日本空手道 葉隠塾東京本部 瞬機必殺の理 -363ページ目

白洲次郎夫妻の武相荘

連休のある日、鶴川にある白洲次郎及び正子夫妻の残したお住まいを訪問した。
そこは有料で入場させている。

今の時期、ツツジで被われたアプローチが綺麗に門を飾っていた。

葉隠塾 成嶋弘毅-P1000651.jpg


なるほど白州氏ご夫妻の著者からも伺える佇まいであった。
名前も武相荘(無愛想)和洋折衷の日本家屋。
されど日本色の濃いお住まいだった。


当時は今より更に都内から離れた閑静と云うよりへんぴな処であったろう。
そこで、日本の将来やらご自分の将来を自由に大らかに考えておられたのだろうか。


そんな思いでお住まいを見学させて頂いた。


氏は僕の範とする生き方をされた方でもある。戦前、英国のケンブッリッジ大学に学び、
好きな車を駆ってヨーロッパを巡り、自由を謳歌された方です。


戦前に帰国、戦後は吉田茂総理大臣の下で国家の為に奔走し、
GHQとの間でその語学力を駆使し、日本の誇りを守ることに奔走した方でもある。


その後様々な要職に就き、晩年は軽井沢でゴルフクラブの理事をされた。
その時のエピソードでこんな事がありました。
時の総理大臣が、そのクラブでのプレーを希望して来た時。
例え何処のどなたさまでも会員でない方のプレーは認められないと、
権力におもねる事なく断ったようなへそ曲がりでもありました。


ある人が言いました。『ええ。私が元気なのは人を食って生きているからです』では
白洲氏もまた人を食って生きていたのではないでしょうか。


原理原則(Principle)を守り、
日本人としての矜持を忘れずに生きた氏は武人ではないが、
まさに英雄であったと思います。さらにサムライでもありました。


お年を召されてからもお洒落でハンサムであった幸せな方です。

葉隠塾 成嶋弘毅-P1000656.jpg




果たして、自分は氏の半分でも幸せな生涯を全う出来るのでしょうか。


そんな事を頭に氏を偲び、辺りを歩いて見た連休の一日でした。



葉隠塾  成嶋弘毅


にほんブログ村 格闘技ブログ 空手へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ
人気ブログランキングへ


ブログをご覧下さる方々へのお願い;
葉隠塾ホームページ http://www.yoin-juku.com/

コラム&武士道の欄を設けております。
ご覧下さいました方よりコメントなりメッセージを
ブログの方に頂けましたら幸いです。

宜しくお願い致します。

今TBSで放映中のテレビドラマ仁(ジン)、これは時代としては江戸。
しかし現代とのミックスで純然たる時代劇とも云えません。

そこで描かれております武士道は、正に題名通り仁です。


その仁も、武士の専売ではなく、
日本人全体の義理人情に近いものだと受けとめています。
生殺与奪、専制の恐ろしい武士道とは違い、人を思い愛する仁愛なのです。


その中でもサムライ特有の競争心から来る専制はあれど、
仁愛がそれを制して行く物語。
しかし、下町の人情物的なのともまた違うのです。


行儀の良い、秩序も規律も備えた日本人好みの物語に創られており、
現代人の心も充分捉えるからこそ
続編の放送が決まったのではないかと思います。


医学でも、現代とは少し違って収入と肩書きに象徴される
経済的背景は何処にも感じさせません。


それに引き換え、奉仕、人助け、それに命がけになる医者達の誠意。
まさに問われる医者の理想像を見ることに心地よさを
我々は感じているのではないでしょうか。
物語での恋にも、義理人情が含まれているのです。


仁術である医学、仁愛、心の豊かさを教えられる心地よい物語だと思います。
勿論優秀な医者が貧乏であってはなりません。
しかし、経済的豊かさを凌ぐ豊かさを我々はいつも心で望んでいるのです。


これは、僕も毎週楽しみにしている番組です。


葉隠塾  成嶋弘毅


にほんブログ村 格闘技ブログ 空手へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ
人気ブログランキングへ


ブログをご覧下さる方々へのお願い;
葉隠塾ホームページ http://www.yoin-juku.com/

コラム&武士道の欄を設けております。
ご覧下さいました方よりコメントなりメッセージを
ブログの方に頂けましたら幸いです。

宜しくお願い致します。

親子二人の夢の始末記

いままで自分の意志で息子の事を語ることはありませんでしたが、
この思いを最期に紹介させて頂きます。


息子の成嶋竜を極真会館創設者である大山倍達総裁に自分の夢を託し、
大学入学を機会にお預けしたのです。


当時は、60キロにも満たない細身の身体でしたが、僕自身は全てを教え込み、
決して恥をかくような修行はさせていないと云う自負を持って総裁にお預けしたのです。
自分の果たすことの出来なかった空手への思い全てを託してのことでした。


竜はその軽量のため技を繰り出す前につぶれてしまう自分に悩んだようですが、
僕は体重さえ増えれば克服出来る問題と信じておりました。
しかし、深刻な問題が既に進行していたことにまだ気付いてはいなかったのです。


良く、膝の痛みを訴えていましたがそれを真剣に聞いてやりませんでした。
蹴り続ける事で回りの筋肉が膝を守ってくれる。
そう言い聞かせ治療の為の休みは認めなかったのです。


それでも竜は耐えてました。
間もなく先輩の杉村さんの助言で本部道場近くに部屋を借り、
親父の手から離れて行きました。
代わりに杉村さんの本格的指導が竜に施されて行きました。
間もなく、富山大会での全戦一本勝ちの優勝を果たします。
それからの竜は自信を取り戻し見違えるように成長して行きます。


それは、大山総裁が体調を崩される直前でした。
なかなか総裁の風邪が抜けないと竜から聞き、嫌な予感が頭を過りました。
桜が終る頃総裁の容態は益々悪化して行きました。


間もなく大阪でのウエイト制が開催される前に最悪の事態が訪れました。
そこで竜は初めての優勝を果たすのですが、総裁には見て頂けませんでした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
『お詫び』
記載に間違いがあります。上記の記録は準優勝でありました。
優勝はその翌年です。

深くお詫び申しあげます。

葉隠塾 成嶋弘毅
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

次なる試合で二階級に挑戦するのですが、その辺りから徐々に竜の膝は悪化して行くのです。
その試合は東京で行われました。
決勝戦を一本勝ちで飾り、選手としての地位を築き始めたのです。


その後辺りから動く事も難しい痛みに悩まされ始めるのです。
それをどうにか気持ちで支えるのですが、試合に出てくるようになりました。
その時の膝の調子によりかなりの苦戦を強いられることも起き始めるのです。
本人はそれを隠しました。知っていたのは親父だけです。


世界大会を迎える前には本部の先輩達もそれに気付き始め、隠す事も出来なくなったのです。


凡戦が続発し、親父としては自分の不注意以上の過失に悩んだ時期もあります。
兎に角、世界大会を目標に置き、竜も調整にはいりました。
その前哨戦であるウエイト制は一つの山でした。


何時もは、何処かで息子を信じ、負けは考えもしなかったのですが、
その時は流石に緊張し、同時に心配が頭から離れませんでした。
何時もは決して試合の折、側に行く事はせず、
距離を置いて心の中だけでの応援でしたが、それを守ることも大変でした。


運良く凌ぎ、決勝に進出した時には胸が高鳴りました。
試合開始後間もなく左の上段が決まり相手が崩れ落ちる姿を確認すると、
思わず立ち上がっていたのです。
それは初めての経験でした。


竜もいままで試合後親父のもとに来たことはなかったのですが、初めてやって来ました。
無意識に抱きしめていたのです。
それは最初で最期の僕が親父として見せた竜への情でした。

それから後は世界大会を残すだけです。膝の治療に専念しました。
しかし、試合の回が進むに連れ傍目にも不調を感じさせるのです。
それでもどうにかブロック決勝迄頑張りフィリョ戦を迎えました。


手負いながらそれでも一発に期待しました。
本戦が終わる頃にはその夢も潰えて行きました。
主審の杉村さんも同じ気持ちだったのではないでしょうか、
延長にして出来ないことはなかたと思いますが、躊躇なしにフィリョに旗を振りました。


心の中でそっと『杉村さん、ありがとう』とつぶやき、
同時に晴れ晴れとした竜の顔を認めたのです。


竜を応援して下さった皆様に心からの感謝を胸に、大阪を後にしました。


それが今お話しします親子二人の夢の始末記です。



葉隠塾  成嶋弘毅


にほんブログ村 格闘技ブログ 空手へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ
人気ブログランキングへ


ブログをご覧下さる方々へのお願い;
葉隠塾ホームページ http://www.yoin-juku.com/

コラム&武士道の欄を設けております。
ご覧下さいました方よりコメントなりメッセージを
ブログの方に頂けましたら幸いです。

宜しくお願い致します。







ドラゴン 一撃の竜 【スペシャル版】 [DVD]/成嶋竜,木山仁

¥6,800
Amazon.co.jp

武士道子育て、親育て

孫娘の学校に下拵えと云う原稿を投稿した事があります。


そうです、小学生の教育は料理で云う下拵えのようなもので、
後からの本格的な味付けである教育を受けとめる下地となるのです。


幼稚園、保育園、託児所でプリスクールの教育を受けますが、
更にそれ以前の赤ちゃんから小児の間の準備は思った以上に重要なのです。


素材である子供に、受け入れ準備を施さなければ後の教育は難しいことになります。
先ずは習慣です。


山本五十六元帥ではありませんが、して見せて、云って聞かせてさせてみて、
誉めてやりながらの教育です。僕は誉めず更に厳しくしてしまいましたが。


自身は一人っ子でして、その為結婚も早く、従って子供も若い頃に出来ました。
言わば親自体未熟な歳だった訳です。


娘が二人の息子が一人。中でもその被害を一身に受けたのが息子でしょう。
未熟な父親の、自分善がりの躾けを息子に強い、まったく今考えると理不尽であったと
思います。しかし、空手家としてはそれは功を奏したのではないでしょうか。


もし、言い訳が出来るのであれば解釈の仕方に問題はあれど、
武士道で子育てをして参りました。
娘迄も同様に扱って来たのです。
そのせいか娘二人ともに男らしいところが見受けられます。


僕は著書と、このブログで成嶋弘毅の踏まえて来た武士道の紹介をし、
お役に立つものであれば少しでも、
との思いから始めました執筆でありブログなのです。


ご支持を賜われますればまさに本望に存じます。



葉隠塾  成嶋弘毅


にほんブログ村 格闘技ブログ 空手へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ
人気ブログランキングへ


ブログをご覧下さる方々へのお願い;
葉隠塾ホームページ http://www.yoin-juku.com/

コラム&武士道の欄を設けております。
ご覧下さいました方よりコメントなりメッセージを
ブログの方に頂けましたら幸いです。

宜しくお願い致します。









義理人情とは

ある休日の朝、携帯が鳴りました。見ると公衆電話からです。

ウムッ!誰?

すると聞き慣れた声が返って来ました。


以前『蛍の光窓の雪』と銘打ちご紹介しました弟子で、
今防衛大学に入学して、寮生活を送っている愛弟子からです。


『何かあったのか』心配になり聞きました。
「いいえ、しばらくご無沙汰しているので」とただその一言だけなのです。


その間、多分一二分であったと思います。
多くの言葉は使わずにお互い心の内を語り合ったのです。


「用はそれだけか」と聞きますと「はい」と返ってきました。
しかし、それで充分だったのです。
僕の終わりの言葉は「こまった時には必ず知らせなさい」それだけでした。
心を伝え合うのは言葉だけではないのです。


電話を切ると同時に、子の安否を気遣う父親にかけて、
息子からの電話を伝えました。
「そうですか。ありがとうございます。家には一度も連絡はありません」
それを聞き、その親子の僕に対する気遣いを痛いほど感じました。


親の声が聞きたくない子はない。親も同様です。
でも親子共々それを僕に譲ってくれたのです。
師匠としてこの上ない幸せを感じました。
有り難いことではないでしょうか。


その親子二人の中には武士道の義も、また仁も息づいているのを知らされた思いです。


葉隠塾  成嶋弘毅


にほんブログ村 格闘技ブログ 空手へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ
人気ブログランキングへ


ブログをご覧下さる方々へのお願い;
葉隠塾ホームページ http://www.yoin-juku.com/

コラム&武士道の欄を設けております。
ご覧下さいました方よりコメントなりメッセージを
ブログの方に頂けましたら幸いです。

宜しくお願い致します。