その男⑰ | neppu.com

その男⑰

「個人12勝、リレー4勝、チームスプリント3勝。計19勝」

 

 

団体を含め、「その男」が全日本選手権で勝利した数だ。

 

19回積み重ねた勝利。

 

初勝利は社会人1年目の1月、長野県白馬で行われた全日本選手権のチームスプリントだ。

 

パートナーとして共に走ったのが

 

 

「本田さん」

 

 

だ。

 

現在は「その男」の所属するチームで、監督をしている本田さん。

 

190㎝に迫る大柄な本田さんだが、大きいのは身長だけではない。

 

誰にでも優しく、他人のことを想い、全力を尽くしてくれる。

 

人間としての器も大きな人だ。

 

話すのも上手で、本田さんがいるとその場の雰囲気がパッと明るくなる。

 

「その男」がまだ独身だったころ、毎週末のように飲みにつれていってもらい、腹が痛くなるまで笑い続けたのはいい思い出のようだ。

 

一走本田さん、二走「その男」

 

前日の個人スプリントで優勝した本田さん。

 

一方、「その男」は決勝へ進むことができず、七位に終わっていた。

 

勝負が決まる二走で、前日チャンピオンの本田さんを起用するのがセオリーだろう。

 

しかし、セオリー通りにいかないのがこの二人だったようだ。

 

なぜ「その男」を二走にしたのか。

 

それは・・・

 

 

「じゃんけんで決めたから」

 

 

・・・・なんとふざけているんだ。

 

それだけだと聞こえは悪いので、釈明しなければならない。

 

自信があったのだろう。

 

どちらの走順でも優勝できると。

 

そのためか、なかなか決められなかったため、そのように決めたのではないかと「思う」

 

 

結果的にはこれが当たった。

 

二周目まで集団で走っていたが、最終周で本田さんが一気に突き放した。

 

五~六秒はあったかと思う。

 

バトンを受け取った「その男」は、二位の早稲田に差を詰められながらも、逃げ切った。

 

早稲田のアンカーはノブヒト。

 

その二年後にチームメートとなり、チームスプリントでパートナーになる男だ。

 

ゴールで本田さんが待っており、受け止めてくれた喜びは今でも覚えているようだ。

 

全日本での初優勝は特別だったらしい。

 

その翌日のパシュートでは、マサヤとの接戦を制し、個人戦でも初優勝をしている。

 

 

同年の3月。

 

「その男」の地元で同じく全日本選手権が開かれた。

 

初日 15㎞クラシカル。

 

散々だった。

 

体も板も空回りした。

 

何位だったか覚えていないほど悪い順位をとった。

 

そのレースで、「その男」の15秒後ろからスタートし、高校生ながら(確か)二位に入った男

 

それが

 

 

「宮沢」

 

 

だ。

 

彼とは、ドイツで同時開催されたU-23世界選手権、ジュニア世界選手権へ一緒に行ったが、そこが初めての出会いだ。

 

初対面は、出国前に前泊したホテル内で、エレベーターから降りようとしたときだった。

 

たまたま目の前にいたのだが、ペコペコしながら

 

 

「よろしくお願いします!」

 

 

と言ってきた彼のその姿を想像できるだろうか?

 

今となっては

 

 

「いや、眼中になかったんで」

 

 

と、某大先輩に物申すまでに成長したようだ。

 

その時にジュニア世界選手権に派遣されていたもう一人の選手。

 

それが

 

 

「レンティング」

 

  

だ。

 

そういえば、レンティングとの出会いを書き忘れていたのに気づいた。

 

彼との出会いは大学一年生の秋口。

 

個人合宿を野沢温泉でしていた「その男」

 

中大コーチだった大地さんの実家に宿泊していたが、週末に長野県の中学生向けに講習があるから、一緒に行こうと誘われた。

 

大地さんの講習を横で見たり、たまにローラーで実践をしながら時間が過ぎた。

 

講習終了後。

 

一人のでかい男が近寄ってきた。

 

 

「こいつがレンティングか・・・」

 

 

レンティングは当時中学生だったが、「その男」はすでに彼のことを知っていた。

 

中学生の時から既に、あの独特で不愛想な雰囲気を醸し出していた。

 

 

「全中で優勝したいんですけど、調子悪くて・・・どんなことすればいいんですかね?」

 

 

彼も宮沢と同様にまだ素直だった、「その時」は・・・

 

その質問になんと返したかは覚えていないが、これが彼との初対面だ。

 

 

その後、「その男」にとって二人は特別な存在になっていくようだ。

 

 

二日目 リレー。

 

結果は優勝。

 

二位は日大。

 

接戦だった。

 

一走、二走ではタイム差はほぼなく進んだ。

 

三走で、「その男」のチームが遅れた。

 

30秒近くはあったように記憶している。

 

日大のアンカーは、「その男」の高校の後輩で、その数日後には再びチームメートになることになっていたマサタカ。

 

対するは「その男」

 

高校の先輩、後輩の戦いになった

 

マサタカは、全日本選手権前に開催された宮様大会のスケーティングでぶっちぎって優勝していた。

 

二位と40~50秒はあったはずだ。

 

「その男」もマサヤもコテンパンにやられている。

 

あれには驚いた。

 

その勢いのままに全日本選手権に出場したマサタカ。

 

しかし、意外とすぐに追いついた。

 

余力をもって。

 

マサタカの後ろを走りながら、どこで勝負をかけようか考える。

 

決めた。

 

 

「最後の上りで一気に引き離す、あいつには余力もない、スプリント力もない」

 

 

当たった。

 

わずかな距離で一気に引き離した。

 

姿は見ていないが、後ろでもがき苦しみながら、自分を鼓舞するために叫んでいる彼の声が忘れられない。

 

余裕をもってゴールに向かう「その男」

 

コース脇では、チームスタッフや選手が盛り上がっている。

 

 

「誰だと思ってるんだ!?」

 

 

コース脇に向かって叫んだ。

 

やっぱり生意気で目立ちたがり屋だね、「その男」

 

ゴール後に泣きじゃくるマサタカに伝えた。

 

 

「相手が悪かったな。俺らはプロ集団だ。学生チームに負けるわけにはいかない」

 

 

翌日の50㎞スケーティング。

 

デジャブなのか?

 

二人の選手が他の選手を引き離し、残り数キロを走っていた。

 

マサタカと「その男だ」

 

状況も一緒だ。

 

「その男」のほうが、明らかに余力がある。

 

 

「俺に勝ちたいか?」

 

 

残り一㎞ほどでマサタカに聞いた。

 

 

「勝ちます」

 

 

威勢だけは良かった。

 

しかし残念ながらマサタカには「その男」を倒す力は残っていなかった

 

最後のスプリントで、昨日同様一気に引き離した。

 

昨日と違ったのは、ゴール後のマサタカが清々しく表情だったこと。

 

自分で言うのもなんだが、ハチロウ同様、マサタカも「その男」を目標にしてくれていたようだ。

 

そんな彼と全日本で取ったワンツー。

 

「その男」にとっても誇らしかったようだ。

 

 

 

「その男」は今、ホテルの一室でブログの更新をしている。

 

遠く離れた北海道の札幌では、明日から全日本選手権が始まるようだ。

 

「その男」は隔離中のため、出場することができない。

 

初日の種目はリレーのようだ。

 

おそらく見ていないだろう。

 

「その男」が所属するチームで走る蛯名、マサト、タイセイ、そして出場することができない「その男」に代わって走る今村は。

 

それでも数年前に「その男」が発した言葉をもう一度記しておきたいらしい。

 

 

「俺らはプロ集団だ。学生チームに負けるわけにはいけない」

 

 

と。

 

 

さらにもう一つ記しておきたいことがあるらしい。

 

 

その言葉を発した二年後。

 

レンティング、宮沢両エースを要する早稲田に、「その男」が所属するチームが負けてしまったことも。