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隆司より先に家を出た俺は、早く塾に行きたかった。双子の隆司とは、中学に入った頃から仲が悪くなった。
双子だから仲がいい――。
世間では、そう思われているようだが、俺と隆司は少なくとも違う。理由はいろいろあった。一卵性で生まれた俺と隆司は、本当にそっくりだった。
幼い頃から、勉強も、スポーツも、いつでも俺のライバルは隆司だった。隆司は弟なのに、頭もいいいし、スポーツもできる。俺もそこそこできるけれど、気分によって、成績は大幅に並があった。
小学校高学年で、俺と隆司は、少年野球チームに入った。バッティングの練習をしていると、「筋がいい」と、監督に褒められた。自分でも自覚はあったので、次の試合のメンバーは、絶対に俺が入る。と信じていたのに。
蓋を開けてみれば、俺は補欠。メンバーには、隆司が入った。監督は、俺と隆司を間違えたのだ。俺にはすぐにわかったが、監督は訂正しなかった。悔しくて、悔しくて。「どうして双子を産んだの?」と母のせいではないのに、食ってかかったことがあった。
「見た目が同じように見える双子でも、性格は違う。悔しいのなら、見た目ではなく、性格で勝負しなさい。理想の男になれば、姿、形は同じように見えても、周りは貴方を選ぶはずだから」
母は毅然とした態度で、小学生の俺に言い放った。てっきり、同情し、慰めてくれるものばかりと思っていた母の言葉に、俺は衝撃を受けた。
人に選ばれる理想の男になればいい――。
この論理につきる。
それから、俺の心の片隅には、理想の男になりたいという願望が芽生えた。今までは、嫌でも比べられていた隆司がライバルではなくなり、随分と気持ちが楽になった。
いつか母に認められる理想の男になること。だが、具体的には、まだよくわからない。
少なくとも、父のような男でないことだけは確かだ。まだ、大人になるまでには、時間はある。目標はできたが、母は家からいなくなった。
母は家には戻ってこないが、週五日は通う塾に、毎日、夕食用の弁当を届けてくれている。
直接顔は合わせない。けれど、弁当を受付に預けてくれ、子供の手に渡るように手配している所が、やはり母なのだなと思った。
おかげで夕飯を心配する回数が減るのはありがたいが、どうせ弁当を渡すのなら手渡しでくれればいいのに。
今日こそは、母を捕まえてやる。母と会ったら、言いたいことは山ほどあった。
親父と喧嘩するのはかまわないけれど、俺たちには関係ないだろう。受験生の息子を放っておいていいのかよ! と。
俺は急いで塾の入っているビルに行き、エレベータに飛び乗る。扉が開くのももどかしく、到着を告げるベルが小気味よく響き渡るのを聞きながら、こじ開けるようにフロアに転げ下りた。
「こんにちは。どうしたの? そんなに急いで。今日もお弁当預かっているわよ」
やけに目だけに重点を置いたメイクをした受付のお姉さんが、カウンター越しに、俺の慌てた様子を見るなり声を掛けた。
なんだ。今日も間に合わなかったのか――。
俺は残念に思いながらも、腹立ちさがこみ上げてきた。母は、一体、いつまでこんな生活を続ける気なのだろう。勝手に家を出て行ったクセに、母親面をする。どうせ家を出て行ったのなら、俺たちのことは放って置けばいいものを。
受付のお姉さんの視線を感じて、俺はカウンターの端に置かれた紙袋に手を伸ばした。
「ありがとうございます」
俺は内心、複雑な感情を抱きながらも、紙袋を受け取った。取っ手に手をかけ、底に手を回すと、包みがまだほんのりと温かい。おそらく母とすれ違ったのは、タッチの差だったのかと感じた。
「すいません。これ、届いたのは、何時ぐらいですか?」
突然、質問された受付のお姉さんは、一瞬、ビクリとしたが、考える間もなく「五、六分前……。少なくとも十分は経っていないと思うわ」と、壁にかかる時計に向く視線を、デスクに戻した。
俺はすぐに、弁当の包みを持ったまま駆けだした。エレベータを待つけれど、なかなかやってこなかった。
痺れを切らして、すぐ隣にあった階段室への鉄の扉に手をかけ開く。一瞬、ひんやりとした空気が頬を撫でたが、俺は階段二段飛びで四階から一階へと駆け下りた。
一階のホールで、すれ違った友人に声を掛けられた気がしたけれど、知ったこっちゃない。俺はゆっくりと開く自動ドアが開く間も待ちきれなくて、薄く空いた硝子に手をひっかけ、隙間に身体をねじ込み外へ出る。
右か。 左か。
駅は右だから、こっちか。
身体ごと向き直り、駅まで走ろうかと思った矢先、声を掛けられた。
「陽司! 間に合ったか?」
振り向くと隆司だった。
「そんなに急いで何処に行くの? もしかして、母さんを追いかけたいとか? だったら止めなよ。母さんだって、俺たちに会わす顔がないから、こうやって弁当を預けて渡してくれているんだろ」
すっかり俺の行動を把握したような物言いが、なんだか苛つく。俺は返事をする代わりに、ふんと鼻を鳴らしながら、まだ温かい弁当の包みを隆司に押しつけた。
「まだ、温かいね」
隆司は包みを大事そうに両手で抱えた。
「そんなに会いたいのなら、今から二人で会社に押しかける?」
たぶん、それが母さんを捕まえる一番確実な方法だろう。会社に電話を掛けたことはなかったが、仕事人間の母さんなら、おそらく仕事は辞めていない。二人で今から会社に押しかけたら、母さんはどんな顔をするだろう。きっと困った顔をするだけだ。
俺は想像して、肩を落とした。
「いや……そこまでは」
「……だろ?」
隆司は俺の言葉を肯定しつつも、先を続けた。
「身勝手だとは思うけど、母さんだって俺たちを家に置いて出て行ったのは、余程考えてのことだと思うよ。俺たちも出て行くとなると、学校の関係もあるし、三年の師走になって転校するなんて俺たちが困るだけだ。母さんはいつも言っていたじゃないか。「理想の男になりなさい」って。だから、家事で困らないように躾けてくれた。これが年端のいかない小さな子供だったらともかく、俺たちはもう小さな子どもじゃない。かといって大人でもないけど――」
俺は隆司の言葉に、納得せざる終えなかった。まったくその通りだったからだ。母が出て行ったからといって代わり映えのない生活を送っている。多少、動揺はしているけれど、俺には幸い隆司がいる。一人ではない。
「ちゃんとお礼のメール、しておけよ」
隆司は弁当を持ったまま、先に塾のあるビルに入った。
俺は携帯を取り出し、得意の早撃ちで「ありがとう」とだけ、母親の携帯にメールを打った。
たぶん、返事は帰ってこない。けれど、こなくても、お礼だけはちゃんとする。これは母に教わったことだから。
to be continued……