佐久間盛政
『江~姫たちの戦国~』の次回「第10回 わかれ」で活躍の場面がなければそれまでかもしれませんが
前回紹介の柴田勝家(しばたかついえ)
公の記事中で度々名前を出した佐久間盛政(さくまもりまさ)さんをカキカキ
この方~賤ヶ岳の戦いの大敗の責任者として
後世では勢いだけの「猪武者」としてすこぶる評価が低い御仁です
ただ、賤ヶ岳の戦いについては柴田勝家
公の記事で盛政殿に代わって抗弁した通り、
後詰めの前田利家
の裏切りと、勝家がその前線の状況に即応できない後方に陣していた問題点から
盛政だけに全責任を負わすのは酷だと思います
(この時勝家は柳ヶ瀬から狐塚まで駒進めますが・・・そこも全然前線を援護や督戦できない遙か後方なんですよね~)
もっとも総大将は勝家ですので、その命令を6度も無視したって通説が本当だとすれば問題外ですが・・・
『江~姫たちの戦国~』では水戸黄門で格さんを演じてたベテラン山田純大(やまだじゅんだい)さんが演じられています
どこかでみた肖像から私がイメージしてる佐久間盛政像にこの山田純大さんピッタリなんですよね
実際の盛政も180センチ以上の大男と伝わりますし
(3/21文章訂正~TV観て随分でかいなと思ったら山田純大さん180cmもあるんですね)
個人的にこの山田純大さんの佐久間盛政役は萌えなんですが~
もっと本編に濃く絡むのかと思ったのですが~そんなこともないまま観られなくなりそうで残念です
※佐久間盛政(さくまもりまさ) 理助(りすけ)、玄蕃允(げんばのじょう)、玄蕃助(げんばのすけ)、修理(しゅり)
佐久間玄蕃(さくまげんば)の呼び名で有名。
尾張五器所(ごきそ)の佐久間氏の出。
織田信長
の重臣で高名な佐久間信盛(さくまのぶもり)とは名字は同じだが出自が違うようだ。
父は佐久間盛次(さくまもりつぐ)、母は柴田勝家
の姉。
盛政は身の丈6尺(182cm)あったという(佐久間軍記)
母の縁から柴田勝家 の与力となり北陸攻略の先鋒を務め軍功を重ね、鬼玄蕃(おにげんば)の異名奉られた。
天正4年(1576)加賀一向一揆討伐以降の北陸討攻略戦より活躍がみられる。
天正5年(1577)9月、柴田勝家
を総大将とする北陸方面軍が手取川で上杉謙信
に惨敗し撤退した後、その抑えとして前線の御幸塚砦に入れられたりしている(信長公記・歴代古案)。
柴田勝家の留守中は加賀一円を任され、むしろ積極的に軍事行動を起こし数々戦果を上げその戦上手を賞賛されている。
天正10年(1582)6月の惟任光秀(これとうみつひで) による織田信長 弑逆事件(本能寺の変)においては北陸に留まり、なお越中平定を伺った。
天正11年(1583)羽柴秀吉(はしばひでよし)
と対決する為、北近江へ侵攻した柴田勝家
に従い、4月20日大岩山砦を急襲し守将 中川清秀(なかがわきよひで)を討取り、岩崎山砦の高山右近(たかやまうこん)を敗走せしめた。
しかし深夜日付が21日と替わった頃、岐阜へ向かったはずの秀吉
本隊が早くも襲来した為、占領拠点を放棄。
弟の柴田勝政(しばたかつまさ)に殿軍を命じ、兵を纏めて速やかに撤退した。
殿軍の柴田勝政隊こそ損害を被ったが、これも朝方には収容し撤退は完璧に成功するかに見えたが
ここで突如として後詰めの前田利家
が裏切り、戦線離脱をしてしまう。
これに金森長近・不破勝光 らも同調した為、戦線が崩壊。一挙に潰走状態になってしまった。
盛政は敗走後捕らえられたが、秀吉
からその才を惜しまれ赦免を申し渡される。
しかし勝家亡き後はただ死を望むのみと言い、それも”これよりの秀吉の威光の為に”切腹ではなく引き回しの上での磔(はりつけ)を希望したという。
その希望通り市中引き回しされたが、なお秀吉は切腹にさせようと小刀を手渡させたがこれを拒否し、従容と磔刑に処せられた(川角太閤記)。
享年30歳(佐久間軍記・重修譜)。
辞世として「世の中の めぐりも果てぬ 小車は 火宅の門(かたくのかど)を 出(いず)るなりけり」が伝わる。
最後にこの盛政様の娘さんのその後のお話をひとつ
盛政には亡くなったときに虎姫という娘がいました。
その姫様がのちに嫁ぐことになるのですが・・・その嫁ぎ先がなんと、
先に賤ヶ岳で盛政に襲われ玉砕した中川清秀のその次男 秀成(ひでなり)でした
『江~姫たちの戦国~』で茶々 ・初 ・江 は父 浅井長政 を殺した敵と秀吉 を嫌っていますが~ちょうどあの逆のパターンです。
親が討った家の子供と結婚する事になった虎姫の心中はさぞかし複雑だったことと思われます。
(ドラマ楽しみにする為あえて)原作は読んでないのですが
取り上げてくれればお江 達との立場との対比から興味惹くエピソードになりそうですがどうでしょう
ちなみに中川秀成の方は「偉大な父を討取った程の武勇がある佐久間盛政の娘」という事で是非にと欲っして嫁に貰ったのだという伝承があります
戦国時代”名を惜しみ武名を上げる”というのは子孫の繁栄を願う意味もあったというのが分かるお話しです
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