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その男⑩

昼食後、間髪入れずに動き始めたその男。

 

まずいと思ったようだ。

 

朝食後にそのままベッドに寝転がり、昼食前まで眠りに落ちてしまったらしい。

 

その男の経験からいくと・・・

 

 

グダグダした時間を朝から過ごしてしまっては、そのまま一日グダグダしてしまうらしい。

 

あと一週間以上、ホテルの一室で過ごさなければならないその男。

 

一日グダグダした生活をしてしまえば、それは二日グダグダする生活を過ごすための引き金となってしまう。

 

二日グダグダした生活をしてしまえば、それは三日グダグダする生活を過ごすための引き金となってしまう。

 

部屋の掃除をした。

 

荷物をまとめた。

 

机に向かいやすい環境を整えた。

 

 

その男が意識していたことがあるようだ。

 

納得のいかないレース後、宿に戻ったとき。

 

いつも以上に意識して環境を整えるようにしていたようだ。

 

着ていたものをすぐハンガーにかける。

 

靴を並べる。

 

必ず手を洗う。

 

ベッドに寝転がってグダグダとしない。

 

部屋を整えることと同時に、自分の気持ちも何とか整えようと心がけた。

 

さて、その結果はどうなのだろうか?

 

その男は今、机に向かっている。

 

その男の過去を振り返る作業をまた始めることには、少なからず成功している。

 

 

 

「インターハイ四冠、完全制覇」

 

その実績を引っ提げて、その男の高校最後のシーズンが始まる。

 

新年度が始まってから、その男は決めていた。

 

 

「インターハイと重なったとしても出場する、世界ジュニアに」

 

 

と。

 

世界を意識していた。

 

 

が、世界ジュニアに行くその前に・・・

 

 

 

その男はインターハイ完全制覇をしていたものの、同級生の存在にビクビクしていた。

 

 

「マサヤ」

 

 

という男だ。

 

マサヤが一、二年生の時は、彼の所属する高校にクロカン選手は彼しかいなかったように記憶している。

 

小柄なマサヤは、めちゃめちゃ動ける。

 

勢いがある。

 

スケーティングが得意で、インターハイで優勝した高校二年生の年も、その男は何度か負けていた。

 

その男とマサヤはその世代で抜けていて、常にどちらかが優勝。

 

三位以降とは大きく差が開いていた。

 

 

インターハイ。

高校三年目、そこに至るまでに三度マサヤと戦っていたが、いずれもその男が完勝していた。

 

しかし、その男はやはり勝負弱いようだ。

 

インターハイのクラシカル、マサヤに負けた。

 

彼が得意とするスケーティングではなく、クラシカルでだ。

 

タイム差もそれなりにあったように思える。

 

インターハイ二年連続四冠は、初日にして閉ざされた。

 

逆に、スケーティングでは快勝した。

 

徐々に開いていくタイム差に、気持ちよく走ることができたのを覚えている。

 

 

最終日のリレー。

 

オーダーは

 

 

一走 午来(個人戦二種目三位)

二走 その男(個人戦優勝、二位)

三走 マサタカ(個人戦四位、九位)

四走 トムヤ(個人戦出場なし。個人戦は一校から三選手しか出場できないため)

 

 

前日までの二日間、出場した三人はいずれも上位入賞をしていた。

 

圧倒的な個人戦での実績。

 

普通に走れば優勝だ。

 

しかし、何かが起きるのがリレーのようだ。

 

普通に走れないのがリレーのようだ。

 

気温が上がり、ワックス選択が難しかった当日。

 

それに対応できなかった、その男の所属するチーム。

 

一走の午来がなかなか帰ってこない。

 

トップが帰ってきてから一分は超えていただろうか。

 

その前には十数人がすでに戻ってきている。

 

トップで帰ってきたのは、洋だったはずだ。

 

その男にタッチしても、トップとの差はなかなかつまらない。

 

洋からバトンを受けたのはノブヒトだ。

 

いつもならば一分などひっくり返すことはできただろうが、この時は結局数秒差を縮めることしかできなかった。

 

マサタカ、トムヤも差を縮めることがほとんどできない。

 

結局その男のチームは一分ほど遅れ、二位でゴールした。

 

 

リレーは何かが起きる。

 

単純に、力の足し算ではない。

 

足し算になることがあれば、掛け算になることもあり、引き算になってしまうこともある。

 

十数年後、その男はとあるインタビューでこう答えたようだ。

 

 

「一人一人が少しタイムを伸ばすことで、それ以上に大きくタイム差を縮めることができる」

 

 

といったことを。

 

リレーではいろいろな経験をしているその男。

 

一人一人の力が掛け算となり、世界選手権のリレーで入賞を果たしたこともあるようだ。

 

逆に、引き算となってしまったことも。

 

高校三年生のインターハイでのリレー。

 

 

リレーの怖さを知るには、あまりにも代償が大きく、残酷だった。

 

 

 

 

その男⑨

「またテレビの世界に戻ってしまったなぁ」

 

 

ワールドカップ最終戦の映像を見ながらそう思った。

 

つい最近まではその男もあの中にいたのに、今はホテルの一室にこもりっぱし。

 

その男は、昨日久しぶりに筋トレをしたらしい。

 

腕立て伏せと腹筋。

 

100回ずつほどやったようだ。

 

残念なことに、筋肉痛になってしまった。

 

しかも、がっつり筋肉痛になっている。

 

衰えるのはあっという間だ。

 

映像を見ながらもう一つ思ったことがある。

 

 

「やっぱり強いってかっこいいなぁ、どうやったらああいう風になれるんだろうな」

 

 

自然と体重を図るのと一緒だ。

 

その思考は状況が変わった今でも変わらないようだ。

 

 

 

高校二年生シーズンも始まった。

 

 

「がんばれよ、しっかりやれば強くなれるぞ」

 

 

その男にとって、この言葉をかけてくれた選手はいろんな意味で怖い存在だったようだ。

 

圧倒的な存在感からの怖さ。

周りをいびっているかのように見える怖さ。

世界と対等に戦うほどの力を持っている怖さ。

 

伊藤杯10㎞クラシカル。

 

その男の30秒後ろからスタートした、日本の絶対的なエース。

 

 

「恩田さん」

 

 

だ。

 

面識は全くなかったが、存在はもちろん知っていた。

 

リザルトの中でしか見ない人。

 

テレビの世界の中の人だ。

 

30秒後にスタートした恩田さんから、ギリギリ逃げ切ったことが誇らしかったその男。

 

さらにそんな言葉をかけてもらったら、忘れるわけがない。

 

その時には、数年後にワールドカップ、世界選手権、オリンピックと一緒に転戦できるようになるとは想像もしていなかった。

 

前回書いた、高校一年生の時の最強高校生

 

 

「成瀬さん」

 

 

そして、日本の絶対的エース

 

 

「恩田さん」

 

 

数年後、その男がワールドカップ転戦を始めた時に、チームにいた先輩はその二人だったが、その男にとっていろんな意味で精神的な支えだったようだ。

 

その男がナショナルチーム最年長になったソチオリンピック以降、自分もそういう存在になければならないと心がけていたようだ。

 

正確に言えば、チーム最年長はその男ではなくて・・・いや、ここで年齢を口にするのはやめておこう。

 

年齢は関係ない。

 

最年長のその選手はつい先日、成績でそれを示してくれている。

 

 

その男が高校二年生を振り返るときには、欠かせない思い出。

 

それはインターハイのようだ。

 

個人二種目、リレー、総合優勝の四冠を達成したその男。

 

ハイライトはリレーだ。

 

リレー結成一年目の昨シーズン、25位ほどに沈んだのは前回書いたとおりだ。

 

大失速した原因が一つあった。

 

一走を担当した午来のブーツがレース中に壊れ、まともに走ることができていなかったのだ。

 

この年の一走を担当したのも、同じく午来だ。

 

これ以上ない快走だった。

 

後ろから数えたほうがよっぽど早かった去年の順位とは全く別で、トップで帰ってきた。

 

ぶっちぎって。

 

二走のワタル。

 

いうなれば、チームの不安要素は彼だった。

 

一走の午来は個人戦で上位入賞。

 

三走の一年生マサタカは、スケーティングで入賞。

 

アンカーのその男は個人で二冠。

 

二走のワタルは入賞すらしておらず、個人戦は20位中盤くらいだった。

 

エース区間を走る、キャプテンながら不安要素だったワタル。

 

 

ね?

 

 

その男の結婚式でワタルが言った

 

 

「一つ学年は上の先輩だけど、立場は後輩。」

 

 

キャプテンを平気で不安要素と言っちゃうんだから、相変わらず生意気っぷりを発揮しているね、その男。

 

と、話しは戻り・・・

 

 

周りの不安をよそに、ワタルも快走。

 

マサタカも無難にタスキをつなぐ。

 

アンカーのその男で最後は引き離した。

 

結果的には、二~三分の差で優勝した。

 

最終日のリレーは、開催された場所が旭川ということもあり、全校応援だった。

 

その男の住む村から、たくさんの応援団が駆け付けていた。

 

そんなこともあり、ずいぶんと盛り上がったことを覚えているようだ。

 

リレー結成二年目。

 

全国の頂点まで一気に上り詰めた。

 

クロカン部門だけで、学校対抗の総合優勝もした。

 

とにかく盛り上がった一日。

 

とにかく騒いだ一日。

 

全ての表彰を終え、その男の住む村へ帰り始める時。

 

日中の騒がしい時間とは対照的に、疲れ切った選手たちが静かにバスに座っていた。

 

部員に向けていった小池先生の言葉と光景が忘れられない。

 

 

「色々とあったけど、続けてきてよかった」

 

 

思い出すだけで胸が締め付けられる。

 

この年は本当に色々とあった。

 

だが、この小池先生の一言で何か報われたような気がする。

 

高校二年生のインターハイで、高校でも全国制覇をしたその男

 

いよいよ舞台は次の段階へ。

 

いよいよ舞台は世界へ。

その男⑧

いつもと違う感覚だ。

ドラッグストアへ用事があり行ってきた。

 

いつも以上にワクワクするのは気のせいだろうか?

 

色々な商品が自然と目に入ってくる。

 

あの棚の商品も、この棚の商品も。

 

いつもならば全く気にならない商品にまで目が行ってしまう。

 

この新鮮な感覚はすぐになくなるだろうが、これからドラッグストアに行く機会は増えそうだ。

 

 

 

その男は激怒した。

 

 

ん?

 

 

なんか聞いたことのあるフレーズから始まったな。

 

気にしない、気にしない・・・

 

 

その男は地元の高校に進学した。

 

その男が入学する前、スキー部に所属をするのは二人のみだったようだ。

 

その男の兄の同級生で、二学年上の

 

 

「亮太君」

 

 

そして、小学生の時に、トイレのスリッパでその男をひっぱたいた

 

 

「ワタル」

 

 

だ。

 

二人ともその男と同様に、地元からの進学だった。

 

先輩というよりも友達、幼馴染の二人。

 

そして、その男と一緒に二人が入学した。

 

中学校時代のレースウェアがあまりにも特徴的だった、照英似のイケメン

 

 

「午来」

 

 

天童よしみに似ているということで、ひねりもないあだ名のついていた

 

 

「よしみ」

 

 

五人でスキー部は活動をしていた。

 

その五人をまとめる顧問。

 

 

「小池先生」

 

 

だ。

 

その男のスキー人生において、計り知れない影響を与えている先生のようだ。

 

補足しておくと、今年のインターハイ、本日行われたジュニアオリンピックで優勝した選手は、小池先生の息子さんだ。

 

息子さんは絶対に覚えていないだろうが、息子さんが小さいときには一緒に海になんて行ったっけな。

 

懐かしいな。

 

という話は置いといて。

 

その五人は色々と悪いことをしたようだ。

 

しかし、いつもばれるのはワタル。

 

亮太君とよしみは悪いことをしてもうまくばれないで済む。

 

不器用なワタルは隠すことができないようで、よく怒られていたようだ。

 

「なんであの二人のほうが悪いことしていたのに、怒られたのはおれのほうだったんだ?」

 

今でもワタルはそんなことを愚痴るようだ。

 

その男は、何とか無難に怒られるのを逃れていたようだ。

 

午来もよく怒られていた。

 

 

「練習時間が無くなるから、終わったらすぐ帰ってくるように」

 

 

小学校の体育館で行われていた劇団の鑑賞を見に行くことがあり、その前日の部活終わりに小池先生から指示があった。

 

その当日。

 

劇団鑑賞終了。

 

走って戻るよしみとその男。

 

ワタルと亮太君も戻ってきており、練習準備を済ませてすでに車に乗りこんでいる。

 

しかし

 

午来がなかなか帰ってこない。

 

 

「これはまずい・・・」

 

 

車の中の雰囲気がどんどん悪くなっていくのがわかる。

 

 

「なかなかこないなぁ~」

 

 

なんて話は始めていたのに、そういった会話すらなくなっていった。

 

待っていると、ついに午来が現れた。

 

 

 

当時付き合っていた女の子と、タラタラと歩き、照英に似たその顔は完全に緩んでいる。

 

 

次の瞬間

 

 

 

「午来、さっさと来い!!!」

 

 

温厚な小池先生が吠えた。

 

小池先生は激怒した。

 

ん?

 

なんか聞いたことのあるフレーズだな。

 

気にしない、気にしない・・・

 

車の中にいたほかの四人の背筋がピッと伸びていたことは言うまでもない。

 

今でも当時のメンバーが集まったときには必ず話題に上がる一つのようだ。

 

ちなみに、その男が進学した高校のスキー部がインターハイのリレーに出場したのは、この年が初めてだ。

 

色々なハプニングがあり、25位くらいに沈んでいる

 

小池先生も激怒したが、その男も激怒したようだ。

 

何に?

 

 

「いや、無理っしょ!」

 

 

その男が言われた言葉だ。

 

11月上旬、旭岳で合宿が行われていた。

 

全道の高校が集まって行われる合宿。

 

中学校の時の道選抜合宿のようなものだ。

 

その男の高校は、ほかのチームと同部屋になった。

 

二段ベッドがたくさんあり、10人以上が同じ部屋だったと記憶している。

 

その男は他のチームの二学年上の先輩と会話をしていた。

 

 

「今年の目標って何なの?」

 

 

という質問に、

 

 

「全国大会で表彰台に上ることです」

 

 

と答えたその男。

 

その答えに対して、その先輩が返した言葉が

 

 

「いや、無理っしょ!」

 

 

だったのだ。

 

それに対してなんと返したかは覚えてない。

 

激怒していたからだ。

 

おそらく

 

 

「そうですよねーむずかしいですよねー」

 

 

くらいに返していたと思う。

 

返信は忘れても、そういわれたことが悔しかったことははっきり覚えているようだ。

 

その冬。

 

その男は、インターハイ予選となる全道大会ですら表彰台に上れなかった。

 

インターハイのスケーティングでは入賞したものの、表彰台に上れなかった。

 

 

しかし

 

 

名寄で行われた国体。

 

三位に入った。

 

高校生で初めて、表彰台に上った。

 

 

見たか。

 

 

その数週間後の選抜大会。

 

その男は優勝した。

 

 

「いや、、無理っしょ!」

 

 

といった、その先輩も入賞はしていた。

 

表彰台の一番高い位置から、横にいたその先輩を何度も見たことも覚えている。

 

選抜では優勝したその男。

 

しかし、その二学年上にいた、高校最強の選手。

 

それが

 

 

「成瀬さん」

 

 

その男にとって生涯のライバル、憧れとなるその選手との戦いは、高校生の時に始まっていた。