追記です。

本日は仕事多忙のため記事更新はお休みしております。

お知り合いのところで俺にも関係する内容のトラブルが発生しているので必要があるならこの記事に追記をかけます。

俺は、俺のお知り合いに無礼を働いた人のことを公的に拒否していますが。

声を上げられた方の言うことが真実であることを知る立場です。
証言できるものを見ている。

誹謗中傷を浴びた方がそれを言っていたのは万愛。
そして現物アーカイブは今俺のブログに資料としてあります。
公開こそはしていません。アメンバーにおいておます。
すべてのやり取りをです。


そうですね。過去にはうさぎがやり。
万愛から激怒された。
ネガキャンの鉄板系。


ネガキャンについての記事はもう一度アップします。
もちろん?再出発しているうさぎさんのことは絡めません。

俺の過去記事も、啓発方向になるように見直しなども一部やり再掲載もします。

というのは。

このブログで、書き始めた頃
俺はかなりキレて書いてます。

相方の万愛やられて、しかも卑怯なやり口で。

イジメしてるわ、トレパクしてるわ、真似絵で嫌がらせしてるわのやつらが何様もの言ってやがる!という気持ちは少なからずありました。

だから見直すと語気、荒いな、と。

その後に波紋が広がり。
界隈の方からは気づきをありがとうという声も多数頂いたこの状況の変化も踏まえ。

一般論方向への内容の変更はかけます。
しかし、必要なところにはもちろん過去例としては残します。

第三者の方にもわかりやすく。
界隈の人からみても、なるほどそういう意味ね?と思っていただけるようなものに変更していくつもりです。

それと合わせて俺のペースで心理学や脳科学系とかの記事もアップします。
ネットにいるモンスター系のものも。

お知り合いのところの出来事は推移を見つつ。
俺が何をできるのかは周りとも相談をしつつ。
俺もまた彼女にはやられた当事者であるので。
意見を聞きつつ。必要なら記事を上げると思います。

9/7 AM1100  追記


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※アメンバーは現在受け付けしておりません。
どなたのものも今は受付しないのでご了承ください。現行メンバーのみの運用となります。


こんにちは。
大塚あずるです。

昨日、一昨日と大変お見苦しい姿をお見せしました。
一旦は通常に戻します。



今回は明らかなネットトラブルに俺や万愛が巻き込まれてしまう、というパターンでしたね?

俺と万愛が巻き込まれたのは
◆一過性ネットトラブル
と言われる系統のトラブルになります。
突発的に起こった出来事により相手方とトラブルになりその時点で袂を分ける形

これに対して

◆継続的ネットトラブル
というものは長期間にわたって、やり取りが行われる、もしくはトラブルにある、という形のネットトラブルとなります。

この場合においては非常に長期間、その人間と対峙するということが起きえます。

この際に有効になるのは勿論アーカイブです。

これは相手を陥れるために用意をするという意味ではありません。


相手と自分のやり取りを正確に記録するというのはトラブルを未然に防ぐという意味も持っています。


万愛は言うまでもなく企業法務という法律に深く携わる現場にいた人間です。
ブログと言う金銭関係の伴わない人間関係よりも、遥かに深く、はるかにドロドロとしたトラブルにも携わってきています。

ネットの場合においては、やり取りが煩雑なこともあり
そして人間の性質上
◆長期記憶は曖昧になってしまう
この傾向があります。

そうですね?
自分ではこうと思っていたけれど。
よくよく後からアーカイブを見直してみたら、あ!違う!という場合もあったりするわけです。


またアーカイブを取る有効性というのは

●やり取りをしている最中には立腹していたり困惑していたり、恐怖を感じていたりと
冷静ではない、という状況下にあることが考えられます。

一旦冷静になり心を落ち着けてみると、 
●相手が表現したかった事を、自らが間違えて捉えていた
とか
●相手が自らの言っていることを間違えて捉えている
このようなことが客観視できる!という場合があります。

そうですね?
いわゆる一呼吸を置く。
こちらは非常に大事なことになります。


俺や万愛が今回のように遭遇したもの
これは非常に短いスパンで起こり
短いスパンで終結している。


日数にすると一週間に満たない期間に集中して起きていることになります。

もちろんそのトラブルが発生する前のやり取り
これもありますから?
それを入れれば数ヶ月という単位になることはあります。


こういった場合においては特定のやりとりについては、ある程度のはっきりとした記憶が存在しています。
しかしこれも数ヶ月経ってしまうとあの時どうだっただろうそうなってしまう。

そしてそれを正確に思い出せるのかといえば
これは個人差があります。

こういった時のためにも、あの時何を言ったのかそれを自らが再確認できるようにしておく。

それを出す出さないではなく、自らの記憶を確認するためのツールとして俺や万愛はアーカイブを取ります。

人間の記憶は実は非常に当てにならないものであります。

なぜかと言うと多様のバイアスがかかってしまうからです。

有名な所で言えば正常性バイアス

災害時にお年寄りなどが逃げ遅れてしまったりするということからも非常に有名ですよね?

他人から見た時には、明らかにまずい、明らかにおかしい、ちゃんとそう判断できるのに、その渦中に置かれた時には、それを正しいものだと思い込もうとする、というのがこの正常性バイアス。

こちらは DV などで晒された人にも発生することが解っています。

全然大丈夫じゃない
異常な状況に置かれている
その状況なのに

まだ大丈夫
自分は大丈夫

そう考えてしまう

脳の誤作動と言っても過言ではないような
認知の狂いが存在する状態を言います。

ウィキペディアよりお借りしています。


認知の狂いは認知症の人だけに起きるとは限りません。
正常でなんら問題のない人でも短期的長期的に認知の狂いが発生します。

知られていないところでは確証性バイアスというものも存在しますね?


そう、これらは自らが支持するものを信じたいもしくは自らが考えるものに即したデータのみを集めようとしてしまうバイアス。

これは、悪意ということではなく、このアメブロでも身近におきましたよ?

そうですね?
俺や万愛に鬼滅界隈の方は告白とも取れるようなものを、多数届けてくださいました。

あの中には
信じたかった
いい所ばかりを見ようとしていた
いいところがあるからそれは違うと思い込んでいた
そんな意見が多くありました。

そうまさにこれが確証性バイアス

自らに都合のいい情報以外は見ないようにしようという風に脳が自然に働きかけてしまいます。

これはもちろん個人差がある。


◆公平中立性を保とうという意志が強い人

こういう人はたとえ確証性バイアスが働いたとしても反対側の意見は一応確認しておかねばならない。
そういうふうに考えます。

しかし対立意見というのは人間にとって心地の良い情報ではありません。
自分が好きな友人に対して信じられないような言葉を見てしまうとショックを受ける、これは人ならば当然の反応です。

このときに、過去記事のこのような分類からそれぞれの反応は変わってきます。


同じ確証性バイアスでもどの類型によるのかで反応は変化する。

◆社会協調性を重んじる人

この手のタイプの人は人間関係においては、確証性バイアスは強めに働きます。間違っているかどうかよりも協調性が保てるかそちらが優先になってくる。
しかしとある局面では公正性が現れて自力でそれに気がつく可能性はあります。

◆現実利得性を重んじる人

確証性バイアスというよりも自分に有利不利で考える傾向が強く臨機応変性は最も高い。
妥協性も最も高いので意見を変えるという意味においては最も変化が早く大きく現れるタイプ。

◆理論性を重んじる人
本来は確証性バイアスを排除し、両立性を重んじるタイプ
しかしまれに思い込みで確証性バイアスが働くととんでもなく頑固に働くことがある。



確証性バイアスはその原因となる対象が自分から離れていくとだんだん効果が薄まってきます。

例えば宗教的マインドコントロールなどのように強いバイアスがかかっている状況にあるとき
中に居るといくら説得を試みても効果がありません。

正常性バイアスも確証性バイアスも両方働いているそういう状況がマインドコントロールの一因としてはあり得ます。

通常ならあり得ないような言動をしてみたりありえないような行動してみたり。

これは確証性バイアスや正常性バイアスにより脳が認知の狂いを生じている状態と言えます。

しかしその原因となるものから離れると、このバイアスは働かなくなり。
なんでこんなことにハマっていたんだろう?
というような
我に返るような状況
これもまた発生します。

脳は万能ではなく、ミステイクは多く犯します。
ミステイクがない人間というのは、この世に存在はしません。 


◆継続的ネットトラブルにおいては
実はブログは有効なバックアップ手段である。

リアル、ネットを問わず、何かの継続的なトラブルに巻き込まれた場合、ブログに記録を取っていく、これは一つの有効手段となります。

ブログは時系列で記事を分類している、
同時にテーマによってラベリングができる。

例えばネットストーカーに遭ってしまった、という場合。

テーマと日付が整理されている状態であれば、そのデータを後から取り出すというのは非常に容易になります。
そして日付のラベルは何をしなくてもつけられる。
記事内に初回掲載の日時を入れておくとなおいい。
そして、テーマで一元化も細分化も可能になる。

データ管理ツールの一つとしても使える。
実は万愛が最高裁で戦ったときの裁判資料証拠、として。アメブロのデータは出されている。

使い方によっては裁判資料としても使用することができる。
もちろん証拠採用されるためには一定程度の書式を満たしているという条件はあるものの。
本人の意思や意見も反映するものとしては一つの証拠ともなれる。

アメブロに書いたから全て採用というわけではなく仮にその内容が嘘であったりすると裁判に出された際には偽証罪などの罪に問われることもある。

出せばいいというものではなく
記録としてこれを取ろうとしてブログをつける場合は書式を満たし、なおかつ正確な内容であることが大事である。

俺の使い方はそうではなく
自分が後からそれを確認できるための使い方となる。

この場合は目次リンクなどを用意し
一つの出来事というものは全てその中に放り込んでいく。

そうすることによって
その目次の中を見れば
その記事は容易に取り出すことができるようになる。

普段どうでもいいものも書き込んでいく日記なのであるから、それを分類化して、排除し、必要なものだけを目次にはおいておく。
総合タイトルページに、それぞれをリンクを置いていく。

そこを見れば後から使いたい記事を探すということが容易になる。
非常に便利なツールとなっている。

記事のヘッダーに初回掲載日を書いておくのは有効である。

なぜならブログの記事は更新時に日付を更新するという場合があるからだ。

最低でも更新で変える際には入れることをおすすめする。



◆何を優先するかで保存法を変える。

俺が好むは一元管理型。
情報の取り出しのスピードを優先するやり方です。

例えば同じ情報を管理する際において
俺なら同じブログの中にアーカイブをおきます。

万愛であれば全く違う自分だけしかアクセスできないブログを用意してその中にすべてをバックアップしてしまう。
このやり方となります。

●万愛は保存性その堅牢な情報の秘匿性を優先している。
アカウント上の切り替えの面倒はあえて容認している。

●俺の場合は過去記事などの運用を多様化する傾向があるので一元管理。
情報をいかに早く取り出せるかこれに最も重きを置いて単元管理をするこういう形になります。

そもそもアーカイブやバックアップを取らないという人も多くいらっしゃるとは思いますが。

重要なもののみだけでも、それぞれ自分に合った管理方法でバックアップアーカイブをとっておく。
これは非常に有意義なことであるかと思います。


例えば自らの作業記録であったり、自らにとって有意義な資料であったり。
こういったものも実はブログを上手く使う事で管理できてしまうことがあります。

勉学の記録としても分類の方法としても意外にも有効です。

人間は記載することにより記憶の整理をすることができます。

自らが文章を書くという過程において記憶や情報は整理され形になるということはよくあります。


文責 大塚 あずる

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昨日のものについては野次馬さんも多かったのではないかと。
しかし見てほしい記事が一番上に来たのは嬉しいですね。

肝心の本人は人づての話では何事もなかったように過ごしているのだとか?

いわゆる間違ったスルー力になっているのだな?と。

この件は心理学的に触れると面白いですね?
この方と、とある人がとても似ていて。
そして二人共がよく同じ対応を周りからされる。

そう、疎遠にされてしまう。
その原因は他人からは見えてるんですけどね。
本人には見えないんでしょう。
それを解決しないといつまでも繰り返すのですが。
若い人で同じような悩みを抱える人のために、記事は書くかもですね?





 








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