私は22年度1次隊という隊次に属しています。
22年度1次隊ネパール派遣ボランティアはシニアボランティア9名、青年海外協力隊14名の計23名。
職種も、年齢も、出身地もバラバラですが、訓練から共に生活し、ネパールでも1カ月共同生活。派遣中も助け合う仲間たち。
今のところ一人も任期短縮することなく、元気に活動しています。
通常2年間の派遣ですが、現職教員参加制度という制度を利用して参加した場合は4月の入学式に合わせて帰国するため、3ヶ月早く帰国。
私達の同期ネパール隊員にも3名の現職教員がいます。
3月。彼女たちは一足お先に我々の1次先輩隊員と共に帰国なのです。
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そして、もちろん先輩隊員もとっても仲の良かった仲間達。
帰国に向けた報告会がやってきたのです。
Nさん、Mさんは一緒に休暇を過ごすことも多かったお姉さん達。
暑い村落地で駆け回った二人。社会経験豊富な二人でしかできない活動だと勉強になりました。

Kくんはラスワの同任地で辛さを分かち合った仲間

同任地と言っても、バスで2時間。間には大きな土砂崩れのポイントもあります。
しかし、同郷のような気分で報告を聞きました。「寂しさとの戦い」首都カトマンズから雨季は10時間以上、山道の一本の道しかないラスワ郡。朝1本のバスに乗らなければ首都カトマンズに行くことすら出来ません。そんな孤独と耐えたK君の報告を聞いていたら、涙が止まらなくなってしまいました。同郷ラスワ愛をしっかり伝えてくれました。我々にとってラスワはネパールで最も好きな場所!15分の発表では足りない内容!
他にも一緒に活動することも多かった先輩の報告。大変だったことも相談したり相談されたりした仲間。
さて、そんな友人達をどうやって送りだそうか?
送別会の準備があまり忙しい担当にならなかった私。
よし!踊ろうじゃないか!!
同職種のウッタム兄さんを誘い、二人でネパールダンスの練習を始めました。
3月の頭から、出勤前の2時間、朝練の日々。
ダンスの基礎もできていないため、足の裏にマメができました。
そして、マメは破れて、足の裏はボロボロです。
慣れない動きに体も痛くなり、後悔することも。
でも、「いつ練習したの?」ってビックリするだろうなー。そんなことを考えたら、自主練にも力が入りました。
当日の朝まで完璧に踊れず・・・
皆さんが盛り上げてくれたおかげで、無事踊りきることが出来ました。


涙涙の送別会。今後、全員揃うことは難しいでしょう。かわいいTシャツをお揃いで作り、送り出し!
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そして、翌日は
お姉さ達と一緒に高級ホテル(とっても、ネパール永住の特権で破格の値段で泊まれます!)に泊まり!久々にバスタブに浸かり!アカが出る出る!!!
お風呂に浸かる幸せを教えてくれたのもネパール。日本って、私の母国なんだなと実感します。
美味しい朝食、ケーキバイキングをお腹いっぱい食べ、夜中まで思い出話をしました。
大阪、兵庫、沖縄、東京。離れ離れになっちゃうけど、また一緒に遊ぼうね!


そして空港へ送りに
最後はなぜか、某T大学の応援歌?を唄い・・・これがなぜかだか感動して泣いてしまった。

空港でバイバイ!!またね!!と見送りました。
家族でもないけれど、家族同士も繋がりのある、不思議な関係。ありがとう。お元気で。

