無言のまま尾行を続け、高橋の姿を見逃すまいと必死だった。時折、人陰や電柱に身を隠す。真野は瑠実の様子から、前方の高橋を追っていると悟ったらしい。
「もしかして、高橋さんを追ってるの?」と真野も、身を隠す瑠実の真似をしながら呟いた。真野は尾行の相手を確認しただけで、瑠実がなぜ高橋を尾行しているのか? というのは聞かなかった。だとすると、真野も高橋が怪しいと睨んでいた証拠だ。
「真野さん、気付いてたんですか?」
ふと、足を止めて瑠実が問い質すと、真野は前方に高橋の後ろ姿を捉えたまま、何食わぬ顔だ。
「……まあ、なんとなく」
一応、瑠実の問いに答えながらも、真野の視線は宙を泳いでいた。
「知っちょったのなら、なんで何もせんとですか?」
瑠実が憤慨して真野にツッコミを入れると、全く気にしていない様子だ。
「まあ、まあ。それより、いいと? 高橋さんは喫茶店に入って行ったよ。尾行中なんやろ?」
ちゃかすように言われたのが少し気に入らなかったが、今はそれどころではない。高橋を尾行するのが、最大のミッションだ。真野が指さす方向を見ると、高橋は二人に気付かぬまま、路面に面したビルの一階にある喫茶店に入っていった。店は硝子張りの上、夜なので、店内には灯りが点いている。外からもでも店内の様子はよく見えた。高橋は店内を回遊するように歩くと、誰かを捜す素振りを見せ、やがてボックス席に、ゆっくりと座った。やはり誰かと待ち合わせをしていたようだ。
(どうしよう……このまま高橋が外に出てくるまで待つのか?)
だが、高橋が誰と会い、偽造見積書をどうしたかが気になって、どうにもいたたまれない。背伸びをすると、ボックス席の壁側に座った高橋の頭は見えたが、そこまでだった。
瑠実と真野は背伸びしてみたが、店外から見るには限度がある。見られそうで、見られないのが歯痒くて堪らない。少し悔しい。いや、かなり悔しい。ここまで尾行したのに、相手が誰だか、わからないなんて。せっかくなら、最後まで見届けてやろうじゃないか。
思い立った瑠実は「行きましょう」と真野の手を引いた。
「え? 入ると?」
真野は一瞬、驚いた顔をしたが、瑠実の肝の据わった顔には逆らえない。渋々と手を引かれたまま、二人で店内に入った。もし、高橋に見つかったら、「残業に備えて、夜食を食べに来た」とでも言えばいいだろう。瑠実の頭の中では、見つかった場合の言い訳まで考えて店内に入った。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
感じのよい女性店員に言われ、さっと店内を見渡した。店内は半分くらいの混みようで、高橋の座ったテーブルの横は空いていた。
「どうする?」
真野が瑠実に小さい声で尋ねたが、流石に高橋の隣のテーブルに座るつもりはない。
一つ離した後ろのテーブルが空いていたので、真野に相談するわけでもなく、勝手に席を陣取った。高橋は奥のボックス席に座り、正面を向いていたが、待ち合わせの相手は向かい側に座っており、背中合わせでよく見えなかった。ボックス席に背を向ける席を瑠実は選んだ。座る直前、ちらりと視線だけ後方に向けると、高橋の目の前には、紅茶の入ったティーセットと、見積書がテーブルに並べてあった。
(あ! あの見積書だ)
やはり高橋は、誰かに見積書を渡すために来たのだ。瑠実は着席したが、ちっとも落ち着かなかった。見つかったらどうしよう。という気分が、隠れん坊をしている気分にさせる。急に子供に戻ったようで、懐かしいやら、恥ずかしいような気分になった。席に着いて、一つ深呼吸をする。いつの間にか真野も目の前にちゃっかり座っていたのに、瑠実は今頃になって気がついた。真野は勝手にテーブルの端にあったメニューを広げ、何にしようか吟味している。
(ちょっと、やる気があるの?)
なんのやる気だ? と問われれば、それまでだ。元々勝手に瑠実が始めた尾行だ。真野には関係のない話なので、やる気もなにもない。だが、なんとなく瑠実ばかりが一生懸命な気がしてならない。瑠実は妙に腹立たしかった。とはいえ、ここで真野に文句を言っても、始まらないだろう。真野を無視して、瑠実は後方の席に全神経を集中させた。けれど会話までは聞こえなかった。
「少し落ち着いたら? はい、メニュー」
瑠実の苛立ちをよそに、真野から涼しい顔でメニューを渡された。受け取りながらも、後方の席が気になって、メニューを広げても、気は漫ろだった。そうだ。真野の席からなら、高橋の相手が誰だか、わかるかもしれない。瑠実はそわそわと視線を泳がせながら、真野に尋ねた。
「み・え・ま・す?」
真野に口パクで尋ねたが、真野は黙って首を横に振るだけだった。しかたがない。ここは、相手が先に席を立つまで待つしかないか。そう思うと、ようやく瑠実は落ち着いてきた。落ち着くと、少しだけ視野が広がった気がした。
店内は壁と天井を白のスタッコ調に塗装し、床は天然石の乱貼りだった。低音のコントラバスと、ピアノの奏でるジャズ音楽が、落ち着いた雰囲気に拍車をかける。だが、真野と瑠実の耳は、後方の席の会話を聞くのに、ダンボ状態だった。コントラバスの低音は、男の会話に混ざり、聞き取りの邪魔をした。辛うじて高橋の声は聞こえたが、受け答えが大部分で、内容までは把握できない。店員がオーダーを取りに来たが、真野と瑠実は店員の顔もろくに見ずに「コーヒー」と声を合わせて合唱するものだから、店員もたまったものではない。早くどこかへ行ってくれ! と二人してオーラを発するのが判ったのか、店員も不審な顔をしながらも、すごすごとその場を後にした。
「どう? 何か聞こえますか?」
瑠実は壁際に掛かった絵に視線を送る振りをして、小声で真野に尋ねた。ところが、相変わらず顔を横に振るだけだ。まあ、ここは静かに待つしかないか。しばらくすると、店員がオーダーしたコーヒーを持ってきたが、二人とも手をつけなかった。なんとなく後方の様子が気になり、コーヒーを飲むどころではない。しびれを切らした真野が、「飲まんと?」と、瑠実に声をかけたが、ゆっくりお茶を飲む気分にはなれない。
真野は、しばらく瑠実に付き合って慎重に後方座席を気にしていたが、腕時計を見やると、側にいた店員を呼びつけた。
「すいません、パフェ一つ」
メニューも見ずに注文するとは。いつの間にチェックしたのだろう。後方に気もそぞろでろくにテーブルの上も見なかった瑠実は、ようやく端にあったデザートの広告スタンドを見つけた。
「あ、ずるい。私も一つ」
瑠実もすかさずパフェを追加した。
「なんだ、捜査はもういいと?」
真野は呆れたように言ったが、瑠実は懲りなかった。
「だって、真野さんだけずるい。私も食べたいですよ。捜査は続けます」
瑠実も負けじと言い訳したが、真野は知らん顔だった。知らん顔というより、面倒だがつきあってやるか、という態度だ。今現在、見積書の受け渡しの現場に潜入しているのに、真野の落ち着きようはどうだろう。瑠実は誰かを尾行するのも初めてだし、受け渡しの現場に潜入など、経験がないので心臓が高鳴って、どうにも落ち着けない。
to be continued……