第三章 理想の旦那
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妻のひとみが家を出て行ってから、一ヶ月後。俺はようやくひとみの住むアパートを突き止めた。
浮気現場を見られてからというもの一度もひとみと会っていなかったが、訪ねたアパートで、俺は久々にひとみを抱いた。正直、すごくよかった。
こんなに俺の妻はいい女だったのか。と、改めて再確認した。
夫婦になって二十年。陽司と隆司が生まれ、マイホームも手に入れた。毎日の生活が忙しく、最近は、手を繋ぐことさえもなかった。
毎日のように残業をし、帰宅すると、働く主婦の妻は先に寝ている。抱きたいと思っても、わざわざ起こしてまで。と思うと、気の毒になり、妻には指一本触れないまま、俺も眠りに就いてしまう。そんな生活の繰り返し。
浮気は、はけ口だった。別にひとみが嫌いになったわけではない。
誘ったのは、あっちからだ。最初はひとみに悪いと思っていたが、そこは中年になっても男だ。誘われれば、こちらから嫌とは言いたくない。言い訳をするつもりはないが、機会があれば、妻以外の女でも抱きたいと思うのは、男の性だと思う。
ひとみも、俺の浮気は知っているようだった。知っていて、目を瞑っていてくれる――。
いいように解釈をし、ひとみに追求されなければ、何をやってもいいくらいの気持ちになってたのは否めない。
自宅で他の女とヤっている現場を見られたら、流石に俺も言い訳できなかった。ひとみが怒るのも、無理はないと思う。全部俺が悪い。悪いと思っているが、やめられない。
俺は、浮気相手の女と別れようと思いつつ、結論を出せないままでいた。
ひとみの性格なら、きっと俺を許さない。許されなければ、離婚するのは目に見えていた。
ならばいっそ、浮気相手の女と一緒になろうか。とも考えたが、結婚したいと思うほど、女を好きでないと気がついた。今になって思えば、別に浮気できるのなら、相手は誰でもよかったからだ。
離婚すれば、俺は一人になる。情けないことに、一人になるのは嫌だった。
原因はすべて俺にあった。俺が悪いとわかっているからこそ、謝っても許してくれないひとみに、これ以上迷惑をかけるのは悪いと思う。だが、久々に抱いたひとみを想うと、体がうずくのは確かだった。
あれから三度、ひとみを訪ねて行ったが、ひとみはいつも留守だった。
今度こそ、いるだろうか。
遅い時間なら、きっとひとみも帰宅しているだろう。
午後十一時。ひとみの部屋の前に立った。灯りは点いていなかったが、すでに寝ているのかもしれない。今夜こそは、どうにか居て欲しい――。と、願いを込めながら、古びたインターフォンを押したが、出てこなかった。
今日は金曜日だ。もしかしたら、飲みにでも行っているのかもしれない。帰ろうか。それとも、周りで時間をつぶし、出直そうか。
だが、もう遅い時間だった。出直すとしても、そろそろ終電が気になる。もしくは、終電がなくなったから。と、泊めてくれる話にはならないか。
考えを巡らせていると、隣の部屋から、女の矯声と、ギシギシと規則正しい音が聞こえてきた。
この音は聞き覚えがあった。ひとみの部屋に初めて来たとき、隣から聞こえてきた音。ベッドの軋む音に違いない。
耳を澄ます。女の喘ぎ声に混じり、男が小さく名前を呼ぶのが聞こえた。
「ひ、ひとみちゃん……。ひとみ」
まさか……。
俺は、その場で固まったまま、動けなかった。
動けないまま、耳は隣から聞こえてくる音に、集中していた。
もしかして、ひとみは隣の男と……。
頭に血が上っているのがわかった。ひとみは、俺以外の男にも、あんないい声を聞かせ、よがっているのだと想うと、腑が煮えくりかえる。
想像するとおかしくなりそうだった。
自分は浮気しているくせに。と、非難されるかもしれないけれど、嫉妬せずにはいられない。
ひとみは、俺の女だ!
心の中で叫ぶ。
俺は気がつくと、隣の部屋のインターフォンをガンガン連押していた。
押したとたん、部屋からは女の声も、ベッドの軋む音も聞こえなくなった。
悪いことをしただろうか。。
押した後に後悔をした。このまま、逃げてしまおうか。まるで子供がピンポンダッシュの悪戯をした時のような気分になる。
踵を返したとたん、ドアの開く音がした。ドアからは、乱れ髪のひとみが顔を出した。
「ひとみ! なんでここにいるんだ!」
ひとみは俺と目が合うと、バタンと、大きな音をたててドアを閉めた。
「ひとみ! ひとみ! 出てきてくれ!」
どんどんとドアを叩く。迷惑など、考えれていられなかった。
俺はかまわずドアを叩いていると、ふいにドアが開いた。
「何か用?」
ひょっこり顔を出した男は、中年の男だった。
年は俺と同じくらい。少し日に焼けた顔は、そこはかとなく色気を感じさせる。何も考えずに、玄関ドアを叩いていた俺は、急に恥ずかしくなった。
文句を言えるはずもなかったが、とにかくこの男とひとみを引きはがなさなければ。と、わけのわからない使命感に燃えていた。
「ひとみの旦那なんです。嫁を返してもらえませんか」
全身の力をふりしぼり、どうにか声に出した。
もしかしたら、ひとみは、既婚者だと男には内緒だったかもしれないが、かまうものか!
目の前で嫁が知らない男に寝取られているのだ。なにも言わない旦那なんて、男じゃないだろ。
「アンタが、浮気した旦那?」
男は、俺をたしなめるように、足下から頭のてっぺんまで見た。
ひとみは、この男に、俺が浮気したことを話していたのか――。
考えるとショックだった。
確かに俺は浮気をした。それは事実だ。言い逃れはできない。けれど、夫婦の間のできごとを、他人の口から聞くのは、我慢ならない。
男は、口角を上げ、余裕のある顔をした。
「立ち話もナンだし、とりあえず入れば?」
見下された言い方に、カチンと来る。
俺は返事もせず、押し入るように中に入った。
to be continued……

