その男㉗
「その男」は365日絶好調だ。
「その男」の人生は最高のようだ。
本当にそうなのか?
自分が思っていることにうそはついていないか?
「その男」が書くブログにうそは書いていないか?
以前はよく書いていたらしい、「その男」のブログに嘘を。
思ってもいない気持ちを。
365日絶好調なんて、典型的なそれだ。
誰の目を気にしているのかはわからないが、「演じる」ためだろうか。
だが今は違うようだ。
当時思っていたことを嘘偽りなく書いている。
「「終わりよければすべて良し」、とはいかない。このシーズンを次につなげればいけない。」
オリンピックと世界選手権の狭間のシーズン。
「その男」はスランプに陥ったようだ。
以前は一桁や入賞していたFISレースだが、このシーズンは25位前後をとっていたよう記憶がある。
例年であればルカのワールドカップを皮切りに転戦が始まるが、今シーズンは日本チームからルカへの派遣は宮沢とノブヒトの二人のスプリンターのみ。
その二人も、ミニツール初日のスプリントのみの参加だった。
このシーズンの一ピリの派遣選手。
いつも同様にレンティング、宮沢。
前年世界選手権に出場した宇田
チームメートで練習パートナーのノブヒト。
そして
「成瀬開地」
だ。
名字でわかるだろう。
「その男」の「憧れのライバル」
「成瀬さん」
の弟だ。
成瀬さんには本当にお世話になった。
次は自分が恩返しをする番だ。
相手は違えど、同じ「成瀬」の名を持つ弟の、何か力にならなければと思ったようだ。
「その男」にとって、このシーズンワールドカップ初戦となるリレハンメル。
スキーアスロン30㎞だ。
スタート直後からついていけない。
いつも横を走っていた選手は遥か彼方にいて、今横を走っている選手はあまり名前を聞いたことがない選手だ。
ゴールした70人中61位。
トップから8分以上遅れた。
翌週は「その男」にとって相変わらず特別な会場。
スイス・ダボスだ。
15㎞スケーティング。
57位。
トップから遅れること5分以上。
15㎞でのタイム差だ。
50㎞のタイム差ではない。
このレース、「その男」がスタートした順番は6番目。
ゴールした時の順位は二桁。
笑うしかなかった。
このシーズンからサロモンのサービスマンとして会場にいるファビオ。
レース後に彼のところへ行くのが恒例となっていた。
「どうした?スキーの事を一回忘れろ。リラックスも必要だ」
確かにそうだ。
そう思いファビオの元を去った。
その直後。
ハッとした。
エアースケーティングを自然としている自分自身に。
無理なんだ。
どんなに苦しくても。
「スキーの事を忘れる」
なんて。
翌週
イタリア・トブラ15㎞クラシカル。
46位。
トップから3分遅れ。
ワールドカップ30位以内?
ポイント獲得?
また戻ってしまった。
「夢のような話、テレビの世界」
へ。
帰国後。
例年通り年末年始は「その男」の地元と札幌でFISレースが行われる。
ここでも勝ちきれなかった。
「その男」の地元のレースでは、スケーティングで学生に負けた。
札幌のレースでは、レンティングに負けた。
このころには病気に陥っていた。
「スーパースケーティングできない病」
だ。
スーパーをすると、バランスが取れなくなっていた。
札幌のレースを終えてから少しして、再度ワールドカップ参戦のため遠征へ。
このシーズンはやや特殊なレーススケジュールだった。
例年、3月中旬にあるオスロの50㎞が、このシーズンは2月上旬にあった。
「いつもと50㎞を走る時期が変わるので、そのことが良い方向に作用するかもしれない」
札幌でのレース後、新聞記者にそう伝えた「その男」
何も変わらなかった。
ゴールした48人中39位。
トップから11分50秒遅れ。
しかし、この50㎞が良い刺激になったのだろうか?
翌週は、前シーズンに世界選手権が開催された地、ファールンでのレースだ。
10㎞クラシカル。
特別何かを変えたわけではない。
だが、このシーズン初のワールドカップポイントを獲得した。
29位だった。
「その男」から1秒早くゴールした28位が宮沢だった。
このレースを契機に、クラシカルはある程度感覚を取り戻したのか?
翌週はフィンランド・ラハティでのスキーアスロンだ。
クラシカルパート。
トップ集団とはいかなかったが、良いポジションでレースを進めた。
20位でスケーティングへ交換している。
しかし、ここで出てしまった。
「スーパースケーティングできない病」
が。
その男のグループから遅れた。
しかし、クラシカルのアドバンテージがあったためか、28位となり、なんとかポイント圏内にはおさまった。
電光掲示板に映っている自分の結果を見て
「なんでかな、どうしたのかな?」
と、また「その男」は泣いた。
このレースが、このシーズン最後のワールドカップだった。
帰国後、札幌で開催された宮様大会では、「その男」は二種目ともに優勝した
その数日後、同会場で行われた全日本選手権。
初日
スキーアスロン。
数名の集団でレースは進んだが、終盤で宮沢と「その男」が二人で抜けた。
長い会場の平地。
後ろから勝負の場を見極める。
宮沢は日本一のスプリンター。
タイミングを間違えてはいけない。
「今だ!」
と思い、仕掛けた最後の直線。
次の瞬間。
「その男」は転倒した。
単独事故だ。
そのショックに立ち直れず、後方にいた選手にも続々と抜かれた。
確か7位だった。
二日目
スプリント。
また敵は宮沢だった。
上りの終わりで、宮沢と二人で抜けた。
一騎打ち。
下りで彼の後ろにつくことで風よけとして利用し、勢いそのままに抜く作戦。
しかし、レーン選択を誤った。
冷静に見極めるほど余力がなかったのだろう。
相手は日本一のスプリンターだ。
良いレーンを選んだとしても、押し負けていたと思っているようだ。
最終日
50㎞スケーティング。
ラスト2㎞ほどとなるころには、トップ集団は5人ほどになっていた。
宇田が引っ張った。
その後ろにピタッとついた「その男」
宇田の呼吸が荒い。
後ろを振り向くと、宮沢の動きは鈍い。
確信した。
「このレースはもらった」
残り1㎞ほどだろうか?
一気にぶっちぎった。
ストックで雪面を押すたびに差が開いていくのが分かった。
完勝だった、「その男」の。
このレースでシーズン終了。
優勝で締めくくった。
「「終わり良ければすべて良し」、とはいかない。このシーズンを次につなげればいけない」
このレース後に記者の方に言った言葉が、冒頭にも書いたこの言葉だ。
そう思うほどこのシーズン単体では酷かった。
だが、こう言ったことも覚えているようだ。
「数年後にこのシーズンを振り返ったときに、このシーズンの成績の悪さが、翌シーズン以降の成績向上のきっかけだったのであれば、長い目で見ればこのシーズンは決して悪いシーズンではなかったといえる。そういうシーズンだったと数年後に言えるようにしなければならない。」
あれから、丸5シーズンが過ぎた。
このシーズンは悪いシーズンだったのだろうか?
翌シーズン以降の成績向上のきっかけになった、良いシーズンだったのか。
改めてこのシーズン以降を振り返りながら、考えてみることにしよう。