攻防
8歳の時の修行。
あの頃(1950年昭和の25年)の僕は
強くなる事が凄いと、思っていました。
今ならば親が許す訳もないことですが、
相撲場所がラジオで放送し始めるとすぐ、
思いついたように子供達はアスファルトに蝋石で丸を書き、
それを土俵に見立て相撲をとるのです。
近所の腕自慢の子供達が集まり、相撲が始まります。
考えて見れば大変危ない競技です。
アスファルトの上に投げられ、倒されるわけです。
ところが子供達は馴れており、膝や肘が擦り剥け血が出ていても痛い
とも云いませんでした。何故でしょう。判りません。
投げらられれば当然痛いのですが、
投げる方も又投げられる方もあまり怪我さえしないのです。
そこで、いつの間にか横綱も決まり、大関も関脇も出来ます。
子供心にそれは大変興味のあるところです。
やはり強いと云うだけで尊敬されるのです。
お菓子や、ベーゴマ、面子などの貢ぎ物さえあるのです。
中でも身体の大きな子はそれだけでアドバンテージがありました。
しかし、昔は今よりもなお、判官贔屓(弱いものに肩入れすること)が強く、
でかくて強い子はあまり人気がありません。
そこに行くとチビであった僕などは、一寸投げれば拍手喝采を受けました。
ところが、滅多にそう云う機会はありません。
出ると負け状態が続き、悔しくて仕方無いとき、近所の子で、
ひょろっとして痩せぽちなのですが強い子がいたのです。
大きな子も寄り切りではなく投げるのです。
当然人気もありました。
町のヒーローです。
そこで、まず貢ぎ物を用意し、尋ねたのです。
◎◎ちゃん、遊びましょ。だっっと思います。
その子が出て来るとすぐ、僕にお相撲を教えて欲しいと頼んだのです。
弟子入りです。
えっ、教えるなんて、と子供らしくなく照れるのを構わず、お願い、教えて。
と畳み込み納得させました。
そこで聞かされた事に関心しました。
何故、僕が勝つ時は投げなのか。
それは力も体重もないので相手の物を借りて相撲するから。
寄り切りでは勝てない。と答えるのです。
押されたら押し返す振りをしてチャンスを伺いながら土俵ぎりぎりまで残り、
反り返りながら相手を腹に乗せ右か左に打棄るのです。
その子の打棄りは判っていても乗ってしまうのです。
さらに一つ、得意技を伝授されました。
それも非力な子が強力な相手を投げる技です。
外無双。やはりこれも力任せに寄って来る相手の虚をつき投げる技です。
右四つに組み、後退します。
相手が右、左と送る足のまで浮いている瞬間に外側から
手で苅りながら腕を引く技です。
左の腕で相手の右腕を引き、同時に右も手で相手の右足を外から苅るのです。
押して来る、腕を引き手で足を苅る動作が一発で極ると
物の見事に相手の身体は宙に浮くのです。
そんな特別練習を重ねるうち、
その子には決まらないので仲間の中に戻りやって見ました。
最初に試したのは打棄りです。
見事きまりでかい相手が浮いて落ちるのが絵のように見えたのです。
笑顔がとまらず困りました。
それだけ嬉しかったのです。
それからも勝ち進み、外無双を試して見たのです。
これは正にクルッと相手が回転し背中から落ちるのです。
もうたまらなく嬉しくて仕方ありませんでした。
それから暫くして僕に付いたあだ名が講道館でした。
そのとき観念に残ったことは、やれば出来る。
先生が良ければ練習さえすれば必ず強くなれる。でした。
葉隠塾 成嶋弘毅

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あの頃(1950年昭和の25年)の僕は
強くなる事が凄いと、思っていました。
今ならば親が許す訳もないことですが、
相撲場所がラジオで放送し始めるとすぐ、
思いついたように子供達はアスファルトに蝋石で丸を書き、
それを土俵に見立て相撲をとるのです。
近所の腕自慢の子供達が集まり、相撲が始まります。
考えて見れば大変危ない競技です。
アスファルトの上に投げられ、倒されるわけです。
ところが子供達は馴れており、膝や肘が擦り剥け血が出ていても痛い
とも云いませんでした。何故でしょう。判りません。
投げらられれば当然痛いのですが、
投げる方も又投げられる方もあまり怪我さえしないのです。
そこで、いつの間にか横綱も決まり、大関も関脇も出来ます。
子供心にそれは大変興味のあるところです。
やはり強いと云うだけで尊敬されるのです。
お菓子や、ベーゴマ、面子などの貢ぎ物さえあるのです。
中でも身体の大きな子はそれだけでアドバンテージがありました。
しかし、昔は今よりもなお、判官贔屓(弱いものに肩入れすること)が強く、
でかくて強い子はあまり人気がありません。
そこに行くとチビであった僕などは、一寸投げれば拍手喝采を受けました。
ところが、滅多にそう云う機会はありません。
出ると負け状態が続き、悔しくて仕方無いとき、近所の子で、
ひょろっとして痩せぽちなのですが強い子がいたのです。
大きな子も寄り切りではなく投げるのです。
当然人気もありました。
町のヒーローです。
そこで、まず貢ぎ物を用意し、尋ねたのです。
◎◎ちゃん、遊びましょ。だっっと思います。
その子が出て来るとすぐ、僕にお相撲を教えて欲しいと頼んだのです。
弟子入りです。
えっ、教えるなんて、と子供らしくなく照れるのを構わず、お願い、教えて。
と畳み込み納得させました。
そこで聞かされた事に関心しました。
何故、僕が勝つ時は投げなのか。
それは力も体重もないので相手の物を借りて相撲するから。
寄り切りでは勝てない。と答えるのです。
押されたら押し返す振りをしてチャンスを伺いながら土俵ぎりぎりまで残り、
反り返りながら相手を腹に乗せ右か左に打棄るのです。
その子の打棄りは判っていても乗ってしまうのです。
さらに一つ、得意技を伝授されました。
それも非力な子が強力な相手を投げる技です。
外無双。やはりこれも力任せに寄って来る相手の虚をつき投げる技です。
右四つに組み、後退します。
相手が右、左と送る足のまで浮いている瞬間に外側から
手で苅りながら腕を引く技です。
左の腕で相手の右腕を引き、同時に右も手で相手の右足を外から苅るのです。
押して来る、腕を引き手で足を苅る動作が一発で極ると
物の見事に相手の身体は宙に浮くのです。
そんな特別練習を重ねるうち、
その子には決まらないので仲間の中に戻りやって見ました。
最初に試したのは打棄りです。
見事きまりでかい相手が浮いて落ちるのが絵のように見えたのです。
笑顔がとまらず困りました。
それだけ嬉しかったのです。
それからも勝ち進み、外無双を試して見たのです。
これは正にクルッと相手が回転し背中から落ちるのです。
もうたまらなく嬉しくて仕方ありませんでした。
それから暫くして僕に付いたあだ名が講道館でした。
そのとき観念に残ったことは、やれば出来る。
先生が良ければ練習さえすれば必ず強くなれる。でした。
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