キャッチ
凄い!とか新書のキャッチコピーなど目を通す
と興味深い言葉が目白押しです。
ー被災の心理学ー「人は何故逃げ遅れるのか。」
そんなキャッチを見たら無視しては大変な事になる気にさせられませんか。
中身を読ませて頂いてないのですが、
宣伝とか人にアピールするには先ずその才能がなければなりません。
ブログを読ませて頂きながらも非常に自然に吸い込まれるようなものもあれば、
一行読んだだけで様々な連想を引き出す文章もあります。
「オバサンは何故嫌われるのか」その一言で嫌なオバサン達が頭の中を駆け巡ります。
そしてこの人の云うオバサン像を読んで見たくなります。
しかし、それも全てが読み手の好みによる訳ですが、
一言加えます事は簡単明瞭で言葉が易しく、
難しい言葉を使っても判り易い物もありば意味が消えてしまうほど
訳が判らなくなる物もあります。
僕は重みを捨て、軽々しくならない程度にクラスを保つ方法を考えながら
表現しているつもりですが、
後で読み返しますと全部破棄してしまうものも結構あり、
日々の心境の変化に自分自身驚かされております。
一貫不惑、思いを貫く、ブレのない心、変わらぬ愛。
そんな言葉を好む反面、囚われない心を常に大切にしている自分がいます。
囚われることと、信念を守り抜くことは違うと思うのです。
僕の囚われない心とは、普遍を指します。守り抜く心は囚われの心ではありません。
むしろ自由でありそこから新たな観念の生まれるものなのです。
囚われる。即ち自由を失い、行き場を失って行くのです。
柔軟性の欠ける人に、華麗な上段への蹴りを無理矢理教え込むようなもので、
硬いならそのバネを活用して切り返しの蹴りを習得させるのに似ています。
お節介なオバサンも、世話好きなところを引き出せば良い人に即変換されるのです。
嫌われるばかりではありません。
物には表には、必ず裏があると云うことです。
葉隠塾 成嶋弘毅

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ブログの方に頂けましたら幸いです。
宜しくお願い致します。
と興味深い言葉が目白押しです。
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そんなキャッチを見たら無視しては大変な事になる気にさせられませんか。
中身を読ませて頂いてないのですが、
宣伝とか人にアピールするには先ずその才能がなければなりません。
ブログを読ませて頂きながらも非常に自然に吸い込まれるようなものもあれば、
一行読んだだけで様々な連想を引き出す文章もあります。
「オバサンは何故嫌われるのか」その一言で嫌なオバサン達が頭の中を駆け巡ります。
そしてこの人の云うオバサン像を読んで見たくなります。
しかし、それも全てが読み手の好みによる訳ですが、
一言加えます事は簡単明瞭で言葉が易しく、
難しい言葉を使っても判り易い物もありば意味が消えてしまうほど
訳が判らなくなる物もあります。
僕は重みを捨て、軽々しくならない程度にクラスを保つ方法を考えながら
表現しているつもりですが、
後で読み返しますと全部破棄してしまうものも結構あり、
日々の心境の変化に自分自身驚かされております。
一貫不惑、思いを貫く、ブレのない心、変わらぬ愛。
そんな言葉を好む反面、囚われない心を常に大切にしている自分がいます。
囚われることと、信念を守り抜くことは違うと思うのです。
僕の囚われない心とは、普遍を指します。守り抜く心は囚われの心ではありません。
むしろ自由でありそこから新たな観念の生まれるものなのです。
囚われる。即ち自由を失い、行き場を失って行くのです。
柔軟性の欠ける人に、華麗な上段への蹴りを無理矢理教え込むようなもので、
硬いならそのバネを活用して切り返しの蹴りを習得させるのに似ています。
お節介なオバサンも、世話好きなところを引き出せば良い人に即変換されるのです。
嫌われるばかりではありません。
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男と力と好きな生き方
僕は最初から、結局最期まで一人っ子として育ち成長して来ました。
だから人生最初に遭遇すると云うライバル(兄弟)がいなかったわけです。
良い例が、常に物は自分の為に与えられており、
分ち合ったりする習慣がなかったのです。
早い者勝ちの場合、いつもぼーっとしている間になくなっていました。
生存する為の競争心は持ち合わせなかったのです。
子供の頃千葉で育ちましたので、良く近所の子供達と磯に獲物を捕りに出掛けました。
皆見事に狩猟の技術に長け、短時間に食料を調達するのです。
都会から何も知らずに出て来た、
特に僕のように世慣れていない子供には過酷な競争でした。
子供達が集まり焚き火を囲み、酒盛りではないが、
子供達の漁の成果を見ながらの楽しい食事です。
タコあり、サザエあり、トコブシより大きなアワビに近い獲物を
自慢する子もいました。
僕ですか?残念ながら獲物は無く手ぶらです。
子供でも物欲しく思われたくなく、焚き火からとうざかり、
所在なくしていますと、「食べなよ」「良いよ悪いから」遠慮をすると、
「捕ればいくらでもあるんだから。」と云ってくれた
子の何と大きく、優しく力強く感じたことでしょう。
男は何でも出来なければ駄目だな。
人に施すことが出来るようになりたい。そんな事まで思いました。
そんな帰り道でした。多くは漁師の子供達で泳ぎも達者な子ばかりです。
また町の子達とは一寸違うのです。
あまり感じの良くない町の子達がたむろしていたので、嫌な予感をうけたのですが、
そのまま行き過ぎようとしたとき、
待てと呼び止められて僕に食べ物を捕ってくれた子が小突かれているのです。
他の子は遠くからそれを見ているだけです。
そうか、この子達は身体は丈夫だけれど良い子だけなんだ。
面白い、都会の子供がどんなものか見せてやろう。
そう思ったのです。
子供としては少しコンプレックスであった東京弁をわざとつかい、
喧嘩なら買ってやろう。
と進み出たのです。柔道や空手の技を習い、練習もしていたので、
田舎の子には負けない。そう思っていたのです。
確かにその子達以上に格闘に対する情報量はこちらが上です。
しかし、誰も手を貸してくれないのです。結局僕は突き飛ばされ、
蹴飛ばされてぼこぼこになりながら最期まで抵抗を止めませんでした。
どちらからとはなく、少しずつ散って行き、終りました。
それ以後、僕は獲物を捕らずに済みました。
その代わり何かあったら引き受ける用心棒になったのです。
家に帰り母に事の経緯を話しましたが、信じません。
地元の子の方が強いと思い込み、
僕はそれに比べ非力と思い込んでいたからです。
その時学んだ事。狩猟も、喧嘩も両方出切れば良いが、
男として必ず誇れる力は絶対条件だと思ったのです。
長じてからは経済力、統率力、その裏に一寸暴力。
武士道、それが僕の好きな生き方です。
葉隠塾 成嶋弘毅

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生存する為の競争心は持ち合わせなかったのです。
子供の頃千葉で育ちましたので、良く近所の子供達と磯に獲物を捕りに出掛けました。
皆見事に狩猟の技術に長け、短時間に食料を調達するのです。
都会から何も知らずに出て来た、
特に僕のように世慣れていない子供には過酷な競争でした。
子供達が集まり焚き火を囲み、酒盛りではないが、
子供達の漁の成果を見ながらの楽しい食事です。
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自慢する子もいました。
僕ですか?残念ながら獲物は無く手ぶらです。
子供でも物欲しく思われたくなく、焚き火からとうざかり、
所在なくしていますと、「食べなよ」「良いよ悪いから」遠慮をすると、
「捕ればいくらでもあるんだから。」と云ってくれた
子の何と大きく、優しく力強く感じたことでしょう。
男は何でも出来なければ駄目だな。
人に施すことが出来るようになりたい。そんな事まで思いました。
そんな帰り道でした。多くは漁師の子供達で泳ぎも達者な子ばかりです。
また町の子達とは一寸違うのです。
あまり感じの良くない町の子達がたむろしていたので、嫌な予感をうけたのですが、
そのまま行き過ぎようとしたとき、
待てと呼び止められて僕に食べ物を捕ってくれた子が小突かれているのです。
他の子は遠くからそれを見ているだけです。
そうか、この子達は身体は丈夫だけれど良い子だけなんだ。
面白い、都会の子供がどんなものか見せてやろう。
そう思ったのです。
子供としては少しコンプレックスであった東京弁をわざとつかい、
喧嘩なら買ってやろう。
と進み出たのです。柔道や空手の技を習い、練習もしていたので、
田舎の子には負けない。そう思っていたのです。
確かにその子達以上に格闘に対する情報量はこちらが上です。
しかし、誰も手を貸してくれないのです。結局僕は突き飛ばされ、
蹴飛ばされてぼこぼこになりながら最期まで抵抗を止めませんでした。
どちらからとはなく、少しずつ散って行き、終りました。
それ以後、僕は獲物を捕らずに済みました。
その代わり何かあったら引き受ける用心棒になったのです。
家に帰り母に事の経緯を話しましたが、信じません。
地元の子の方が強いと思い込み、
僕はそれに比べ非力と思い込んでいたからです。
その時学んだ事。狩猟も、喧嘩も両方出切れば良いが、
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摂理とは、なるようにしかならない事
『摂理なの、それとも煩悩』
判っていながらされど悩み苦しみ、
ジタバタしてしまうのが人間と思いつつもなお惑わされます。
人間に満足と云うものがあるのでしょうか。ありません。ぼくはそう答えます。
あってもそれは一瞬で形を変えてしまいます。留まらないのです。
所詮誰もが本当の自分を知らずにあたふたするだけなのです。日替わりで変わる
周囲の価値感にも気付かない可哀想な動物なのです。従って満足も日替わりです。
不満もその時の気分次第で、放っておけば消えたりもします。
だからこそ、 『好かぬ事をして暮らすは愚かなり』と、
葉隠でも語り教えてくれています。
満足、不満。幸せ、不幸。これすべて、その時の自分の状況や判断次第なのです。
昨日までの好みも今日から変わってしまうことがあるように。
だから、なにも否定せず、更に心に定めて変えてはならないなど、考えないこと
です。軸を持たないのではなく、何ごとにも囚われない自分を確保することです。
生き方に寄って人は変わるからですから。要は、変化を迎えざるを得ない場合、
瞬時にしてそれを決めるのが、
これまた葉隠で云う『二つ二つの場にて早く死ぬ方に片付くばかり』なのです。
今がその時、その時が今の場合、理屈も思案も何の効果もありません。
早く死ぬとは、判断しろに変換してご理解下さい。上の意味は二者択一の場に立っての
判断はさっさとやれ。その一言なのです。迷いを消すおまじないです。
摂理とは、そう云う性格なものであると、最近つくづく思うようになりました。
熟慮したから名案であり、そうでないなら不安ではないのです。
極端に言い切ってしまえば、結果は何れにしろ受け入れなければならない事実であり、
拒否出来ないのが摂理なのです。ならば、腹を据えて進むだけです。下手な考え休むに
似たり。そのことです。
葉隠塾 成嶋弘毅

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所詮誰もが本当の自分を知らずにあたふたするだけなのです。日替わりで変わる
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不満もその時の気分次第で、放っておけば消えたりもします。
だからこそ、 『好かぬ事をして暮らすは愚かなり』と、
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満足、不満。幸せ、不幸。これすべて、その時の自分の状況や判断次第なのです。
昨日までの好みも今日から変わってしまうことがあるように。
だから、なにも否定せず、更に心に定めて変えてはならないなど、考えないこと
です。軸を持たないのではなく、何ごとにも囚われない自分を確保することです。
生き方に寄って人は変わるからですから。要は、変化を迎えざるを得ない場合、
瞬時にしてそれを決めるのが、
これまた葉隠で云う『二つ二つの場にて早く死ぬ方に片付くばかり』なのです。
今がその時、その時が今の場合、理屈も思案も何の効果もありません。
早く死ぬとは、判断しろに変換してご理解下さい。上の意味は二者択一の場に立っての
判断はさっさとやれ。その一言なのです。迷いを消すおまじないです。
摂理とは、そう云う性格なものであると、最近つくづく思うようになりました。
熟慮したから名案であり、そうでないなら不安ではないのです。
極端に言い切ってしまえば、結果は何れにしろ受け入れなければならない事実であり、
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映画と音楽と食
僕は昭和の17年生まれで、西暦では1942年です。
戦争で東京から千葉の御宿に疎開したのですが、
小学校に上がってからも暫くはそこで暮らしました。
子供に取っては都内よりも住みやすかったのは確かです。
弓矢で鳥を射ったり、魚釣りや潜りは楽しい遊びでした。
しかし、それも後半の50年代に入る頃には変わりました。
何故ならば、映画が黄金時代を迎えたからです。
西部劇にチャンバラ映画、子供の心を捉えてはなしません。
ジョンウェインのボタンとリボン。
アランラッドのシェーン、ゲリークーパーの真昼の決闘。
さらに邦画ではチャンバラ映画の全盛期です。
そうです。そこら辺りが僕の武士道の目覚めであったかも知れません。
戦後も暫くはそこに腰を落ちつけたため、
用のない限りは僕はそこに女中さんと放っておかれたのですが、
上京する毎、新たな発見がありました。
食べたいと思いながらも売ってないので我慢してたのが、
西部劇に出て来る分厚いステーキ肉です。
好き焼き用のスライスが肉の主流、塊で置いてあるものを好きな厚さに
切ってもらえるのか聞いてもらいますと、答えは「出来ます」でした。
そこで、母に頼み手で大きさと厚さを示し切ってもらったのです。
気のせいかは母あまり良い顔はしませんでした。
多分高かったのでしょう。喜び勇んで帰宅し、早速焼いて食べたのです。
勿論ナイフとフォークを使っての食事です。満足でした。
それから暫くしてまたおねだりをし、また上京しました。
今度は何処のオモチャ屋さんにもなかった筈の映画とそっくりのピストルと、
ガンベルトまでが売っているのです。それは銀座でした。
何とそれも屋台の露天商が売っていたのです。
暫くして美観を損ねるためそれは銀座から取り払われましたが、
そこは、子供に取っての宝の山でした。その露天商が移った先がアメ横の始まりです。
云うまでもなく、その二点を母に買わせました。
又もや母の顔に笑顔はありません。
そんなこんなの違いを認識すれば、もういくら快適と云えども田舎は無理です。
毎週、封切る映画も見なければならないわけですから。
上京の条件として、今以上に英語の勉強をする。だからアメリカの西部劇を見るのは必須。
交渉成立です。さて、戦後の東京での楽しい生活の始まりでした。
これには更に続きがあります。お楽しみに。
葉隠塾 成嶋弘毅

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そうです。そこら辺りが僕の武士道の目覚めであったかも知れません。
戦後も暫くはそこに腰を落ちつけたため、
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西部劇に出て来る分厚いステーキ肉です。
好き焼き用のスライスが肉の主流、塊で置いてあるものを好きな厚さに
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そこで、母に頼み手で大きさと厚さを示し切ってもらったのです。
気のせいかは母あまり良い顔はしませんでした。
多分高かったのでしょう。喜び勇んで帰宅し、早速焼いて食べたのです。
勿論ナイフとフォークを使っての食事です。満足でした。
それから暫くしてまたおねだりをし、また上京しました。
今度は何処のオモチャ屋さんにもなかった筈の映画とそっくりのピストルと、
ガンベルトまでが売っているのです。それは銀座でした。
何とそれも屋台の露天商が売っていたのです。
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そこは、子供に取っての宝の山でした。その露天商が移った先がアメ横の始まりです。
云うまでもなく、その二点を母に買わせました。
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毎週、封切る映画も見なければならないわけですから。
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おしらせします
お世話になります。
いつもブログや著書へ励ましのお言葉頂戴しており、ありがとうございます。
お知らせですが、皆様のご支援を頂き、著書の知名度も上がり、
今回は
月刊 「秘伝の6月号」の131ページに
サムライの言葉の書評を載せて頂きましたので、
機会がございましたら是非ご覧頂きたく存じます。
常々、ご支援のこと感謝致しております。
ありがとうございます。
葉隠塾 成嶋弘毅
2011年5月19日
いつもブログや著書へ励ましのお言葉頂戴しており、ありがとうございます。
お知らせですが、皆様のご支援を頂き、著書の知名度も上がり、
今回は
月刊 「秘伝の6月号」の131ページに
サムライの言葉の書評を載せて頂きましたので、
機会がございましたら是非ご覧頂きたく存じます。
常々、ご支援のこと感謝致しております。
ありがとうございます。
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2011年5月19日