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ネパールの手帖

平成22年6月から2年間、ネパールでソーシャルワーカーをしてきました。「ネパール日和」から「東京日和」へ。東京の空の下、ネパールで感じたことを思い出して記していきます。

我が家からテンプー(オート3輪)で10分程の場所にKanti Chirdren Hospitalという国立子ども病院があります。

ネパールに赴任し、語学訓練を受けている際に1週間ホームステイをしたお宅のお父さんが働いている病院。

現在、大学生の娘アハナちゃんが子ども病院のプレイルームでボランティアを始めたというので、手伝ってほしいとの依頼がきました。

日本で子ども支援センター勤務だった際に子育て広場の運営にも関わっていたこともあり、喜んでお引き受け!

大学生のボランティアが壁の色等を塗り替え可愛らしく出来あがったプレイルーム。

手遊び歌、絵本の読み聞かせ、折り紙、そんなことを紹介。

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ネパールの病院は家族が24時間付き添いが基本。食事も洗濯もほとんど家族がしなくてはいけないそうです。プレイルームに来ている間に家族の方々が息抜きできたら良いし、テレビや絵本なんてもちろん余暇と言われるような物が皆無の病院で、点滴が繋がっていてつまらなそうな子ども達。病院も楽しいところだな!と一瞬でも思ってくれたら最高。ボランティアの学生さん達が何か感じ取ってくれて将来に繋げてくれたらこれまた最高!子ども病院のプレイルームの役割って実はすっごく大きい!

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ボランティアの学生達。イマドキの子たち。

残りの任期、可能な限り活動に行く前の朝の時間などを使ってプレイルームボランティアをしてみようと思いますニコ

なにより、子ども達が可愛くておとこのこ癒されるのですはーと

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昨日は綺麗な空だったので、椅子をベランダにだしてボンヤリ空を眺めて過ごした。

飛行機にバイバイ!って手を振るのを子どもも大人もかわらないなぁ。

トリブバン空港から出発した飛行機はグルーっと回って、我が家の上空を飛んで行く。

あと3ヶ月後にはあの飛行機に乗って、上空からネパールにバイバイ!って言う日が来るんだな。

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最近、ブログを書くのが疲れる・・・

これは、ですます調で書いていたから疲れていたんだな。

やっぱり、つぶやいていこう。そうしよう。

ネパールのエベレストコーヒーが本当に美味しい。
ネパールはコーヒーが美味しいから幸せ。

サニーディサービスの「コーヒーと恋愛」をギターで弾けるようになりたい。

そう思ってギターを譲り受けたのに練習していなかったんだった。

相変わらず水曜、木曜はさっぱり電気もないし、ギターをはじめてみた。

そして、暗闇で飲むコーヒーは格別に美味しい。

ネパールも春。花咲く朝の通りが気持ちいい季節。

時間がある時に、過去のブログも書き足しております。
お暇でしたら、過去へさかのぼってみると、なぜか新しい記事が出てきます。

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メディアリテラシーなんてのが叫ばれるようになっていた頃、私は大学生。

いわゆる「とんがりキッズ」世代の私は、ほーほーそうだ!そうだ!なんて思って新書などを読みあさっていたのでした。

さて、そんなこともすっかり忘れていたネパール生活。

身近な信じれる人が言っていること、その人達からメディアから流れてくることを伝え聞いたことを信じて生活していた私。

最近、カトマンズでは道路が道路拡張のため、めっためたに壊されています。それはそれはネパール人の仕事って早いな――と感心してしまうほど、昨日あった塀があっという間に壊されています。

その道路拡張に関しストライキや道路封鎖などが行われました。これは大ごとだな。と思っていたところ、
知人が

「ネパール政府は悪い!道路拡張のために住民を立ち退かせて、お金も払わないし、代替えの土地も渡さないのだ!これだからネパール政府はダメなのだ!!」

と話してくれました。そうか、そういうことだったのか。それでネパール政府に対してストライキしていたのね!納得!

と、私の中で解決し、やっぱりネパールは政府が悪いんだ。と結論付けていました。

ところが、違ったようなのです。

道路拡張の為に立ち退きを余儀なくされている人達は、実はネパール政府の土地に住みついてしまった人達なのだそうです。そして、道路拡張に関しても10年程前から「道路拡張するので立ちのいてね」宣告をしていたそうです。しかし「昨日、今日、明日」しか単語がないネパール。明後日以降の話をされたって覚えているわけがありません。

そして、現在政権を取っている毛沢東主義政党の首相指揮の元、一斉に道路拡張が決行されました。
この、思いっ切りを評価する人達も多くいるようです。

これだけが真実でもないと思いますが、私に見えているネパールはほんのほんのほーーーんの少しだけ。

私が見てきたもの聞いてきたものだけがネパールではない。

そう、しっかりと念頭において伝えていかなくては。と思うのです。
私の知らないネパールがたくさん。もっともっとネパールを知って行きたい。そんなネパール日和です。

『ネパール先住民族伝統芸能継承アーティストによる日本先住民族アイヌ伝統芸能および日本古典芸能歌舞伎継承研修プロジェクト』報告会

に参加してきました。
というのも、私の卒業した大学ではアジアを取りまく講義が多く組み込まれており、その中でネパールに関する講義をOさんという方が担当しています。

卒業生ということで日本で2度ほどお会いしネパールについてお話を聞かせて頂いていました。
そんなOさんが主催されているプロジェクトのネパール報告会。

・・・・抜粋・・・・

急速に消滅しつつあるネパールの貴重な伝統芸能を保全するためのプロジェクトのひとつとして、昨年国際交流基金の助成金を得て行った研修プロジェクトです。ネパールの素晴らしい伝統芸能アーティスト3名を日本へ招へいしアイヌの人達の歴史や継承技術・後継者育成のビジョンやアイディアを学んでいただきました。この研修で日本の先住民アイヌとネパールの先住民の文化交流がスタートしたとともに互いの国々の素晴らしい文化遺産をお互いに励まし合いながら守っていくという強い思いがうまれました。私たちもこれを機に自分の足元にある素晴らしい文化を勉強していけたらと思います。今回のこの報告会は、ネパールの一般市民へ向けたものではなくネパールの様々な芸能アーティスト達や、政府の文化担当の人々へ見せるものです。

・・・・・・・・・・・・

さて、私は見るだけではありません。
なんと、アイヌの紹介の為に、アイヌ舞踊を踊らせていただくことに。
といっても素人!

前日から日本人会の方、日本大使館の方、JICAボランティア合計9名で練習です!

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「バッタギ」
「チャピヤ」
「ウタレオブンバレワ」
の3曲です。
けっこうハードです。

当日、

まさかの凄い会場!こんな場所がカトマンズにあったなんて!

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ソワソワしながら衣装を着て最終チェック!
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タマン族のミュージシャン達が多く来ていたため「わたしもタマンだよ!あははー」なんて冗談を言ってみたものの通じず、「タマンの人と結婚したの?」など質問攻めにあってしまいました。ごめんジョークです。でも、本当にタマン族の家にホームステイしていたんだよ。ちょっとはタマン語だって話せるもん。

さて、本番です!
つばめの唄の羽をパタパタさせるのを忘れてしまったものの。。。
まぁ、ハードに踊りました。

今回の参加は自分自身と日本、ネパールを向き合うとても良い機会になりました。
私は日本の事を知っているようで知らない。知らないことが良しとされた世代かもしれません。

無知は恥なり。これは高校生の頃から心に置いている言葉。

ネパールから見る日本、もう少し真剣に考えてみたいと思うネパール日和。
帰国まで90日を切りました。

まずい・・・これはマズイぞ。

そうです。日本食が余っているのです。

あと、ネパールで最も高級な日本食屋さんにも行った事がないのです!

よし!今月はカトマンズから一歩も出ずに頑張って活動するんだし、美味しいものを食べよう!!

第一弾
『男臭いぞ!Oさんのお宅で焼き鳥(豚)パーティ!』
バクタプールというネパールの名古屋(と私は思っています)
みたいな場所に行き、お酒飲みながら熱い話しを繰り広げました!
なんと炭火で焼き豚を作ってくださいました!さすが料理上手!

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第二段
『ガールズトーク!日本食レストラン食べ放題!』
へへへ!ついに日本食レストラン「こてつ」デビューー!

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瞬きするのも忘れるほど!


第三弾
『夏だ!牛肉だ!日本カレーだ!』
なかなか手に入らない牛肉を買ったので、日本のカレールーで牛肉カレーを作っちゃいました!

第四弾
『美味しい定食。』カフェUさんで日本の定食。味噌汁にお漬物に日本的な春巻き。美味しかったー。

第五段
『どうだ!これが寿司・・・だぞ!』
ユキ日本食食べさせてよー。と良く言われるので、たまに金曜日の持ち寄りランチに持って行くのですが、、、まぁ、たいていは不評ですよ。だって、スパイス効いてないしさ、それどころか砂糖入れちゃうこともあるし。そんな食べ物ネパールの一般的な人達に合うわけないわけだよ。

でも今まで、唐揚げ、高野豆腐の煮物、漬物、お好み焼き、コロッケ、野菜炒め、なんかは好評でした。

今回はなんと「巻き寿司」を作ってみました。
ツナマヨ。私の味覚では、コンビニのツナマヨに近い味になりましたしOK!なはず・・・。

が・・・「なにこの黒いの!?」「なんなの?この米は!?」

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など、不評不評!もう丸飲みに近い!!
食べない人もいたほど(笑)

どんなに不評だって私は巻き寿司を作り続けるぞ!だって美味しいんだもんWハート

カトマンズなどの大都市では外国人が暮らしやすいようなアパートがたくさんありますが、
地方ではそんなところなかなかありません。

日本人とネパール人の違い。いろいろあるけれど、

ヌハウネ問題。

ヌハウネ(水あび)です。

日本人は温泉大好き、お風呂大好きな民族。

どんなに小さなアパートでも今はシャワーやお風呂が付いていて当然でしょう。

しかし、ネパール人にとってヌハウネとはあまり重要なものではないようです。

我が家のシャワー用のガスが終ってしまいました。

つまり、あとは水浴びです、

しかし、まだちょっと寒いな。

とうことで

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黒バケツ

登場です!
黒は光を集めます。理科で習いました。
つまり、黒バケツに水を貯めて日に当てておけばお湯になるわけですね。

わお!単純だげどホッカホカ!

しかも、太陽で温められたお湯はなんだか芯から温まるような優しい温かさなのです。
これは日本に帰ってからも実践していきたいエコ技ですね。(あ、日本では日が出ているうちに自宅に帰れないか・・・)

ちなみに、髪の毛洗って、体も洗って。バケツ1杯のお湯で済んじゃいます。
しかし、友人が日本から来た女性に試してもらったとことバケツ4杯必要だったそうです。
今となってはどうやったらバケツ4杯必要なのか・・・わからない。
これも訓練の賜物かしら?!
ここはネパールなんだし、ネパール人のいいところ見つけて、見つけて。

そう思う日々です。

カトマンズの配属先に移動して10ヶ月。支援慣れからくるイライラに悩まされます。

日本は3月決算。3月末までに予定していた分の会計を終らせなくてはなりません。

これが社会ってものです。

jicaにダウン症のリーフレットの印刷代を出しえもらえないだろうか?

そう提案してきたのは配属先のセンター長。

しかし、すっかり忘れてしまっているのです。

お願いします。あいさつ文だけでいいので書いてください。

なかなかセンターで会えないので、メールや電話でお願いしましたが「明日送る、明日。」といわれ続けて1週間。
頭にきて怒ってしまいました。
すると
「そんな小さな仕事、あなたがやりなさいよ。私は忙しいんだから。」

「それより、トイレが壊れたからjicaに言って直してもらってよ!」(4ヶ月前にノルウェーの支援で出来たばかりのトイレです。安物を使うのと、乱暴に使うので、すぐに壊れてしまうんですね。)

「知るか!」と心でつぶやきながら、子供たちとの時間を大切にすることにしました。

日本では今でも被災地で支援を待っている人がたくさんいると思います。
私は、日本の税金を使って何をしているんだろう・・・
悲しさと、虚しさで泣きそうでした。

そんな時に救ってくれるのもネパール人です。
「もうユキは帰っちゃうのね。帰るまでにもっと教えてもらわなきゃ!」と一生懸命プログラムを工夫する先生たち。
私が一人で壊れたマテリアルを直していたのを見てか、私のいないところで頑張って直してくれる先生。ありがとう。彼女たちと一緒にいると居る意味を感じます。


モノはあげません。
モノをあげたい人からもらってください。
私は22年度1次隊という隊次に属しています。
22年度1次隊ネパール派遣ボランティアはシニアボランティア9名、青年海外協力隊14名の計23名。

職種も、年齢も、出身地もバラバラですが、訓練から共に生活し、ネパールでも1カ月共同生活。派遣中も助け合う仲間たち。

今のところ一人も任期短縮することなく、元気に活動しています。

通常2年間の派遣ですが、現職教員参加制度という制度を利用して参加した場合は4月の入学式に合わせて帰国するため、3ヶ月早く帰国。

私達の同期ネパール隊員にも3名の現職教員がいます。

3月。彼女たちは一足お先に我々の1次先輩隊員と共に帰国なのです。


そして、もちろん先輩隊員もとっても仲の良かった仲間達。

帰国に向けた報告会がやってきたのです。

Nさん、Mさんは一緒に休暇を過ごすことも多かったお姉さん達。
暑い村落地で駆け回った二人。社会経験豊富な二人でしかできない活動だと勉強になりました。
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Kくんはラスワの同任地で辛さを分かち合った仲間
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同任地と言っても、バスで2時間。間には大きな土砂崩れのポイントもあります。
しかし、同郷のような気分で報告を聞きました。「寂しさとの戦い」首都カトマンズから雨季は10時間以上、山道の一本の道しかないラスワ郡。朝1本のバスに乗らなければ首都カトマンズに行くことすら出来ません。そんな孤独と耐えたK君の報告を聞いていたら、涙が止まらなくなってしまいました。同郷ラスワ愛をしっかり伝えてくれました。我々にとってラスワはネパールで最も好きな場所!15分の発表では足りない内容!

他にも一緒に活動することも多かった先輩の報告。大変だったことも相談したり相談されたりした仲間。

さて、そんな友人達をどうやって送りだそうか?

送別会の準備があまり忙しい担当にならなかった私。

よし!踊ろうじゃないか!!

同職種のウッタム兄さんを誘い、二人でネパールダンスの練習を始めました。

3月の頭から、出勤前の2時間、朝練の日々。

ダンスの基礎もできていないため、足の裏にマメができました。
そして、マメは破れて、足の裏はボロボロです。

慣れない動きに体も痛くなり、後悔することも。

でも、「いつ練習したの?」ってビックリするだろうなー。そんなことを考えたら、自主練にも力が入りました。

当日の朝まで完璧に踊れず・・・

皆さんが盛り上げてくれたおかげで、無事踊りきることが出来ました。

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涙涙の送別会。今後、全員揃うことは難しいでしょう。かわいいTシャツをお揃いで作り、送り出し!
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そして、翌日は
お姉さ達と一緒に高級ホテル(とっても、ネパール永住の特権で破格の値段で泊まれます!)に泊まり!久々にバスタブに浸かり!アカが出る出る!!!

お風呂に浸かる幸せを教えてくれたのもネパール。日本って、私の母国なんだなと実感します。

美味しい朝食、ケーキバイキングをお腹いっぱい食べ、夜中まで思い出話をしました。
大阪、兵庫、沖縄、東京。離れ離れになっちゃうけど、また一緒に遊ぼうね!

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そして空港へ送りに
最後はなぜか、某T大学の応援歌?を唄い・・・これがなぜかだか感動して泣いてしまった。
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空港でバイバイ!!またね!!と見送りました。
家族でもないけれど、家族同士も繋がりのある、不思議な関係。ありがとう。お元気で。

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最近、ここ2ヶ月くらいでしょうか・・・

ガスがないのです。

プロパンガスが主流のネパール。

そのプロパンガスが品薄で買えないのです。

私もついにシャワーのガスがなくなりました。

でも、まぁいいや。震えながらでも水浴びはできますし。

なんだか強くなったなぁ。


知人はガスが手に入らないと街をさまよったそうです。


友人の配属先では、ガスが手に入らないからといって「センターの為のガスを探しに行く」と言って、2週間、実はサボっていたというスタッフがいたそうです。

ガソリンもないのです。なのでガソリンスタンドやガス屋さんの前には長蛇の列。

ついには、ガソリンの会社を狙ったテロまで発生し、3名死亡7名重軽傷という事件まで起きました。

ない!ない!ばかりですが、あまり困っていません。

水さえあればなんとかなるさ。

日本だったらパニックでしょうね。

ネパール人は強いなぁ。と尊敬する日々です。