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ネパールの手帖

平成22年6月から2年間、ネパールでソーシャルワーカーをしてきました。「ネパール日和」から「東京日和」へ。東京の空の下、ネパールで感じたことを思い出して記していきます。

12月8日~10日

ラスワ郡には3名の隊員が派遣されています。
私の住むドゥンチェからさらに1時間半山を下った先に、シャブルベシという街があり、そこに小学校隊員のMさん、
私の住むドゥンチェからカトマンズ寄りに2時間戻ると、カリカスタンという街があり、そこに同期の小学校隊員Kくん
この3名です。とはいえ、公共交通手段で日帰りでは誰にも会えませんが。

Mさんは来月当初に任期を終え、日本に帰国されます。そこで、JICAスタッフが学校に最終訪問にやってきました。ということで私も一緒にシャブルベシに行ってきました。Mさんには日本に居る時より、ラスワの情報をもらったり、大変お世話になっていました。
Mさん曰く、ラスワの生活を一言で表すと
「DUKA」(悲しみ、苦しみ、辛さを表すネパール語です)
というほど、大変な生活だったようです。

「ヒマラヤ綺麗だし、夜空綺麗だしいいなー。こんなところで暮らしてみたいよ~」

と軽く言う人は多いのですが

「住んでみろ!」

と言ってやりたくなる。
そんな話をラスワチームで話しいます。心強い同士です。

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そして、Mさんの学校訪問に伺いました。校長先生自らゴミを拾ったり、エコサークルがあったりと、実に前を見た、先駆的な学校なように感じました。この校長先生がいれば、仕事も頑張れるな~。と、嬉しくなりました。私もこれからお世話になります。とご挨拶をすませ、Mさんよりガスコンロ、冷蔵庫、鍋、炊飯器、余った日本食などを山ほど譲り受けました。大事に使います!

そして、ラスワの仕事はまとめてやるわよー!というようかのように、郡警察にあいさつ、私の引っ越し、無線機の取り外し、取りつけ…と大忙し。お陰さまで、無事!?引っ越し完了。

引っ越しの経緯はまた後日・・・

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最近、近所の子どもを誘って縄跳びをしています。

これが、標高2,000メートルだと、すぐに息が上がるのです!
一瞬「年かな?体力落ちた?」と心配したのですが、違いました。

そして、私が二重飛びやハヤブサをすると、子どもが集まってきて、ちょっとした人気者。

「なんであんな飛び方ができるんだ?」

「どうなってるんだ?」

とガヤガヤしています。
これはね、日本では学校で教えてくれるんだよ。学校では勉強だけじゃなくて、こういうこともするんだよ。と話します。授業と言えば勉強ばかりのネパールの子ども達、ちょっとポカンとしていますが、冬休みが終わったら、出前授業をしに行こう!そんな気になりました。
センターは今日から2ヶ月半の冬休みです。

続々と子ども達の親が迎えにきました。

しかし、サンジョック君の親が迎えに来ません。

「何でこないの?」

「家に固定電話ないから連絡とれなくて・・・お兄さんの携帯も繋がらないんだ」

「え!?どうするの?」

小さなメモ書きを渡されました。

ん?

「家はここにあるんだって。ここまで連れて帰るんだって(なんか人ごと・・・)」

ランタントレッキングの地図をみて、どこどこ?

めっちゃ遠いじゃん!チベットの国境だけど・・・

もちろんバスも通ってない。

いい機会だし、巡回訪問出来るから行こう!

念のため、寝袋、ダウンジャケット、地図、ヘッドライト、お菓子、水筒を用意し、1時間後には出発です。

車で1時間半ヘアピンカーブを揺られた隣町シャブルベシで一泊。

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ここでは協力隊の先輩Mさんが活動されているので、心強い!


翌朝7時、シャブルベシをスタート。

話によると徒歩4時間とのこと。しかし、障害を持った子ども、しかも足元はチャッパル(サンダル)。階段などの段差が苦手な子なので、4時間は無理でしょう。同僚も足に障害があるので、出来る限りヒッチハイクができればしたいところ。

中国が作っているチベットまでの道を歩くこと5時間。やっぱり着かない。
足痛くない?荷物持とうか?
お腹すいたね。

となりのトトロの
「♪歩こう~歩こう~」
歌っていると、

ブオーーン


トラックが!!


うわーーーー!!来た来た!!!

乗せて!乗せて!荷台でもいいから乗せてください!

熱烈アタックし、すんなり乗ることができました。
そこから、車に揺られること1時間。
歩いていたらどれだけ時間かかったんだろう・・・。

こんな石造りの家から、

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「おー、サンジョック、どうしたの?」

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ひょっこり小さな住人が顔を出しました。

可愛い可愛いカンチ(末っ子)ちゃん。

久しぶりに家族に会ったサンジョックの喜んだ表情!言葉には出来ない子どだけど、幸せいっぱいにみえました。

冬休みの過ごし方、自分のことは自分でなるべく出来るように、センターでやってきたことを継続して行ってもらえるように家族に話し、再びシャブルベシへ。

行きに乗せてくれたトラックが帰りも乗せてくれるということで、トラックが仕事をしている間、チベットの国境まで行ってきました。

↓同僚のアプサラ

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国境の先には、中国政府の建てた立派な建物が。

これから道が開通したら、中国から品物が山ほど入ってくるんだろうな。
いいことなのか、どうか、私にはわからないけど・・・。

目の前に広がる中国の大きな大地に圧迫されそうな、そんな気持ちになりながら、帰路に着きました。

トラックを降りてからも、2時間程待つと、またも車が現れ、ドゥンチェまで、無事ヒッチハイクのみで帰ることができました。

帰りの車の中でグッスリ眠るアプサラ。頑張ったねアプサラ。
冬休み使って全員の家を訪問しようね。



ついに、私の住む街“ドゥンチェ”にキャラバン隊がやってきた!
大型バスとトラック2台で!
26歳~69歳までのボランティア8名、
JICAのボランティアや日本文化を紹介するため、遥々やって来てくれました。

着いた瞬間、先輩隊員Oさんに

「こんな遠くで頑張ってるね!偉い!」

と、ギューっとハグされました。彼女だって、ずいぶん田舎に暮らしているのです。でも比にならない、と。
そっか、やっぱり私頑張ってるんだね。

そして、私の愛すべき部屋を見て
「部屋じゃない・・・小屋だ・・・。」
という感想を残してくれました。


そして、キャラバン当日・・・
こんな重い畳を32枚!
貫禄あるシニアボランティアMさんの

「ヘルプミー」

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の一言で集まったネパール人によって会場に運ばれ、

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柔道のデモンストレーションが行われました


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子どもも大人も、たくさん集まりました!

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屋外ブースでは書道体験コーナー

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けん玉体験

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折り紙体験

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浴衣を着てみたり

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最後には保健士による栄養についての講座が行われ、日本の“おやつ”お焼きを作って食べてもらいました。

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ネパールの休日は土曜日。
土曜日は洗濯したり、水浴びをしたり、忙しいにも関わらずたくさんの人たちが集まってくれました。

そして、皆が帰った後、
「JUDO、YUKIも出来るの?」
「オヤキどうやって作るの?」

など、今まで知り合いじゃなかった人たちに声をかけられるようになりました。
これは本当に嬉しいことで、知り合いも増えて、私の活動も知ってもらえる機会になり、キャラバン隊には感謝感謝です。

そして、なにより嬉しかったのは、いつもセンターの中だけで生活している子ども達が外に出る機会になったこと。恥ずかしそうにモジモジしていたけれど、楽しそうに書道をしたり、柔道を見たり。恥ずかしくてお焼きはもらい損ねちゃったけれど、「センターで私が作ってあげるからね。」そんな約束をして、冬休み前の楽しいひとときになったようです。

「また来てね!」

とは言えなかったけれど、本当にありがとうございました。
そうなんです。
今週末、JICAネパール青年海外協力隊派遣40周年に伴って行われている、“キャラバン隊”が我が町ドゥンチェにやってくるのです♪

これは、隊員にとっては活動するにあたり、周囲の人に私の存在をアピールするいいチャンスです。
しかも、こんな村落地まで来てくれるなんて、2度とないかもしれない一大イベントです!

キャラバン隊は5チーム結成され、
 
① ポカラ方面
② 西ネパール
③ カトマンズ(シンドゥパルチョーク・バクタプール)
④ 東ネパール
⑤ カトマンズ(ラリタプール・ラスワ)

1グループに6人~7人のボランティアが属し、約一週間各グループの特色を出しながらJICAの活動を紹介したりする企画です。私は①ポカラ方面に参加し、農業指導の手伝いや、算数指導の手伝い、折り紙紹介や、絵本の読み聞かせなどを行ってきました。この様子は、追って報告します。

そんなキャラバン隊も終盤。全てのキャラバン隊の最終日を私の任地ドゥンチェで迎えようとしています!

これは盛大にしたい!

「カトマンドゥ班」なんて安易なネーミングだったのに、なぜか僻地ドゥンチェまで来てくれるキャラバン隊!しかも柔道実演のため畳32畳トラックに積んで来るとか来ないとか!?盛大にウェルカムしたいのです。

さて、まずは場所確保!

yukiの職場でいいよ。と言われたものの、我が職場・・・暗いし、狭いし、人もそんなに入らない。目の前にある、広場は凸凹だし・・・。いろいろ考えた末、役所に相談に行き、公民館を使えるか相談だ!

10時オープンのはずの役所、10時半に行っても誰もいません。ここはネパール。気長に絶景のヒマラヤを眺めながら「カスト!スンダル デキンチャ!(なんてキレイにみえるの!)」と叫んだり、ネパール人と話したりして、待つこと1時間、11時半にようやく職員さん出勤。話は早く「フンチャ!フンチャ!(いいよ)」とサインをして、300ルピー払ったら貸してくれました。

気も大きくなり、近所の人たちに

「柔道が見れたり、日本の着物を着れたりするイベントだよ~」と宣伝して歩いたところ・・・。
「カジャ(おやつ)や、チア(お茶)は出してくれるんでしょう?」
「着物はくれるの?」

など、予想外の反応・・・

そうです。ネパールでは、研修をする際も、研修する側が、「来てくれてありがとう」という意味合いでお菓子やお茶を提供するのがルールなのです。日本のように参加者がお金を払って研修を受けるというのは、まれです。(あるにはありますよ。)

うーーーーん。
「見るだけなんだけど、それでも面白いイベントだから来てね!」
というしかありませんでした。

これは子ども達に宣伝だ!!

公立小学校に行って校長先生に熱弁を振るい、朝の全校集会で全校生徒の前で宣伝させてもらうことに!

緊張しぃの私ですが、頑張りました!
けん玉や折り紙を披露し、これを皆でやりましょう!と盛り上げました。

さぁ、明日は私立小学校~女性団体を回り、宣伝活動。

どうか、たくさんの人が集まりますように・・・。

すっかり日向ぼっこが日課です↓
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ドゥンチェに帰ってきました。

今回は、尻痛と腰痛の限界が来るまで座布団は使わず、限界が来てから座布団を使う作戦により、多少の激痛は解消されました。ただ、尻にアザが・・・・・

えーーー、

カトマンドゥからドゥンチェに帰ってビックリ!!!

1週間ぶりに家に帰ると、ネズミに何もかも食べられていました!

日本食材はおろか(スーツケースに入れていた分は大丈夫だった!)、布団をめくると、掛け布団の綿がボワーーっと舞い散りました!!!
そうです。布団の綿やスポンジも、段ボール、食器用スポンジにいたるまで食べられていたのです・・・。

ここまでくると、涙なんて出てきません。その日、どうやって寝るか、ネズミが置いて行ったであろうダニをどう退治するか。

生きることで必死です(笑)。

ホームステイの家族に相談すると、

「私なんて、チャウチャウ(インスタント麺)、マサラ全部やられたわよーー」

そっか、私だけじゃないんだな。
今回は、部屋の溝という溝、全て埋めたのに・・・。いったいどこから。。。

くそーーーーー!
この怒りをパプアニューギニア派遣のHさんに相談したところ、彼は、

ジーパン、JICAから支給された薬、防虫スプレー、カメラのケース

に至るまで、ネズミにやられたそうです。
布団くらい・・・たいしたことないか。と気持ちが大きくなり・・・いや、ならない!

寝ていると、部屋をネズミの走る音、泣き声で目が覚め、
ついには、夢でネズミに襲われる夢まで、いや、夢か現実かわからなくなってきました。

本日はネズミ被害により、仕事を一日休みましたが、許してください。

今回は、おぞましくて写真は撮りませんでした。
同期のシニアボランティア、Iさんの家に遊びに行ってきました。
彼はJOCV(青年海外協力隊)経験もある淡水魚の専門家。

この5か月で、すでにネパールで初めての種類の完全養殖の稚魚ふ化(?)に成功していました。

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シニアボランティアは、安全面から、割といい家やホテル(とはいっても、普通のホテルです。日本のビジネスホテルより少し下くらい)にお住まいなのですが、イマンジの家は養殖場の中にある家でした。

安全面は養殖場の警備員がいるのでばっちりです。
しかし、トラが出るそうです。おうちはトタン屋根。シャワーはトイレにシャワーが付いているだけ、もちろんお湯も出ません。キッチンは養殖に使っているため、ありません。食事は近所の家で食べているそうです。飲み水もポットに入れてもらって生活しているとのこと。携帯の電波もほとんどなく、ネット環境もありません。

しかし、彼にはスゴイ能力が!!!!

まず!五右衛門風呂を作っちゃいました!!

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しかも、下からの熱だけでなく煙を使って周りからも温めるドーナツ構造!
日本でも何度か作ったことがあるそうで、失敗に失敗を重ねた集大成のような完璧な作り!これから白に塗られるのでガウディ建築のような五右衛門風呂です。

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水不足のネパールとはいえ、水は山の湧水なのでご安心を。ザバーーっと溢れた水は畑に流れて行く仕組みなのでご安心を。

山から落ち葉や薪を拾ってきて

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久々のお風呂。気持ちよかった~!「うわーーー」と叫んでしまいました。

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同期ナビン君の天にも昇る笑顔↓

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そして、ゲストルームを作っていました。壁をセメントで塗るところから・・・。

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そして、
「遊びに来たんじゃないんだぞ!2年しかないんだ。有効に使わなきゃ。寝ている暇ももったいない!」

ボランティアに対する強い想い。私もやってやろう!という気持ちになりました。力強い同期にいい影響を受けつつ、ボランティア活動を頑張ろうと気を引き締めた一日でした。


1週間ほど、カトマンドゥに行っていました。

赴任半年の健康診断

JICAネパール青年海外協力隊派遣40周年記念式典

日本大使館主催、ジャパンフェスティバル

参加のためです。


【健康診断】

ネパールでは一番綺麗な病院。ノルディック病院。
とはいえ、トイレは、ネパールのトイレでした・・・。残念だなぁ。
初めてのネパール人による採血はドキドキでしたが、上手で痛くなかった!
「Good job!!」
体重0.9キロ増!
毎日ダルバート生活にしてはいい感じ!
同期では7キロ減や、同じくらい増量した隊員も・・・。
体中ダニに刺されることを心配されたくらいで、あとは問題ないようです。ひと安心。ホッ!


【JICAネパール青年海外協力隊派遣40周年式典】

40周年式典では、超高級ホテルYAK&YETIで。こんなことがないと足を踏み入れることもないであろうホテル。履くこともないと思っていたピンヒールのパンプスの出番!日本大使や大臣、数々のVIPが勢ぞろい!世界一高い標高で稲作栽培に成功した近藤さんも参加。仙人です。おおーーーーこの方があの近藤さん!オーラが違います。私も参加した40周年シャラバン隊の映像が流れたり、先輩隊員の活動報告や、隊員全員で40周年ソングを歌ったり、私は写真係だったので、ゆっくりはできなかったけれど、後半の食事会では、なんと海苔巻が!!マグロちゃん久しぶりーーー。会いたかった~。ネパールは海がないので魚が食べられないのです。もう涙が出るほど美味しかった~。また会おうね。
日本酒もたんまり飲んで、ご満悦です~。
久々に同期全員集合です。

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【Japan festival】

例年は日本商工会が主催のイベントが、今年は日本大使館主催ということもあり、盛大に行われました。新聞にも掲載したからか、ものすごい人人!!しかも、これまた高級ホテル

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HONDAやSONYブースに交じり、JICAブースも頑張りました!!同期も数名ブースを出しており、軒並み好評だったようです!

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そして、私は日本の伝承遊び紹介コーナーで、空気鉄砲や、だるま落とし、けん玉を紹介しました。

そして・・・
小泉元首相が始めたYOKOSO NIPPONの映像が会場で流れたのですが、初めてホームシックにかかりました。日本って、四季の移り変わりを意識していて、落ち葉ですら風物として、本当に素敵な国です。離れてみて、半年も経っていないけど、日本の良さを改めて感じました。YOKOSO NIPPONの映像に涙したのは私だけではなかったようで、先輩隊員も泣いていました。ネパール大好きで、まだ帰りたいととは思わないけれど、私の住む場所は日本だと、日本に帰って住むのが楽しみになりました。花火大会行きたい!




1週間、毎日毎日、皆で鍋partyや韓国料理、打ち上げでも美味しいものをたらふく食べて、お酒もたくさん飲み、久々におなかが痛くなりました。たぶんジラルジアです。あーーー、お腹痛い。。。ダルバート食べて治そう。



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首都カトマンドゥにきました。

今回は任地に2週間も滞在することができませんでした。

というのも、赴任半年の健康診断、インフルエンザ予防接種、JICAボランティア派遣40周年式典、日本大使館企画日本文化交流会のために首都に1週間の滞在です。

まず、カトマンドゥに着て

「あったかい!!!」

ダウン着なくても平気だぁ~

とヌクヌク。

しかーーし

バグマティ川が近づいた瞬間!

衝撃的な汚臭が!!!

その正体はこれです↓

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乾季にはいり、干上がった川から漂うなんともいいがたい臭い。

これ、なんとか出来ないのかなぁ。。。




首都、カトマンドゥに来ました。

朝7時、いつものバスを待っていると、
「今日はバスは出ないよ。エンジントラブルだ。」
「えーーー、明日は健康診断があるから絶対帰らないといけないのに!」
「次のバスを待って」
次のバスはすでに予約でいっぱい。つまりはバスの上か、8時間たちっぱなし・・・。そんな・・・地獄だ。。。

すると、アジア人らしいツーリストバスが・・・
「カリシート チャ?マ ジャパニフン。ツーリストホイナソワヤンセバック ホ!」
(空き席ありますか?私は日本人で、旅行者ではなくボランティアです)
はじめは、「ない!ない!」の一点張りでしたが、一人の男性が「JICAって韓国で言うKICA?」と聞いてきました。韓国人集団だったのです。
「そうそう!KICAと一緒に活動したりもしてる、仲良しだよ!KICAにも友達いるよ!」と積極アピール。

すると、彼らは韓国のソウル大学医学部(日本の東大のような大学)のボランティアで、昨日まで5日間ドゥンチェに来て調査と診療をしていたとのこと。私の存在をドゥンチェで聞きコンタクトを取りたかったというのです。

快く、「乗りなさい乗りなさい。」とツーリストバスに乗せててくれた上に、ラスワ郡にはこれから支援が必要だということを熱く語ってくれました。私は今一人で頑張っているが、限度があること、お金がないことなどを訴えました。彼らは、次回11月位にまた来る予定だったそうですが、私があと1年半ドゥンチェで活動することを話すと「2月あたりにもチームを組んで来ます。必要なものがあれば寄付しますので考えておいてください」と力強い言葉をいただけました。私が一人で頑張っても出来ないことが、彼らの力を借りれば行けない場所にも巡回できる。こんな出会いで勇気をもらえ、励ましてもらい、日韓のつながりを感じたのでした。

はたして、これが逆の立場だったら・・・
韓国人ボランティアを車に乗せるでしょうか?きっと乗せるよ。韓国もつい最近まで支援されていた国。しかし、彼らは今、支援する国となって頑張っている。「一緒にがんばろうね。」と韓国語で言えるようにしなきゃな。

そんな、すてきな出会いにも事件が!!
なぜが、バスが足止め。
「どうしたの?」と聞くと、
「昨日ドゥンチェの手前で牛が車に引き殺されたから犯人を探してる」
というのです。
状況が読めない韓国の方々。。。
これはですね、
ヒンドゥの国ネパールでは、牛はお母さんの神様なのです。
法律でも牛を殺してはいけないことになっています。
つまり、牛を引き殺したのは、人間を引き殺したのと同じなのです。
バスの運転手、1時間半の事情聴取の末、加害者ではないと認められ、釈放。
そんな、足止めをくらったのでした。

土砂の影響で、バスがストックしたため、歩く羽目になった韓国の皆さま。

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