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瑠実が会社を出たのは、二十二時を過ぎたところだった。真野は、まだ会社に残っていた。タクシーで帰宅してもいいと言われたが、まだバスも走っている時間だし、無理なら母に迎えに来て貰いますから。と、断った。一刻でも早く、家に戻りUSBメモリの中身をチェックしたい。瑠実は逸る気持ちを抑えつつ、自宅に戻ると、すぐに隆司の使っていたパソコンの電源を入れた。
ファイルの中身は、見積やCADデータと発注書だった。データが存在するにもかかわらず、そのうちのいくつかは、隆司のパソコンで拡張子を読み込めるソフトがインストールされておらず、開けないものもあった。それでも、大半は見ることができた。 調べていくうちに、不可解な点がいくつもあった。特に単価と数量だ。瑠実は残業中にかかってきた電話を思い出した。
(留守電に入っていた鉄筋量と鉄骨の量の件は、どういう意味だろう……)
そもそも、学生である瑠実がわからない点があるのは仕方ないにしても、疑問に思う点が多すぎる。まずは見積書の日付によって、鉄筋の単価が大幅に違って事実に気がついた。
(鉄って、時期によって、こんなに値段が違うものなの?)
ドルや為替の値段さえ気にしたことがないのに、鉄の値段など、気にも留めないどころか、値段を調べるなど、発想もしなかった。学生である瑠実の生活からは仕方ないが。
瑠実はネットに繋ぐと、鉄材の値段を調べ始めた。すぐに検索に懸かり、鉄材取引の価格表に辿り着いた。
よく見ると、ある時期から、じわりじわりと鉄材の価格が高騰していた。最低価格は平成十二年の一月で一トン当たり約二万六千円。瑠実が他で検索して見つけた価格表では、平成十九年一月で、一トン当たり約七万七千円に上昇している。七年間で一トン当たり約五万円も値が吊り上がっていた。
え? 一トンにつき五万円も?
驚いた瑠実だったが、表を更に見ると、これだけではなかった。更に鉄の値上がりが続き、平成二十年の六月のピーク時には一トン当たり十四万円近く鉄の価格が高騰していた。
最低価格の平成十二年から平成二十年のピーク時を比べると、一トン当たり十一万四千円もアップ? なんと五・三倍も価格高騰しているとは。
(こんな暴騰が、世の中、許されるの?)
瑠実は驚きを通り越して、腹立たしさえ感じていた。
今は、いくらだ? 気になって価格表を睨むと、現在は一トン当たり七万七千円前後。平成十九年あたりの価格に落ち着いていた。しかし、なぜ、こんなに鉄の値段がこれほどまでに短時間で変動したのだろう。
(これって、もしかして……)
瑠実は何年か前に、新聞やニュースで、鉄筋の単価が上昇しているのが話題になっていたのを思い出した。確か、ドバイの建築ラッシュや中国でのオリンピック、急激な好景気で、建物の新築着工数が大幅に増え、世界の鉄材がドバイや中国に流れ絶対数が不足。需要と供給の関係から価格上昇になったと。留守番電話では、三倍の鉄筋と鉄骨量だと言っていた。単価上昇に加え、設計量を一とした場合の三倍の量が使用される見積と、設計量の八割に減らされた見積の差はいったいいくらなのだろう。構造について明るくない瑠実でも、相当な金額の差になると想像がついだ。普通、建物の鉄筋量は、建物用途、規模、構造によって違ってくる。同じ鉄筋コンクリート造でも、建物意匠によっても、かなり違う。大学では、『鉄筋コンクリート構造計算基準』や『鉄筋コンクリート造配筋指針』『鋼構造設計基準』の分厚い専門書を引き、用途や規模で鉄筋量をおおまかに知ることができる――とは教わった。だが、意匠専門の瑠実が理解できるのは、それくらいだ。
ざっと見積書を見ると、鉄筋コンクリート造の集合住宅の六階建て(壁式工法)五千平方メートル程度の規模で、使用する鉄筋量総量が最初の発注書では一千八十トンと記されてあった。瑠実には、一千八十トンが多いのか少ないのかわからない。再びネット検索をし、建物ごとの必要鉄筋量が載っているページを見ると、首尾良く見つかった。
鉄筋コンクリート造のマンションの場合、コンクリート一立方メートルにつき使用する鉄筋の量は〇・一〇七トンとあった。コンクリートの使用量は、延べ床面積一平方メートル当たり〇・六五立方メートル。これを先程の見積にあった鉄筋コンクリート造の集合住宅の六階建て(壁式工法)五千平方メートルに当てはめると―――。
電卓を叩き、計算する。0.65x5,000=3,250立方メートルのコンクリートが必要だ。
鉄筋コンクリート造なので、もちろん、鉄筋も入る。一立方メートル当たり、必要鉄筋量は〇・一〇七トンなので、これを計算。3,250x0.107=347.75トン。つまり、非常にざっくりとした計算だが、必要鉄筋量は約三百五十トンになる。
なに?
発注書の数量は一千八十トン。瑠実が計算すると、約三百五十トン。その差が三倍もするではないか。まさか……。これを金額に計算すると、どれくらいの差額になるのだろう。
鉄が一番高騰していた時の値段は、一トン当たり十四万円していた。瑠実が計算した三百五十トン必要だと思われる数値を、仮に適正鉄筋量だとする。これで計算すると、350トンx140,000=49,000,000円。鉄材だけで約五千万円弱も掛かる。見積は、必ず損分も加味する。仮に損分を一割とすると、49,000,000円x1.1倍=53,900,000円になる。つまりは、五千四千万近く掛かることがわかる。ふむふむ。けっこう掛かるものだ。
これが見積の三倍、一千八十トンだとすると、1,080トンx140,000=151,200,000円。
適正鉄筋量と見積鉄筋量の価格の差は―――。
ええと……いくらだ? 瑠実は更に電卓を叩いた。
151,200,000から53,900,000を引くと―――。瑠実が電卓を叩き、液晶画面に弾き出された数字は、97,300,000円。一瞬、目を疑った。
え? 約一億? 誰だ? こんな見積を作ったヤツは!
瑠実は驚きを通り越して、腹立たしくなった。しかも、持ち帰ったデータをよく見ると、ご丁寧にも同じフォルダに、同じ物件の発注書が保存してあった。これを見ると、発注した鉄筋量は、二百八十八トン。適正鉄筋量を三百五十トンとすると、約〇・八倍。つまりは、必要だと思われる鉄筋量の八割しか発注していないことになる。なるほど。もしかして、留守番電話でいっていたのは、このことだったのか……。
見積は客先に提出するものと、業者に見積もらせて実施工事で使う実行用見積と、常に二つ存在する。瑠実が見つけたのは、客先用。つまりは、クライアントに見せる見積だった。鉄筋量に不正があったとしても、まず、素人には絶対わからない。大学で建築について専門で学んだ者でも、構造専門でなければ、鉄筋量なんてこんなものか。と思うだろう。価格についても、当時は世界的に鉄が不足し、高騰したためだと言われれば、客は一切わからない。微妙なコントロールだ。一方、発注書は、客に見せるものではなく、業者にしか見せない。客には適正鉄筋量の三倍もの鉄筋量の価格を請求し、業者には適正鉄筋の八割程度しか納品させない。おそらく、発注した人物は、差額をピンハネしたのだろう。
(もしかして、この発注書って……偽造発注書ってこと?)
瑠実はこの時、偽造計算書を見つける前に、偽造発注書を見つけてしまったことに、初めて気がついた。
データは真野のパソコンから持ってきたもの。偽造発注を指示したのも、真野なのか? だとしたら、何のために? お金が目的なのだろうか。瑠実は考えると、怖くなった。
to be continued……