近江国の日吉めぐり③ ~生源寺~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

京阪電車の
坂本比叡山口駅の
すぐちかく

日吉大社(ひよしたいしゃ)

の二ノ鳥居の手前に

生源寺(しょうげんじ)
があります。



ここは、日本の
天台宗(てんだいしゅう)
の開祖である

最澄(さいちょう)
の生誕地だといわれ、

最澄の父・
三津首百枝(みつのおびとももえ)
の邸宅跡だそうです。

 



最澄が生まれたときに
つかった産湯の井戸も

あるといいます。

どうやら、ここも
井戸にゆかりがある
ようですね。



天台宗といえば

空海(くうかい)
真言宗(しんごんしゅう)
とともに

平安京をささえた
二大仏教(密教)であり


新しい世をきずく
新しい教えとして

ひとびとに、おおきな
影響をあたえたようです。

そんな最澄が、故郷・
比叡山(ひえいざん)に
草庵をむすんだのが

比叡山・
延暦寺(えんりゃくじ)の
はじまりだといいます。

 



最澄については、いずれ
延暦寺の御廟をたずねてから
くわしく書こうと思いますので

今回は、最澄の両親ついて

詳しくみてゆきます。

まずは、父である
三津首百枝ですが

このかたは、名を
浄足(きよたり・きよあし・きょし)
ともいうようです。

大陸からの
帰化人の子孫といわれ

祖先は
後漢(ごかん)最後の皇帝・
孝献帝(こうけんてい)
[189~220年]といわれ

その子孫にあたる
登萬貴王(とまきおう)

が300年ごろに帰化して

この地をあたえられ
姓を「三津首」とした
のがはじまりのようです。

 



220年の後漢の滅亡から
三国志の時代がはじまり

三国が統一されたのが
280年だといいますから

三国志の時代をまたいで
渡来したようですね。

秦氏(はたし・はたうじ)
の渡来は、

第15代・
応神(おうじん)天皇
の時代であり、これも


280年ごろ

とされるようです。
 

日本が諸外国との交流を
公式的にはじめた時期でも
あったようですね。

 



坂本の地にながれる
大宮川(おおみやがわ)
 

かつて、

三津川(みつのかわ)
といわれたようですし

 

最澄の出生地も

『近江国滋賀郡古市郷三津ヶ浜
とされるようですから

三津をおさめる首長から

「三津首(みつのおびと)」

をたまわったのでしょう。


首(おびと)は
姓(かばね)だといいます。

 



どうやら、この地の
豪族として栄えたらしく

隣接する
大将軍(たいしょうぐん)神社
坂本の総社となっているのも

日吉大社・二之鳥居があり
日吉馬場がはじまっているのも

坂本比叡山口の駅が
ここにつくられたのも

かつて、坂本の首長が
暮らしたからなのでしょう。

 



「三津(みつ)」は
「水(みつ)」につながり

比叡山からながれる
豊かな水(川)と
井戸からの湧き水のこと
でもあるのでしょう。

また、

「3つの津(港)」とすれば

山王祭(さんのうまつり)

若宮・七本柳・唐崎という

湖畔の地が

「3つの津(港)」
なのかもしれませんね爆  笑




最澄の母親は
藤原藤子(ふじわらのとうし)
といい

藤原鎌足(かまたり)
  |
藤原不比等(ふひと)
  |
藤原房前(ふささき)[北家の祖]
  |
藤原魚名(うおな)
  |
藤原鷲取(わしとり)
  |
藤原藤子

とつづく
藤原北家ですから
大貴族の娘だったようです。


また、父・鷲取の子孫は
戦国大名の伊達氏や

平将門の乱をおさめた
藤原秀郷(ひでさと)
つらなるらしく

有力な武家を輩出した
血筋でもあるといいます。

 



最澄が生まれたのは
767年(766年?)
といわれます。

帰化人である三津首は
400年ほどのあいだに
一大豪族となり、

中央貴族の藤原家と

結びついたのでしょう。

そんな

富も権力もあるおふたりですが

はじめは、なかなか

子ができなかったといいます。


困り果てた百枝と藤子は
八王子山の奥に庵をたてて
一週間の願をたてたそうです。

すると、ようやく
瑞夢をみることができて

8月18日、
蓮華の花がふるという
めでたいしるしのなか

生まれでたのが
最澄だといいます。

 



最澄の幼名は
三津首広野(ひろの)
だったそうです。

また、
母・藤子は出産ののちに
妙徳(みょうとく)
と名をあらためたそうです。

出家でもしたのでしょうか?



最澄は
14歳になると

近江の国分寺で
仏道修行をはじめ

19歳になると
奈良の東大寺で

具足戒をうけて
官僧(比丘)となり

22歳になると
比叡山にこもったといいます。

 



生源寺の創建は
800年ごろといわれ

最澄が34歳のとき
両親の恩に報いるために
建立したといいます。

もしかすると、
唐へと渡る下準備として

親への恩をさきに返した

のかもしれませんね。



そんな、最澄でしたが
唐での修行を終えて
無事に帰国し

天台宗を開いたのが
806年・40歳のとき
だったようです。



名声もひろまり
おなじく唐での修行をおえて
帰国した空海との仲も深まる

811年に
父・三津首百枝は
なくなったといいます。

 



夫を失った母・藤子(妙徳)は
故郷の山城国山ノ内に
身を寄せていたそうです。

そうして、そのまま

山ノ内の地で

817年に母・藤子も
なくなったといいます。

最澄が亡くなったのは
822年だといいますから
そう離れてもいないようですね。



父・三津首百枝を祀る
百枝社や

母・藤子(妙徳)を祀る
市殿(いちどの)神社は

 

生源寺のちかくに
建っているといいます。



市殿神社は、かつて
比叡山の花摘峰に
祀られていたといいます。

比叡山の旧地には
花摘堂が残るようですね。



市殿には
神につかえる女人とか
巫女という意味もあるようです。

母・藤子(妙徳)とは
霊力の強いかた
だったのでしょうか?

 



最澄が詠んだ和歌にも
故郷のものもあるようです。


三の川ひとつの海となる時は
舎利弗のみそまつ渡りける


「三の川」とは
「三津川」であり

ひとつの海とは
琵琶湖のことでしょうか?

また、
桂川・宇治川・木津川が
合流して淀川となり

大阪湾にそそぐこと
でもあるのでしょうか?

だとすると、松とは

遣唐使船も発ったという
 

住吉大社(すみよしたいしゃ)

のことかもしれませんね。

 

 

また、面白いのは

比叡山の最澄の御廟と

 

最澄生誕地の

生源寺をむすぶと

 

西本宮の地を

とおるといいます。

 

これも、

意図的なのでしょうか?

 



さて、個人的に

すごく気になっているのが

 

三津首と

秦氏との関係です。

松尾大社(まつおたいしゃ)では
大山咋神(おおやまくい)

秦氏の氏神とされているのに

日吉大社では、おなじ
大山咋神が祀られているのに
秦氏の影がとても薄いようです。

渡来時期も、ほぼ同じであり
関わりはありそうなものの

はっきりとした話が

ほとんど見当たらないのが
逆に気になってしまいます。



秦氏隆盛のきっかけは
第29代・

欽明(きんめい)天皇が

秦大津父(はたのおおつち)を
取り立てたことによるのですが

このかたは、

商人として財をきずき
京都の伏見のあたりに

暮らしていたといいます。

しかし、その名前に
「大津」が見えることから

この地にもなにか
関わりがあるのかもしれません。


また、欽明天皇の父は
第26代・

継体(けいたい)天皇であり

継体天皇の出世地は
滋賀の高島といわれます。

これもまた、
そう遠くもありません。

 

そもそも、日吉大社は

古代の磐座信仰にはじまる

といいますが

 

磐座を祀っていた

この地ゆかりのひとびとと

 

のちに流入した帰化人・

三津首とのあいだには

 

どのようなやりとりが

あったのでしょう?

 

三津首たちは

磐座や大山咋神の祭祀を

つづけたのでしょうか?

 

もしかすると、大山咋神は

三津首たちがもちこんだ神

なのでしょうか?

 



さらに、母・
藤原藤子の故郷である
山城国山ノ内といえば

秦氏の本拠地である
太秦(うずまさ)のすぐ隣です。

藤子の祖父・魚名は
政争にやぶれて

782年に息子らともども
左遷の地・大宰府(だざいふ)
にむかう途中、

摂津国豊島郡で発病し
摂津国河辺郡の別荘で

療養しているときに
亡くなったといいますが

魚名の墓は
大阪府豊中市にある
服部天満宮だそうです。

この、豊島郡も
秦氏の地といわれますし

服部(はっとり)というのも
渡来氏族ゆかりの

クレハトリ(呉服)から
きているといいます。
 

母・藤子と秦氏には
関係があっても

おかしくないようですね。

 



こうした、

おふたりから生まれた

最澄だからこそ

大山咋神を
地元神として祀りながら

大山咋神ゆかりの

比叡山に天台宗を開くことが
できたのかもしれません。
 

 

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