その男㉑
「ちょっとミーティングしよう。時間ある?」
中央大学四年生の「その男」
当時、クロカンチーフを担当していた。
このシーズンから中大クロカンチームのコーチになったのが今井さんからの連絡だった。
今井さんは50㎞にとにかく強かった。
ソルトレイクオリンピック50㎞入賞。
2003年世界選手権50㎞9位。
長距離種目において間違いなく日本クロカン史上、最高の選手だ。
その今井さんは中央大学OBなのだ。
大先輩だ。
数年後、世界選手権でのインタビュー。
「その男」は解説の今井さんからの言葉に緊張を隠せなかったのは、そのためのようだ。
始めは助監督も含む3人で「ミーティング」を行った。
助監督は一次「ミーティング」後に帰宅。
今井さんと「その男」は二次「ミーティング」へと移行した。
「来る途中にドイツビールを飲めるお店があったから、そこに行こう」
おっと、ミーティングなのにビールというワードが出てしまった。
気にしない、気にしない。
今井さんも海外転戦が長く、ドイツに行く機会も多々あったようだ。
久しぶりにドイツビールが飲みたかったらしい。
「Stein house」
というお店で飲んだ。
カウンターに座ってのミーティング。
お酒を飲みながらも、資料を見ながら真面目にミーティングもした。
シーズンの流れや、練習方針を確認したことを覚えている。
「ちょっと話が聞こえてきたんですけど、中央大学の方ですか?」
カウンター越しに立っている「その女性」が聞いてきた。
「その女性」からの質問を皮切りに、話がどんどん広がっていった。
どうやら「その女性」は、中央大学の隣の大学に通っているらしい。
どうやら「その女性」は、南平駅(中大寮の最寄り駅)の隣、高幡不動駅付近に住んでいるらしい。
どうやら「その女性」はドイツ留学に2年間行っていたようで、つい最近帰国したばかりで、すぐにこのお店でバイトを始めたらしい。
どうやら「その女性」は・・・・
そろそろやめておくことにしよう。
通っている大学や住んでいる場所がすぐそこ。
共通の話題も多かった。
ミーティングはいつの間にか終了しており、気が付けば「その女性」を含む3人でずっと話続けていた。
「住んでるところも近いんだし、とりあえず連絡先を交換しておきなよ」
今井さんが言った。
カウンターに置いてあったコースターを今井さんが「その女性」に渡した。
「その女性」からコースターを受け取った「その男」は照れながらも随分とよろこんでいたようだ。
ちなみに13年ほど前に、「その女性」がアドレスを書いたコースターは今、「その男」の家の引き出しに眠っている。
その後、「その男」と「その女性」は連絡を取り合った。
およそ1週間後、すぐそこにあるにもかかわらず、一度も行ったことのなかった多摩動物公園へ。
「目が随分充血してるけど大丈夫かな・・・」
と思った「その男」
「その女性」に対する優しさがあったようだ、当時はまだ。
動物を集中して見ることはほとんどなく、話し続けた記憶がある。
動物園を出てからも一時間ほどは歩きながら話しただろうか?
ひたすら話した後、「その女性」は再びバイトへ向かった。
翌日。
「その男」の携帯が鳴った。
「その女性」からのメールだった。
ワクワクしながらメールを開く「その男」
「顔はイマイチだけど、優しい青年だったよー」
と書かれている。
「?」
「??」
直後に「その女性」からもう一通メールが来た。
「さっきのメール開かないで!!」
手遅れだ。
既に「その男」はメールを読んでいる。
どうやら、「その女性」の友達に送ろうとしていたメールを、「その男」に送ってしまったらしい。
誰のことを言っているのかは容易に想像できたが、確認しなかった。
「顔はイマイチ・・・」
大切なのは中身ということを、「その男」は数年後に証明することになる。
話は戻り・・・
三日後くらいだっただろうか?
浅川の河川敷に、「その男」と「その女性」の姿はあった。
5~6時間は話し続けたと思う。
その数日後。
その二人の姿は八王子のスタバにあった。
その数日後・・・
もうやめておこう。
大学四年生の「その男」
夏前からは「その彼女」との一年間をずいぶんと楽しんでいたようだ。
「ラグビー部の友達に会いに行ってくるわー」
「今日はチア部の友達と飲み会なのさ」
なぜかはわからないが、「その男」は同部屋の後輩にうそをついて、「その彼女」に会いに行っていた。
きっかけは忘れたが、「その男」に「彼女」ができたという話を同部屋の後輩にしたとき。
一年生のノリが「ニヤリ」と笑った。
「おかしいと思ったんですよ。帰ってくるたびに香水の匂いがしていたから」
ばれていたようだ。
バレたのは
「その彼女」のモスキーノの香水のせいだよ。
ん?
聞いたことがあるフレーズだな。
まぁいいや。
シーズンに入るとなかなか会う機会はなかったが、わずかな時間があれば会いに来てくれた。
バレンタインデイに一緒にいられない時は、前倒しで手作りチョコを届けてくれた。
余談だが・・・
あれから十数年。
「今年のバレンタインはゼーフェルトだなぁ」
というと、
「そうね、バレンタインの日に一緒にいられないからチョコ上げられないわ、残念」
棒読みのコメントが帰ってきた。
時の流れとは残酷だ・・・
大学卒業後は北海道へ戻ることが決まっていた「その男」
必然的に卒業後は会う機会が急激に減った。
それでも月に一回くらいのペースで北海道に遊びに来てくれていた。
ドイツでのU-23には現地に駆けつけて応援をしてくれた。
几帳面な「その彼女」はよく手紙とハガキを送ってくれた。
この十数年、「その彼女」から貰ったたくさんの手紙やハガキのほとんどは、いまだに手元にある。
その男が北海道に戻った2年後、その「彼女」も北海道に移住した。
そして
「2012年4月25日15時36分」
「その男」と「その嫁」の誕生だ。
今日の夕食は、久しぶりににぎやかだったようだ。
長男が
「パパの鍋おいしそうだな~」
と何度も行ってくる。
次男はすぐお腹がいっぱいになったようで、あっという間に食事終了。
三男は何を言っているかよくわからないが、おいしいおいしいと言いながら、焼きそばをほおばる。
食事が終了して数分後。
薄暗い部屋の中。
三兄弟と「その男」は唄を歌った。
おいしいケーキを食べた。
久しぶりに家族での食事、デザート。
姿は見えても、同じ場所にいられないのは少しだけ寂しかったようだが。
今日は「その嫁」の誕生日。
洋子、誕生日おめでとう。