第一章 昔の男
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それからも、日向は連日、女を部屋に連れ込んだ。かまわず声を出させるつもりなら、ラブホテルに行くか、もっと防音性のあるマンションでも引っ越せばいいのに。
自称かもしれないが、職業は? と訊かれて「AV男優です」と、即答できるくらいだ。 以前から絶倫男だとは思っていたけれど、職業となれば、それなりのトレーニングもあるのかもしれない。そう考えると、近所迷惑も甚だしいと思うが、文句も言いにくい。
せいぜい、私にできる処置といえば、引っ越しで余っているダンボール箱を一○一号室との間の壁に置くとか、夜中にトイレの水をわざと流すとか、無言の抵抗をしてみるけれど、全部無駄だった。
五月蠅いのは、女の喘ぎ声だけではない。キィキィといった機械音が聞こえてくる。
音の原因は、日向がピストンのように腰を振ることにより、ベッドがきしむ音だと思うと、男と女の営みが妙にリアルに想像できて、独り身として、欲求不満になるのは時間の問題だった。
ある休日の夕方。電気も付けず、薄暗い中、クローゼットを整理しようと開けっ放しで作業をしていると、クローゼットの奥から、わずかだか光が漏れていた。
よく見ると、化粧ボート仕上げになっているクローゼットの内部は、ボード一枚で一○一号室と仕切られていて、ボードの繋ぎ目に隙間があるらしい。
洋室の内装は、壁も天井もせっこうボードにクロス貼りの仕上げになっている。
たとえせっこうボードとの間に隙間があったとしても、クロス貼りにする段階で、せっこうボードの隙間には下地のパテを二重、三重と塗り込み、その上 にクロスで覆うのだから隙間など存在しない。
どういうわけか一○一号室と一○二号室のクローゼットの壁は、十二・五ミリの化粧ボード一枚で隔てられているらしかった。
アパートやマンションなどの世帯の違う住居が隣接する場合、界壁という壁で天井裏まで仕切らなければならないが、この建物は違法建築だった。
おそらく素人職人が、手抜き工事をしたのだろう。設計の仕事をしているせいで、細かい職人の落ち度まで解るのが、自分でも嫌になる。
好奇心で隙間から隣を覗くと、灯りをつけたまま、ベッドで日向が寝ていた。師走だというのに、Tシャツとボクサーパンツ姿だ。布団もなにもかけておらず、ボクサーパンツもだらしなく半分ほどずり下がった姿だった。
さらに目を凝らすと、ずり下がったパンツの端から、青い入れ墨のような尻の蒙古斑が見えた。
中年になっても蒙古斑があるなんて珍しい。それにしてもあの蒙古斑の形は、まるでハート形の一部みたいだ――。と、考えたところで、私ははっと気がついた。
もしも、あの蒙古斑の形がハート形をしていたなら。私は該当する人間を知っているかもしれない。
ふと、私は三浦君を思い出した。
あれは中学二年生の頃。真面目であだ名が『委員長』と呼ばれていた私は、転校生である三浦君の案内係や世話を押しつけられた。
三浦君の顔はぼんやりとしか覚えていない。なぜなら、彼は三ヶ月後にはまた転校して行ったからだ。
三年になる前にいなくなったものだから、卒業アルバムにも載っていなかった。おそらく、同級生に彼のことを尋ねたとしても、覚えている友人は殆どいないと思う。
私がなぜ三浦君を覚えているかというと、初体験の相手だったからだ。
三浦君がインフルエンザで連日学校を休んだ後、帰宅する方向が同じで委員長をやっていた私に、三浦君宅までプリントを持って行くよう先生に言われた。
面倒くさいと思いつつ、真面目な私は断ることなどできなかった。
住所を教わり、地図を頼りに尋ねると、親は仕事で居なかったが、彼は病み上がりだというのに丁寧にお茶まで出してくれた。
なんとなく話しているうちに、初体験の話になった。中学二年といえば、男子だけでなく、女子も男女交際に興味を示す頃だ。
三浦君は、なんと小学六年生で初体験をしたらしい。それ以来、毎日オナニーを欠かさず行うのが日課になっていると言った。インフルエンザで寝ている間は、流石にオナニーする元気がなくて、病み上がりの今は、溜まっている状態だと。
誘われて、好奇心旺盛だった私は、三浦君に抱かれた。
正直、あまり気持ちいいとは思えなかったけれど、それでも三浦君は丁寧に私のことを抱いてくれた。異性に身体を触られるのは初めてだった。
初めての感想は、とても痛かった。身体が裂けるかと思った。男の子の前で、身体をあんなに広げなければならないのかと思うと、恥ずかしくて、死んでしまいたくなった。
けれど、場所によっては、ゾクゾクと身体に電流が走る部分があると訴えると、三浦君は「慣れれば、そこはひとみちゃんの気持ちイイとこになるよ」と教えてくれた。
抱き合った後で、いろんな話をした。
まだ大人になりきっていない私の身体は、胸も大きくなかったし、ウエストもくびれがなかった。おまけにへその横に、小さな赤い痣がある。
自分はコンプレックスだらけの身体だと思っている私は、経験者の三浦君を満足させられたのかと、初めてのクセに心配して尋ねた。
「ねえ。コンプレックスだらけの身体でも、抱きたいと思う?」
素直な私の気持ちだった。セックスの経験者の日向君から見れば、私以外に女の身体を知っているわけだし、同級生で聞きやすかったというのもある。
「心配しなくてもいいよ。ひとみちゃんは、十分魅力的や。コンプレックスはチャームポイントやろ。人はコンプレックスがあるから、誰かを好きになるんと違う?」
三浦君が当たり前のように答えてくれた時には、随分大人なんだな。と、ひどく納得したものだった。
「俺だってコンプレックスだらけや。ほら、この通り」と、右尻の上にハート型の蒙古斑があるのを見せられた時には、なんだか三浦君が愛しくてたまらなくなり、私は何度もハート型の蒙古斑の上にキスをしたものだった。
翌日、私は案の定、インフルエンザにかかった。一週間も学校を休み、久しぶりに学校に登校してみると、三浦君は転校していなかった。
先生に引っ越し先を聞いたけれど、遠い地方への転校だったし、プライバシーの問題だとかで教えて貰えなかった。もっとも、連絡先を知ったとしても、当時中学生の私には、ぜいぜい手紙を書くくらいしかできなかっただろうけれど。
私が三浦君について覚えているのは、右尻上にあるハート型をした蒙古斑と、抱き合った時にしきりに呼んでくれた「ひとみちゃん」という声。
今にして思えば、あれが初恋だったのかもしれない――。
to be continued……