一期一会 -5ページ目

一期一会

本も人の出会いも一期一会。時々読者、時々物書き。好きな本やコミック感想を中心に、日常のつれづれと共につぶやいていきます。



「意匠設計担当は、俺だよ」

「古賀さん……ですか?」

「ああ、そうやとよ。副社長とは、よくコンビを組んで、これまでにも一緒に設計した物件が、ぎょうさんある」

 瑠実は古賀の言葉を聞いたとたん、身体の中の血が一気に沸騰したようだった。

「じゃあ、古賀さんは、なんで捕まらなかったとですか!」

 はっとしたが、もう遅い。思わず言葉にして、瑠実は慌てて口に手を当てた。少し言葉が過ぎたと思った。しかし、見ようによっては、まるで古賀は罪を免れ、隆司が一人で罪を被ったように思える。古賀に悪いと思うが、正直な瑠実の気持ちだった。

「……ごめんなさい。言葉が過ぎました」

 瑠実の言葉に、一瞬、目を見開いた古賀だったが、瑠実が謝罪すると、すぐに穏やかな元の顔に戻った。

「ああ、気にせんでいいよ。普通は、そう思うじゃろね。じゃから、私も毎日のように事情聴取をされ、行動を警察に見張られちょる」

 古賀は瑠実の気持ちを宥めるように、静かな口調だった。

「……そうでしょうね」

(だから、なんなの?)

 相槌を打ちながらも、瑠実の中で、古賀に対する反骨心が高まった。古賀も苦労しているのかもしれないが、警察に捕まったわけではない。安易に被害妄想に陥った発言をしてしまったのは大人げないと思うが、獄中の隆司に比べれば、天国と地獄だ。心の奥底で反抗的になりながらも、瑠実は古賀の言葉に耳を傾けた。

「先にゆうちょくけど、さっきも話したとおり、私は意匠設計担当じゃけん、構造のことは、わからんとよね。補正するときは、基本的には、担当者がするようになっちょる」

「じゃあ、構造の補正は父がやったとですか?」

「そのはずやけん、ようわからん。事件の物件は、狙ってか、たまたまなのか、高度な構造計算が要らんものでね。高度な構造計算というと、建物規模と構造、階数によって、ルート1からルート3まであるけん」

 このあたりの説明になると、瑠実にも理解できなかった。現役の学生といえど、講義で習うのは構造力学の基礎だ。古賀のいうルートとは、おそらく計算方法のフローチャートだろう。瑠実は意匠専攻の上、どんな順序で計算していくのかはまでは知らない。

「ええと……」

 瑠実が生返事しかしないのを受けて、古賀は更にかみ砕いて教えてくれた。

「専門的になるから細かくは説明せんけど、一言に『構造計算』とゆうても、段階があるとよ。建物規模や、階数、用途によって分類されちょる。例えば、木造の建物を建てるのと、超高層ビルを建てるのには、検討分野の深さが違うのはわかるやろ? 検討分野が深くなればなるほど、複雑な計算が必要になる。計算したら、今度はそれをチェックする人間が必要になる。ここでいうルートというのは、計算内容の段階仕分け。つまり検討分野の線引きと思えばいいわ」

 瑠実は古賀の説明を聞きながら、やはりルートというのは構造計算方法の流れであって、計算順序のフローチャートだと思えばいいのか。と、納得した。

「ともかく、建物用途と階数、規模で構造検討がたくさん必要な建物は、適合判定といううて、審査機関の他に、ももう一つ第三者のチェックが必要になる。複雑じゃない構造計算は、適合判定には回されんのや」

 古賀は建築の専門家だし、瑠実は大学で建築学を学んでいる。高度な構造計算と古賀はさらりと言ったが、意匠設計を専攻している瑠実には、具体的な構造計算方法を思い出すのに、少々時間が掛かった。古賀も、意匠担当という割には、詳しそうに見える。これが社会人と学生の差なのだろうか? 一口に構造計算といっても、種類と段階があるのは理解できたが、計算名称までうろ覚えだ。瑠実がしばし考えていると、古賀は察したようだ。

「いきなり高度な構造計算というても、難しいわな。許容応力度に保有水平耐力はもちろん、層間変形角や剛性率、限界耐力計算、時刻歴応答解析。特に瑠実さんも意匠専門じゃったなら詳しいとこまではわからんやろ。」

 古賀は一人、納得顔で、解説を始めた。


to be  continued……



 早速、瑠実は古賀に会いに行った。

 今回は前もってアポイントを取り、裏口から会社に入る。

 打ち合わせルームに通され、紙コップに入った薄いコーヒーを啜りながら待っていると、古賀が現れた。

「こんにちは。お忙しいのに、すいません。確認申請の偽装事件について、伺いたいのですが」

「ああ、そっちのほうね……」

 古賀は、瑠実の言葉に拍子脱けしたのか、疲れた様子で、椅子に座った。

「その件なら、毎日のように警察から、いやというほど事情聴取されちょるからね。あんまり話したくはないっちゃけど。ところで、宝探しのほうは、見つかったとね?」

 瑠実は話を先に進めたいのに、逆に質問されて、出鼻を挫かれた気がした。

 隆司が庇っている相手を、一刻も知りたいのに、どう話せばいいだろう。焦る気持ちはある。けれど、いきなり古賀に「知りませんか?」と尋ねるのも変だろう。瑠実は逸る気持ちをぐっと堪えて、返事をした。

「それが、相変わらず『雲の中』の意味が全然わからんくて……」

「あれは、なんやっちゃろうかね。私も初めて聞いたよ。ヘタな暗号文なんかより、よっぽど難しいなぁ」

「そうなんですよね。未だに梃子摺ってます」

「まあ、そうやろうね」

 古賀は、おっとりと返事をした。余計に瑠実は歯痒くて、我慢できず切り出した。

「ところで、偽装事件の件ですが、どうなっちょるんでしょうか? 父は黙秘しているらしくて」

 瑠実はやりきれない思いから、膝の上で拳を作った。

「まず、その前に瑠実さんは、確認申請について、どれだけ知ちょる?」

 なぜ、古賀は質問と違う話をするのだろう。瑠実は考えながら答えた。

「面積が十平方メートルを超える建築物を建てる場合に、役所に届けを出す手続きですよね? 書類とか、図面とか。建物の構造によっては、構造計算書も提出する義務がある……」

 瑠実は、いつの間にか小声になり、古賀の顔色を窺っていた。語尾が小さくなった理由は、自信がないからだ。

 大学で建築を学んでいるといっても、実務については経験が一切ないので、素人と同じレベルだ。ましてベテランの古賀に対して『確認申請とはなにぞや?』などと正面きって言われると、緊張のあまり小声になるのも、しかたなかった。

「まあ、概略は、その通り」 

 古賀に肯定されて、瑠実は、ほっと胸を撫で下ろした。

「確認申請自体は、建築主事が許可するものやっちゃ。ばってん、最近は件数が多くて、細かくチェックできん。役所以外に、民間でも建築主事がおって、認可された機関でも、確認申請は許可できることになっちょる」

「ああ、それは前の、姉歯元一級建築士事件の時に知りました」

 瑠実はまだ学生だ。確認申請の実務を行った経験がないので、詳しい手続などは知らないのが現状だ。それをわかっている古賀は、丁寧に説明を始めた。

「ばってん今まで、確認申請という手続きは、建築士の資格があれば、提出はできるかいね。姉歯元建築士の事件以前は、実際は設計しちょらん者でも、資格さえ持っちょれば『名前貸し』して、他の業者や設計事務所にやらせて報酬を貰う輩もおった。もちろん、ウチの会社では、そんげなこつは絶対せんよ」

 古賀は真面目な顔で否定し、大きく手を振った。

「今は、どんな小さな物件でも、建築士の資格証明も書類と一緒に提出せんといかんし、建築士法も改正されて、三年に一度は講習を受けんといかんごつなっちょる。昔は建築士といや国家資格やから、合格したら、講習なんちゅうもんはなかったかいね。その上、構造計算も、前は確認を提出した機関だけに提出すればよかかったけんど、ある一定の大きさの規模と構造の建物や、方式によって、構造計算書の部分だけ、第三者機関にチェックしてもらわんと、いかんごつなった」

「それだけ厳しくなっているんですね」

 瑠実も、建築士法と建築基準法が大きく改正された経緯は、知っていた。

 今までは建築士の免許だけでよかったけれど、姉歯元建築士の事件以降、建築士の免許に加え、構造建築士なる資格も追加された。それだけ厳重に縛りを懸けなければならない状況になっている。

「それだけじゃなかと。確認申請は、出して終わりじゃないとよ。絶対といっていいほど、訂正が入る。姉歯事件以前は、図面や構造計算書の差し替えは、可能じゃったんじゃけど、事件以降は、基本的に差し替えはできんごつなった。役所や機関によってやり方は多少し違うっちゃけど、基本的には、差し替えは禁止。その場で補正して捺印するか、図面や計算書を追加事項や追加報告書で提出する規則になっちょる」

「そうなんですか。それは、知らんかったです。それじゃ今回、父が疑われちょるのは、その追加で出した計算書が違ごうちょる、ということですか?」

「早くいえば、その通り」

 古賀は腕組みをすると、深く頷いた。

 隆司が計算書を偽造したとは思えない。だが、法改正後の現在、図面や計算書の差し替えが認められないというのならば、やはり犯人は隆司なのだろうか。

 古賀の話を聞けば聞くほど、隆司の立場が悪くなるような気がした。

「素人には全部、同じに見えるかもしれん。けど、実は建築設計というと、意匠設計、構造設計、設備設計の三つに分かれちょる。もちろん、ある程度は分野が違ごうても、判るこつはある。けんど、内容が根本的に違う。簡単にいうと、同じ医者でも、内科医が歯医者として患者の治療はできんやろ? それと同じやな」

 確かに、わかりやすい喩えかもしれない。とすると、隆司は構造担当だったはず。では、意匠担当は、別にいるはずだ。

「父は構造設計担当ですよね? じゃあ、事件の意匠担当は、どなたなんですか?」

「さすが、瑠実さん、飲み込みが早かー」

 古賀は瑠実を褒めると、ぬるくなったコーヒーで喉を潤した。

 紙コップの薄いコーピーは、お世辞にも美味いとはいえない。苦いからか、不味いからから、顔を半分ほど顰める。

 瑠実が質問した疑問点に、古賀はじらすように、ゆっくりと答えた。


to be  continued……


「ちょっと待って。今、メモとるから」

 瑠実は慌てて芳美が口にした言葉を、書き留めていった。だが、書きながら薫が「道具じゃないとよ」と言っていたのを思い出した。

「そう言えば、おばあちゃんに『お茶の道具じゃないよ』って、言われたんだよね」

「なんだ。おばあちゃんに聞いて違うというなら、違うっちゃろうねぇ」

 芳美も何か役に立つかと、嬉々としてあれこれ口を挟んでいたが、瑠実に言われて、残念な表情をしていた。

「せっかくお母さんも考えてくれたのに、ごめん。道具じゃないなら、茶室の部所の名前というのは、ある? ホントは図面があると一番いいちゃけど」

「まあ、そうやろうね」

「そう。お母さん、見たことない?」

 芳美はしばらく考えていたが「う……ん。図面は、見た覚えはないわ」と唸りながら答えた。

『雲の中』の正体が掴めないのが歯がゆくて、どうにもいたたまれない。せっかくいい線まで来ていると思うのに、あと一歩というところで、行き詰まってしまう。

 せめてヒントになるものがわかればいいのだが。もう一度、薫に訊いたほうがいいのだろうか。

 迷っていると、芳美が言いにくそうに口を開いた。

「瑠実ちゃん、宝探しを頑張っているところに、水を差すようやけど、今日、弁護士の先生から、電話があったっちゃわ」

 隆司の事件を忘れていたわけではないけれど、面会にも行けないとわかってからは、そのままになっていた。

「お父さんに何かあったと?」

 瑠実は弾かれるように、顔を上げると、宝探しに疲れ緩めた背中を、一気に緊張させた。

「それがね。お父さんは事件について、黙秘しちょるらしいわ」

 瑠実は芳美の言葉が信じられなかった。隆司はなぜ黙秘する必要があるのだろう。まさか、本当に計算書を偽造したわけではあるまいし。

「嘘! お父さんは計算書の偽造は、しちょらんちゃろ? なんで黙秘すると?」

 瑠実は文句をいいながらも、心配をしていた。事件について隆司が黙秘するのは、もしかして本当に犯人なのか? 信じたくはないけれど、一抹の不安が頭の中をよぎった。

 だとしたら、この先どうなるのだろう。

 このままいけば、裁判になっても明らかに不利になるだろう。隆司を説得するにも、面会もできない今は、できる対策策も限られてくる。

「お母さんも、よくわからん。でも、このまま黙秘しちょるとなると、裁判の時に不利になるのは間違いないやろうし」

 芳美は、ゆっくりと思考の塊を手繰り寄せるようにして、話を続けた。

「たぶんね。……これは、お母さんの考えじゃけど、お父さんは犯人を知ってて、誰かを庇っちょるちゃないやろうか?」

「庇うって、誰を?」

 寝耳に水だった。

 芳美がいうように、誰かを庇うとするのなら、普通、家族や恋人だろう。

 だが、瑠実も芳美も、事件に関して黙秘してもらう理由がない。隆司には、家族以外にも自分が不利になってでも守りたいという人がいるのだろうか。それは、いったいどんな人なのだろう。

 瑠実は芳美の両手を掴むと、指が食い込むほど握りしめ、揺さぶった。

「なんでお父さんが、そこまでせんといかんと? お父さんは犯人じゃないっちゃろ?」

 芳美に八つ当たりしてもどうにもならないのに、瑠実は止まらなかった。

「警察は、ちゃんと調べてくれんちゃろうか? 弁護士の先生は、なんとかしてくれんちゃろうか!」

 パパっ子だった瑠実にとっては、隆司が黙秘するのは理解できなかった。あの真面目で隆司が、まさか本当に犯人ではあるまいし、なぜ黙秘する必要があるのだろう。

「お母さんは、お父さんが庇っちょる人を知っちょると?」

 芳美は黙って首を横に振った。

「ねえ。どうしてもお父さんには会えんと?」

「それが、今は無理なんだって。弁護士の先生しか会えんらしいわ」

 芳美も悲しそうな顔をしていた。芳美も隆司の態度に驚き、歯痒い思いをしているのだ。一人だけで悔しそうな思いをしていると、一瞬でも考えた瑠実は、ようやく目が覚めた気がした。

 隆司が黙秘をするのなら、きっと何か理由があるはずだ。

「ねえ、お母さん。もしかして、古賀さんなら何か知っちょるじゃろうか?」

 瑠実の一言に、見るみる間に芳美の顔が明るくなっていった。

 ここで心配しているくらいなら、何か隆司のためになるようしたいと思う。

「きっと真犯人は別にいると思う。私、古賀さんに会いに行ってくる」

 隆司が庇っているのが誰かわかれば、真犯人がわかるかもしれない。

 瑠実は絶対、真犯人を見付けてやると、心に誓った。

to be  continued……


第三章  確認申請偽装


             


 瑠実は薫が落ち着くのを待って、急いで帰宅した。

 今日の薫は、どうやら真野を、虎之助だと勘違いしたらしい。終始、茶室の話をしていた。

 やはり、『雲の中』とは、茶室に関係あるのではないか。自信はないけれど、なぜか瑠実は確信していた。

「おかあさん、茶室の図面って、どこにある?」

 帰宅するなり、瑠実は芳美に尋ねた。

「図面? そんなもの、あったっけ? さすがに、あの茶室が建ったのは、お母さんがここに嫁ぐ前の話やから、わからんね。あるとすれば、おじいちゃんの書斎やろうか」

 念のため、虎之助の書斎を探してみた。

 だが、茶室の図面らしいものは見つからなかった。薫の話では、築五十年は建っている。

 かなりの年月が経っているし、そもそも、図面が今でも存在するかわからない。

「やっぱり、もうないのかな……」

 せっかく、何かヒントになるものを見つけたかもしれないのに、ここで諦めるのは悔しい。

 もし、薫の言うように『雲の中』に虎之助の遺産が本当にあるのなら、会社の倒産も免れるかもしれない。瑠実は諦めきれなかった。

「瑠実ちゃん、おばあちゃんに訊いて、何かわかったとね?」

 帰宅するなり、茶室の図面を尋ねる瑠実の行動は、芳美には理解できなかった。もっと薫の様子や、宝探しの話をするのかと思ったのに。

 心配顔で覗き込む芳美の様子に、ようやく瑠実は説明を始めた。

「ごめん、ごめん。茶室の図面の話を急にしても、わけがわからんよね。おばあちゃんが、あんまり茶室のことしか言わんもんじゃから。もしかして、雲の中って、茶室の部材とか、部分の名前かと思うっちゃけど。お母さん、意味がわかる?」

「いいや。お母さんは、わからんわ。おばあちゃんが、そんげゆうたと?」

「おばあちゃんは言わんかったけど、なんとなく気になって。直接、雲の中の単語が出なくても、名称に『雲』がつくものとか。例えば、雲雀棚とか。違うやろうか?」

「雲雀棚ねぇ……」

 芳美は建築については詳しくないけれど、薫にお茶の手ほどきを受けていたので、茶道については多少の知識があった。少なくとも、瑠実よりは茶道の腕前は上だ。

 芳美は、しばし考えて、口を開いた。

「直接の名前じゃなくて、文字に書くと『雲』がつくものなら、もっとあると思うっちゃけど。例えば、雲鶴に雲龍釜、雲龍風炉とか。大きさ的に、釜や風炉なら、物が入りそうな大きさやろ? 茶の席なら、掛け軸も使うやろうし。掛け軸に書いてある文字が、宝のありかを指すとか、ないやろうか?」

 なるほど。今まで気がつかなかったけれど、文字だけでなく、水墨画や、茶碗の柄でもありそうだ。


to be  continued……




「おじいちゃんは、おばあちゃんを大事にしちょったんじゃね」
「うん。うん。おじいちゃんは、本当に私のことを好いてくれてたからね。今から五十年近く前やろうか。結婚する時に、いろいろあってね。ほら、おじいちゃんは情熱家だったし、女性にモテらから」
「へぇ。おじいちゃんて、モテたの?」
 初耳だった。祖母と祖父が大恋愛の末、結婚したと、よく聞かされていたが、おじいちゃんがモテていた話は聞いたとは覚えがなかった。もしかして、何か別のロマンスがあったのかもしれない。
「そうね。おじいちゃんは、見た目も二枚目だったし、当時、会社を作ったばかりで、若くても社長だったからね。憧れる女の人は、多かったとよ」
「そうなんだ」
「そういえば、茶室は誰か、掃除してくれよると?」
「掃除? どうやろ。最近、お葬式とか、バタバタしてたから。それに、おばあちゃんがおらんとに、勝手に茶室のものは触れんやろ」
 茶室には、デリケートな道具がたくさんあった。古い茶碗やボロ切れのような布でも、実は驚くほど高値のするものもある。幼い頃から薫の間近で、茶の道具を見知っている瑠実は、できるだけ触るのを避けてきた。
「ダメよ。ちゃんとせんと。瑠実、あんた、暇がある時、掃除してくれんね」
「えー。だって、もし、触って壊したら、私弁償できんもん」
「なにも、道具を触れってゆうちょるっちゃないと。毎日、掃除して、確認しちょけば、もし、泥棒が入っても、すぐにわかるやろう?」
(なんで確認なの?)
  瑠実は違和感を覚えた。薫は『確認』という言葉を使ったが、それはどういう意味なのだろうか。
 もしかして、『雲の中』というのは、茶の道具に関係があるのだろうか。単に祖母は茶室にある高額の道具を、泥棒に取られると思っているのかもしれないし。
 瑠実は思考を巡らせながら、薫に質問をした。
「おばあちゃん、ちょっと聞いていい?」
「なんね?」
「もしかして、雲の中っていうのは、茶の道具のこと? 私、それほどお茶について詳くんまいから、わからんちゃわ。確か道具に雲の中というのは、なかったよね?」
「道具じゃないよ」
「なら、どこ? 茶室の部所の名前?」
 瑠実は建築家の家に育ち、自分も建築について大学で勉強中だ。茶室は少しジャンルが違うけれど、一般人に比べれば詳しい部類だと思う。
 もしくは、茶室だけに存在する専門用語の一つだろうか。例えば、一般的な和室には使われず、茶室ならではの部所だ。畳床とか、柳釘とか、炉とか。
 確か、吊り棚の一つに、織部形が好んだ雲雀棚というのがあったのを、思い出した。
 漢字で書くと、雲雀には雲という文字が入る。もしかしたら茶の道具でなければ、茶室の部所の名称なのかもしれない。
 少し、確信に触れたような気がして、瑠実は胸が高鳴った。
「どこね? もし、そうなら、教えて」
「部分の名前じゃないよ。雲ん中は、雲ん中じゃから」
 その後、忍耐強く薫から雲の中の事を聞き出そうとしたが、だめだった。
 これ以上しつこく聞くと、薫は怒り出すだろう。適当に世間話をしていると、夕食が部屋に運ばれてきた。しかたなく「また来るね」と瑠実は諦めて、帰宅した。
  
 翌日、瑠実が再び薫に会いに行くと、真野が先にやって来ていた。まさか、来てくれるとは思っていなかったので、瑠実は驚いた。
「こんにちは。おばあちゃんの面会に来てくださったんですか?」
「ええ。まあ。今日は休みですし」
 ジーパンにVネックの薄手のセーター。軽くジャケットを羽織った姿の真野は、笑顔で返事をした。
 なんだか印象が違うと思ったら、そういえば私服姿だ。今までスーツ姿しか見たことがなかったが、私服姿の真野は、いつもより若く見えた。学生だと言っても通るかもしれない。
「おばあちゃん、気分は、どんげね?」
 瑠実が尋ねると、薫は嬉しそうだ。よく見ると、ベッドの上で、しっかり真野の手を握っていた。
「あら、あら。おばあちゃんも、隅に置けんねぇ」
 瑠実が冗談交じりに言うと、薫は真面目な顔をして「瑠実ちゃん、何いよっとね。こん人は虎之助さんじゃがね」と、握った手を瑠実の目の前に突き出した。
「え? おばあちゃん、違うやろ」
 瑠実が訂正すると、薫は急に自信のない様子で、悲しい顔をした。どうやら薫は、目の前にいる真野を、虎之助だと思っているらしい。
 真野と虎之助は、顔は似ていない。だが、確かに、よく見ると、どこか線の細いところや、清潔感漂うイメージは似ているかもしれない。客観的に見ると、イケメンの部類に入るのだろう。
 薫も年をとっても、やはり女なのだな――と、思うと、少しだけ、ほのぼのとした気持ちになれた。
 真野も、どうやら察したらしい。瑠実にウィンクをし、虎之助を演じるつもりになったのか、握り締めた手をぎゅっと両手で握り、安心できるように「薫さん、ここにいますよ」と声を掛けた。
 薫は嬉しそうに微笑むと、それから、いろんな話を始めた。
 いつもの虎之助との大恋愛の話に、茶室の話。瑠実と真野は時々、相槌を打ちながら聞いていた。
(もしかしたら、このまま、『雲の中』のことを、喋ってくれるかもしれない)
 世間話の延長のつもりで、宝探しの話題にわざと触れるよう薫に話を振った。
 ところが、薫は瑠実の話には乗ってこなかった。瑠実の意図を察した真野も、スルーする話題をいくつか拾ってくれた。それでも薫は、肝心な話は一切しなかった。
(やっぱり、無理なのかな……)
 瑠実が諦めているかたわら、薫と真野は茶室の話題で盛り上がっていた。ずいぶんと楽しそうだ。
 真野が上手に話を聞くものだから、薫も、いつもよりお喋りだ。意外な真野の一面を見た気がした。
「真野さん、茶道をやったことが、あるんですか?」
「ええ、多少なら。亡くなった祖母も茶道をやっちょったから。でも、薫さん、さすが茶室のことは詳しいですね」
 真野が言ったとたん、薫は急に何か思い出したのか、顔色を変えた。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
 薫は何かに怯えるように、謝罪し始めた。
「おばあちゃん、どんげしたと?」
 瑠実が尋ねるが、薫は瑠実の声が聞こえていないようだ。
「私が虎之助さんをとったから。茶室も私のもんになったとよ。あんたには、いつも悪いと思っちゃった。ごめんなさい」 
 小さい身体を丸めて、怯え続けている。
「何か思い出したと? 怖がらんでも、大丈夫やから」
 瑠実が言っても落ち着かない。薫は真野の顔を見ながら、両手を合わせて、拝むように謝っていた。
「おばあちゃん、しっかりしてください」
 真野がベッドに腰掛け、薫の背中を優しくさすってやると、ようやく落ち着きを取り戻した。



to be  continued……


  5




 その後、瑠実と芳美は急いで帰宅した。祖母と祖父の部屋を中心に、遺産に相当するような物や、ヒントになる物がないか、家中を探してみた。

 押入や、抽斗、クローゼット、金庫。和室の畳も全部そっくり剥がして見たし、和室の長押の隙間も、全部しっかり覗いて見たが、通帳や証券といった物もなかった。

「この家は、おじいちゃんが建てたとよね? もしかして、家のどこかに隠し部屋があって、そこにあるとか?」

 妄想すると止まらない。普段は敷きっぱなしのラグや絨毯も剥がして見たし、壁に仕掛けがあるのでは? と思い、食器棚や、本棚をどかして探してみたが、見つからなかった。

 虎之助の書斎で、偶然、家の竣工図面を見つけたが、広げて見ても、特に怪しそうなところはなさそうだ。

「おかあさん、図面には隠し部屋とか描いてないっちゃけど、そういう部屋があるとか、聞いた覚えないと?」

「そんげなところがあると知っちょれば、真っ先に見ちょるが」

 それは確かに、そうだろう。やはり、真野が言う通り、薫に聞くしか方法はなさそうだ。

「おかあさん、明日、私、おばあちゃんのところに行ってくるよ。お母さんは引き続き、家の中を片付けながら探してみて」

 いつの間にか、辺りは、まるで泥棒が入ったように、散乱していた。

「そうねぇ」

 捜し物をするのに疲れたのか、芳美はぐったりしていた。



        *

 翌日、瑠実は、薫に会いに行った。

 薫がショートスティしている施設は、丘の上にあった。天神や小倉が見渡せる、眺めのよい立地条件だ。

 隣に病院も併設されているため何かあっても対応はしてくれる。その点は安心だが、サービスを受けるにも、いかんせんお金は掛かる。

 とりあえず、薫を預かってもらう予定の期間は一週間。葬儀と、その後の処理が終わるまでと、薫には説明しているので、できれば遺産探しも、その間に終えたいところだ。

 瑠実が、着替えと薫の好きな和菓子を片手に面会に行くと、薫はちょうど昼寝から起きたところだった。楽な部屋着の格好をしていたが、ちゃんと身繕いも自分できており、瑠実が来たのを喜んでくれた。

「おばあちゃん、気分は、どんげね?」

 ここにいる間、しっかり睡眠が摂れているのか、薫の顔色は良かった。

「ああ。気分はいいよ。心配かけて、ごめんね」

 薫は瑠実の瞳をちゃんと捉え、返事をした。穏やかな表情だ。この状況だけ見れば、薫が認知症だとは誰も思わないだろう。

 どうやら認知症はON/OFFの境があるようだ。今がONの時なら聞いてみよう。瑠実は来て早々、薫に尋ねてみた。

「おばあちゃん、この間からずっと『雲の中』のことを、ゆうちょるよね。あれって何?」

「雲ん中ね? 雲ん中は、雲ん中よ。おじいちゃんが、私のために茶室を建ててくれたっちゃわ。あれは嬉しかったねぇ」

(ん? 質問した内容返事が微妙にズレていないか?)

 瑠実はおかしいな。と思いつつ、薫に話を合わせた。

 祖母は裏千家の茶の先生をしていた。自宅の庭の離れには、独立した茶室がある。生前の虎之助が薫のために建ててくれたのは、いつも夫自慢する話の一つだ。

「ああ、そういえばおばあちゃんのためにおじいちゃんが茶室を建ててくれたんだよね」

 瑠実は、聞きたい話ではないのにと、歯痒い思いをするがしかたがない。我慢強く、薫の話に合わせた。



to be  continued……





 



 しばらくして、古賀が封筒を持って戻ってきた。

「いくつか、社長個人名義の貴重品が見つかりました」

 ガラスのローテーブルの上に、茶封筒から書類を取り出した。個人名義の預金通帳に、印鑑、それに生命保険証だった。

 預金通帳には大した額は入っていなかったし、生命保険も、付き合いで入ったらしいガン保険が二つ。虎之助は脳梗塞で亡くなっているので、今回、保険に該当するかわからない。期待していたような遺産に相当するようなものは、残念ながら見当たらなかった。

 わくわくしながら机に並べられた書類を眺めていた芳美だったが、全て並べられたとたん、急に醒めた口調で言い放った。

「これだけですか?」

「残念ながら……」

 古賀が気の毒そうに返事をした。別に古賀を責めているわけではないけれど、何も見つからなかったのが気まずそうだ。

「そんな……」

 芳美は、がっくりと肩を落とした。古賀は、何か慰めの言葉を掛けようと、口を開き掛けた。だが、芳美があまりに落胆の様子だったのに、無理はないと納得したのか、口ごもった。

「あの、他に古賀さんに心当たりはないでしょうか?」

 瑠実が古賀に尋ねたが、古賀は首を横に振った。

「これだけしかなかったら、会社はどうなるんです?」

 瑠実が思い切って聞いてみると、古賀は疲れたように、ソファに深く腰を下ろした。

「それが問題です。正直、この間も言った通り、会社の経営状態は、最悪の状態です。はっきり言って、資金不足です。現実問題、銀行からの借り入れはストップ、現在、工事中の物件の仕事も、キャンセルが相次いじょるし……」

 古賀は渋い顔をしながら、顎を撫でた。

「じゃあ、このまま行くと、会社は倒産――ということですか?」

 瑠実が古賀に質問すると、周囲を一度さっと見渡し、声を潜めた。

「これは、まだ試算の段階なのですが、現段階で赤字が一億二千万。少なくとも、一億を来月中に払えなければ、倒産もありうるかもしれません」

「一億!」

 古賀の話を聞いて、瑠実と芳美、同席した真野までも驚いていた。

「古賀部長、少し金額が大きくないですか?」

「明日には二件、工事完了金が入って来る予定だったのが、今回の社長の死去と副社長の偽造事件で、安全が確認できないと支払いできない、と苦情が入ってね。他にも、予定していた銀行融資がストップしたし、今月には入るはずの着工金も、あてにできなくなった」

「ああ、あれですか……」

 真野は会社の人間だ。心当たりのある物件を思い出したのか、残念そうに項垂れた。

    

 建築工事費は、高額になるため、普通、着工時、上棟時、完了時と、二、三回に分けて支払われる事例が多い。入金キャンセルが重なれば、不足金が高額になるのは、瑠実でも想像がついた。

「じゃったら、余計におじいちゃんの遺産を真面目に探さんといかんとかね」

 芳美は明るく言い放ったが、すぐに瑠実が反論した。

「お母さん、そんげなこつゆうても、心当たりはあるとね?」

「それは……」

 芳美に八つ当たりしても、どうにもならないのは重々わかっている。けれど、暢気な母の言いぐさが、どうにも我慢ができなかった。

 こんな事態になるのなら、虎之助が亡くなる前、ちゃんと遺産の場所を聞いておけばよかった。だが、今頃になって後悔しても、もう遅い。瑠実も芳美も、ここに来れば、何か手がかりがあると思っていたのに、結果がこの有様だ。

 最悪、夜逃げでもする羽目になりそうだな――と想像していると、今まで黙っていた真野が、おそるおそる口を開いた。

「なら……もう一度、おばあさんに、ちゃんと話を聞いてみたらどんげですか?」

「え?」

「社長の遺産は、おばあさんしか知らんとでしょう? いくら認知症だとゆうても、全部が嘘を言っているとは思えないし。ここは根気よく、おばあさんの意見を聞くしか、方法はないと思うっちゃけど……」

 確かに、そうかもしれない。今は根気よく薫の意見を聞き、もう一度、家の中もちゃんと調べてみよう。少しだけ、真野の意見で救われた気がした。



to be  continued……




  3



「古賀部長、大丈夫なのですか?」

 驚いた様子の真野に、古賀は視線を合わせず、ただ返事をした。「遅くなってすまん」

 やや窶れた感のある古賀が、社長室に入ってくると、芳美に向かってお辞儀をした。

「わざわざおいで頂きまして、すいません。私に何か用があるとですか?」

 芳美は、ちょうどよかったと、古賀に話し始めた。

 おそらく、芳美は古賀にを聞いて欲しかったのだろう。機関銃のように、方言で喋りまくった。

 金庫の中身を確認して欲しいこと。薫の病状のこと。それに加え、虎之助の遺産のありかを、薫が知っていて、薫は「雲の中を探せばいい」と言っている旨まで喋っていた。

「お母さん、ちょっと!」

 いくら古賀は昔から香月家と親しい間柄だと言っても、虎之助の遺産の話までしなくてもいいだろう。途中、瑠実が何度か芳美の袖を引っぱり、釘を刺したが、芳美のお喋りは一向に止まらなかった。

(まあ、仕方がないか)

 瑠実も、誰かに頼りたくなる芳美の気持ちは、判らないでもない。

 古賀は隆司の親友だ。しかも、芳美とも大学時代からの旧知の仲なので、話しやすいのかもしれない。

 古賀は真面目な顔をして、芳美の話に耳を傾けていた。真剣に話を訊き、必要だと思われるところには相槌を打ちながら、同意をする。

 芳美にしては、聞き上手な古賀が、さぞかし頼もしく思えただろう。全て話し終わった頃には、芳美はすっかり安堵した表情をしていた。

「判りました。なら、すぐに経理部長に話を通して、社長の個人名義の貴重品がないか調べてもらいます。もう少し、ここで待っちょって下さい」

古賀はしっかりした口調で説明すると、すぐに席を立った。

「さすが、古賀部長ですよね」

 古賀が社長室を出て行った後、真野が感心していた。

「昔から、古賀さんは、ああいうところがいいとよねぇ。仕事も早いし、頼りになるし。なにより自立しちょるからね。行動力があるわ。若い頃から苦労してるからやろうか」

 うっとりした目で芳美が古賀を褒めるのを、瑠実は驚いて見ていた。まるで芳美は、恋する女の顔だった。

「苦労ですか?」

 驚いた顔をした真野が、芳美に尋ねた。

「古賀部長が仕事が出来るのは知っていますが、苦労されてたんですか?」

「プライベートな事やからね。あまり話したがらんやろね」

「そんな話は聞いたことがありませんでした」

「あの人みたいに苦労してる人は、私は知らんかも。うちのお父さんのように、ボンボンで育った人と比べると、大違いやわ」

「苦労って、どんな?」

 瑠実も興味を持ち、尋ねた。

 古賀は幼い頃から知っているが、苦労をしているとは知らなかった。知っている事実といえば、父と母と大学時代からの友人で、未だ独身だということぐらいだ。

「ここだけの話やけど……。古賀さんは親を小さい頃に交通事故で亡くして、施設で育ったとよ。ばってん、古賀さんは努力家で、頭もよかかったから、高校も、大学も奨学金で出たらしいし。今でも給料の一部は、世話になった施設に寄付しちょるらしいよ」

「へぇ」

 知らなかった。古賀に、そんな一面があったなんて。

「そうだったんですね。知りませんでした」

 真野も静かに呟いた。

「苦労した分、古賀さんには幸せになって欲しいとよね。本当は早くいい人を見つけて、結婚でもしてくれればいいちゃけど」

 確かに、古賀の身の上話は、気の毒だと思う。苦労もたくさんしただろう。とはいえ、古賀と父の隆司と比べて欲しくないと、瑠実は思う。

 隆司は、確かに、おぼっちゃまな性格なところは、娘から見てもあると思う。

 だが、生まれてきた環境は、自分にはどうにもできない。隆司は隆司なりに、親の七光りで苦労した部分もあるのだ。妻ならそれを判ってやればいいと思うが、夫婦だからこそ、違う意見もあるのだろう。

 瑠実は、古賀に感心する真野と芳美のようには、素直に古賀を同じ気持ちで見ることはできなかった。




to be  continued……






香月建設は、北九州市の小倉北区にあった。

大通りに面した五階建ての自社ビルは、築二十年以上になるだろうか。外観のデザインはシンプルだが、内部はところどころバブルの絶頂期の頃の面影が残る。

少し萎びた感のあるのは否めないが、さすが地元で長年建築会社を経営しているだけあって、細部に亘り、凝った作りだった。

エントランスの壁は大理石張りで、いかにもアールデコ調のタワーを連想させるような特注の真鍮のラインが入っていた。床は黒御影石の斜め張りで、わざとラインの太さと磨き方を変え、見た目も同じ石を使っているとは思えなかった。

サガン風に磨かれた石は、雨の日も、革靴で滑りにくいよう配慮されている点は偉いと思う。だが、瑠実は、どうもこのエントランス・ホールのデザインが好きではなかった。

大通りに面する歩道にも、偽装事件を取材しようとしている報道陣が待ち構えていた。ワイドショーのレポーターが、瑠実と芳美が会社に入るまで、ぴったりと付いていたが、流石に建物に入ってしまうと、追ってこなかった。

会社に来るのにも、こんな騒ぎなのか。改めて大変な事件になっているのだと、つくづく驚いた。

受付の女子社員に古賀に取り次ぐようお願いすると、今は接客中なので、横にあるソファで待つように言われた。

だが、見ると、ソファは同じように待っているサラリーマンが一杯で、座る場所など、どこにも見当たらない。もう一度、受付の社員を見ると、違う客人の対応に追われていて、忙しそうだ。

「瑠実ちゃん、どうしようか。出直してこようか」

芳美が半ば諦めながら言うのも、わからないではなかった。

古賀に会社の金庫の中を確認してもらえないかと、思い立って来たけれど、前もってアポイントを取っておくべきだった。

エントランス・ホールが満員だからと、外に出て待つにも、報道陣が待ち構えている。できれば帰りは裏口から、そーっと帰りたいところだ。

どうしようか、考えあぐねていると、瑠実と芳美の前に、真野が現れた。

「こんにちは。すいません、古賀部長は接客中ですので、私が対応させていただきます」

真野はにこやかに挨拶したが、随分と疲れているように見えた。

それはそうだろう。連日、虎之助の通夜、葬儀と手伝いをした後、すぐに会社に戻り、偽装事件のトラブル対応に追われているのだから。

 真野でそうなら、古賀はもっと忙しいのだろう。やはり、出直したほうがいいのだろうか。

だが、せっかくここまで来たのだ。真野に頼んで、会社の金庫の中身が確認できるのかわからないが、古賀に取り次ぎぐらいはできるだろう。今日は無理でも、先に話だけでも通して置けば、少しは早い対応が望めるかもしれない。

瑠実は二つ返事で、お願いすることにした。

「では、上に行きましょうか」

 真野は二人を社長室へと案内してくれた。


 芳美は社長室へ来たことはあるらしいが、瑠実は初めてだった。

 絨毯張りの床に、部屋の四方の壁をマホガニーの腰壁と、トラディショナルな柄のクロスで囲われ、さすがに社長室の重厚感がある。デスクも壁と同じマホガニーであつらえ、背中まである革張りの椅子は、かつて虎之助の愛用したものだ。

 家の書斎にも、同じデスクと椅子のセットがある。幼い頃、瑠実も何度かこの椅子に座り、くるくると回して、虎之助に怒られた出来事を想い出した。

空席になっている社長室の椅子は、どこか寂しげに見えた。

(ああ。おじいちゃんは、本当にいなくなったんだ)

 瑠実は今更ながら虎之助の死を再確認して、寂しくなった。

 薫がおかしくなるのも、仕方ないと思う。最愛の人が急にいなくなるなんて、いったい、どんな気持ちなのだろう。

 瑠実には今のところ、最愛の人と呼べる存在はいない。恋愛経験はあるけれど、どこか一過性のもののような気がして、付き合い始めても長く続いた経験がない。

 物思いに耽っていると、芳美も椅子を見て、虎之助を思い出していたのだろう。感慨深そうな表情をしていた。

「どうぞ、こちらへ」

 真野が二人にソファに座るよう勧めた。座ったのを確認すると、真野もようやく向かいのソファに腰を下ろした。

「ここまで来るのに、大変じゃなかったですか? 来られるのが判っていれば、裏口から案内できたとですが」

 報道陣の騒ぎを言っているのだろう。確かに、今となっては、そうすればよかったと思う。

「次回、もし来ることがあったら、お願いします」

瑠実が返事をすると、芳美が口を開いた。

「古賀さんは?」

「この通り、偽装事件の件で来客と、電話対応に追われちょりまして」

「なら、古賀さんにお伝えしてもらえんでしょうか?」

芳美は、会社の金庫の中に、虎之助の個人資産に相当するものがないか、調べて欲しい旨を伝えた。

「わかりました。直接、金庫の中を確認できる者は限られちょります。古賀部長経由で、経理責任者に調べてもうよう、伝えますね」

 快く真野が返事をすると同時に、社長室のドアがノックされた。真野が立ち上がり、ドアを開けると、古賀が立っていた。




to be  continued……










第二章 薫の茶室


    1




夕方から行われた虎之助の葬儀は、大変な騒ぎだった。隆司が葬儀に参列すると思われたからかもしれない。どこから集まって来たのか、新聞記者やワイドショーのテレビ中継車まで出ていた。

 田舎でテレビ中継されるのが珍しいからか、野次馬も多かった。出棺の車を出すのに一苦労だ。

父の隆司は、結局葬儀にも出席できなかった。葬儀の間は、親戚の叔母たちが薫についていてくれていたが、虎之助の死に憔悴しきっきっており、時々、虎之助との約束を想い出すのか、繰り返し「雲ん中」ばかり連呼している。

「おばあちゃん、大丈夫やろうか?」

 芳美は父の逮捕事件だけでも、相当参っているようなのに、葬式の途中も、ずっと薫の心配ばかりしていた。

 瑠実は、気が気ではなかった。祖父の急死に、父の逮捕。それに続いて、祖母の認知症発覚。

 一時期に纏まって大変な事件が起きて、これを目の当たりにした母が心配だと思いつつも、瑠実もどうにか対処できるわけではない。

「大丈夫やて。なんとかなるが」

 今の瑠実には、それしか答えられなかった。これ以上、芳美に心配させるわけにはいかないし、負担も掛けられなかった。

 葬式の手配は業者と会社の社員が手伝ってくれたからよかったものの、薫が半病人になった今、瑠実と芳美だけでは、とうてい手が回らなかっただろう。

 ようやく葬儀が終わり、一息ついた頃には、疲れて呆然としていた。

 葬儀が終わり次第、しばらく薫を介護施設にショートステイさせたのは、正解だったかもしれない。家を離れるのを嫌がるかと覚悟していたが、薫は嫌がりもせず、黙って受け入れた。

「瑠実ちゃん、これから先、どうしようかねぇ」

 ほっとしたのか、芳美は、ぼろぼろと泣いていた。

 ここに隆司がいれば、芳美にどんな言葉を掛けただろう。今頃、留置所で、実父の葬儀にも出席できず、構造計算の偽装の罪を着せられ、悔しい思いをしているはずだ。

瑠実は考えた。隆司なら、どう行動するだろう。まずは、家の金庫を確かめることぐらいは、するだろう。

早速、瑠実は芳美と、家の金庫を開けてみた。

だが、中には家や土地の権利書、隆司が貯めている定期積金の通帳や保険証しか入っていない。虎之助と薫名義の通帳はいくつかあったが、財産と呼べるほどの金額は入っていなかった。

 仮にも、虎之助は会社の代表取締役をしていたのだ。いくら財産があるのか判らないが、七ケタの単位ではないと思う。

「お母さん、他には金庫はないと?」

 瑠実は芳美に尋ねたが、残念そうに首を横に振った。

「せめて《雲の中》の場所さえ、わかったらねぇ」

 芳美もぼやく。とにかく、意味が分からないのだ。今は謎解きをしている暇はない。広げた通帳をしまいながら、思い出したように芳美が呟いた。

「そういえば、会社にも金庫はあるとよね? もしかして、会社の金庫に、おじいちゃんの個人の通帳は、ないやろうか」

「でも、普通、会社の金庫に、私物を入れたりする?」

社会人でない瑠実に、想像はつかない。とはいえ、まったくあり得ないことではないと思う。

「一度、会社の金庫も探してみようか?」

「探すのはいいっちゃけん、勝手に行って、金庫の中身を見せてもらえるやろうか?」

 芳美は当たり前のように言った。

 普通、いくら元社長の身内だと言っても、部外者が勝手に金庫の中身を見せてもらえないだろう。ならば、一度、内部の者にお願いするのが自然だろう。

 芳美の脳裏には、ふと、古賀の名前が浮かんだ。 

「瑠実ちゃん、古賀さんにゆうたら、見せて貰えるかもしれん。見せてもらえんでも、古賀さんなら、中身を確認してもらえるっちゃないやろうか」

二人は、会社に行くことにした。




to be  continued……