隣人 -年下の男- 6 | 一期一会

一期一会

本も人の出会いも一期一会。時々読者、時々物書き。好きな本やコミック感想を中心に、日常のつれづれと共につぶやいていきます。




 それからも薫は、大学で顔を会わせると、いつものようにあれこれ誘ってきた。
伊織と薫は専攻している学部も違う。どうやら伊織と会うには、わざわざ探してやって来ているらしい。
 今日も講義が終わり、廊下に出たとたん、薫に捕まった。
「ビーフシチューをたくさん作ったんです。よかったら、うちに夕飯を食べに来ませんか?」
 いつもの調子で誘ってくる薫に、伊織は腹ただしさえ覚えた。なぜ彼女がいるのに、伊織をかまうのだろう。この場で問い質したかったが、人の目もある。伊織は咄嗟に「いいわよ」と返事をすると、次の瞬間、ぱっと薫の顔が明るくなった。
「ホントですか? じゃあ、今夜待ってます。絶対ですよ」
 薫は嬉しかったのか、笑顔を浮かべてその場を立ち去った。
 今まで何度も薫に誘われたが、OKしたのは初めてだ。実は承諾したのは、彼女が本当にいるか訊きたかったからというのは伏せておく。
 大学では立ち入った話はできないし、会う度に誘いを断るのも気が引ける。ここで彼女がいるとハッキリさせれば、今後薫からの誘いを断る理由にできるだろう。
 薫の女性関係を棚に上げて、自分の気持ちに白黒つけたかったのというのもある。もし、あの女が彼女だったのなら、会う度ににこやかな笑顔を向けて懐を抱いてくれる年下の男に、これ以上期待せずに済む。薫に惹かれているのを自覚した伊織は、諦めるきっかけが欲しかった。



「こんばんわ」
 薫と約束したとおり、薫が帰宅するのを見計らって、伊織は部屋を訪ねた。
 部屋に入るのは、これで二度目だ。薫に勧められ、畳半畳ほどのタイル貼りの三和土で靴を脱ぐ。当然だが、今日は女物のハイヒールの靴はなかった。
「どうぞ」
 先日は慌てて薫の部屋を飛び出したので、ゆっくり部屋を眺める暇はなかった。ただ、天井のクロスが同じだけれど、自分の部屋とは違うと認識しただけだった。
 まじまじと部屋を眺めると、フローリングの八畳ほどの部屋は片づいていた。もしかしたら、薫が今日のためにせっせと掃除したのかもしれないけれど、極端に物が少ない。  あるのはローテーブルと、部屋の片側に横向きに並べられたカラーボックスの上に鎮座した液晶TVと、ベッドぐらいなものだ。横向きにされたカラーボックスには、ぎっしりと本が並べられていた。殆どは工学書だったが、伊織の部屋にもある本を見つけた。
 伊織が学生時代ずっと片思いしていた東海林教授の本だ。伊織は頬を緩めた。
 薫と共通点がないと思っていたけれど、そうでもないらしい。好きな本が似ているというのは、自分と思考の共通点がある気がして、更に薫に対して興味が湧く。もっと話をしたら、気が合うのかもしれない。
 ふと視線をずらすと、綺麗にメイクされたベッドが目に入った。
 このベッドで薫に抱かれたのだと思うと、伊織は急に緊張してきた。
 誘われたからと言って、独身男性の部屋をのこのこ訪ねるのは、私を襲って下さい。と言っているようなものかもしれない。今更ながら、迂闊だったのかと反省していると、キッチンのほうから、美味しそうな匂いがしてくる。振り向くと、トレイに載せたビーフシチューとサラダを持った薫が、嬉しそうな顔で運んできた。
「お待たせ。これだけは自信があるんです」
 満面の笑みで言われると、疑うのが悪いように思える。まるでモテない女の独りよがりな妄想のような気さえした。
「手伝うわ」
 伊織が立ち上がって手伝おうとすると、トレイを持った薫とぶつかった。
「危ない!」
 その時だった。薫は迷わずトレイを放り投げ、ぶつかった勢いで倒れそうになった伊織の身体を抱きしめた。
 ガシャンと音がした時には、伊織の身体は、すっぽりと薫の身体に抱きしめられていた。皿が割れ、床に溢したビーフシチューの匂いが部屋中に立ちこめた。伊織は慌てて薫の身体から離れようとしたが、薫に抱えられた腕は、簡単に外れなかった。
「火傷、しませんでしたか?」
「大丈夫。それより放して」
「嫌です。ずっとこうしていたい」
 薫は更に力を込めて、伊織を抱きしめた。
「止めて。だって彼女に悪いわ」
 咄嗟に伊織が言い訳したけれど、薫は放さなかった。
「彼女なんていませんよ」
 もっと時間をかけて探るつもりでいたが、こうなったらしかたがない。伊織は思い切って問い質した。
「嘘。あれは彼女でしょ。朝早く薫君の部屋からゴミを出しに行ってたのを見たわよ。同棲するほどの彼女がいるんでしょ」
「もしかして、見てたんですか?」
 薫の腕が緩まるのがわかった。少なからず、動揺しているらしい。やはり、あれは彼女だったのだ。と、緩まる薫の腕から身体を外す刹那、伊織は胸がきゅんと痛くなるのを感じた。やはり、間違いない。あれは彼女だったんだ――。
 伊織は決定的に失恋したと自覚して部屋を出ようとすると、薫が後ろからすがりついてきた。薫の心臓の音がすぐ側に聞こえる。この期に及んで言い訳しても、伊織には関係ないと、心を閉ざそうとした。

 伊織が「放して」と拒絶するのと、薫が「話を聞いて」と声を出すのは同時だった。


to be  continued……