日本空手道 葉隠塾東京本部 瞬機必殺の理 -358ページ目

義理と人情への定義

人との付き合いの中、自然に出来た義理。例えばなりゆき上、
就職の切っ掛けを作り、仕事を決めたり。
お得意様を紹介したとかがそれである。


義理とは厳密に云えば、掛けられたらそれを大切に守り、
機会があれば報いることも義理への恩返しである。
それは返し切れない恩義とされ、有り難く感謝し続けるものでもある。


その中でも自分が困った時、
かけてもらった恩義はこれはまた恩の中でもステージが高く、
相手にもリスク負わせている為、返しても返し切れない一生の義理となります。

簡単な説明をすれば、どうにもならない追い詰められた状況に、
リスクも顧みず助けて下さった方への言い尽くせない恩義なのです。


ただし、この”義”は状況を見かねて申し出て頂いた行為でなくてはなりません。
自分から持ちかけた援助依頼であってはこの義に叶いません。


その事への説明は次の例を挙げて初めて伝わるお互いの
(与える方、与えられる方)義理となります。


貴方は友達が窮地に立っているのを見たら無条件で助け、援助しますか。
また逆に、相手にも迷惑を及ぼすであろう頼みを大切な理解者や友人を頼り、
依頼することが出来ますか。


頼りにされながらそれを断る。
無理すれば出来ない事でもないものを自分の都合で受けない。
そんな考えが頭に浮かんだら先ずそれを打ち消すべきです。

気持ちの通った友、
理解して後押ししてくれる先輩や力添えしてくれる方々を称し、
人脈と云います。
人脈とは本来支えになって頂くだけに留め、
利用してはならない間柄であると初めに心得なければなならいのです。


特に相手に負担をかける事であってはなりません。
例えば金銭の貸借関係などがそうです。

人脈は利用した時点で、単なる仕事上のコネクションに堕ちるのです。
利用し、利用され、悪くすれば罵り合う結果を招く、卑しい心の応酬に過ぎません。


実は、人から支持されるだけでも大変に有り難いことなのです。
あの男ならば間違いはない。
あの人に限って悪い事をする訳がない。
あの人ならば大丈夫。
そう信じてくれる人はそうそういません。


貴方はそんな方々に万が一にも迷惑をかけられますか。
出来ないはずです。
それが実の人脈なのです。


相手への負担をかけないその”義”を常に頭に置きましょう。
それは掛けられてもならないものです。


さらに、義理とは返し切れない恩義と定義されておりますが、

「やって上げた。」「忘れたのか。」「こんなに思ってやったんだぞ。」

それは思っても云ってもならない悪声(誹謗中傷)となります。
ならば初めからなすべき事ではなかったのです。
それは好意ではなく損得の取引です。

なお、日常心掛けながらも不義理を重ねるのが浮き世の義理です。
冠婚葬祭、心に置きながらも守れていないことが良くあります。

葬式、行けない場合は必ずその人を想い祈りを捧げるのです。

お祝いごと、出席も贈り物も出来ない時は、
これまた葉書の一言でも良いのです。
こまめに尽くしましょう。それだけで心が晴れ、相手にも通じます。
心を大切に扱いましょう。

文章も飾らず心を伝えるだけで良いのです。
反対側から見て、自分がされなかったら、
また、されたらどんなに辛いであったろうと思う事はしてはならず、
為すべきは果たすべきです。

受けた好意、相手が自分に及ぼさずに済んだ迷惑。
それら全てに感謝出来る素直で正直な心こそ
持ち続けなければならない日本人が大切にして来た人情だとつくずく思います。

これが僕の義理と人情への定義です。


葉隠塾  成嶋弘毅


にほんブログ村 格闘技ブログ 空手へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ
人気ブログランキングへ


ブログをご覧下さる方々へのお願い;
葉隠塾ホームページ http://www.yoin-juku.com/

コラム&武士道の欄を設けております。
ご覧下さいました方よりコメントなりメッセージを
ブログの方に頂けましたら幸いです。

宜しくお願い致します。






媚び追従

人が世に出て自分の能力を示す為にする行為があります。
権力者や有力者に対し、最も多く使われる手法に媚び追従があります。


それは、自分を売り込む手段として相手に気に入られることが
肝要と誤解することです。
気に入られ、目をかけられればステップアップの可能性も広がる
と云う当たり前の事が人間を無意識の内に卑しい行動に
駆り立て目的を果たす手段(正義)と思い込み始めるのです。


それがまた見事に功を奏することがあるのです。
権力者の多くは響きの良くない反省を押し付けられることは好まず、
聞き心地の良い媚び追従を喜ぶものです。


貴方はもしかすると自分は違う。
そう思っておられるでしょう。
それは貴方だけではありません。


自分は常に公平であり、
例え耳に痛くとも喜んでその進言や忠告を聞き入れて来た。
そう信じているものです。
実は聞き入れたい事だけ聞き入れたとは思ってないのです。

さらに、ご自分が紳士であり事の判る人間と思われている方ほど
その実、平気で人に失礼な行為をしているものです。
権力者に誰が「あなたの人に対するやり方は失礼ですよ。」など
云ってくれると思いますか。

誰もいません。
せいぜい身内でしょうが、それも貴方は口を塞がせている筈です。
都合が悪いからです。
人間は都合の悪い事は伏せます。
隠してしまいます。
そうしながらも自分では心の中でその行為を正当化するのです。
自分は相手を思い、してやったが、相手がそれに従わないのであるから
自分が礼を尽くす必要はもうないのだ。
そう都合良く処理してしまうものです。


媚び追従を良しとする人間は、虐待を受けても意に介しません。
逆に勇んでそれを頂戴するのです。
その仕草を傍から見れば何と不名誉な行為でしょうか、
そっと隠して上げたい気持ちになりますが、
それを与えている方も受けている方も悪い気をしている様子はありません。

感性が違うのです。
またはそれをしている自分を客観視できず、
従って恥ずかしい行為などと云う観念も消えているのです。


貴方はそんな事はした覚えはない。
する筈はないとおっしゃるでしょう。
しかし、多かれ少なかれ人間はそのような行為をしながら生きているのです。
冷静に考えて見ましょう。

そうなのです。
あの時の貴方はそれをしていたのです。
彼女に心を受け入れられようとあのとき貴方が云った言葉を人前で話せますか。
彼女の心を得たい思いが先に立ち、それを貴方に云わさせるのです。
人間こそどの生き物以上に恥ずかしく、惨たらしい生き物なのです。
目の前にご馳走を見せられお預けを食らった
犬が垂らすヨダレを卑しいとは云えないのです。

自分もそうだからです。
まず、自惚れた自分を知りましょう。何故ならば自惚れない人間はいないからです。
それにいち早く気付き、卑しい行為から遠うざかる自分を見付けましょう。

サムライはその心を見栄に切り替えて示しましたがそれだけではまだ足りないのです。
極端な言い方をしましたが、間違っても人間が崇高などと思い上がっては行けません。

底から這い上がってこそ、目指す人間になれるのだと思っています。
人間は人間として失格しながら更に思い上がる生き物と認めたくないあがきかも知れません。
いま、この思いを一冊の本にしようと考えております。

ご支援いただけるか、あきれ果てられるのかそれも又自分だと思っています。

葉隠塾  成嶋弘毅


にほんブログ村 格闘技ブログ 空手へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ
人気ブログランキングへ


ブログをご覧下さる方々へのお願い;
葉隠塾ホームページ http://www.yoin-juku.com/

コラム&武士道の欄を設けております。
ご覧下さいました方よりコメントなりメッセージを
ブログの方に頂けましたら幸いです。

宜しくお願い致します。

講演の企画のお知らせ

ブログを通し皆様に親しんで頂いております僕の記事ですが、
ご存知の通り文章と喋り言葉での伝わるニュアンスは変わって来ます。


いま、考えておりますことは、今後我々が残すべきことは、
過去の日本人の思いと感覚です。
教育とか難しい事ではなく観念的なものです。

不思議といくら若くても感覚はそれなりに受けとめてくれるのです。
小学一年生から大学卒業までを何人か指導して来ました。
僕の希望観測だけとも思えない生き方をその弟子達はしてくれます。


空手道の術技は勿論のこと、その精神に置いても口伝して参りました。
最も多く語りましたのは仁義礼智信。五条の徳です。

中でも仁は人情とし、義は守るべき生き方として、
礼は形だけのものではなく心でした。
智は各々の備えた能力を伝えて来ました。
信は、信頼に価する誠意の見せ方に絞りました。


実は、ブログでも多少内容は違いますがその徳目の繰り返しなのです。
良く観察して下さい。
劇場映画も同じような事を昔から形をかえ伝え続けています。

今回僕が企てておりますのは、
30人から50人単位の、昼食をはさんだディスカッションを兼ねた講演です。

今年、出来れば夏頃までに開きたく思っております。
そこで皆様の中でこのような企画に
興味をお持ちの方のご意見を伺いたいのです。


出席者は武術家に限りません。
武士道精神やその生き方に興味をお持ちであれば、当然性別も職業も問いません。
空手も流派は度外視しております。
空手ばかりではなく、他武道、格闘技も大歓迎です。

ビジネスに携わる方もその生き方において男女共に変わりはないと思っております。

僕のお勧めしております武士道を伝えて行く為の講演活動などを地方にも向けて
盛んに行ってゆきたいと思っております。

葉隠塾のHPで「一門会」の欄を開きご覧頂けますればご理解出来るかと思います。

いかがでしょうか。
是非、この件に関しご意見とお支援を賜りたく存じます。

宜しくお願い致します。


葉隠塾  成嶋弘毅


にほんブログ村 格闘技ブログ 空手へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ
人気ブログランキングへ


ブログをご覧下さる方々へのお願い;
葉隠塾ホームページ http://www.yoin-juku.com/

コラム&武士道の欄を設けております。
ご覧下さいました方よりコメントなりメッセージを
ブログの方に頂けましたら幸いです。

宜しくお願い致します。

一瞬の忘れ難い思い出

一人稽古の楽しさは、好きな人間でなければ判らない。
比較対象のないだけつまらなさは確かにある。
しかし、それを上回る楽しさにも溢れているのです。


まだ、30代の前半にカナダでの単身赴任のおり、
仕事を終え帰宅し食事が終ると実に時間が余る。
その時間を空手の練習に当てたのです。
柔軟、基本から型とつなぎ今度はミットの変わりに
樹木への突き込みと蹴り込みを反復する。
突き込みだが、杉は皮が巻き藁状態になり、実に心地が良かった。
しかし、木には大変迷惑をかけた。何年も同じ木を突き続けていれば必ず枯れただろう。


30~40センチの木にミットをくくり付けての回し蹴りだが、
細い方が撓うので蹴り心地が良い。
下段をスネで蹴り込むと上の葉が揺れ手応えを感じる。
また細い木は直角に後ろ蹴りを当てる練習には最適なのである。
いくら細くても立ち木。
直角に当たればこちらがはね返されるのは当たり前で、
インパクト時には軽く曲げたままで当てた。
後ろ回し風に中段を蹴る練習は多いに役立った。
人間に当てる感触に似ている。


また、葉の大きな木を見付けては上段と中段の回し蹴りで葉を
破く気でスピードを重視し、行ったが中々破れなかった。
正拳、縦拳、カギ突きと試みたがこれも又一度も葉が破けることはなかった。
突きも蹴りも思ったほどのスピードが出ないのだ。
しかし、確実に回を重ねるほど当たる音がシャープになって来たのは楽しかった。
いずれ葉が破ける期待も出来た。


汗が流れ出し、周囲も静まり返っている早春のカナダの夜。
ライトに浮かび上がった自分の姿は好ましかった。
丁度アパートのゴミ捨て場が近く、餌をあさりに来るアナグマは
ぼくの練習のギャラリーだった。
何と思って見ていたのか怖がる様子もなかった。
そんな訳で時々来てくれる事を祈りつつ残った食べ物を与えていた。


練習を終え、入浴してクールダウンした後眠りにつくのは至福の時だ。
空手があり、健康で若い肉体は当たり前と思っていたが、
今考えると幸せなことであったと思う。


それは、ほんのちょっとした修行の思い出である。白い道衣に黒い帯。
僕の誇りの象徴であった。

懐かしい思い出の一瞬である。


葉隠塾  成嶋弘毅


にほんブログ村 格闘技ブログ 空手へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ
人気ブログランキングへ


ブログをご覧下さる方々へのお願い;
葉隠塾ホームページ http://www.yoin-juku.com/

コラム&武士道の欄を設けております。
ご覧下さいました方よりコメントなりメッセージを
ブログの方に頂けましたら幸いです。

宜しくお願い致します。

攻防

8歳の時の修行。

あの頃(1950年昭和の25年)の僕は
強くなる事が凄いと、思っていました。

今ならば親が許す訳もないことですが、
相撲場所がラジオで放送し始めるとすぐ、
思いついたように子供達はアスファルトに蝋石で丸を書き、
それを土俵に見立て相撲をとるのです。


近所の腕自慢の子供達が集まり、相撲が始まります。
考えて見れば大変危ない競技です。
アスファルトの上に投げられ、倒されるわけです。
ところが子供達は馴れており、膝や肘が擦り剥け血が出ていても痛い
とも云いませんでした。何故でしょう。判りません。

投げらられれば当然痛いのですが、
投げる方も又投げられる方もあまり怪我さえしないのです。

そこで、いつの間にか横綱も決まり、大関も関脇も出来ます。
子供心にそれは大変興味のあるところです。
やはり強いと云うだけで尊敬されるのです。
お菓子や、ベーゴマ、面子などの貢ぎ物さえあるのです。


中でも身体の大きな子はそれだけでアドバンテージがありました。
しかし、昔は今よりもなお、判官贔屓(弱いものに肩入れすること)が強く、
でかくて強い子はあまり人気がありません。
そこに行くとチビであった僕などは、一寸投げれば拍手喝采を受けました。
ところが、滅多にそう云う機会はありません。
出ると負け状態が続き、悔しくて仕方無いとき、近所の子で、
ひょろっとして痩せぽちなのですが強い子がいたのです。
大きな子も寄り切りではなく投げるのです。
当然人気もありました。
町のヒーローです。


そこで、まず貢ぎ物を用意し、尋ねたのです。
◎◎ちゃん、遊びましょ。だっっと思います。
その子が出て来るとすぐ、僕にお相撲を教えて欲しいと頼んだのです。
弟子入りです。
えっ、教えるなんて、と子供らしくなく照れるのを構わず、お願い、教えて。
と畳み込み納得させました。


そこで聞かされた事に関心しました。
何故、僕が勝つ時は投げなのか。
それは力も体重もないので相手の物を借りて相撲するから。
寄り切りでは勝てない。と答えるのです。
押されたら押し返す振りをしてチャンスを伺いながら土俵ぎりぎりまで残り、
反り返りながら相手を腹に乗せ右か左に打棄るのです。
その子の打棄りは判っていても乗ってしまうのです。


さらに一つ、得意技を伝授されました。
それも非力な子が強力な相手を投げる技です。
外無双。やはりこれも力任せに寄って来る相手の虚をつき投げる技です。
右四つに組み、後退します。
相手が右、左と送る足のまで浮いている瞬間に外側から
手で苅りながら腕を引く技です。
左の腕で相手の右腕を引き、同時に右も手で相手の右足を外から苅るのです。
押して来る、腕を引き手で足を苅る動作が一発で極ると
物の見事に相手の身体は宙に浮くのです。


そんな特別練習を重ねるうち、
その子には決まらないので仲間の中に戻りやって見ました。
最初に試したのは打棄りです。
見事きまりでかい相手が浮いて落ちるのが絵のように見えたのです。
笑顔がとまらず困りました。
それだけ嬉しかったのです。

それからも勝ち進み、外無双を試して見たのです。
これは正にクルッと相手が回転し背中から落ちるのです。
もうたまらなく嬉しくて仕方ありませんでした。

それから暫くして僕に付いたあだ名が講道館でした。
そのとき観念に残ったことは、やれば出来る。
先生が良ければ練習さえすれば必ず強くなれる。でした。


葉隠塾  成嶋弘毅


にほんブログ村 格闘技ブログ 空手へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ
人気ブログランキングへ


ブログをご覧下さる方々へのお願い;
葉隠塾ホームページ http://www.yoin-juku.com/

コラム&武士道の欄を設けております。
ご覧下さいました方よりコメントなりメッセージを
ブログの方に頂けましたら幸いです。

宜しくお願い致します。