隣人 -年下の男- 4 | 一期一会

一期一会

本も人の出会いも一期一会。時々読者、時々物書き。好きな本やコミック感想を中心に、日常のつれづれと共につぶやいていきます。


 その日の夕方。ようやく仕事を終え、伊織が戻ろうとアパートの近くまで来た時だった。
 隣はだだっ広い青空駐車場で、前面道路の遠くからでもアパートがよく見える。
 伊織の住んでいる部屋辺りをふと見上げると、隣の部屋から出てくるワンピース姿の女性がいた。洋服の雰囲気からすると、女性は二十代前半。華やかな花柄のワンピースに、春らしいパステルブルーのカーディガンを羽織っていた。髪は背中まで長く、毛先はゆるく内巻きにカールされていて、上品な上に、もの凄い美人だ。
 隣の部屋は206号室の薫の部屋だ。もしかして、お姉さんか、妹さんだろうか。あまりじろじろ見るのも悪いと思い、伊織は駐車場に駐めてあった車の影から様子を見ていた。
 美女は慣れた様子で玄関ドアの鍵を閉めると、ヒールを鳴らしながら鉄骨階段を下りてゆく。ぴんと伸ばした背筋は、女性としての自信に漲るオーラが漂っていた。
 毎日神経をすり減らし、夕方になると化粧もはげ、ヒールで歩くのも億劫になる伊織とは大違いだ。なんとなく、女性として負けている気がするのは、気のせいではないだろう。美女はそのまま伊織には気付かず、駅前へと向かって歩いて行った。
あれはいったい、誰なのだろう。もしかして、彼女なのだろうか。けれど、昼間薫に告白され、交際を申し込まれたばかりだ。いくらなんでも、彼女ではないだろう。姉か妹か。薫に用があって尋ねてきたのかもしれない。伊織は勝手に解釈した。


 その後も薫は、大学で会う度に伊織に声を掛けてきた。
「映画のチケットが手に入ったんです。一緒にどうですか?」
「この本、すごく面白かったんです。読んでみて下さい」
「近所で美味いパン屋を見つけたんです。今度差し入れしますね」
 さりげなく声をかけられるのもだから、つい、うっかりOKの返事をしそうになる。せめてあと五歳若くて、OLのままだったら、絆されて一度くらいは食事につきあったかもしれない。伊織は薫からの申し出は全部断っていたが、薫もめげてはいなかった。
 部屋が隣というのを利用して、伊織の居ないときに玄関前に差し入れを置いて行くようになった。
 伊織が風邪気味の時は、スポーツドリンクと風邪薬。肩こりの持病が辛いと思っている時には、入浴剤とシップ薬。少し帰りが遅くなるような日には、見計らったように、薫オススメのパンを差し入れとばかり、玄関ドアのノブに袋がかかっている。見方をかえれば、ただのストーカーのように見えるかもしれないけれど、久しぶりに誰かに大事にされている気がして居心地いい。悪い気分ではなかった。

 伊織は週、二日ほど、早朝ジョギングしている。
 晴れた日だけしか走らないが、それでも健康によいことをしている気になる。今朝もジョギングして部屋に入ったところに、隣の玄関ドアが開く音がした。
 こんな早朝から薫は出かけるのか。と、玄関脇のキッチン小窓を注目していると、横切ったのは、薫ではなかった。例の女性だ。
 206号室は、一番奥の部屋だ。一つ手前の部屋が伊織の部屋になる。女性は姉か妹だと思っていたが、こんな朝早くに部屋を出てくるなんて考えられない気がした。なにせ1Kの間取りだ。薫の部屋はベッドが一つしかなかったし、姉妹と住むとは考えられない。となると、残り考えられるのは彼女ぐらいだ。
 気になって、伊織は直ぐさま玄関ドアを薄く開け、女性の後ろ姿を確かめた。もしかして、朝帰りするところなのかも。と、疑ったからだ。ところが、女性はバッグも何も持たず、持っていたのはゴミ袋だった。そういえば、今日はゴミの日だったと思い出したが、伊織はショックだった。
 彼の部屋のゴミの日まで把握しているということは、ほぼ同棲状態だとみてもおかしくはない。先日、告白されたので、てっきり薫には彼女はいないと思っていたが、実際は全然違うのではないか。
 しばらくすると、女はゴミを出し終えたらしく、手ぶらで薫の部屋へ入っていった。
 ゴミを捨てにいくくらいの仲というと、これはもう恋人だと思ってほぼ間違いはないだろう。伊織は決定的な瞬間を見てしまったと、胸が痛かった。



to be  continued……