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なんだ。しっかり彼女がいるんじゃない。好きだと私に告白までしたくせに。
ゴミを代わりに捨ててくれるくらいの恋人がいるというのに、どうして薫は伊織に交際を申し込んだのか疑問に思った。
年上なら、上手に遊んでくれると思ったのだろうか。
ならば、あの朝のできごとは気にしなくてもいいのかもしれない。
転職と共に引っ越しをして、ようやく慣れた頃だ。大学まで徒歩二十分で行ける距離の割には、家賃が安いのも気に入っている。できれば引っ越ししたくない。
多少、しばらくは気まずい思いをするかもしれないけれど、薫とは、なるべく会わないようにすればいい。大学だって、薫は伊織担当の講義をとっているわけではないのだから。伊織は肩すかしをくらったような気分になった。
薫に告白されてから、私もまんざらではないのかもしれない。と、少し女としての自信を持ったところだったのに、例の女性を目撃してからは、膨らんだ風船がしぼむように、自信がなくなるのがわかった。
やはり、あれは気の迷いだったのだ。からかわれたのだろう。真面目に誘ってくれていたと思っていただけに、薫の態度に腹が立つ。
考えると、寂しくなった。人恋しくなるのは、特にこんな時だ。
自分では、容姿もスタイルもそんなに悪くないと思うのだが、どうしていつも上手くいかないのだろう。
学生時代からいつも好きになるのは、必ず誰かの彼だったり、既婚者だった。片思いは山ほどしているのに、両思いの恋愛は、実は一度もした経験がない。このまま一生両思いの恋愛はできないのでは? と、来月三十路の誕生日を前にすると、危機感として身につまされる。たまに誰かに告白されるとしても、今回のようにうんと年下だったり。世の中は上手くいかないものだ。
そもそも民間企業から転職したのも、上司との不倫がバレて、会社に居づらくなったからだ。もう、誰かの男は好きにはならない。と、あれほど誓ったのに。この感情はなんなのだろう。
今更ながら、伊織は薫のことを恋愛対象者として見ている自分に気付いた。今頃気付いても遅いというのに。
それにしても、彼女がいるというのに、三日とあけず伊織に声を掛けたり、差し入れをする薫の神経がわからない。もしかしたら、彼女ではないのかもしれない。薫を信じたい気持ちと、疑う気持ちがごちゃまぜになって、悶々としていた。
伊織は、本当に例の女が彼女なのか、確かめずにはいられなかった。
ふと部屋にある蜜柑の箱が目に入った。実家から送ってきたものだ。
そうだ。今、差し入れを持って行ったら、彼女と鉢合わせするだろう。その時の薫の態度を見れば、例の女との関係は一目瞭然なのではないか。薫を試すようなことになるかもしれないけれど、思いついたら実行に移したくてしかたがない。
伊織はスーパーの袋に蜜柑を山のように入れると、意を決して隣室のドアをノックした。
「朝早くにごめんなさい。いつも差し入れありがとう。実家からだけど、蜜柑がたくさん届いたらから」
控えめに言ってみる。朝早いけれど、おそらく薫は起きているだろう。ちらりとでもいい。玄関ドアを開けてくれたなら――。
伊織は心臓を高鳴らせながら、薫の返事を待った。
「え? 伊織さんですか? ちょと待って下さい」
しばらく待つと、薫はバスタオルを腰に巻いたまま出てきた。どうやら、シャワーを浴びていたらしい。上半身に滴る水滴が妙に艶めかしくて、伊織は慌てて顔を背けた。
「ありがとうございます」
薫は礼を言いながら、蜜柑の入った袋を受け取った。
「すいません。今、シャワーから出たとこだったもんで」
用が済むと、それ以上話す話題もない。薫も半裸姿だったのが気になるらしく、「じゃあ」と先にドアを閉めてしまった。
バタリと閉まる寸前、急いで伊織は視線を部屋の中に泳がせた。死角もあるので絶対とはいいきれないけれど、薫の他に、人の気配はなかった。一瞬、ほっとしたのもつかの間、視線を下に向けると、三和土に黒いハイヒールが置いてあった。
間違いない。さっき見かけた女のものだ。女の姿が見えないのは、もしかしたら、女はまだバスルームにいるのかもしれない。朝から一緒にシャワーを浴びる仲というわけか。
伊織は呆然としたまま、206号室の部屋の前で立ちすくんだ。
to be continued……