その男⑦
「あっその男からの電話だ」
その男の友達に電話をしたときに、一言目に言われた言葉だ。
その男は、この生活中に色々な方に電話をしているようだ。
話していると、その男が思っていた以上に言われる、その男が大切にしているブログに関するコメント。
その男は良く
「自己満足ブログ」
と、その男が大切にしているブログを表現するが、それでも注目して読んでくれていることに、なんだかんだで喜びを感じている。
その男は、以前書いたことがある。
その男が大切にしている人生日記ともいえるそのブログは
「自己満足」
と
「家族への生存報告」
で成り立っていると。
しかし、その男が大切にしているブログには、もう一つの目的があるようだ。
隠していたわけではないだろうが、そろそろ書いてもいいだろうと思っているようだ。
もう一つの目的は
「世界との距離感を縮めてもらう」
だ。
「世界との距離感を縮める」
ではない。
その男の大切にするブログを見たことで
「あのブログに書いてあったんだけど、ワールドカップで・・・」
「あれ見た?海外って・・・・」
という会話が、どこかの会場で一回でも多く話題に上っていたらその男はうれしく思うらしい。
そんなことを言いながらも、今日もまたその男の過去について書き進めていくようだ。
自己満足がメインであることに変わりはない。
今日の東京は、昨日の大雨から一転して雲一つない快晴。
この天気が後押しして、新たな目的の一つを公表するに至ったように思える。
春は近い。
まさかの夏だった。
中体連地区予選、一回戦負け。
その男の夏は早々に終わった。
その男の野球人生は、描いていたよりも早く終わった。
その男が住む村では、六月に道北野球という大会が開かれる。
士別以北のほとんどの中学校が参加する大会で、40~50校が参加する。
三~四日かけて行われるその大会は、その男の住む村にある三グランドすべてを使用して試合が行われるのだ。
その村のあらゆる場所から少年たちの威勢の良い声が聞こえてくる。
その大会で、その男の所属する中学校は優勝した。
道北の頂点に立ったのだ。
それから一カ月も満たないで開催された、中体連地区予選。
何をやっても流れが悪い。
いつものプレーができない。
試合はもつれ、延長戦まで進んだ。
延長戦ではその男の所属するチームは二点ほど取ったものの、その裏には相手に逆転され、サヨナラ負け。
野球での進学を考えていなかったその男は、負けと同時に野球を引退した。
いきなり突き付けられた引退。
ひたすら泣いたのを覚えている。
夏が終わってからは、スキーに打ち込んだ。
前年度、全国大会五位をとったその男の目標はもちろん全国大会優勝。
何度口にしたかわからない
「全国制覇」
という言葉を。
勝ちたくて、勝ちたくて、勝ちたくてしかたなかったようだ。
全道大会前哨戦で優勝。
地区予選優勝。
全道大会優勝。
「ぶっちぎり」
で優勝した。
勢いがあった。
勢いしかなかった、昨年の全道大会前哨戦で優勝した時のように。
ということは
今シーズンもオチがあるに違いない。
それは置いといて。。。
全国中学は長野県菅平で開催された。
初めての高所での大会だ。
前年度、全国中学で入賞した選手はシード選手の枠がある。
スタートが一番後ろからとなるのだ。
その男はシード選手だったため、スタートは全体の一番後ろ。
その前にスタートしたのが、社会人になってからチームメートとなる
「洋」
だ。
スタート後、洋との差がなかなかつまらない。
むしろ離れていく。
おかしい。こんなんじゃない。こんなはずはない。
挽回ができないままレースは終わった。
結果は25位。
道大会ではぶっちぎって勝っていた選手にも数人に負けた。
長野県の選手が6~7人は入賞していただろうか。
そのレースで一年生ながら上位入賞を果たし、存在感を示したのが
「ノブヒト」
彼も後にその男のチームメートとなり、ともに世界を目指すこととなる。
洋やノブヒトが表彰されている中、そこに行くことすらできなかったその男は、テントの裏で吐いていた。
翌日のスケーティング。
今でこそ当たり前に個人戦が二種目行われるが、その男が中学三年生の時に初めてスケーティングが採用された。
前日とは違い冷静なその男。
周りの声援がよく聞こえた。
「落ち着いて走れ!」
という菊池さんの声援に
「俺は落ち着いてるよ、菊池さんが落ち着いてよ」
と、心で思っていたほどだ。
トップ通過も、差はわずか。
ゴールをしたときは、電光掲示板の一番上にその男のビブ番号が載った。
スケーティングはシードスタートではなかったため、全員のゴールを待つ。
しばらくして全員ゴール。
その男は
「全国制覇」
を達成したようだ。
友達が全力で喜んでくれていることがうれしかったようだ。
胴上げをされた。
泣きながら握手をしてくれる人もいた。
その男が泣いていたことは言うまでもない。
表彰式の光景は忘れられない。
正確に言えば、忘れないようにしっかりと目に焼き付けようと決めていた。
この光景は、後々自分の糧になると思っていたからだ。
目の前に広がるスキー場。
表彰台の前で喜んでくれている北海道選手団。
会場で流れていたBGMは、B'ZのPleasure98~人生の快楽~。
その男がB'Zを好きになるきっかけだ。
その曲は、その男が気持ちをあげるときに今でも聞く曲らしい。
いい時間だったな。
取材などで聞かれると、その男はこう即答するようだ。
「今までで一番うれしかったレースは、全国中学での優勝です」
と。
それだけ強烈な印象を残したレースだったのだ。
夏の野球のためのスキー。
いつしかそれは逆転しており、その男はスキーを続けるために進学することを決めていた。
まだリレーを組む選手数すらいない、小さな、小さな高校へ。
ちなみに・・・・
やはりオチはあった。
場所は秋田県鹿角、ジュニアオリンピック。
レースは10㎞クラシカル。
使用したスキーは・・・
左右バラバラのスキー。
両方間違えたわけではない。
片方ずつ間違えたのだ。
幸い、その時は両方ともしっかりと仕上がったスキーだった。
「中学生はどんな練習をしたらいいですか?」
と聞かれることがあるが、その男が伝えたいことはそれ以前の事のようだ。
「スキーにはしっかりと番号を振っておこうね」
その男の経験からの切実なアドバイスだ。
その男⑥
憂鬱だった。
「お客様宛に荷物が届いています」
フロントからの電話だ。
おそらく書類だろうと思った。
大切な書類。
しかし、目を通すと憂鬱になる書類。
重い腰を上げてフロントへ。
その男の名前を告げると、奥へ行き荷物を持ってくる従業員さん。
箱を持ってきた。
箱?書類じゃないぞ。
送り状を見ると、そこに書いてあるのは、義理の母、義理の姉の名前。
どうやらその男の嫁から、その男の隔離先のホテルを聞き、荷物を送ってくれたようだ。
サプライズに喜んだ。
箱を開けてもっと喜んだ。
それは、和菓子、洋菓子、コーヒー、お茶、ご飯のおとも・・・この隔離生活に欠かせない、その男の大好物がたっぷり入っていたからという理由だけではない。
その中には
「WITTAMER」
という会社のチョコレートが入っていた。
その男の嫁の出産後、WITTAMERのチョコレートはその男の家にもあった。
このWITTAMERのチョコレートには、その男の家族にとっては大切な意味がある。
よって、そのチョコレートがその男の元に届いたということは、大きなことを意味していた。
本当に気の利くお義母さん、お義姉だ。
徐々にスキーが楽しくなってきたようだ。
きっかけは他のチームの選手と知り合うこと。
夏の野球のためのスキーという感覚に変わりはなかったが、中学二年生になったその男は、道の強化指定選手に選ばれていた。
強化指定選手になると、夏、シーズン初めに開催される合宿に参加をすることができる。
夏は白滝村、冬は旭岳。
初めて参加した合宿。
その村から参加したのは、その男とワタル。
田舎者で何も知らなかったからというわけではないが、ほかのチームの先輩からいじめられる場面も多々あったようだ。
その先輩達とは今でも付き合いがあることを考えると、愛のあるいじめだったんだろう・・・と、今はポジティブに解釈することにしよう。
そういう人ほど今はすごく優しくて、近くに行くことがあったら連絡とかしてしまうんだよなぁ。
同級生とも、めちゃめちゃ仲良くなった。
その男のラインには、特別なグループラインがある。
そのグループライン名は
「その男を応援する会」
だ。
その合宿で知り合った、その男の友達が立ち上げてくれたグループラインだ。
今でも連絡を取り合い、それぞれの結婚式に呼びあったり、近年は残念ながらできていないが、お酒を飲みに行ったり。
その男の大会の時にも連絡をくれる。
その先何十年と付き合っていく、こんなにも親密な関係の友達ができたのだから、その合宿はよほど楽しかったようだ。
その友達、先輩達との出会いは、その男のスキーへの想いを確実に加速させていた。
加速したのは想いだけでない。
「強さへの憧れ」
「負けることの悔しさ」
隣にいる先輩に負けたくない。
隣にいる友達に負けたくない。
これも相まって、スキーの成績も確実に伸びた。
ほとんどの強化選手が出場する、全道大会の前哨戦ともいえる大会で優勝した。
その男は一気に道大会優勝候補に名乗りを上げた。
しかし
その男にはいつもオチがつきもののようだ。
全道優勝、全国出場をかけて挑んだ、札幌での全道大会。
いける気しかなかったようだ。
前哨戦で優勝していたその男にはだれよりも勢いがあったから。
集中力を高め、スタート位置に向かう。
スタート数分前。
とんでもないことに「気が付いてしまった」
「これは本番スキーじゃない、アップ用のスキーだ。」
その男は、間違えてアップ用のスキーをもってきてしまったのだ。
同じメーカーの同じモデルのスキーを二台持っていたその男。
板に番号を書くなどはせずに、それぞれ長さが違っていたので、それでスキーの判断をしていたようだ。
気持ちに余裕がなかったのだろう。
本番用の長いスキーではなく、アップ用で使っていた短いスキーを持ってきたのだ。
当時は、二台両方を本番のように仕上げ、良かったスキーでレースを走っていたわけではない。
アップ用は特に手の施されていない、練習と同じ状態。
焦った。
しかし、テントに戻ってスキーを交換する時間もない。
腹をくくって走るしかない。
スタートしたが、やはり途中通過はさほど良くない。
それでも七位に入ることができ、何とか全国中学の切符を手にすることができた。
不本意ではあるものの、全国デビューだ。
ここからの振り返りはやや足早になってしまうが・・・
初めての全国中学は地元北海道、旭川で開催された。
結果は五位。
地元の同級生が贈ってくれた、みんなからのメッセージが書いてあるシャツをオーバーの上から着て、表彰式に臨んだ。
表彰式に来ている全員に見せびらかすように。
相変わらずの目立ちたがり屋精神。
それだけ、その男にとってそのシャツに書かれていたメッセージは力になっていたんだろう。
その男は、よく
「応援が力になります!」
と、その男が大切にするブログで言っているが、建前ではないということをここに記しておきたいようだ。
同時に、その応援がその男にとってのプレッシャーにもなってしまうほど、その男はメンタルが弱いということも追記しておくようだ。
初めての全国大会5位。
必然的に次はこう思う。
「次は日本一だ、全国制覇だ」
その男⑤
「このままではまずい」
スマホをいじりながらその男は思っていたようだ。
三日間の指定ホテルから昨日違うホテルへ移動した。
隔離生活に変わりはなく制限はあるが、部屋にしかいられない軟禁状態からは解放されたようだ。
多少の自由は得られた。
コンビニ、スーパーへの食事の買い出し。
窓を開けて外の空気を吸うことができるようになったことでさえも大きな変化に感じる。
多少の自由と同時に得たもの。
「グダグダ生活」
なぜかわからないが、軟禁状態だった昨日までのホテルのほうが、何かに時間を費やしていたように思える。
しかし、今朝は朝食が終わってからスマホをいじるグダグダした時間を過ごし続けた。
幸いなことに、これと決別するための一つの手段をその男は自分の経験から知っていた。
メガネをコンタクトレンズに変えた。
ステテコを脱ぎ、練習着のハーフパンツに履き替えた。
綿90%、ポリエステル10%の部屋着Tシャツを、ポリエステル100%の練習着Tシャツへと着替えた。
体に慣れ親しんだいつもの肌触りだ。
これによって何が起きているかって?
気づきませんか?
さっきまでグダグダスマホをいじっていたその男がパソコンに向かい、その男の過去をまた文章に書き起こし始めていることを。
その男にとって、「練習着」を纏うことは、「やる気」を纏うことに直結していることは、長年の経験から知っている。
動き始めるための大きなきっかけになるのだ。
その男の兄との最終決戦を終えた。
その後もう一人の敵との戦いにも変化があった。
「ヒロキ」
との戦いだ。
世代最強の彼。
中学生になっても、相変わらず勝つことができていなかった。
全道大会30位のその男。
ヒロキは確か25位くらいだったはず。
しかし、その差は確実に迫っていた。
タイムがそれを証明している。
全道大会が終わってから約一カ月後の地方大会。
再びヒロキと戦うことがあった。
その男の一つ後ろの15秒後に、全体の最後をスタートするのがヒロキだった。
その地方大会では学年ごとにカテゴリーが分かれていたが、中学生は全員同じ距離だったと追記しておかなければならない。
その頃には面識のあった二人。
スタート前にどんな会話をしていたかは覚えていないが、世間話の後にスタート。
15秒という短いタイム差でのスタートは、前後の選手とのタイム差は目視でわかる。
自信がなかったわけではないが、ヒロキが後ろからくると思うと、否が応でも後ろを何度も振り向いてしまう。
思ったよりも迫ってこない。
いや、むしろやや離れていないか?
その男は、昔から後半に向けてペースを上げていくのが得意だったようだ。
それを今でも持ち味にしているようだ。
距離を重ねていく毎に、ヒロキの姿が遠くなっていく。
「間違いない、自分がリードしている」
必死に腕を使い、足を動かし、心臓を追い込んだ。
ゴール。
その男がゴールしてから15秒後。
ヒロキはまだゴールラインを切っていなかった。
その男がゴールラインを切ってから15.1秒後。
その男が人生で初めてヒロキに勝った瞬間であり、人生で初めて優勝した瞬間だ。
STARTのイエロー。
その男がレースで前日に塗ったグライダーワックスだ。
覚えているんだなぁ、今でも。
もう一つ覚えているのが
「いやぁだめだったよ、お腹が減って力が出なかった」
今だったら
「アンパンマンかよ!」
と突っ込みたくなるそんなセリフを、ヒロキはレース後に言ってきた。
彼の人柄の良さがにじみ出ているその表情は、どちらかというと食パンマンだったかな?
覚えてるんだよなぁ、その顔も、セリフも。
ここは特別な場所なんだろうか?
初めて出場して最下位をとった地方レース。
奇しくもその男が初めて優勝したそのレースも、同じ場所で開かれた地方レース。
小学校二年生から中学校一年生。
丸五年という月日を経て、地方大会最下位からスタートしたその男は、地方大会で優勝するまでに成長をした。
ヒロキとの戦いだけで一話使ってしまった・・・
これではいつまでたっても終わらないぞ・・・とその男は頭を抱えているようだ。
しかし、それだけその男にとって初優勝、ヒロキへの初勝利は特別だったのだ。