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一期一会

本も人の出会いも一期一会。時々読者、時々物書き。好きな本やコミック感想を中心に、日常のつれづれと共につぶやいていきます。

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それから五年後。
エリスの横には、カイはいなかった。
「ママ! パパのお墓こっち?」
「そうそう、カイ。よくわかったな」
「ママ、早く! 早く!」
 カイそっくりな金髪を短髪にし、エリスにそっくりな金色の瞳をキラキラさせながら一心に手を振る。

丘の上の墓地をかけずる愛息子の姿は、カイの幼い頃にそっくりだった。



あの夜、エリスはカイと一夜を過ごし、朝方、カイは来た時と同じようにそっと窓から去って行った。
エリスはベッドの中で目を覚ましたが、声をかけなかった。
もし、声をかけたなら、もっと一緒にいたくて離れられなくなってしまう。
このまま二人でどこかへ逃げてゆけたなら。そう考えなくはなかったが、エリスはカイの体の事を考えると無理もできなかったし、なによりカイの両親にも迷惑をかけてしまう。 もう二度と会えないと思っていた人と逢えたと言うこと。一度でも契りを交わせたという事だけでエリスは満足だったし、後悔してはいなかった。




今日はカイの命日。
 カイと契りを交わした三ヶ月後、手当の甲斐もなく、あっけなく彼はこの世を去った。 ちょうど庭の白木蓮の花が満開の頃だった。
 それはエリスの体に、もう一つの命が宿ったがわかった当日の事だった。
 未婚の母でもかまわない。この子はきっとカイの生まれ変わりだから何がなんでも生みたいと、エリスは初めて周りの人に我が儘を言った。
 その理由を誰もわかりはしなかったが、赤ん坊が生まれてみて、初めてそれは明かされた。
 エリスは伯爵家に来てから、ハイデリヒ家には戻っていない。
 あれがカイを感じた最初で最後の夜になった。
 短い生涯だったけれど、エリスはけして義弟の事を忘れない。
 義弟を感じた事もけして後悔はしていない。
「ありがとな……オレに宝物を残してくれて」
 エリスは毎年命日になると、ここに愛息子と一緒にやってきては墓標に手を合わせる。
 カイと過ごすことはもう二度とできないけれど、代わりに彼は自分に宝物を残してくれた。
 それが今のエリスにとってなによりも嬉しい。
 愛息子を、父親と同じ名前にしたのは、なによりエリスの希望だった。

たとえ人の命はつきたとしても、こうやって命を引き継いでいいける限り、人を愛する気持は巡るものだと思うから――。
                          End

12



「お前……冷たい……」
「ごめん。でも、もう少しこのままでいさせて」
 カイは切なそうに言い、更にエリスの細い腰に手を回してぎゅっと抱きしめた。
 抱きしめられると、、自分が姉ではなく初めて女として扱われたようで、エリスは戸惑いを隠せなかった。
「ずっと逢いたかった……」
 耳元で囁く声。
 カイの吐息が熱い。
 エリスは、心臓の位置が急に耳元に移動したのではないかと思うくらいバクバクと大きな音をたて、いつもだったら照れ隠しに突き飛ばすところを、なぜか体が硬直してできない。
 むしろ心のどこかでは、カイにそうされる事をずっと求めていたような気がする。
 カイはゆっくりとエリスのおでこに自分のおでこをつけると、悟りをひらいているようにじっと何かを考えていた。
 自分の高い体温が、冷たい体のカイに移り、暖かくなっていく。
 じっとその姿勢でいると、自分の気持も体温と共にカイに伝わってしまうのではではないかと、エリスは気がきではなかった。
 カイはゆっくりとエリスにまわした震える手で金色の前髪をかきわけると、そこに優しくキスを落とした。

「カイ……?」
 エリスがカイを見上げる。その瞳は、今まで見たこともないように美しく濡れて、初めて逢ったあの時と同じように吸い込まれそうになる。カイは気がつくと自分の唇をエリスに重ねていた。
 いつものエリスなら、突き飛ばしていただろう。
 突き飛ばされなかったのを肯定ととったカイは、一度唇を放すと、ぎゅっと細い肩を抱きしめて、今度は深い口づけを落とした。
 エリスもゆっくりと口を開いて、カイに応じる。何度も角度を変えながら。
 夢でもいい。逢いたかったエリスさんと、こうしていれるのなら。
 神様……。
 僕に勇気を下さい。
 道徳に反する事とわかっていても、僕は義姉さんを求めずにはいられない。
 エリスさんを忘れないように心に刻みたい。
 たとえ命がつきたとしても、一度でいい。義姉を抱かせてくだい。
 「エリスさん……僕を感じて」
 「僕を忘れないで……エリスさん」
側にあった天蓋付きのベッドにゆっくりとエリスの体を沈めると、エリスの濡れた金色の瞳に自分が映り込んだ。
その夜、カイとエリスは、最初で最後の契りを交わした。


to be  continued……



11



「お前……黙ってきたのか?」
エリスはカイの座ったソファの前にしゃがみ込むと、心配になって尋ねた。
「だって……僕、知らなかったんだ。母さんも、父さんも、エリスさんの事を何も教えてくれなかったし。貴方が別荘に来れないでいるのは、勉強が忙しいと聞いていたから」
恐らく、カイの両親は、本当の事をカイに言う事が出来なかったのだろう。義父母の気持ちを思うと、恨む事などできない。
「もしかして……迷惑だった?」
ようやく荒い息を整えながら、カイが真っ直ぐにエリスを見つめる。蒼い瞳に自分の姿が映った。本当はエリスもカイ逢いたくて仕方がなかった。自分ではどうしようも出来ないと諦めていたから、目の前のカイを叱りつける事などできるはずもなく、かといって両手を挙げて喜ぶわけにもいかない。
「迷惑な事があるモンか……」
「よかった……」
エリスの言葉を聞くなり、カイはソファの前で膝をついたエリスの体を抱き包んだ。
「カイ……?」
 戸惑いながらもエリスもそっとカイの背中に手をまわすと、しんと冷えた体温がじんわりと伝わってくる。久しぶりの抱擁だ。
 最後に二人でこうやったのはいつの事だろう。
 たぶんあのラブレター事件より、もうずっと前の子供の頃以来かもしれない。
 あの頃エリスより少し大きいくらいの体格差だったのが、今ではかなり大きい差となっている。
 自分より大きな肩幅と背中を感じたエリスは、いつも病気がちで守ってやっていた義弟の存在のカイが、知らない間にこんなに成長していた事に戸惑いを隠せなかった。
 カイは自分に逢いたいからと病気の体をおして内緒でここまでやってきてくれた。
 エリスは今まで我慢していた気持がいっぺんにあふれ出そうになって嬉しくてたまらなかった。
 喉の奥が熱くて痛い。
 心臓が早鐘のように、大きく鳴った。
 まるで今の状況は、逢いたかった恋人の逢瀬を果たしているかのように思えて、エリスは自分の中に気づいたカイ想いにブレーキをかけた。
 自分はカイにとって義姉なのだ。
 この逢いたいという気持は、姉弟だからなのだと、ぐっと我慢する。
「エリスさん……」
 名前を熱く耳元で囁かれると、つい誤解をしたくなる。
 こんな風に名前を呼ばれると、嬉しいけれど、急にカイが大人の男になったようで、どう応じればよいのかわからない。急に高鳴る心臓の音が、義弟に聞こえなければいいと、エリスはやんわりと体を離そうとした。

to be  continued……



    10



窓の外を見ると、冬の空はどんよりとした雲が広がっていた。エリスは広すぎる部屋に一人でいると、余計に気がめいってしまう。
自分には高級すぎる部屋の調度品も、身につけているレースたっぷりなドレスも、どれをとっても一流の品物ばかりだが、エリスにとっては、幼い頃に愛用していたカイのお古の洋服が懐かしくて仕方がなかった。
 今頃アイツは何をしているかな……。
 もしかしたら同じ空をベッドから眺めているのだろうか。
 エリスは寒いのもかまわず両開きのパティオドアを開け放ち、大理石貼りのテラスに出て空を眺める。西の空からゆっくりと夜の帳が落ちようとしていた。
伯爵家に来てからというもの、日に日にカイに逢いたいたいという気持は高まった。けれど自分の立場では、逢いに行くことも出来ず、結局は悶々とした日々を一人過ごすだけ。こんなに一心に誰かに逢いたいと思う事は今までなかった。
今までの自分なら、思った事はすぐに行動していたから、こんなに悩む事もなかった。 エリスは初めて経験する切なくて、苦しい想いをもてまし、その度に自分がどんなに無力で、ただの女の子だったと今更ならに思い知らされる。
今までだってカイは静養する為に別荘で自分とは別々に過ごし、会ったとしても週末会うだけで会えない日もたくさんあった。
だが、あのしっかりとした腕。
手にささった棘を心配して添えられた唇。
以前からカイの事は気になる存在だったが、あの一件以来、ずっと頭の中からカイの事が離れない。
しかもいくら会いたいと思って見ても、もう二度と会えないと思うと、寝ても覚めても思い出すのはカイの事である。
「……カイ」
エリスはカイ家の別荘の方向を見ると、小さく名前をつぶやいた。
「僕の名前を呼んでくれるの?」
「え?」
 声のする方を見ると、逢いたくてたまらない人が、ようやくベランダの手摺りをよじ登っているところだった。
「カイ!」
 慌ててエリスがカイに手を貸かし、やっとの事でひっぱり上げる。冷たい大理石の床の上に二人して転がると、カイは、はぁはぁと荒い息を上げながらも、エリスの顔を見ると嬉しそうに微笑む。
「カイ! お前、なんでここに!」
「逢いたかったんだ――」
 無邪気にそう言うカイは、まるで初めて会った時の五歳の時と同じ笑顔だった。
 カイは白いシルクシャツ一枚に黒いパンツ姿。寒空の下で笑いながらも震えている。
「ここは二階だぞ? それにこんなに薄着で……。体は大丈夫なのか?」
 まだ荒い息で、肩を上下させるカイを見ると、エリスは逢った側からつい心配で小言を言った。本当は逢いたくて仕方がなかったのに。カイの前では、姉として振る舞う事が当たり前になっていて、素直になれない。
「とにかく、ここは寒い。早く部屋に」
「ありがとう。でも、僕、黙ってここに来てしまったし、不法侵入だし、見つかったらエリスさんが……」
 白い息を吐きながら、こんな状況でも自分の事を心配する義弟の事が健気でならない。
「オレの事は大丈夫だから。心配するな」
 パティオドアを開けて部屋に入ると、エリスは側にあったソファにカイを座らせて、部屋のドアに鍵を閉めた。


to be  continued……



 

   9



「ねえ、お母さん、最近エリスさん、ここに来ないね」
「そうね。学校の勉強が忙しくて来れないみたいよ」
「そう……僕もエリスさんと同じ学校に行きたかったな」
寂しそうなカイの様子を察すると、両親は心苦しくてたまらない。だが、段々病状が悪化するカイを見ていると、本当の事を告げるのは酷だと、つい他の言い訳をしてしまう。
 医者からは、カイの体が、二十歳まで持つかどうかと言われると、このまま知らずにいてくれたらと両親は密かに願うしかない。カイには可愛そうだけれど、それが息子にとってもエリスにとっても一番よい方法だと、両親は頑なに信じていた。


     *



 エリスが伯爵家に来て、初めての冬が近づいていた。
 ハイデリヒ家も裕福な家庭の部類に入るだろうが、伯爵家ともなると比べようがないくらいの差があった。
 エリス一人の為に専属のメイドと執事がいて、いちいち着替えをするのにも一人ではできない。ここにいれば何不自由ない生活は一生保証されるものの、エリスにとっては退屈なものでしかなかった。
思い出されるのは、カイと一緒に過ごした日々。
 格別どこかに出かけたりした思い出はなかったけれど、ただ一緒にいて、たわいのない話をするだけで、とても幸せに思えた。
 せめてカイに挨拶ぐらいはしておきたかったな……。
 もう二度と逢えなくなるのなら、なおさら。
エリスはカイに逢わずに家を出た事を、今更ながらとても後悔していた。
自分から逢いに行きたいけれど、それもできない。
エリスはカイ家を出るときに、カイの両親から堅く約束をさせられていた。カイには二度と会わないで居て欲しい――。
もちろん、エリスからは二度と息子に連絡をとらないで欲しいと。
最愛の息子の病状も悪化しているせいもあるのだろう。カイが少しでもショックを受けないように、エリスにとっても一日も早く伯爵家の孫娘となれるよう願って必死にそう言われると、今まで孤児院からひきとってここまで育ててくれた恩もあり、エリスは黙って義父母に従うしかなかった。


to be  continued……


    

   8




そんな出来事があって三日ほどした後の事、カイの両親の元へ来客があった。
「突然すみません、こちらにエリス様はご在宅でしょうか?」
 見たところ初老の男性だが、身なりと礼儀作法はしっかりとしている。こんな人がエリスに用とは。
「エリスは確かにうちの娘ですが、今は学校に行って不在です。何かエリスが問題でも?」
お転婆娘を自称するほどのエリスの事だ。娘を尋ねてくるのは、きっと何かまた問題でも起こしたのかと両親は心配していたが、話の内容を聞いて驚いた。
「私は伯爵の使いの者です。旦那様からエリスお嬢様宛にこれを預かって来ました」
男は伯爵からエリス宛の手紙を持っていた。カイの両親はそれを受け取り、目を通すと驚いた。
手紙の文面を要約するとエリスは伯爵家の直系の血筋の孫娘にあたり、彼女をすぐにでも預かりたいとの事だった。伯爵は長年エリスを探していたらしい。
伯爵の息子、エリスの父親は当時伯爵家に仕えていたメイドの母と駆け落ち同然で伯爵家を出たものの、貧しい暮らしぶりで放浪生活の果てに事故で亡くなっていた。その後、母は一人エリスを生んだが、すぐに病死したらしい。
二人の間に生まれたエリス事がわかりすぐに探したのだが、なかなか見つからない。調査は難航し、ようやくエリスが預けられた孤児院はわかったけれど、すでにカイ家に養女として引き取られた後だった。
男は今までの経緯と、伯爵の要望を丁寧な言葉で説明した。勝手な申し出はわかっているけれど、エリスを伯爵家に引き取りたいと。もちろん、その際のお礼は十分にするからとの事だった。
 カイの両親はとても悩んだ。すでにエリスは自分達の本当の娘のように思っていたし、なにより彼女が居なくなるとすると、愛息子が一番悲しむだろう。
 だが、実際、カイの病気の治療に多額なお金はかかったし、エリス自身の将来も考えると、ここにいるより幸せになれるならと悩んだ末、結局は承諾するしかなかった。
学校から戻ってきたエリスは、両親から話の全てを聞くと、最初のうちは伯爵家に行くことをとても嫌がった。
だが、カイの両親が家の実情を説明すると、幼い自分を孤児院から引き取ってここまで育ててくれた事を恩に思うエリスに、断る術はなかった。
せめて伯爵家へ行くのなら、ちゃんとカイにも挨拶をと願ったエリスだが、今すぐにでも迎えにいくという伯爵の意向に逆らえるはずもなく、結局カイと会わないで家を出たのが、心残りだった。




to be  continued……



    7


 その後もエリスは相変わらずな様子で学校生活を送り、無事中学を卒業すると、地域でも学力レベルの高い有名私高校に入学した。
 中学時代は体の調子がよければ体育以外の学校生活も送れていたカイは、その頃になるとまた体の不調が続き、高校へは行かず、エリスと離れて別荘で静養生活を送っていた。
週末になると必ずエリスはカイの元を訪れ、一週間分の学校生活の話や、家での話をしてくれる。カイの元を訪れる時は、いつもラフなパンツ姿をしていたエリスだったが、それでも会う度に美しくなっていくエリスを心のどこかでは眩しい目で見ずにはいれなかった。
カイはあのラブレターの事件以来、自分の中に芽生えた気持は誰にも漏らしてはいない。子供の頃にはなにかというとじゃれ合って体に増え合う事も多かったが、さすがに今ではそんな態度を取る事もお互いにない。
エリスも、カイの前では以前と同じように振る舞い、特にボーイフレンドがいる風でもない。なんとなく二人の間ではその事に触れるのが、禁句のようになっていた。
カイは別荘で静養生活を送る日々だったが、体調がよい日は、エリスと共に庭に散歩に出る事もあった。庭は庭師によって手入れされた薔薇の花が咲き乱れ、それにつられてか蝶の花が飛び回る。
「懐かしいな」
エリスが一言つぶやいた。きっと子供の頃、蝶だのイモリだの部屋に持ち帰っていた時の事を思いだしているのだろう。カイもすぐにそのことを察すると、ほんとだね。と思い出し笑いしながら返事をした。
「そこは、笑うところ?」
「いや、ごめん」
 カイにそうツッコミを入れるエリスの姿はすっかり女性になっていたが、カイに真っ直ぐにむけられる瞳は昔と少しも変わらない。ほんの数年前の出来事なのに。あの頃は無邪気にじゃれ合う事も多かった。向きあったままエリスがポニーテールにしていた金色の髪を何気にほどくと、彼女の白い頬を遊び、艶やかな金髪が風になびいた。
エリスは本当に美しくなった。この人はこれからもっと美しくなるだろう。美しい義理姉の事を思うと、きゅんと胸が痛い。カイは無言のままその様子に見とれていた。
そんなカイの態度に、エリスはその場を持て余したのか、側にあった薔薇の花を素手で折ろうとした。
「痛い」
「もう、エリスさんたら」
 気がつくとカイはエリスの手を取り、棘の刺さったあたりと口に持っていき舐めた。
 少しだけ血の味がする。カイは優しく舌で舐めた。ピンク色のカイの舌が見え隠れする。意識した事はなかったけれど、自分の手をとるカイの手は、こんなにも大きかったのか? 
 背もいつの間にか自分を追い抜き、頭一つ分以上も差がある。病気の為にほとんど運動はしたことないのに、肩幅もしっかりとしたものになっていて、太い首筋を見ると、自分の手を舐める度にのど仏が上下に動いていた。その様子を見たエリスは、なんとなく淫乱な想像をして急に真っ赤になった。
「このくらい、大丈夫」
 エリスは顔を背け、さっとカイから手を後ろに引いた。
カイも真っ赤になったエリスの顔を見ると、伝染したように真っ赤になった。バツが悪くなったのか、ごめん。と謝ると、後はずっと屋敷に戻るまで二人とも無言のままだった。
 一瞬の出来事だったけれど、初めてお互いを男女として意識したのかもしれない。エリスはよっぽど恥ずかしかったのか、いつもは別荘を出る時にはカイに挨拶をして帰るのに、それもせずに帰宅した。


to be  continued……






    6
エリスがバタバタと騒がしく戻ってきたのもわからなかった。
「待たせたな!」
カイの母から、こっぴどくお説教を受けたエリスは部屋に入ってくると、カイが勝手に卓上机の上に広げた手紙と写真を見付けた。
「おい!ちょっと、勝手に見るなよ」
慌ててカイの側に駆け寄ったが、すでには中身を見た後だと判り、エリスは黙ってにらみつけた。
「返せ」
 エリスはそれだけ言うと、カイの見ていた手紙をとりあげた。
「ごめん……。そんな手紙だと知らなくて」
 何か言い訳を考えたが、今のカイの頭の中には何も考えつかなかった。ただ、見なければよかったという後悔と、エリスの返事が気になって仕方がなかった。
エリスはカイから奪った手紙と写真をくしゃりと握りしめ、真っ赤になってうつむく。じっと自分の靴の先を穴があくほど見つめ、耳まで赤く染め上げていた。
こんなエリスの様子を見るのは、初めてこの家に来た時、手の甲にキスをしたとき以来だろうか。なんとなく声をかけづらく、こんな雰囲気の場は二人とも初めてで、カイはどう声をかけてよいものか悩んだ。
確かに黙って手紙をよんでしまった自分が悪いのだけど、今までのエリスなら、隠し事もなくなんでも自分に話してくれただろう。どうして今回は言ってくれなかったのか。
先に謝るべきなのだろうが、内緒にされた事が自分の存在を無視されたようで、カイは素直になれない。それよりもエリスがその男の子になんと返事をしたのか、気になって仕方がなかった。
エリスは黙ったまま手紙をぐしゃぐしゃにし、握り込んでうつむいた姿勢を崩さなかった。
彼女もまた、どう説明をしていいのか悩んでいるのかもしれない。いつものように笑って冗談だと笑い飛ばしてくれたのなら、こんなに動揺はしないのに。
うつむいたエリスの首筋がとても白くて、細い。窓から差し込む夕日が、金髪の三つ編みに溶けてとても綺麗だった。今まで気づかなかったけれど、彼女はこんなに美しかっただろうか?いつも女の子らしくない行動と言動で気がつかなかったけれど、改めてみると整った顔立ち。すっとのびた手足。こんなにも、彼女は魅力的じゃないか。ラブレターの一つや二つもらっても、おかしくはないだろう。それとも、自分が知らないだけですでに何度か告白だってされているかもしれない。 
何か謝罪の言葉をかけなければと思うカイだが、自分に秘密にされた事と、エリスの姿の美しさに見入ってしまい、言葉が出てこなかった。重い空気が、当たりを包んだ。
沈黙を先に破ったのはカイだった。
「ねえ。それ……返事したの?」
「返事?まあな。でも、お前には関係ないだろ!」
「……」
エリスの有無をいわせぬ返事に、カイは何も言えなかった。
エリスは半分怒ったようにそう言い放つと、側にあった鞄にノートを詰め込んだ。
エリスを怒らせてしまった。こんなつもりではなかったのに。自分の浅はかな好奇心と軽率な態度をカイは心から後悔していた。
エリスは鞄と握りしめると、部屋を出ようとドアノブに手をかけた。
このまま彼女が出て行くのかと見守っていると、突然、彼女はカイの方を振り返り、まだ怒りに震える声で言い放った。
「付き合う気はないって速攻で返事してやった。これで満足か?」
「……そう」
「今日の勉強は終わりだ。さっきの問題だけやっとけな!」
 エリスはそれだけ言い放つと、バンと大きく扉を閉めてその場を後にした。意識した事はなかったけれど、慌ただしくスカートをひるがえしながら部屋を出ていくエリスの後ろ姿は、まさしく女の子のものだ。
自分と比べると小さな肩も。華奢な腰も。まだ胸のふくらみは小さいけれど、病気がちだとはいえ、男の自分とは体つきが明らかに違っている。
「…ごめん」
 カイはエリスの居なくなった部屋で、小さな声で謝った。今頃謝ったって仕方ないのに。小さく謝罪の言葉が出たと同時に、心の中ではよかった。断ってくれたんだ。とほっとする自分がいる事に驚いた。
一体、自分は何に安堵しているのだろう。
カイは自分の知らないところで自分を置いて、エリスがどんどん先に成長していくような気になって不安で仕方がなかった。
けれど自分の中に目覚めた、エリスを異性とし見ている自分に気づかないほど、カイは鈍感ではなかった。



to be  continued……






       5




 中学校に上がったエリスは、学校へ行くときだけは制服のスカートを履くようになり、一応見た目は女の子に見えたが、中身は変わらないままだった。
 幼い頃は寝たきりだったハイデリヒも、同じ中学校に通っていたが、持病の為欠席する事が多く、自分の部屋で静養している事の方が常であった。
 その為、ハイデリヒの母親は、学校を休みがちな息子の為に家庭教師を付けていたが、エリスが教えてくれた方が、勉強がはかどると、それを断りたいとハイデリヒは申し出ていた。
 一方、エリスの方は特にガリ勉をするわけでもないのに、エリスの成績はいつもトップクラス。これにはハイデリヒの母親もハイデリヒの申し出を断るは出来ない。
こうして、エリスのいつの間にかハイデリヒが学校を休んだ日は、エリスが学校から帰ると、一つ学年が上のエリスが、本日の学校生活の報告と共に、勉強を教えるのがいつの間にか二人の習慣になっていた。
今日も学校を休んだハイデリヒの勉強を、エリスが教えようとベッドの上に卓上机出して、ノートを広げて説明をしている時だった。
突然、ドアをノックする音が聞こえてきた。
「エリス、エリス!」
 ドアが開いたと思ったら、けたたましい勢いで、ハイデリヒの母がエリスの名前を連呼した。
「エリス! 貴方、またスカートを破いたでしょ! もう、これで何度目なの。ちょっといらっしゃい!」
 ハイデリヒの母は有無をいわせぬ勢いだった。これには流石のエリスも従わなければならなそうだ。
「見つかったか……。カイ、ごめん。ちょっと行ってくるから、その間、この問題を解いておいてくれ」
エリスは教科書を広げ、問題を指摘すると、仕方ないというように肩をすぼめながら、ハイデリヒの母に謝ってくると部屋を出て行った。 
これもさほど珍しくはない、日常の事だ。
一人残されたハイデリヒは、二人のやりとりに苦笑いしながら、言われたとおり数学の教科書を広げた。
とりあえず、エリスに言われたとおりに問題を解いておこう。エリスが戻ってきたら、また母に言われた小言の一つでも聞いてあげないと。そう思い、ページをめくっていると、中に挟まれた一通の封筒が目に付いた。
真っ白な封筒。宛名はない。
これは?
これはエリスが誰かに貰ったものなのか、それともエリスが誰かに差し出す前のものなのか。いずれにせよ、自分には関係のないものだ。だが、見ての通り手紙だと思うと、どんな内容なのか気にならなくはない。 封筒の裏をみると、差出人の名前はないものの封が開いていて、そっと中身を覗くと手紙と写真が入っているようだ。見てはいけないモノだと知りつつ、写真まで入っているのだ。やはり内容が気になる。
封もあいているし、黙っておけばわからないかもしれない。ハイデリヒは悪いと思いつつそっと紙を広げてみると、ラブレターと思わしき文面と、自分達と同じくらいの男子が、同じ中学校の制服姿で写っている写真だった。
もしかして、これはラブレター? いや、十中八九、誰が見てもそうだろう。あまり上手くはない字だが、丁寧に書かれた文字。お見合い写真よろしく自分の写真まで入れてあるのだ。
ハイデリヒは驚くしかなかった。子供の頃から姉と弟と言うより、兄と弟と育ったエリスも、いつの間にかラブレターを貰うような年齢に鳴っていたのだ。 
知らなかった。子供の頃から側でずっと見ていたせいだろうか。女の子らしくない外見のせいだろうか。
今までエリスの事を異性として見た事はなかったのに、こんな手紙を見せつけられると、急にエリスだけ先に自分を置いてどんどん成長していくようで、少しショックだ。
発作でもないのに、急に心臓の鼓動が早くなるのが自分でもわかる。
 ハイデリヒは、この封筒を持ち主の男子生徒から手紙を受け取るエリスの様子を想像してみた。少しはにかんだ男の子。それを同じように照れながら受け取るエリス。
ハイデリヒは心臓の鼓動だけでなく、頭まで金槌で殴られたようにガンガンとしてきて、とても宿題をやるどころではなかった。
エリスは一体、この手紙を受け取るのに何と言ったのだろう。そしてこの手紙に対して、エリスはなんと答えるつもりなのだろう。


to be  continued……


     


  

       4
「これなら、部屋の中でも飛んでいるのを一緒に見られるだろ? 蝶なら、たとえ使用人に見つかってもそう驚かれないだろうしな」
くっくっくっくっ……
 カイはエリスの言葉を聞いて肩を振るわせ、いきなり笑い出した。
「何がそんなに可笑しいんだ?」
「そうだね。この間のカエルはみんな驚いていたね。その前のトカゲもちょっと……」
 エリスは、外で遊べないハイデイヒに見せたい一心で、ゲテモノでもお構いなしに部屋に持ってきては放すのだから、周りの人間はたまったものではない。
「あは。もう、その話はカンベンしてくれ」
「でも、今の季節、蝶なんて珍しくない?」
「まあ……な」
 エリスは誇らしげに鼻をすすった。
 カイがエリスの顔を見ると、小さいけれど左頬の上にひっかき傷が出来ているのを見付けた。よく見ると、朝は綺麗に編んであったトレードマークの三つ編みもところどころほどけていて、ズボンの裾にはドロ汚れがついている。
「エリスさん、また無茶をしたんでしょ」
「え?」
 エリスは慌てて身なりを整えようとしたが、今更もう遅い。
「またお母様にお転婆娘だとしかられるよ」
「別に……それくらいどうって事なって事ない。お前に蝶が見せられるんならな」
 そう言ってぺろりとピンク色の舌を出す仕草が、とてもチャーミングだ。カイはこういう時のエリスも表情がたまらなく好きだった。
「でも、顔に傷をつけてまで……。僕はあんまり無茶をして欲しくないんだけど。一生残る傷になったらどうするの? 元気なのはいいけれど、エリスさんは一応女の子なんだよ」
その時だった。
「エリス! 帰っているの?」
 一階から、カイの母の声が聞こえてきた。
「帰っているのなら、こっちにいらっしゃい!」
 声の調子からすると、また小言を言われるかもしれないと察したエリスは、急に落ち着きない態度で部屋をきょろきょろと見回した。
「エリスさん…?」
 どうする気だろうとカイがエリスを見ていると、エリスは
「心配するな。一生の傷になったら、お前に嫁にもらってもらうから」と、
冗談交じりにからからと笑った。
「じゃあな」
エリスは笑顔のままカイの母に見つかるまいと、大急ぎでケースメント窓を開けて、外にある白木蓮の樹に飛び移った。
「エリスさん! ここ二階だよ!」
「大丈夫。落ちるようなヘマはしないから。それよりもお義母さんに適当に言い訳しておいてくれ」
カイは驚いてベッドから飛び出すと、心配気に窓の外を見下ろした。エリスはするすると樹を下りると、カイの心配もよそに走り去り、あっと言う間に門の外に駆けだした。
「エリスさん!」
 もう。エリスさんたら。
「カイ! エリスはどこなの?」
 母が、階段を駆け上がり、こちらの部屋に近づいてくる。
 カイは肩をすくめると、仕方ないなと腹をくくるしかない。
ドアのノックと共に、怒りながら部屋に入ってくる母をなだめるのが、カイの日課の一つとなっていた。



to be  continued……