雲の中。 第四章 疑惑の発注書 6 | 一期一会

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 いつの間にか女子社員とうち解けた瑠実だったが、残業を手伝うほど、お人好しの人たちではないようだ。定時のチャイムが鳴ると、そそくさと帰宅していた。瑠実は今夜も残業かと思うと、少しだけ憂鬱になる。就業時間も過ぎ、人手が疎らになった頃、電話が鳴った。辺りを見回すが、真野はいなかった。他の社員も何人かいるが、就業時間も過ぎているので、そのうち留守電話に切り替わるだろうと思っているのか、誰も電話を取らない。

 瑠実も周りを見習い、そのまま放置しようとしていた。ところが、電話は一向に留守電に切り替わらない。あまりに鳴り続くので、瑠実は気が引けて、おそるおそる受話器を取っていた。

「お待たせして申し訳ありません。香月建設でございます」

 電話に出たのは初めてだったが、三日も同じ職場にバイトに来ていれば、社交辞令の挨拶程度の受け答えはどうにかできる。電話を取るまで時間が経ったことに一度、詫びを入れ、できるだけ丁寧に応対すると、電話の相手は、気にしていないようだった。心の中でほっとしながら、受け答えする。

「どうも。お世話になっちょる、岩切鉄工所の吉田です。真野さんは、おられますか?」

 嗄れた年配の男の声だった。電話を受けたのが、年配の男性というだけで、緊張する。動揺しながら瑠実は「少々お待ち下さい」と周囲を見回す。真野はまだ席を外しているらしく、見当たらなかった。周りに残っている社員も、早く帰宅したいのか、瑠実が困っている様子がわかっていても、誰も声を掛けてはくれなかった。どうしよう。電話を取ったのはよいが、詳しいことはわからない。とりあえず、真野は不在だと伝え、後日、改めて真野から電話するよう伝えればいいか。と、頭の中で整理していると、瑠実の動揺が電話越しに伝わったのか、吉田と名乗った男は、ガハハと電話口で高らかに笑っていた。

「あんた、新人さんね?」

「は、はい。そうです。あ、いえ、新人ではなく、バイトの者です」

「そんげ緊張せんでいいが。誰も取って食おうなんてしちょらんから」

 方言でいわれると、少しだけ安堵する。一度ふーっと深呼吸をし、瑠実は粗相のないように――と、気を配りながら、口を開いた。

「すいません。あの……真野は不在ですので、後ほど真野からお電話するように……」

 瑠実がしどろもどろになりながら説明を始めると、吉田は最後まで瑠実の言葉を聞いていないのか、瑠実の言葉に被せながら、自分の用件を一方的に伝えた。

「ああ、電話はいいが。その代わり、真野さんに伝えちょってくれる?」

 最初は形式張った口調だった吉田も、瑠実がバイトの者だとわかると、急に砕けた口調になった。

「例の鉄筋量やっちゃけど……やっぱり真野さんが予測したとおりやったわ。ばってん、不足しちょる鉄筋は、計算書通りに見積するからと、ゆうちょって」

「はぁ……」

 ニュアンスはわかった。だが、あまりに方言まじりの言葉に、どう真野に伝えてよいものか、メモをしながら瑠実は悩んでいた。瑠実の悩みを見越したのか、吉田は「説明が面倒やったら、真野さんの計算書が正しいと伝えたらいいわ」と、助け船を出してくれた。

「わかりました」

「あ、それから、これは、ちゃんと伝えてな」

 なんだろう。急に前置きをすると、一拍を置いて、受話器の向こうで息を呑むのがわかる。吉田は改まった口調で言葉を続けた。

「香月建設も今は大変やろうけど、俺は副社長を信じちょるから。それから、真野にありがとうと、言うちょって」

 吉田は隆司への激励の言葉を述べると、一方的に電話を切った。
 電話は切れたというのに、瑠実は受話器をしばらく持ったままだった。

(お父さんを信じてくれている人がいた――)

 ふと、涙が出そうなくらい、嬉しかった。ちゃんと見ている人はいるのだ。我慢している分、たまに優しくされると崩れそうになる。瑠実は涙がこぼれる寸前、感激して弛みそうになる気持ちに慌てて蓋をした。今は、泣いている場合じゃない。信じてくれている人がいるからには、絶対、真犯人を見つけなくては。心を強く持ち、自分に言い聞かせる。瑠実は、電話を取った内容を、正しく真野に伝えるべく、頭の中で反芻した。

 少し時間が経って、電話の内容を考えると、おかしい気もした。吉田という男は、真野に対して、感謝しているようだった。

(なんで感謝されるんだ? 真野が真犯人ではないのか?)

 これは、いったいどういうことだろう。どうも腑に落ちない。古賀には、真野が怪しいと言われ、勘ぐりを入れていた。なのに、瑠実が実際に会社で見ている真野は、仕事人間で、信頼を得ている。端から見ると、真面目そのもので、どう考えても、偽造計算書を作成するような輩には見えない。証拠の計算書を探す際、真野の机の中も見た。きっちり整理されている上、使い込まれた建築基準法や解説書を見ると、それだけでも真面目な仕事ぶりがわかる。しかし、一方で、真野のパソコンから持ち帰ったデータから、偽造した発注書と思わせる書類も発見されている。表面上は真面目に仕事していても、それはカモフラージュかもしれない。感謝される真野と、計算書偽造をしているかもしれない真野。どちらが本当の真野だろう。

「何かあったと?」

 声のする方向を見ると、席を外していた真野が戻っていた。瑠実はまだ受話器を持ったままだ。弾かれるように驚いて、電話があったことを伝えた。

「いえ……何もありません。それより、今、岩切鉄工所の吉田様から、お電話がありました」

「吉田のおっさんから? もしかして、電話を取ったと?」

 電話を取らないほうがよかったのだろうか。親切で出たつもりだったが、瑠実は急に余計なことを仕出かしたかと、不安になった。だが、いずれにせよ、真野は不在だったので、電話の取り継ぎはできなかったのだから仕方がないだろう。

「勝手に電話に出て……すいません」

 瑠実は受話器を元に置き、謝ると、真野は驚いた顔をしていた。

「違う違う。別に責めちょるわけじゃないと。電話は、出てくれたほうが助かるっちゃから」

 大袈裟に目の前で手を左右に振った。別に瑠実を説教するわけではないようだ。しかし、電話を取って助かるとはどういう意味だろう。もし、真野が偽造計算書の真犯人だとしたら、瑠実が電話を取ると、都合が悪くなると考えるのが普通だろう。余計な情報を瑠実が知ってしまうのを恐れるはずだ。だが、真野は反対のことを言う。瑠実には真野の真意が掴めない。顔色を窺っていると、真野は急に辺りを見回した。特に誰も真野と瑠実を気にしていないようだ。

 よかった――とばかり、納得すると、小声で話し始めた。

「吉田のおっさん、何かゆうちょらんかった? 見積の数量の件とか」

 真野に言われて、瑠実は言付けを頼まれていたのを思い出した。

「ええ。言付けを頼まれました。鉄筋量は、真野さんの計算書が正しいと。それから、ありがとう――と、礼を言うように言われました」

「やっぱりな。礼を言うなら、吉田のおっさんも、直に俺にいえばいいのに。だいたい、礼だけじゃ済まんやろ」

 真野は瑠実の言付けを聞き終わると、文句を言いながらも、嬉しそうにしていた。



to be  continued……