印象と表現
僕は、6歳で父を失い母に育てられてきました。
その母の言葉遣いの中でいくつか好きなのがあります。
誉める行為の前に「見事」を付けるのです。見事な表現。見事な仕事。
などですが、その言葉癖が何時しか自分の口癖になっているのです。
いつも頭の中で考えます。
願わくば『見事な男』と云われるようになりたい。そのことです。
果たして見事にやり遂げられるかどうか知る由もありませんが、
今まで努力を重ね全う出来ない事はないと信じて来ましたので、
信じ続けて見る積もりです。
僕は今生きています。健康です。
しかし、何れ老い衰え、死を迎えます。
それにさほど豊かではないものの、経済的にも苦労はしていません。
そこで、頭を過るのは、果たしてそんな自分が確りとものを考え、
感謝し、切実に体調を整える摂生が出来るのでしょうか。
僕の信念では、人間は僕のような環境にあると反省せず、学ばず、
感謝もせずに愚に返ると云いますが、それは事実だと思います。
去年の6月(2010年)、30余年を経て竜の子プロの仕事を下り、
現在は顧問。退屈しない程度の仕事もあります。
あれから約一年が経とうとしております。
やはり、現役の代表取締役と云う肩書きがなくなると、
当然人様との関わり方が変わります。
自分の心にも変化が生じます。
出来る限り出しゃばらないよう、必要以上の注意も払います。
そのような心持ちで周囲を見ていますと、間違いなく変わりが現れて来ます。
心に準備をし、受け入れるべきものを人様にあっさりとした印象を
与えながらに受けとめて行く。
このことこそ、今の僕が規範と心得る心境です。
晴れて良し
曇っても良し富士の山
もとの姿はかわらざりせり
果たして見事やり遂げられるでしょうか。
最終章を迎えるまでの心構を作る作業に入っております。
葉隠塾 成嶋弘毅

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願わくば『見事な男』と云われるようになりたい。そのことです。
果たして見事にやり遂げられるかどうか知る由もありませんが、
今まで努力を重ね全う出来ない事はないと信じて来ましたので、
信じ続けて見る積もりです。
僕は今生きています。健康です。
しかし、何れ老い衰え、死を迎えます。
それにさほど豊かではないものの、経済的にも苦労はしていません。
そこで、頭を過るのは、果たしてそんな自分が確りとものを考え、
感謝し、切実に体調を整える摂生が出来るのでしょうか。
僕の信念では、人間は僕のような環境にあると反省せず、学ばず、
感謝もせずに愚に返ると云いますが、それは事実だと思います。
去年の6月(2010年)、30余年を経て竜の子プロの仕事を下り、
現在は顧問。退屈しない程度の仕事もあります。
あれから約一年が経とうとしております。
やはり、現役の代表取締役と云う肩書きがなくなると、
当然人様との関わり方が変わります。
自分の心にも変化が生じます。
出来る限り出しゃばらないよう、必要以上の注意も払います。
そのような心持ちで周囲を見ていますと、間違いなく変わりが現れて来ます。
心に準備をし、受け入れるべきものを人様にあっさりとした印象を
与えながらに受けとめて行く。
このことこそ、今の僕が規範と心得る心境です。
晴れて良し
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誉れは自分だけに与える
誇り、プライド、矜持と種類の多い表現ですが、誰もが気になる言葉です。
しかし、確信した自分の信念を赤の他人に伝えるのはとても難しのです。
それを、人は自慢とも自惚れとも取る可能性があります。
何故かと云えば、誇り、プライド、矜持の中に聞かせたい、
知らせたい、認められたい、誉められたい
が存在しているからです。
善行を語れば間違いなく自慢です。でも誰もがそれを誉められたいのです。
誇りも得々と語れば、何を自惚れてやがる。になるのです。
僕は良く人に、「沈黙は金也と云う美徳は僕の中にない」と云い切ります。
何故ならば、知らない人には云って聞いてもらわなければ
理解もされないと云う、観念があるからです。
まだまだ聖人の粋には遠く及びません。一生かかっても駄目でしょう。
ならば如何に他人に不快感を与えず、
自慢話が出来るか研究するほうが増しかも知れません。
赤ちゃんの時、親は子を誉め導きます。
そう、良い子ね。上手上手がそれです。
そして何時しか我々は誉められる事を求めるように躾けられて行くのですが、
長じてからは、逆に誇るな。自慢は慎ましさがない。と変わって行きます。
さて、ここで混乱を生じ、
ひねくれたりが始まる子も大勢いるのではないでしょうか。
何故良いことして云っちゃいけないの。になって当然かも知れません。
そこで子供に教え込まなければならないのが、他人の嫉妬や妬み心の怖さです。
教える方法として、嫉妬や妬み心を否定すると、
自慢は良いが妬みが悪いとなるのです。
子供達が中学校に上がる頃だったでしょうか、云って聞かせたことがあります。
「これからは大人達の世界の仲間になる。
良く出来たことや嬉しいことを話す時、友達のことも考えなさい。
良く出来ない子、嬉しいことのない子、そんな子もいるのです。
自分は良くても哀しい気持ちにさせてはいけません。
見せびらかすことになるからです。
大人は誉められないのでそっと一人で自分を誉めるようになるのです。
もう一人前のお前達は今日からそうしなさい。」
理解したかしないかは実のところ判りませんが、
ステップアップへのそれが儀式でした。
嫉妬や妬み心に対する注意では誤解を招くので、
友達に寂しい思いをさせないに変えて教えたのです。
今、聞いても三人の子供全員が覚えていませんが、
きっと潜在意識に埋まっていると思います。
必要な時に出て来るのだと信じてます。
「沈黙は金也と云う美徳は僕の中にない」は、形を変えただけです。
それをどう行うか、うちの子供達は見て覚えた筈です。
自慢はストレートで飲まず、割らなければならないと云う教えでした。
さらに、少々面白可笑しく自慢の語り方を教えてくれた落語がありました。
大きなお店の旦那が習い覚えた芸を自慢したい為に、
町の皆さんを招き、お料理やお酒を用意するのです。
ならば自慢を聞いてやろうかと云う落語の洒落ですが、
先輩が後輩に奢るのもこの例に倣ったものではないでしょうか。
「良いか、今日俺はな、ウン千万の契約を決めて来たんだ」
愛すべき大店の旦那と同じですね。
葉隠塾 成嶋弘毅

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知らせたい、認められたい、誉められたい
が存在しているからです。
善行を語れば間違いなく自慢です。でも誰もがそれを誉められたいのです。
誇りも得々と語れば、何を自惚れてやがる。になるのです。
僕は良く人に、「沈黙は金也と云う美徳は僕の中にない」と云い切ります。
何故ならば、知らない人には云って聞いてもらわなければ
理解もされないと云う、観念があるからです。
まだまだ聖人の粋には遠く及びません。一生かかっても駄目でしょう。
ならば如何に他人に不快感を与えず、
自慢話が出来るか研究するほうが増しかも知れません。
赤ちゃんの時、親は子を誉め導きます。
そう、良い子ね。上手上手がそれです。
そして何時しか我々は誉められる事を求めるように躾けられて行くのですが、
長じてからは、逆に誇るな。自慢は慎ましさがない。と変わって行きます。
さて、ここで混乱を生じ、
ひねくれたりが始まる子も大勢いるのではないでしょうか。
何故良いことして云っちゃいけないの。になって当然かも知れません。
そこで子供に教え込まなければならないのが、他人の嫉妬や妬み心の怖さです。
教える方法として、嫉妬や妬み心を否定すると、
自慢は良いが妬みが悪いとなるのです。
子供達が中学校に上がる頃だったでしょうか、云って聞かせたことがあります。
「これからは大人達の世界の仲間になる。
良く出来たことや嬉しいことを話す時、友達のことも考えなさい。
良く出来ない子、嬉しいことのない子、そんな子もいるのです。
自分は良くても哀しい気持ちにさせてはいけません。
見せびらかすことになるからです。
大人は誉められないのでそっと一人で自分を誉めるようになるのです。
もう一人前のお前達は今日からそうしなさい。」
理解したかしないかは実のところ判りませんが、
ステップアップへのそれが儀式でした。
嫉妬や妬み心に対する注意では誤解を招くので、
友達に寂しい思いをさせないに変えて教えたのです。
今、聞いても三人の子供全員が覚えていませんが、
きっと潜在意識に埋まっていると思います。
必要な時に出て来るのだと信じてます。
「沈黙は金也と云う美徳は僕の中にない」は、形を変えただけです。
それをどう行うか、うちの子供達は見て覚えた筈です。
自慢はストレートで飲まず、割らなければならないと云う教えでした。
さらに、少々面白可笑しく自慢の語り方を教えてくれた落語がありました。
大きなお店の旦那が習い覚えた芸を自慢したい為に、
町の皆さんを招き、お料理やお酒を用意するのです。
ならば自慢を聞いてやろうかと云う落語の洒落ですが、
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ちやほや病
運の良い人は、何時の間にか人から持ち上げられ、
先生だの先輩と敬われいい気持ちになって行きます。
多くの人から敬われたり丁重に扱われるようになると
人はいとも簡単に増長して行く生き物なのです。
僕が幼少の頃、親から授かったことは、敬われ尊重されるにはまず、
それに報いる人格と人間的な能力に裏付けられなければならない。
と教えられました。
子どもの頃の、慕われ愛されることとは同じようであり、違うのです。
それは、優しく、人当たりも良ければ人は寄って来ますが、
優しいだけでは舐められ、馬鹿にもされてしまいます。
能力で武装された人格者。サウンドは素晴らしく思えます。
されど一見してそのように見える方も、その実、出来ていない方も多いのです。
自己中心的でありながら、その自覚すらありません。
長年会社で上の役職に付き、やって来られた方に多く見られます傾向です。
下積みからの苦労をした人間は逆境に強いと云われるのも
そこら辺りに理由がありそうです。
地道な苦労を舐め、耐えて来た人間には思い上がりは少ないのです。
戦後間もない頃でしたら別ですが、
現代に偉いと呼ばれる方がおられるのでしょうか。
そうです。
建前では人間は誰もが平等で上下などはあってはならない筈。
もし、あるのであれば建前はぶち壊し
本音で行くべきである。そう思って来ました。
運の良い若者は知らずにヒーローやヒロイン意識を持ち、自分は格別。
そう増長して行くのです。そしてそれに更に拍車がかかり、
他を無視する習慣が備わり、不遜に堕ちて行くのです。
いわゆる調子に乗ると云う奴ですが、
調子に乗せる人間が出てくればポンと乗ってしまうのです。
乗る方が悪いのか、乗せる方が悪いのか。
カッコーの悪いのは乗せる方だと思いませんか。
まず、男と意識するならば人を褒めそやし
良い気分にさせる行為そのものに抵抗を感じます。
媚び諂いの印象が強いからです。
するとやはり乗る方は可愛く、乗せる方は卑しいになるのです。
いくら可愛くてもホイホイと乗って良いものでしょうか。
それがまた多いのです。
これを僕はチヤホヤ病と名付けました。
この病に免疫はなく、更に適齢期もありません。
従って完治したように見えてもぶり返す確率もかなり高いのです。
他人事と無視出来ない病です。注意して下さい。
お出かけにマスク程度ではこの病の予防にはなりませんから。
正直、僕自身も感染しました。
その時は実に望ましい気分になれるのです。
これももしかすると人間の性なのでしょうか。
僕には常に武士道がありましたが、これもまた思い上がりが強く、
思い込みの強い思想ですし。
困りましたね。何処へ行けば良いのでしょう。
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そこら辺りに理由がありそうです。
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いくら可愛くてもホイホイと乗って良いものでしょうか。
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『新たな認識と戸惑い』
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ブログを始めて丸二ヶ月を越します。
その間、多くの方々のコンタクトを頂きましたこと、感謝致しております。
ネットと云うものはビジネスでのメール以外にまったく
使用した事もない僕を受け入れて頂きました事に感謝致します。
そこで気付きましたことは、殆どの方々がフルオープンではなしに、
ハンドルネームとプロフィール画像には自分の写真を使わない事でした。
僕は、ネットに無知であったからだけではなく、
掲げております主張が武士道と云うこともあり、
まったく無防備なフルオープンですが、
他の方々がハンドルネームや画像にキャラクターを使用する事も
充分に理解出来ます。
しかし、不思議に僕へのメッセージを下さる方々の大半は
実名を上げて来られるのです。
やはり、ここでも人は鏡で、相手により写り方が違うのでしょう。
お陰さまで、匿名ハンドル名の方とも嫌な経験は致しておりません。
感謝するばかりです。
ブログにアドバイスをくれる娘は、親父を気遣い、
あれやこれやとうるさいのですが、
中でもコメントへのお返しが長く、
丁寧すぎることを指摘して来ます。
確かにそれは大変な作業です。
しかし、せっかくコメント下さった方を思えば、
ついサービス精神が出て丁寧になってしまいます。
果たして本当に丁重とかはネットの世界に必要のないことなのでしょうか。
ネットも通常のコミュニケーションも
僕としては同じように捉えたいと思っております。
もし、この件に関し皆様からの助言を得られましたら幸いです。
兎に角、戸惑うばかりなのです。
葉隠塾 成嶋弘毅

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充分に理解出来ます。
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果たして本当に丁重とかはネットの世界に必要のないことなのでしょうか。
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躾けのタガ
若く、元気な時ほど惰眠(無駄にだらだらと寝ること)をむさぼるものです。
逆に、元気の無くなった年寄りは早く目覚めます。
若い頃の僕は年寄りの早起きが嫌でした。
自分が目覚めるから人も起こすのです。
その時の台詞がさらに神経を逆撫でします。
『もういい加減にしなさい。そんな事で確りと学生の義務が果たせますか』
寝るのと勉強にどんな関係があるんだ。と云う不満がおこるのです。
若い頃の睡眠は麻薬のようでした。
しびれるように心地よく、休みの日、やかましい
年寄りがいないときなど、まさに惰眠をむさぼり、
夕方まで寝ていた事も数え切れません。
今思えばあれは何であったのだろうと思います。
そんなある日、親から離れ単独アパートを借りていた友人の
そのタガの緩んだ生活に何か嫌悪感を持ったのです。
夜中に訪問しても問題なく招き入れてくれ、朝まで寝ずに遊んでも誰も構わない
そんな生活に疑問を持ったのです。
これは一生続ける生活ではない。こいつもいつかはもとの生活に戻るのだろう。
とは言えその秩序も規律もない自堕落な生活に恐ろしさを感じたのです。
恐ろしさと云うより罪悪感であったかも知れません。
明け方まで遊び、早朝に帰宅し、しばしの睡眠をとると声がかかり起こされる。
その生活は確かに堅苦しく、辛いのですが、
逆に心休まる思いがしたのはそれからでした。
たまに優しく「昨晩遅かったのだから正午まで寝なさい。」と云う
親の優しさほど罪悪感なしの自由をむさぼることが出来ました。
若く、自由奔放な年頃に秩序と規律が気になったのは、
いくら悪たれを突き親に逆らっても
親がめげずにそのソフトを子供に植え付けたからこそ、
それが少しずつ芽生え、自己管理の観念を持ったのだと確信します。
子供が聞こうが聞くまいが親は、
子供に何をすべきか言い続けることこそ躾けなのでしょう。
目覚め、顔を洗い、部屋を片付ける爽快感は誰にもある良心ではないでしょうか。
規律と秩序。
それは精神のタガを締めるベルトです。
締まらないのはだらしないのです。
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若い頃の睡眠は麻薬のようでした。
しびれるように心地よく、休みの日、やかましい
年寄りがいないときなど、まさに惰眠をむさぼり、
夕方まで寝ていた事も数え切れません。
今思えばあれは何であったのだろうと思います。
そんなある日、親から離れ単独アパートを借りていた友人の
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そんな生活に疑問を持ったのです。
これは一生続ける生活ではない。こいつもいつかはもとの生活に戻るのだろう。
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恐ろしさと云うより罪悪感であったかも知れません。
明け方まで遊び、早朝に帰宅し、しばしの睡眠をとると声がかかり起こされる。
その生活は確かに堅苦しく、辛いのですが、
逆に心休まる思いがしたのはそれからでした。
たまに優しく「昨晩遅かったのだから正午まで寝なさい。」と云う
親の優しさほど罪悪感なしの自由をむさぼることが出来ました。
若く、自由奔放な年頃に秩序と規律が気になったのは、
いくら悪たれを突き親に逆らっても
親がめげずにそのソフトを子供に植え付けたからこそ、
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子供が聞こうが聞くまいが親は、
子供に何をすべきか言い続けることこそ躾けなのでしょう。
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