている
「途中でフェードアウト」
に現実味が帯びてきてしまった。
絶対に避けなければいけない。
「その男」が過去を振り返るペースもさらに加速しなければならなそうだ。
しかしおろそかにしないようだ、絶対に。
「スキーの聖地オスロ」
クロカン選手にとって、憧れの地だ。
スキー大国ノルウェー。
クロカンが国技だ。
街を歩けば、クロカン選手の写る広告を至る所で見ることができる。
テレビをつければ選手が出演するCMが流れる。
ワールドカップ翌日にはクロカンの記事が新聞の一面に掲載される。
この国でクロカントップ選手はヒーローのようだ。
一般人とのスキーとの距離も近い。
スキー一式を持って歩いている人を良くかける。
それらを抱えて、電車から降りてくる人も。
ツアーコースにいくと数十人の園児たちの集団が、先生と一緒にスキーに乗っている。
「ノルウェー人はスキーを履いて生まれてくる」
という言葉を聞いたことがあるが、まさにその通りだ。
彼ら、彼女らにとってスキーは生活の一部らしい。
全くの別物だ、日本とは。
そのノルウェー・オスロで世界選手権が開催された。
「その男」が初めて出場する世界選手権だ。
その後、何度もレースをすることになるオスロに行ったのも、この時が初めてだ。
初めての世界選手権。
しかもオスロ。
全てが圧巻だったようだ。
「その男」が出場したことのあるワールドカップとは比べ物にならないほどの観客。
会場の近くは駅があり、会場までは2㎞弱ほどあるだろうか。
その道が、人で渋滞になっている。
コース上にも人がいない場所がないくらい、どこにいっても応援が聞こえてくる。
テントを張り、肉を焼き、お酒を飲む。
スキー大国の観客は知っている。
応援の楽しみ方を。
会場の盛り上げ方を。
選手を鼓舞する方法を。
この世界選手権で、日本チームはリレーで六位になった。
日本チーム史上最高順位だ。
「リレーは足し算にも、掛け算にも、引き算にもなる」
以前も書いた通りだ。
このレースの日本チームは四人の力の足し算ではなく、間違いなく掛け算だった。
数字のインパクトはこの世界選手権でのリレーが一番であることは間違いない。
しかし、「その男」にとって印象が強いレースは、違う大会でのリレーのようだ。
重要なレースと理解しつつも今回は割愛したいと思う。
世界選手権、初レース。
30㎞スキーアスロンだった。
不思議なものだ。
一緒に走る選手は、いつものワールドカップとほとんど変わらない。
しかし、スタート前の雰囲気が全く違うのだ。
二年に一度の、世界チャンピオンを決める一発勝負。
よりピリッとした空気が漂っていたように感じたようだ。
スタートから数キロの長い上りで遅れた。
このシーズンの年末年始、ツールドスキーに参戦していた「その男」
ツールドスキーでも同種目が行われていて、トップから15秒ほどの集団でゴールをしていた。
そのイメージが強かったのだろうか。
どんどん遅れていく自分に
「どうした?もう遅れてるぞ?粘れ、ついていけ」
何度も言い聞かせたようだ。
その時には30位に入ることでは満足できなくなっていたらしい。
しかし、挽回もできず終わってしまった。
次の種目は15㎞クラシカル。
「当たった。」
スキーが。
スタート順番が。
「その男」の調子が。
「外れた。」
強豪国の数名のスキーが。
後ろからスタートしたのは、フィンランドのノージアイネン(カタカナ表記が難しい・・・)
前半から飛ばしてくる彼。
逆に、後半に伸びてくる「その男」
これがうまくマッチした。
5㎞過ぎには抜かれた。
そこから彼のペースはややダウン。
逆に「その男」は徐々に伸びる。
彼についていくことができた。
調子のよい時の「その男」は、スッポンだ。
離さない、逃がさない。
ゴールまでついていくことができた。
ゴールした段階では三~四位くらいだっただろうか?
シード選手はスタート順番が遅いため、少しずつ「その男」の順位は落ちていく。
が、いつもよりも落ちていくペースがあきらかに遅い。
「タイヒマンに勝ったぞ!!」
取材を受けている「その男」にファビオが嬉しそうに言ってきた。
強豪国のワックス選択も「その男」には追い風となり最終結果は12位。
フィンランドからはトップ10に3人入った。
ノルウェー二人、ロシア二人を抑え最多だ。
そしてリレー。
勢いのままに六位入賞。
最終日。
伝統の50㎞だ。
オスロでの50㎞。
最も名誉のあるレースの一つではないだろうか?
海外レースでの50㎞はこの時が初めてだが、オスロで走ることができるとは。
15㎞クラシカルでの12位。
リレーでの6位。
間違いなくノッていた。
世界選手権は短期勝負(とはいっても10日ほど)となるので、最も大切なのは勢いだと感じている「その男」
その勢いがあった。
最も大切な勢いが。
が
甘くなかった。
勘違いしていないか?
忘れてはいけない。
ここは世界最高峰の舞台だ。
世界一を決める大会だ。
日本一を決める大会ではない。
36位。
7分18秒遅れ。
レース中はつらかった。
選手が離れていくのがわかった。
進まなくなっていくのがわかった。
筋肉が痙攣した。
心拍を上げることもできなくなった。
フラフラになりながらゴールした。
なぜだろうか?
最も過酷ともいえるこの種目に、その後魅力を感じるようになったのは。
50㎞に特別な気持ちを抱くようになったのは。
「最も過酷なスポーツの一つ、クロスカントリースキーで最も過酷な種目」
そのためか?
せっかく苦しむのなら、もがくのなら、耐えるのなら、トコトンそれらと付き合いようだ。
その姿に美を見出しているようだ。
初めての世界選手権が終わった。
特別な場所だった。
その男⑱
数日前は初めてインスタライブをやった。
一昨日、昨日とオンライン英会話の無料体験も経験した。
ラグビー友達が主催するオンラインイベントにも参加をした。
「その男」はこの時間を利用して、初めてのことにチャレンジしているようだ。
充実した時間を過ごすことができている。
このブログでだってそうだ。
過去の振り返り。
さて、次はどんな新しいことが待っているのだろうか、「その男」には。
「テレビの中の世界だった。夢のような話だった。」
社会人二年目。
昨年まではスポットでワールドカップに出場していたが、このシーズンからは本格的なワールドカップ転戦が始まった。
ワールドカップ初戦はスウェーデンのヤリバレ。
正直、あまり記憶にない。
確か50位くらいだったように思える。
ワールドカップポイント獲得は30位までだ。
このレースで30位に入ったのが、今シーズンからシニアに上がったロシアのベロフ。
今も世界のトップを走る男だ。
「シニアデビュー戦で30位か・・・」
レベルの違いを見せつけれられた。
このレースの記憶が薄いのは、おそらく次のレースの印象が強すぎるからだと思われる。
次のレースが行われたのは、フィンランド・クーサモ。
現在はルカと呼ばれ、毎シーズン開幕戦が行われている場所だ。
今では当たり前になっている三レースの総合で争うミニツール形式のレース。
ミニツールが始まったのはこのシーズンからで、ここクーサモが初だったように記憶している。
初日 クラシカルスプリント
二日目 10㎞クラシカル
三日目 15㎞スケーティング パシュートスタート
三レースの合計タイムで行われた。
初日
120人ほど参加した中で、後ろから20~30番くらいだったはずだ。
三桁ではなかったはず、くらいの記憶しかない。
二日目
55位。
恩田さんと同タイムだった。
海外のレースで、日本人と同タイムというのはなかなかないことだと思う。
リザルトを確認して驚いた。
このレースでトップ10に入っていたノルウェー人はわずか一人。
トップ30に入っているのも2人しかいない。
ロシア人もトップ10には2人しか入っていない。
トップ10に最も多くの選手が入っていた国は、ドイツで3人だ。
「その男」の社会人2年目、今から約10年前の話だ。
時代の流れを感じているようだ。
三日目
「その男」にとって、最も印象的なレースの一つとなる。
この日は、二日目までの合計タイムで、良い選手からスタートしていくパシュート方式。
二日目までのトップからのタイム差で後ろの選手はスタートしていき、ゴールをした順番がそのまま最終順位となる。
「その男」は60番目ほどでスタートをした。
後半の伸びが持ち味の「その男」
周回を重ねるごとに、前の選手をとらえていった。
集団もどんどん大きくなっていき、「その男」のグループは15人ほどの大集団になったことを覚えている。
25位くらいを争うグループだった。
ワールドカップポイントを獲得できる30位以内に入るには、この集団の中で5~6番目にゴールしなければならない。
そのことはコース脇のコーチからも伝えられており、否応なしに力が入った。
必死に集団に食らいついた。
上り終わりの平地でも、必死に押した。
いつもは高い姿勢のクローチングも、意識して低くしたことを覚えている。
会場に入ってくる上り坂。
残り500mほどだ。
その男には集団についていく力はもう残っていなかったようだ。
遅れてしまった。
結局35番目でゴール。
総合順位も35位ということだ。
悔しかった。
目の前にワールドカップポイント獲得のチャンスがあったのに、それを物にできなかったことが。
始めて行われたミニツール形式のレース。
「その男」はルールを理解していなかったようだ。
最終日の三日目は、総合順位のほかにも結果が出ることを。
三日間の総合タイムで出る総合順位のほかに、三日目の15㎞スケーティング単体のタイムでも順位が出るのだ。
「その男」の15㎞スケーティング単体のタイムは
「24位」
初のワールドカップポイント獲得だ。
嬉しかった。
嬉しくて涙が出た。
その男は社会人になってからうれし涙を流したのは3度ある。
そのうちの一回がこのレースだ。
悔し涙を流したのは何度あるかわからない。
「その男」にとって、ワールドカップでポイントをとることは夢のような話だった。
テレビの中の世界の選手がとるものだと思っていた。
しかし今、自らがそれを手に入れた。
テレビの中の世界に、自分がいた。
その夜。
「日本の絶対的なエース」
と
「憧れのライバル」
を含むチームがその男の初ワールドカップポイントを祝福してくれた。
これもよほどうれしかったからだろうか。
ワールドカップ初ポイントをとる選手がいる場に立ち会えた時、「その男」も祝福のために何かを買って渡すようになったのは。
何年も目標を達成することができていなかった「その男」
久しぶりの目標達成は格別だった。
もちろんそれで終わるわけはない。
次の目標に向かって、このシーズンはまだまだ進んでいく。
その男⑰
「個人12勝、リレー4勝、チームスプリント3勝。計19勝」
団体を含め、「その男」が全日本選手権で勝利した数だ。
19回積み重ねた勝利。
初勝利は社会人1年目の1月、長野県白馬で行われた全日本選手権のチームスプリントだ。
パートナーとして共に走ったのが
「本田さん」
だ。
現在は「その男」の所属するチームで、監督をしている本田さん。
190㎝に迫る大柄な本田さんだが、大きいのは身長だけではない。
誰にでも優しく、他人のことを想い、全力を尽くしてくれる。
人間としての器も大きな人だ。
話すのも上手で、本田さんがいるとその場の雰囲気がパッと明るくなる。
「その男」がまだ独身だったころ、毎週末のように飲みにつれていってもらい、腹が痛くなるまで笑い続けたのはいい思い出のようだ。
一走本田さん、二走「その男」
前日の個人スプリントで優勝した本田さん。
一方、「その男」は決勝へ進むことができず、七位に終わっていた。
勝負が決まる二走で、前日チャンピオンの本田さんを起用するのがセオリーだろう。
しかし、セオリー通りにいかないのがこの二人だったようだ。
なぜ「その男」を二走にしたのか。
それは・・・
「じゃんけんで決めたから」
・・・・なんとふざけているんだ。
それだけだと聞こえは悪いので、釈明しなければならない。
自信があったのだろう。
どちらの走順でも優勝できると。
そのためか、なかなか決められなかったため、そのように決めたのではないかと「思う」
結果的にはこれが当たった。
二周目まで集団で走っていたが、最終周で本田さんが一気に突き放した。
五~六秒はあったかと思う。
バトンを受け取った「その男」は、二位の早稲田に差を詰められながらも、逃げ切った。
早稲田のアンカーはノブヒト。
その二年後にチームメートとなり、チームスプリントでパートナーになる男だ。
ゴールで本田さんが待っており、受け止めてくれた喜びは今でも覚えているようだ。
全日本での初優勝は特別だったらしい。
その翌日のパシュートでは、マサヤとの接戦を制し、個人戦でも初優勝をしている。
同年の3月。
「その男」の地元で同じく全日本選手権が開かれた。
初日 15㎞クラシカル。
散々だった。
体も板も空回りした。
何位だったか覚えていないほど悪い順位をとった。
そのレースで、「その男」の15秒後ろからスタートし、高校生ながら(確か)二位に入った男
それが
「宮沢」
だ。
彼とは、ドイツで同時開催されたU-23世界選手権、ジュニア世界選手権へ一緒に行ったが、そこが初めての出会いだ。
初対面は、出国前に前泊したホテル内で、エレベーターから降りようとしたときだった。
たまたま目の前にいたのだが、ペコペコしながら
「よろしくお願いします!」
と言ってきた彼のその姿を想像できるだろうか?
今となっては
「いや、眼中になかったんで」
と、某大先輩に物申すまでに成長したようだ。
その時にジュニア世界選手権に派遣されていたもう一人の選手。
それが
「レンティング」
だ。
そういえば、レンティングとの出会いを書き忘れていたのに気づいた。
彼との出会いは大学一年生の秋口。
個人合宿を野沢温泉でしていた「その男」
中大コーチだった大地さんの実家に宿泊していたが、週末に長野県の中学生向けに講習があるから、一緒に行こうと誘われた。
大地さんの講習を横で見たり、たまにローラーで実践をしながら時間が過ぎた。
講習終了後。
一人のでかい男が近寄ってきた。
「こいつがレンティングか・・・」
レンティングは当時中学生だったが、「その男」はすでに彼のことを知っていた。
中学生の時から既に、あの独特で不愛想な雰囲気を醸し出していた。
「全中で優勝したいんですけど、調子悪くて・・・どんなことすればいいんですかね?」
彼も宮沢と同様にまだ素直だった、「その時」は・・・
その質問になんと返したかは覚えていないが、これが彼との初対面だ。
その後、「その男」にとって二人は特別な存在になっていくようだ。
二日目 リレー。
結果は優勝。
二位は日大。
接戦だった。
一走、二走ではタイム差はほぼなく進んだ。
三走で、「その男」のチームが遅れた。
30秒近くはあったように記憶している。
日大のアンカーは、「その男」の高校の後輩で、その数日後には再びチームメートになることになっていたマサタカ。
対するは「その男」
高校の先輩、後輩の戦いになった
マサタカは、全日本選手権前に開催された宮様大会のスケーティングでぶっちぎって優勝していた。
二位と40~50秒はあったはずだ。
「その男」もマサヤもコテンパンにやられている。
あれには驚いた。
その勢いのままに全日本選手権に出場したマサタカ。
しかし、意外とすぐに追いついた。
余力をもって。
マサタカの後ろを走りながら、どこで勝負をかけようか考える。
決めた。
「最後の上りで一気に引き離す、あいつには余力もない、スプリント力もない」
当たった。
わずかな距離で一気に引き離した。
姿は見ていないが、後ろでもがき苦しみながら、自分を鼓舞するために叫んでいる彼の声が忘れられない。
余裕をもってゴールに向かう「その男」
コース脇では、チームスタッフや選手が盛り上がっている。
「誰だと思ってるんだ!?」
コース脇に向かって叫んだ。
やっぱり生意気で目立ちたがり屋だね、「その男」
ゴール後に泣きじゃくるマサタカに伝えた。
「相手が悪かったな。俺らはプロ集団だ。学生チームに負けるわけにはいかない」
翌日の50㎞スケーティング。
デジャブなのか?
二人の選手が他の選手を引き離し、残り数キロを走っていた。
マサタカと「その男だ」
状況も一緒だ。
「その男」のほうが、明らかに余力がある。
「俺に勝ちたいか?」
残り一㎞ほどでマサタカに聞いた。
「勝ちます」
威勢だけは良かった。
しかし残念ながらマサタカには「その男」を倒す力は残っていなかった
最後のスプリントで、昨日同様一気に引き離した。
昨日と違ったのは、ゴール後のマサタカが清々しく表情だったこと。
自分で言うのもなんだが、ハチロウ同様、マサタカも「その男」を目標にしてくれていたようだ。
そんな彼と全日本で取ったワンツー。
「その男」にとっても誇らしかったようだ。
「その男」は今、ホテルの一室でブログの更新をしている。
遠く離れた北海道の札幌では、明日から全日本選手権が始まるようだ。
「その男」は隔離中のため、出場することができない。
初日の種目はリレーのようだ。
おそらく見ていないだろう。
「その男」が所属するチームで走る蛯名、マサト、タイセイ、そして出場することができない「その男」に代わって走る今村は。
それでも数年前に「その男」が発した言葉をもう一度記しておきたいらしい。
「俺らはプロ集団だ。学生チームに負けるわけにはいけない」
と。
さらにもう一つ記しておきたいことがあるらしい。
その言葉を発した二年後。
レンティング、宮沢両エースを要する早稲田に、「その男」が所属するチームが負けてしまったことも。