なぜ、こんなに相場が暴落するのかわからなった。そんなときは、理由がないのだから、戻るはずと考えた。気づいたら金曜(2日)、月曜(5日)を併せて1千万円ぐらい買い込んだ。(前回のとおり)昔から落ちるナイフをつかむタイプだったが、理由があるときはもちろんつかみにはいかない。

 

 やっぱり戻った。今週も徐々に現金化している。週5日はフルタイムでミュージアムで働いていあるが、その収入よりも、ワンちゃんで仕掛けた方が入るとは。友人に聞くと、精神的な苦痛を受けて再雇用で働いているより、株式投資をやってる方が楽だという。確かに昨年は税込で1千2百万円ほど稼いだようだ。

 

 しかしながら、老人にとって収入だけではなく、仕事を持つことは「生きがい」にもなる。自分として年金収入(月25万円)だけで生活を完結していくことにしている。労働収入や事業収入はすべて再投資に向けていくことは変えない。

 

 現金で土地を買って店舗も建てた。事業をするなら固定資産を持つべきではなく、ましては手持ちの現金を入れるなどセオリーとしては間違っている。でも、貸店舗の家賃などを気にしていたら、事業を軌道に乗せるまでは精神的な苦痛をともなう。老後の道楽なんてふざけたことは言ってはいられないだろう。

 

 土地店舗、什器機材をすべて現金で用意する。一方、ITを駆使して効率して、余分な人材は入れない。こんな戦略だがうまくいくとは限らない。ダメなら軌道修正すればいい。今日はここまで。

 

 

 

 今年は人出が多く、ミュージアムの仕事は忙しい。人手不足も加わり、休む暇はない。65歳を過ぎた老人には正当な休む理由は見当たらないので、逃げる術はない。

 

 店舗の完了検査に補正が入り、その対応に一日を費やした。そろそろ開業に向けての準備も進めなければならないが、目の前の事をこなすだけ終わってしまう。老人になると処理能力が落ちるのが自覚できる。情けないの一言。

 

 行政書士の業務もBtoBになり、依頼を受けるがこなせない。もちろん、多忙や専門外ということで丁寧に対応している。あれほど業務が受任できなくて困っていたのに皮肉なものだ。

 

 株の暴落は想定外だったが、気づいたら先週金曜と今週月曜を合わせて、1千万円ぐらい買っていた。なにやってんだかわからない。店舗の建設や開業資金は別に管理しているが、ここまでリスクを取る必要はない。リバンドはとれたが。


 まあ、老人になると身体は動かなくなるが、口だけは回る。思い通りに行かない故に、文句、小言が増える。過去の話が多く、結局のところ自慢話になる。これではダメだ。気をつけたい。今日はここまで。


 年齢が年齢なので、ITバブルもリーマンも、震災も経験している。これだけの急落は想定外だが、経済的な背景よりも相場操縦的な感じを受ける。年初に何でこんなに上がるのかわからず、高くて買えなかったがやっと時期が来たようだ。

 

 チャートを見る限り、年初に上げた分を吐き出しただけで、そんなに違和感がないようにも感じる。先週末に相場に入った関係で、200万ほど含み損が出ているが、これは仕方ない。日経28000円ぐらいは覚悟しているが、その前には反発すると思う。PER13倍なら、長期的にみれば何とかなるだろう。

 

 今回、店舗建設で数千万円を現金化しておいてよかった。株のままおいていたら、1千万円以上の含み損になっただろう。老後は金融投資もいいが、大変でも事業投資の方が生きがいのもなるし健康面もいい、ただし、持ち金で勝負するのが前提だ。

 

 利上げといっても0.25ぐらいで、こんなに下がるものか?不思議だ。円相場も含めて、上下に振って儲けるだけのものではないか。ということは、上下で儲けるために、強烈な戻しも来るような感じがする。今日はここまで。

 

 

 

 県道沿いの農地を買って、農地転用をして開発許可をとった。もちろん、行政書士の自分の業務にも結びつくので、進んでやり終えた。いわゆる34条1号許可の店舗である。

 

 土地の仕入れから転用、開発許可まで、やればできるもので何とかこなせた。やはり、社会人大学院時代に格闘したCADのおかげで、土地利用計画図を作成できたのは自信につながった。

 

 それから、HPを通じて地元の不動産会社から依頼を受けれるようになった。自腹でリスクを負ったことが成果に結びついている。開発許可は農地転用の図面のレベルではないので、CADの心得がないと難しいのではないか。丸投げすれば別だか。

 

 結局、どこかの事務所で修行を積むか、自腹でも自分でやった経験がなければ仕事を受ける段階にもっていくのは覚悟が必要だろう。

 

 一方、店舗が完成したので経営に乗り出すことになった。器までは誰でもできるが経営は別だといわれる。特に集客ができないので長くは続かないとのこと。加えて、大金をつぎ込むのではなく、小さくはじめて大きく伸ばすとか・・

 

 65歳を過ぎたら、年金が入るので生活資金はこの範囲でこなせばいい。自宅や新築の店舗もあるので家賃も必要ない。多少の蓄えの一部を運転資金とすれば、返済もなく、事業に集中できる。忙しいが会社勤めも細々と継続すれば、社会保険の負担も小さい。

 

 老人こそ起業して挑戦すべきと考えるがどうだろうか。でも、家族(子供は独立しているので妻のみ)を巻き込むことはしない。もちろん、友人などはトラブルのもとだ。金銭的な支援はいらないので、若い人とのつながりを大切にして、意見交換をしている。事業計画、実践はまさにここにかかっている。今日はここまで。

 

 

 65歳から年金が満額もらえるので、老夫婦が質素の生活するなら何とかなる。生活資金は年金でカバーすれば、労働所得、事業所得、不動産所得、金融所得等すべてを手つかずのまま、運用できる。

 

 恋愛や子育ての時間やお金を使う必要もなく、やりたいことに集中できる。なんといっても、若い頃は体力はあるものの、余計なことにメンタルを使って、けっこう疲れていた感じがする。仕事でもプライベートでも。

 

 寝れば疲れが回復するもの早い。しかしながら、朝寝坊することもあり、目覚ましをかけ忘れると大変なことになった。老人なると6時間前後の睡眠で事足りる。2時間程度は削減できるようだ。夜遅く寝ても目覚めが早く、目覚ましをセットする必要はない。

 

 腰が痛いとか、膝が痛いとか言っている友人が多いが、よく聞いてみると、おいしいものを食べて、毎晩晩酌しているようだ。そりゃ無理だ! 僕は定年退職後から家飲みは一度もない。(宴会では飲む)食事も野菜を中心とした質素なものだ。

 

 毎晩、パソコン作業(仕事や研修)をこなしているので、酒は飲めない。腹が出ると老けて見えるし動きにくい。体重が増えると、まず膝に負担がいくので注意している。若者と一緒に働くときは、気持ち的には若者の2~3倍のスピード感で働いていないとダメだ。

 

 また、SNSなどの無料の情報は圧倒的に若者が強いと思う。なぜなら、読書やTVも見ないで、いつもアクセスしているようだ。老人になったら、日経等の有料会員になって、効率よく最新の情報を身につけたい。過去の話は自慢話に思われるのでしない。話はすべて未来のもの、それも有益で役立つものに絞っている。

 

 すべてはうまくいくとは思わない。けれど悪いことばかりではなく、いいこともある。そう思って生きていく。今日はここまで。

 

 

 

 

 

 教職がブラックだとか、残業代がでないとか、持ち出しが多いとか。これが本質の議論かな? 教員は社会を知らないとか、よく言われるこけど、本当にそうなの?と思ってします。

 

 教職をやったことがない、もしくは少し現場を経験しただけのコンサルが取り上げるケースが多い、それをマスコミがネタにしている感じを受ける。

 

 新規採用教員の困難な事情については理解できる。どんな職業についても初めは大変だが、子どもの年齢が低いほど、大人げないことは言うし、かなりの手間をかけないと成り立たない。(目が離せない状況)

 

 故に中学や高校と違い、小学校の希望者は年々少なくなっている。小学校を詳しく見てみると、女性の希望者が減っているようだ。男性は減っていない。大卒女性の職が多様化していることが大きいかと感じる。

 

以前は、校内暴力全盛で中学校の希望者が少なかったが。今では反抗する子の対応より、不登校の対応がメインとなっているのが実情。

 

 でも・・でも、よく考えてほしい。教育課程は10年に一度変る程度なので、毎年毎年の繰り返し、経験が生きてくる職場だ。つまり、一年目が一番キツく、二年、三年とやって行けば、これほど、やりやすくなる仕事はないと思う。とにかく、春先から秋までが忙しいが、秋以降、日没が早くなり子どもの下校時間が早くなる。そこまで、頑張れれば続けられる・・かな。

 

 今も昔も教育に携わると、子どもを通して家族社会の奥深くまで、自然と入っていってしまう。ただし、厳格なる守秘義務があるので、言葉にすることはない。営業や経営に関するビジネスマナーは確かに劣るが、その程度である。けっして、社会音痴ではなく、ある意味、社会の奥深い部分までわかる仕事かもしれない。

 

 リーマンショックのときは、かなり優秀な学生が教職に入ってきた。景気がいいと、公務員や教職は敬遠されるようだ。投資の世界の逆張りで考えるなら、今こそ教員になるのがいいタイミングだといえる。今日はここまで。

 

 

 老人になると、朝寝ていられない。夜遅くまで起きていても、4時とか5時に目が覚める。最近はなるべく2度寝することにしているが、面倒で省が無い。

 

 老人は家族とか抱えるものが少なくなるので、いくらでも時間が割ける。定年退職前から比べると、倍以上の時間、働いている。

 

 老人は仕事がないなんて言っている人がいるが、それは「希望する仕事がない」ということだろう。選ばなければ、真っ当な仕事でも、いくらでもある。仕事がないと言っている友人もいるが、楽して稼げることばかり考えていて、そりゃ無理だ。

 

 とうとう、60歳より70歳に近くなってしまった。休日を中心に週5のフルタイム勤務。平日昼間は週2.5日を行書、夕方からは店舗経営と休みなく働ける。このほか、休暇をとってイベントをやったりして、法人化を目指しているが、いつになるか。

 

 店舗を数千万かけて建設した関係で、手持ちの不動産が増えた。そこで一部を処分した。特に賃貸物件は古くなると手間がかかるのではじめに手放した。まあ、建築制限のある区域に、繁盛できるかどうかわからない、店舗を建てるなんて馬鹿だな。それも老後資金を使って?とよく言われる。でも、あえてリスクをとったことが幸いして、この業務が行書のメイン業務となった。

 

 金融投資は、数十年、現物株式だけやっていたので、今更他のことを学ぶ時間がもったいない。NISAは損益通算できないので、年に一、二度ある大暴落時・・ 事前に決めてある知った銘柄をいっきに買うだけ。デイトレは時間の無駄なので、スイング一本でレンジを決めて、指し値買い、指し値売りの繰り返し。勝手に売り買いしてくれるので、業務に専念できる。

 

 最後に、クレカの引き落としを年金口座にして、年金だけで生活できるようにしている。会社の給料、行書の報酬、店舗経営の収益、不動産、金融投資の利益等は手をつけず、基本再投資する。所詮、老人の生活は年金中心で考えるべき、これが一番。今日はここまで。

 

 店舗建設のため、土地の購入、建物の建築費がかかった。年齢が年齢なので、融資を受けてレバレッジを効かせるなんてしなかった。現金一括がいい。昨年末に持ち株を処分したので、現金はストックしておいた。でも、一店舗目で成功が実感できたら、レバレッジをかけるかな。

 

 まあ、結果論として年初の株高を取り損なったのは痛かったが、常にリバランスしてきたからこそ、投資を続けてこれたのかもしれない。今回、店舗経営を行う上で、不動産の割合が増えてしまったので、手持ちの貸家(一戸建て)を売約した。賃貸収入はなくなるが、手持ちのキャッシュを厚くしておける。

 

 資産のリバランスを考えての行為で、株も現在では半分ほど、急落時に買い戻している。でも、僕の技量のなさもあるが、株や不動産での収入だけでは、生きている実感がしない。やはり、事業投資で結果を残したい。というより、その過程を楽しみたい!

 

 マーケティング、税務、財務、経理などお金にまつわる部分が多いが、それはそれで、規模が拡大するなら、業務を委託すればいいだけ。秋頃からスタートするビジネスモデルを違う場所で検証しているが、どうなるかはわからない。思い通りいかないから面白いのかもしれない。

 

 定年退職後、夫婦で1泊の国内旅行をしただけで、1日も休まず、4年以上過ぎてしまった。昭和の人間なので、下手に休みがあるとモチベーションが下がってしまうので、このまま突っ走りたい。今日はここまで。

 

 

 お金は最後でしょう。日本の老人の多くは死んだ時が一番、お金持ちだという。今、60歳代半ばを超え、70歳に近づいている。少しずつ、周りから人がいなくなっている。僕の場合は、3つも仕事を掛け持ちしているので、それほど周りから人がいなくなったとは感じない。

 

 しかしながら、大幅にメンバーが入れ替わったのは事実。退職後、数年したら元の職場の人たちとは切れてしまった。学生時代からの親しかった友人とは切れはしないが、年に1回か2回会うだけだ。過去を懐かしむ会みたいのは、数えないなら本当に切れてしまったかなぁ?

 

 やはり、話が合わないのが原因だと思う。置かれている環境が少しずつ違ってきて、話が盛り上がらない。置かれている人的、経済的環境が違えば、何気なく話しても、自慢話に聞こえるし、妬みを生む場合もある。

 

 そうかと言って、失敗や苦しい話ばかりしていると、初めは心配してくれるが、不安感をいだき去っていく。つまり、共通の趣味を通して、ある程度の距離をおき、当り障りのない話をしている印象を受ける。

 

 こうした中、いつの間にか、「孤独」であることに気づいてくる。「孤独」を楽しみという記事をよく見かけるが、そんな記事を書ける人は孤独のはずがない!

 

 僕は多趣味で浪費家だが、誰かと話す機会には恵まれている。しかし、老人になってからは、ゆるやかであるが孤独を感じるようになった。孤独の次にくるのは「健康」だ。孤独からくる精神的な不安は「健康」に大きく影響する。お金がなくても、健康なら働ける。親身に支えてくる人がいるだけで、精神的な負担はちがうはず。

 

 最後に、この健康を手放すと、働けなくなるだけではなく、多額の医療費、介護費、そして家族にも負担がかかり、結局のところ「お金」をも失うことになる。「孤独」から始まり、「健康」を害し、「お金」も失う。これが最悪のシナリオだと思う。 「孤独」→「健康」→「お金」の法則  (単なる持論です!)

 

 「孤独」を楽しむなんて、孤独じゃない人のお話としか思えない。今日はここまで。

 ここのところ、教員不足が話題になっていて、行政側もいろいろ対策を考えているようです。確かに、小学校教諭や中学校理科教諭などは深刻な状況だと思います。

 

 僕の周りの大学生のアルバイトに聞いても、ほとんどが教職を取っていないし、教職はブラックだから嫌だという話を聞いている。

 

 自分も定年退職するまで、土日祝日なく働いていて、平日は朝7時前、帰りは9時10時という日々だったかなぁ。懐かしい・・

 

 林間学校の引率では、子どもたちが登山する当日に、コースが安全かどうか見てこいということで、ろくに寝ていない状態で、走って登ってきたこともありました。もちろん、戻ってきて直ぐに再度引率として登りました!

 

 今、考えれば勤務時間の制約もなく働き、給料がいくらだとか全く考えていませんでした。日々、子どもたちと格闘し、喜怒哀楽の繰り返しです。

 

 本当にブラックだから、仕事を減らすとか、手当を上げるとか、民間企業が求人するような発想でうまくいくのか?と僕は思います。

 

 教員という仕事は自主性がとても大切で、やらされ感を感じちゃうとダメな教員になってしまう。コスパやタイパを重視するより、一番はやりがいを若い人がもてるような施策を打つべきだと思います。

 

 企業経営で磨いた教育コンサルの意見も一理ありますが、たぶん、お金や時間などで引きつけると、思わぬ方向にいくのではないかと考えてしまう。現場ではこい言ったタイプの方は、言葉は強いものの、働かないし、子どももついてこないし・・・

 

 まあいいや、もう僕は定年退職したんだ。言う資格もない! 今日はここまで。