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一期一会

本も人の出会いも一期一会。時々読者、時々物書き。好きな本やコミック感想を中心に、日常のつれづれと共につぶやいていきます。



 結局、警察は呼ばないまま、一行はリビングに移動し、古賀の話を聞くことになった。古賀は酷くつかれた顔をし、逆らわずに言われる通りにした。芳美は今までのはしゃぎようから一転、項垂れた様子で、ソファに真野、瑠実。と、反対側に芳美、古賀と向かい合って座った。

「古賀さん、どうして地下室へ?」

 ソファに座ると同時に、瑠実が速攻で質問すると、視線を合わせないまま「地下室には、茶室の図面を探しに入った」と、古賀は疲れた様子で返事をする。一刻も早く理由を知りたい。瑠実は即座に話の先を催促した。

「茶室って……ウチのおばあちゃんの茶室ですか?」

「……ああ。そうだ」

 やっぱり! 雲の中というのは、茶室のどこかなのだ。瑠実は予測はしていたものの、古賀にはっきり言われると、先を越された気分になり、少し悔しかった。

「雲の中の手懸かりに、茶室の図面が必要だったんだ。昔、社長に聞いたことがあったんだよ。図面に秘密が隠されちょるって」

 古賀は、ずっと虎之助の下で働いてきた。隆司の親友でもあるので、家にもよく遊びに来ていた。時には、プライベートの話をする機会もあったはずだ。直接、虎之助から聞いていたとなると、いよいよ間違いはない。納得はできるが、肝心の茶室の図面は、どこにもなかったはず。瑠実は芳美と、何度も家中を探したのだ。

「地下室にも図面はなかった……ということですね」

 なぜか真野が、念を押すように古賀に問い掛けた。

 真野は図面の存在を知っていたっけ……? 瑠実は真野に話した覚えはなかったが、芳美が真野に話したのかもしれない。そういえば、以前、芳美と古賀を尋ねて言った時、社長室で芳美が熱心に古賀に『雲の中』について話していたのを思い出した。確か、真野も同じ席にいたはず。そうか、だからなのか。と、瑠実は一人で納得していた。

「ああ。残念ながら、地下室にはどこにもなかったよ。地下室の暗証番号も、違っていたし、散々だ」

「……ごめんなさい。前は一つしかロックは掛からんかったから。最近やとよ。二重ロックに増やしたのは」

(なんで、お母さんが古賀さんに謝るの? そもそも、勝手に侵入してきた古賀さんが悪いのに)

 瑠実は芳美の態度に、腹を立てていたが、怒りの矛先を古賀に向けた。二重ロックに扉を直したのは、香月家の都合だ。そもそも、他人に一つでも暗証番号を教えるのが悪い。

「暗証番号を、なんで古賀さんが知ってるんですか?」

 瑠実は怒りを隠さず、古賀に対して厳しい口調で言った。古賀は家族ぐるみの付き合いをしていたので、地下室の存在も知っていた。だが、ドアに自動ロックが掛かり、十五秒以内に二重の認証キーを押さなければならないとは知らなかった。聞くと、一つめの認証番号は知っていたので、入れると思ったようだ。

「さあ、……なんでかな。お母さんに聞いてみなさい」

 古賀は、はぐらかした。口調もだんだん砕けてきている。地下室に侵入したのがバレたので、もう、どうでもいい。といった感じだ。

「なんで? お母さん」

 瑠実が尋ねると、芳美はしばらく瑠実の顔を見つめていた。答えたくないのか、どう返事をしてよいのか、考えているようだ。

「芳美、俺から本当のことを言おうか?」

(なに? 本当のことって)

 古賀の口調に、瑠実は気持ちを逆撫でされた気がして、余計に腹が立った。

(勝手に、ウチのお母さんを呼び捨てにしないで!)

 古賀に言われて、ようやく芳美が口を開いた。

「瑠実ちゃん、黙っててごめんね。認証番号は瑠実ちゃんの誕生日やろ?……実は瑠実のお父さんは、古賀さんなの」

 一瞬、瑠実は耳を疑った。誕生日を認証番号にするなんて、ベタすぎる。調べればわかることだ。それより、もっと重大なことを、さらりと芳美は言った。確か、古賀が本当の父親なのだと。

「……嘘。じゃあ、お父さんは?」

 隆司が本当の父親じゃないなんて。幼い頃から、隆司にはべったりだった瑠実は、芳美の言葉が信じられなかった。あの優しい隆司が、本当の父親じゃないなんて。瑠実は呆然とした。心臓が高鳴る。目の前にいる古賀が本当のお父さんだなんて。予想もしなかった芳美の言葉に、何も言えなかった。

 まさか芳美が隆司を裏切って、古賀と浮気をしたとは思いたくなかった。

 聞きたくはないけれど、ここで聞かなかったら一生ずっと、聞けない気がする。しばらく沈黙が続いた後、瑠実は思い切って尋ねた。

「もしかして、お母さん、浮気……とか?」

 瑠実がおそるおそる芳美に尋ねると、「本当はお父さんと別れるつもりじゃったから」と告白した。そういえば以前、隆司が親の七光りで荒れていた時代があったと聞いていた。おそらく芳美は、本当に隆司と別れるつもりだったのだろう。詳しく話しを聞くと、隆司の親友である古賀に相談していくうちに……という結果だという。

 その後、隆司は真面目に働くようになった。妊娠した事実を隆司に知らせると、隆司は土下座して芳美に戻ってきてくれと訴えた。芳美は隆司と離婚するつもりだったが、隆司がまるごと受け入れると知り、古賀と別れた芳美は古賀に妊娠したのを知らせなかったらしい。瑠実はそのまま隆司と芳美の間に生まれた子供として、大事に育てられ、現在に至る。

 事実を知って、驚いたけれど、思ったよりショックではなかった。幼い頃から、古賀も可愛がってくれたという記憶があるからだ。もちろん、隆司は、もっと可愛がってくれた。目に入れても痛くない、といわれるほどだ。もし、芳美が隆司と別れ、古賀と一緒になっていたら、今頃どうだっただろう。少し考えて、瑠実は考えるのをやめた。

 夫婦でしかわからない事情もある。隆司と芳美が納得して決めた結果なら、問題はなかったのだろう。現に瑠実も今まで幸せに暮らしてきた。出生の秘密を知って、グレる年でもない。ただ……もっと早くに事実を知っていれば、古賀に対する気持ちも、変わっていたかもしれない。古賀は瑠実にとって、もう一人の父親みたいな存在だと、ぼんやりと感じていたのは、事実だった。ただ……それだけだ。本当の父親には思えない。

「大丈夫?」

 横にいた真野が、心配して瑠実に声を掛けてきた。聡い真野のことだ。プライベートな話なのに、部外者の真野が聞いてしまってよかったのか? という意味合いも入っているのだろう。今更、事実を知っても、やはり瑠実にとって父親は隆司だ。古賀も大事だが、今まで父親だと見ていなかったので仕方ない。

「私にとっては、やっぱり、お父さんは一人しかおらん。でないと、全部を知りながら、育ててくれたお父さんが、可哀想じゃもん」

 瑠実は即答した。芳美は瑠実の話を聞いて、泣いていた。古賀も、「それでいい」と納得してくれたようだった。


to be  continued……



「なら、私が電話する」

 すぐに警察を呼ぼうと手に持った携帯のナンバーを瑠実がプッシュするのと、携帯が振動したのは、同時だった。画面を見ると、知らない電話だ。おそるおそる着信ボタンを押すと、「大丈夫か?」と真野の声が聞こえた。

「真野さん!」

「玄関を開けて。今、外にいる」

 瑠実が玄関の鍵を開けると、真野が息を切らせて立っていた。

「どうしたんです? あ、もしかして、心配して来てくれたんですか?」

 真野が返事をしようと口を開けたが、慌てて背中を向けた。夜着姿の瑠実と、芳美を目の前にして、目のやり場に困ったようだ。

「ご、ごめん……その……」

 しどろもどろになる真野に、急に瑠実は恥ずかしくなった。けれど、今更だろう。横で見ていた芳美が、「私たちは気にしちょらんから、照れんでもよか。それより、どんげしたと?」と真野に尋ねた。

(いやいや。私たちが気にしちょらんでも、真野さんが気にするよ)

 小母さんパワーは強烈だ。目の前で赤くなっている真野を見ると、感染して瑠実も恥ずかしかったが、今はそれどころではない。体は正面に向き直ったが、視線は三和土の石張りの上に置いたまま、真野が答えた。

「さっき、瑠実さんに電話したら、ブザーみたいな音がして……電話が切れたから。今、副社長もおらんし、香月家には男手はないとでしょう?」

 どうやら、瑠実と電話で話している途中で切れたものだから、真野は心配してタクシーを飛ばし、駆け付けてくれたようだ。

「あらあら。こんな夜中なのに、ご苦労様です」

「お母さん!」

 芳美の態度に、瑠実はハラハラしていたが、せっかく真野が来てくれたのなら、心強い。瑠実は一緒に地下室まで来てくれと頼んだ。

「泥棒ですか?」

 香月家に上がり、地下室まで案内する途中、芳美が粗方、地下室の説明をした。外へ出られず、犯人はまだ中に閉じ込められているはずだ。

「地下室を確認するのは、警察を待ってからにしましょう」

 真野の提案に、瑠実は大きく頷いた。ところが、芳美は先程から「どんげな人が犯人か、見てみようや」と野次馬根性を丸出しで、わくわくしている。まるで子供だ。

「お母さん、犯人を見たいってゆうても……危ないやろ?」

 瑠実が、なにを言い出すか。と母を責めたが、芳美は一向に反省はしていなかった。

「あら、瑠実ちゃん、知らんかったと? 地下室にはカメラが付いちょって、おじいちゃんの部屋から見えるとよ?」

 当たり前のように言ってのける芳美の言葉に、瑠実は驚いた。いつの間に、カメラを付けたのだろう。瑠実が尋ねると、瑠実が家を出てから、謝って薫が地下室に閉じ込められたことがあったらしい。暗証キーの番号を覚えておらず、見つかるまで、大変な騒ぎだった。

「とりあえず、地下室に誰かが居るんなら、モニターで確かめてからにしよう。それから警察に連絡しても遅くないやろ?」

 芳美はいそいそと、虎之助の書斎に入り、手慣れた様子で開き扉になっている書庫の一つを開けた。中には十四インチの小さな画面があり、暗視カメラでモニターできる。画面に注目すると、緑青色に溶け込むような暗闇の中、蠢く影があった。確かに誰かが地下室に閉じ込められている。影はうろうろしながら、時折、暗証ナンバーのプレートに手を伸ばす姿が映っていた。その時だった。手を伸ばす影が、一瞬、カメラのほうを振り向いた。影はシルエットの中に、よく知る顔が浮かび上がった。

 あ!

「見えた?」

 瑠実の問い掛けに、芳美と真野は顔を見合わせた。

「見えた……」

 緑青色一色のモニターの中に浮かび上がったのは、古賀の顔だった。

 ……まさか、古賀さんだったなんて。なぜ古賀が地下室にいるのだろう。そう言えば、瑠実が古賀に駅で会った時、「雲の中」はどこだ? と、聞かれた。瑠実は「見つからない」と答えたが、なぜ、古賀は『雲の中』が、物ではなく、場所を指す意味だと知っていたのだろう。もしかして、古賀には『雲の中』の場所を知っていて、地下室にやってきたのではないか? 瑠実が考えている間に、芳美は、即座に書斎を出て行った。

「お母さん!」

 瑠実と真野は、芳美を追い掛けた。

「待ってください!」

 真野が瑠実より早く、芳美に追いつき、肩に手を掛けた。

「どうするつもりです?」

「だって、今のは古賀さんじゃったやろ? 古賀さんがウチの地下室に黙って入る訳はなか。なんかの間違いやが。それでも、入っちょたつなら、何か訳があるっちゃが。古賀さんが泥棒みたいな真似するわけない。早く開けてやらんと!」

 今まで穏やかだった芳美の表情が、急に険しくなった。のんびりしていた口調も、興奮したものになり、古賀を助けたいとする気持ちが、痛いほど伝わってきた。

「ちょっと待ってん。地下室に居るということは、古賀さんは侵入者やろ? いくら古賀さんでも、夜中に黙って家に入るのは、家宅侵入罪じゃって」

 瑠実が説得したが、芳美は聞かなかった。地下室の前まで来ると、外扉の壁についている認証キーのナンバーを押し、鍵を解除した。

「芳美さん、本当に、いいんですか?」

 真野も尋ねたが、芳美は黙って頷いた。しばらくすると、静かに鉄扉の扉が開き、疲れた様子の古賀が出てきた。

「芳美……すまん」

 古賀は深々と頭を下げ謝ったが、芳美は黙って、頭を横に振った。

(なぜ古賀さんが、お母さんを呼び捨てにするの?)

 瑠実は黙って見つめ合う古賀と芳美に、違和感を覚えた。瑠実は芳美と古賀の様子に、ただならぬ雰囲気を察知しながらも、何も聞けなかった。代わりに、察したのか真野が「訳を聞かせていただけますか?」と、古賀に申し出た。



to be  continued……


計算書偽造に、発注書偽造。更に見積書偽造。犯人は同一犯ではなさそうだが、共通していえるのは、犯人の目的はお金としか考えられない。発注書偽造は、瑠実が以前、試算しただけでも、鉄筋量の差額だけで一億円。見積書偽造の差額は二千万円。これだけ考えても異常な価格だ。

(お金……か)

 ぐるぐると考えていたら、長風呂になっていた。今日は明日に備えて早く寝よう。できれば、徹夜だろう真野に、早起きして朝食の差し入れでもして上げよう。瑠実が入浴を済ませ、部屋に戻ると、携帯に着信があるのに気がついた。見ると、会社からだった。

(会社から……? もしかして真野さんから?)

 時計を見ると、すでに日付が変わっていた。こんな時間に電話とは、何かあったのもしれない。少し迷った挙げ句、瑠実は会社に電話を掛けた。電話は、一コール目ですぐに繋がった。

「夜分、すいません。瑠実です。電話を頂いたようなので……」

「こちらこそ、夜中に悪い。実は、高橋さんのパソコンを調べていたら、あったんだよ。計算書偽造のデータが!」

 真野の興奮した声を聞いて、瑠実は心臓が止まるかと思った。一番欲しくてたまらなかったものだ。

「ホントですか?」

「ああ。厳密にいうと、計算書を偽造する前の、計算結果がOUTのヤツだけど」

 古賀が言っていたヤツだ。だが、真野が探して電話してくるほどだから、やはり計算書偽造は、真野ではなかったらしい。瑠実は偽造計算書が見つかったのも嬉しかったが、真野が真犯人でなかったのに、ほっとしていた。

(……よかった。真野さんは真犯人じゃない)

 瑠実は携帯電話を両手で持ったまま、床にぺたりと腰を下ろした。携帯電話を持つ手が震えて、何も言えなかった。瑠実が無言なのをいいことに、真野が慌ただしく早口で説明した。

「ずっと俺は計算書偽造データを探しちょった。ばってん、業務用サーバーには、元のデータを削除して、エクセルに変換した改竄後のデータしか残っていなかった。犯人は計算プログラム・ソフトから、物件丸ごと削除した上、バックアップ用データも削除しちょったから。完璧に削除していたと思ったやろうね。ところが、俺も知らなかったけど、経理用のサーバーには、会社の全て共通サーバーのデータがバックアップされちょった。たぶん、高橋さんが内緒で手動で定期的にバックアップを取っちょったつやろう。警察も、犯人も、これには気づかなかった」

 真野は興奮しているのか、早口で捲し立てた。

「バックアップのコピーデータやから、拡張子が普通のデータと違うかった。手入力で拡張子を変更せんと、中身は見れんごつなっちょるから、犯人は余計に気づかんかったっちゃろう。データを見ると、最終更新日が、副社長が逮捕された翌日になっちょる。副社長以外の人間が、データをいじった証拠だ」

 真野はパソコンにも詳しいらしい。瑠実にもわかるように説明をしてくれた。真野の説明を聞いているうちに、少し落ち着きを取り戻した瑠実は、声を振り絞るように答えた。

「そうでしたか……。よかった」

「これを、明日……警察に届けようと思う」

 今まで早口だった真野の声色が、急に優しい声に変わった。

「どう? 一緒に行く?」

「もちろん! 私も行かせてください」

 考える間もなく、瑠実は即答していた。やっと……これで父の容疑も晴れる。瑠実は嬉しくてたまらなかった。

 その時だった。どこかでドスンと音がした。

「な、なに……?」

 何の音だろう。何か物を落としたような地響きがして、振動で小さく硝子窓が揺れた。

「どうかしたと?」

 様子がおかしい瑠実の声に、いち早く真野が反応した。瑠実は携帯電話を持ったまま、窓の外を見た。だが、暗くて何も見えない。漆黒の硝子に自分の顔が写っただけで、静まり返っている。

「いいえ……大丈夫です」

 返事をした刹那、地下の警報機が鳴り出した。電話口からも、けたたましい警報機が聞こえたのだろう。真野の心配する声が聞こえた。しかし、周りの音が五月蠅くて、とたんに声が聞こえなる。気がついたら電話が切れていた。電話を切ったとたん、廊下から芳美が名前を呼ぶ声が聞こえた。慌てて出ると、寝起きらしい顔で、夜着にカーデガンを掛けただけの芳美が、廊下に立っていた。

「お母さん! なんの音?」

 瑠実が芳美に尋ねると、芳美は瑠実に後を従いてくるよう手招きしながら、廊下の先をゆく。廊下の突き当たりにある解除キーを押し、ようやく五月蠅かった警報機の音がやみ、辺りは急に静かになった。

「たぶん、地下室やと思う。泥棒やろうか?」

 ちょうど虎之助と薫の使っていた部屋の真下に、機械室として作った地下室があった。

 戦時中を経験した虎之助のアイデアで、非常時には、シェルターの役目も果たすから……と、建築時にこしらえたものだ。機械室とした造られた地下室は、ピット状になった八帖ほどの空間が存在する。本来はシェルター目的として作ったものだ。壁の厚みも三十センチもある。中にX線も通さぬよう、十二ミリもある鉛板を入れているので、おそらく核爆発が起きても、大丈夫な作りだった。普段は倉庫として使っている。もちろん、金庫の一部もシェルターの中だ。大方、どこかの泥棒が、金庫破りでもしようと入ったのだろう。

「警察を呼ぶ?」

「警報機が鳴っちょるから、そのうち、警備会社が警察に連絡するやろ」

 芳美はいそいそと先を急ぎながらも、瑠実との受け答えは、のんびりしている。

「お母さん、悠長なことゆうて、人を当てにするぐらいなら、警察を呼ぼうよ。あたしら二人じゃ危ないって!」

「瑠実ちゃん、何をそんげ興奮しちょると? 大丈夫やて。絶対、出て来れんから」

 呆れるほど自信たっぷりの根拠は、どこから来るの? と思うが、今更だ。芳美は何があっても慌てない様子の半面、瑠実は心配でいたたまれなかった。

「何ゆうちょると? もし、犯人が凶器を持ょったら、危ないやろ!」

 瑠実が抗議したが、芳美は全然、人の話を聞いていない。頑丈なシェルターと、今まで何度か泥棒が侵入した経験からか、余裕綽々である。

 普段からおっとりした芳美だが、非常時の今でも、落ち着いていた。どうやら瑠実を呼んだのは、犯人がどんなヤツなのか見たい。――という野次馬根性のようだった。

「だって、うちの地下室は機械室として作っちょるから、ドライ・エリアはないし、出入り口は一カ所しかないけん。その出入り口も、扉が二重ロックになっちょる。部屋内側から十五秒以内に二カ所、暗証キーを入力しないと解除できない仕組みやから。流石の泥棒でも、十五秒以内じゃ開けられんやろ?」

 芳美は自信たっぷりに、「大丈夫。お祖父ちゃんとお父さんが建てた家じゃから。でも、瑠実がそんげ心配するとなら、一応、警察に電話してみようかねぇ」と他人事のように呟いた。

 to be  continued……



 いつの間にか瑠実は無口になっていた。顔を上げると、駅の改札に着いていて、古賀に「じゃあ、頑張って」と声を掛けられるまで、気付かなかった。

「あの……一つだけいいですか?」

 古賀が先に改札を抜けようとする直前、瑠実は声を掛けた。古賀は立ち止まったまま、瑠実の言葉を待っていた。瑠実は、少し迷った挙げ句、ゆっくりと口を開いた。

「古賀さんは……自分の仕事に誇りを持てますか?」

 随分と青臭いセリフを言ったものだと思う。けれど、咄嗟に言葉が出ていた。瑠実から見れば、古賀はもう一人の父と言ってもいいくらいの存在で、きっと古賀も瑠実を娘ぐらいに思ってくれていると思う。先程、頭をぽんぽんされて癒やしてくれたのは、もしかして隆司を真似てしてくれたのではないだろうか。留置所にいる隆司の代わりに。

 古賀は、なかなか返事をしなかった。一歩前に出て、再び「どうですか?」と瑠実は、まっすぐに古賀を見つめ、答を催促した。古賀は苦笑していた。

「大人になったもんじゃね」

 目を細めて瑠実を見ている古賀の顔は、いつもよりも老けて見えた。返事次第では、瑠実は警察に相談しようと思った。自然に脈拍打つ音が、激しくなる。面倒な質問をする子だなと、自分でも思うが、聞かずにはいられなかった。

「瑠実さん……いや、瑠実ちゃんやから、正直に言うわ」

 古賀は言い方を微妙に変えた。幼い頃は、古賀にはずっと「瑠実ちゃん」と呼ばれていた。それが、いつからだろう。「瑠実ちゃん」から「瑠実さん」になったのは。確か、五歳の誕生日の翌日だったと思う。幼い頃から「瑠実ちゃん」と愛称まじりで呼ばれていたのに、誕生日会に呼んだ後には、なぜか古賀は他人行儀に「瑠実さん」と呼び始めた。

 まだ五歳の女の子には「瑠実さん」より「瑠実ちゃん」のほうがしっくり来るのに――と、幼心に思ったのを記憶している。

「誇りを持つ人間は、自分に自信のある人間じゃと思う。今の瑠実ちゃんのようにね」

「そんな……私は自信なんか、欠片もありませんけど」

「いいや、これが微妙でね。あるか。ないか。と言われれば、私だって誇りはあるよ。じゃけん、人生は残酷でね。なかなか思い通りにいかん。たとえば、香月が偽造事件で捕まったように」

「父は絶対に違います。犯人じゃなか!」

 瑠実は即座に否定した。両手は自然に握り拳になっていた。

「うん。うん。わかっちょるよ。じゃから、俺も瑠実ちゃんも頑張ちょる。もちろん、芳美さんもね。ところで、雲の中の場所、、は、わかったとね?」

 そんなことを聞きたかったのではない。微妙に話の観点が、ズレていったのがわかった。けれど、無視もできなかった。

「……いいえ。まだわからんとです。雲の中の意味は、祖母しかわかっちょらんくて……」

「そうか……」

 古賀は、がっくりと肩を落とし、挨拶もしないまま、改札を抜けて行った。瑠実も慌てて後を追ったが、古賀とは反対方向のホームだ。「お疲れ様でした」と挨拶をすると、古賀は後ろを振り返り、返事をする代わりに、軽く手を挙げた。

(なんだか、はぐらかされたな)

 瑠実としては、「犯行に関わったのか否か?」の直球の質問をしたと思ったのに、古賀は人生論の取り方をしたようだ。素直に聞けばよかった。と思った。だが、もし、古賀が発注書偽造や、見積偽造に関わっていたらと思うと、流石に勇気がなかった。

       *

 ようやく帰宅した瑠実は、夕食も摂らず待っていてくれた芳美と、軽い食事をして風呂に浸かった。やっと今日が終わった。バイトとはいえ、一日中ずっと仕事に駆けずり回り、今日も偽造計算書の証拠は、見つけられなかったが、少しずつだが、わかってきたことがある。真野は少なくとも発注書偽造と、見積偽造には関わっていないようだ。相変わらず、偽造計算書については、謎のままだが、真野が白だとわかっただけでも、一歩前へ前進したといえるだろう。

 発注書の偽造については、まだよくわからない。加藤と黒木が怪しいと思うだけで、今の段階では、未発注なのだから。未発注、つまりは未犯行。未犯で済んでいるのは、真野の活躍のお蔭ともいえる。真野が数値の違いに気づかず、そのまま業者に知らせていなければ、どうなっていただろう。

 うまく現場で気づいて、現場から直接発注で間に合えばいい。だが、犯人は用意周到な性格で、設計図書までいじる可能性あったなら……。瑠実は考えると怖くなった。

 普通、現場は構造設計図、施工図を頼りに建物を建築する。わざわざ構造計算書まで遡り、現場で分厚い計算書を確認することは、まず絶対しない。逆にいうと、施工図、構造設計図が間違っていたら、現場で気づくことは、ほとんどない。経験豊富で、構造に強い現場監督なら別かもしれないが。鉄筋のピッチが違っていたり、鉄筋の太さが通常より細かったなら、おかしいかも? と、経験値で多少の判断がつくかもしれないが、まず普通の現場作業員なら気づかない。怖いところだ。悪意で構造設計図を間違えれば、大変な事態になる。

 もし、気づくとしたら、検査に来る機関の人間か、わざと図面を間違えた人間くらいだ。それも、今回のように、構造計算書を偽造されていれば、検査をする側の人間もわからない。建物を造るのは、誠意のもとに造らなくてはならない。

(建物を造るって……大変な行為なんだ)

 改めて思う。大学で建築を学びたいと選んだ理由は、瑠実にとって、ごく自然な流れだった。理数系も得意だったし、大好きな父の影響もあっただろう。違う言い方をすれば、祖父から続く家業が、たまたま建設会社だった――というだけだったかもしれない。大学を建築学科に進んだ動機も、周りの環境が殆どで、特に思い入れはなくて決めていた。

 だが、いざバイトといえど、多少なりとも実務に関わると、建物を造るのは、改めて大変な作業なのだとしみじみわかる。しかし、大変でもやりがいはあるのだ。だからこそ、相次ぐ偽造書類の発見に、許せない自分がいる。

to be  continued……

第六章 侵入者

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 仕事を終え、瑠実が会社を出たのは、二十二時を回った頃だった。真野は、その後も会社に残っていた。おそらく、あの調子では、会社に泊まるのかもしれない。さすがに瑠実は、徹夜で仕事をするには体が保たない上、帰宅時間が遅くなると芳美を心配させるからと、仕事を切り上げた。芳美は、日中は薫のショート・ステイに通い、空いている時間に『雲の中』に該当するものが自宅にないか調べていた。遅くなっても、瑠実が帰宅するまで食事も摂らずに待ってくれているので、瑠実も気に掛けている。瑠実は、今から帰宅すると電話を入れ、先に食事だけでもするよう言った。けれど、芳美は、きっと待っているのだろう。瑠実は早足で駅に向かった。駅前なので人気はあるが、少し疎らだ。後ろから人の気配がしたが、気にしなかった。

 どこかの酔っぱらいが、冷やかしているのかもしれない。瑠実が外を歩いていると、知ない人に声を掛けられることは多かったので、よほど名前を呼ばれるか、肩を叩かれない限り、無視する癖がついていた。でなければ、瑠実の容姿では、きりがないからだ。

 今度は、はっきりと名前を呼ばれ、後ろから肩を叩かれた。誰だろう。慌てて振り向くと、古賀が立っていた。見るとスーツ姿の古賀が、目に入った。古賀も今まで仕事をしていたらしい。

「古賀さん! こんばんは。今まで仕事ですか?」

「ああ、そうなんだよ。瑠実さんも?」

 薄暗かったからか、古賀の顔色は、よくないように見えた。酷く疲れているように見える。

「具合でも悪いんですか? 顔色が悪いですけど……大丈夫ですか?」

「ああ。もう歳やからね。最近、仕事以外の件も忙しいから……」

 瑠実が古賀の様子を心配して顔を覗き込むようにすると、古賀は顔をそらすようにして、先に歩き始める。古賀と瑠実は一緒に並んで駅まで向かった。

「そろそろ、証拠は見つかった?」

 古賀は平然としながら、何食わぬ顔で尋ねてきた。道端で聞かれる内容だとは思わなくて、瑠実は一瞬、立ち止まった。誰かに聞かれたらマズい。なんでこんなところで古賀も話をするのか。瑠実はびくつきながらも、瞬時に双眸を巡らせ、誰もいないのを確認すると、「実は、まだ……なんです」と小声で答えた。

 瑠実が残念そうにいうと、古賀は一言「そうか」と、確認するように呟いた。

 せっかく古賀が手配してくれたのに、申し訳ないと思う。

  「すいません……」

 頭を下げて謝る瑠実の頭を、古賀はぽんぽんと撫でた。

(ああ……お父さんみたい)

「あ、ごめん。ごめん……」

 古賀も謝ったが、ごめんと謝罪する言葉よりも、古賀の瞳のほうが優しかった。

 瑠実が自信を喪失した時、困った時。いつも頭をぽんぽんと撫でて、慰めてくれるのは隆司の癖だった。撫でられると、自信を喪失して萎んだ心が、ゆっくりと元の大きさに膨らんでいくのがわかる。瑠実は心の奥に、父の面影を思い出して切なくなった。

 急に、なんで思い出すのだろう。きっと優しい古賀の瞳のせいだ。せっかく、古賀がお膳立てしてくれた侵入捜査のバイトも、まるで本来の目的を終えていない。それどころか、ぜんぜん違う問題点まで掘り起こして、どんどん違う方向に行っている気がする。優しくされると、常に頑張って気を張っている分、心の柔らかい部分が砕けそうになるのが怖かった。古賀は瑠実の様子に、何か感じたのだろう。視線と遠くに定めたまま、瑠実にそっと耳打ちした。

「あんまり、首を突っ込むと、抜けなく、、、、なる、、よ」と。

(え? どういう意味?)

 瑠実がはっとして顔を上げると、古賀は、なに食わぬ顔し、何もなかったように先を歩き始めた。てっきり、古賀は励ましてくれていたと思ったのに、違ったのだろうか。まるで瑠実が計算書偽造以外の件も知っていて、余計なことをするなよ。と忠告している口ぶりだ。もしかしたら、高橋の尾行が気付かれていたのかもしれない。一瞬、瑠実は怖くなった。けれど、仮に見つかっていても、喫茶店は会社の近所だったし、あの時は真野と一緒だった。残業続きで瑠実が真野に扱き使われていたのは、社内では周知の事実だ。残業に備えて腹ごしらえ――と、別に疚しいところはないはずだろう。それに、喫茶店には古賀はいなかったはずだ。なのに、知っているという口ぶり……。

 そうか、確か、黒木と携帯電話で話していた相手は、古賀だった。もしかしたら古賀も関係しているのかもと思ったが、間違いではなかった。やはり繋がっていたんだ。


to be  continued……


 真野の説明で、設計料の報酬についてはわかった。だが、問題は、設計料が別途請求になる、ならない――だ。見積書を作成した犯人は、いったい、どう誤魔化すつもりだったのだろう。いくら素人でも設計料込みか、別途請求かぐらいの判断はつくはずだ。

「真野さん、設計料が別途請求になると、違う設計事務所からお客様に請求が行くんでしょうか?」

 瑠実の質問に、真野は目を輝かせた。

「そうそう。そこなんだよね。方法としては、二つある。設計料を直に設計事務所からお客さんに請求する場合と、ウチから請求する場合」

「それって、もしかして……」

 段々、先が読めてきた。おそらく、設計料は別途としたのは、余分に設計料を取るためだ。例えば分裂発注とする場合、設計事務所の請求書を一旦、会社に送ってもらう。会社は請求書に手数料を上乗せして、お客に設計料を請求する。まあ、この程度ならまだ可愛いものだ。ところが、今回は分裂発注でもないのに、別途請求する。つまり、まるまる設計料は儲けになるのだ。瑠実は考えを真野に言うと、「ご名答」と、にこやかに返事があった。ここで褒められても、ちっと嬉しくない。

「それだと、何も知らないでお金を請求されるお客さんが気の毒……」

 瑠実が同情した意見を言うと、真野も大きく頷いた。

「おそらく偽造見積を作った犯人は、よほど切羽詰まってお金が必要だったと見える。もしもバレたら大変だろうに」

 真野の言う通りだ。大変どころの騒ぎではないだろう。会社の信用もなくなる上、横領罪と言われても、しかたがない。当然、解雇もありうる話だ。だんだん詳細がわかってくると、瑠実は怖くなってきた。本来、隆司の濡れ衣の罪を晴らそうと、計算書の証拠品を捜査するためにバイトに入っただけなのに。いつの間にか、他の事件に自分から首を突っ込むような真似をしていたのだ。知らなければなんともないのに、知ってしまったからには、なんとかしたいと思う。

「真野さん、なんとかならんちゃろうか。このままだと、偽造計算書の件だけじゃなく、本当に会社は潰れます。父の容疑が晴れて会社に戻ってきても、存続できるかどうか。それに、偽造が罷り通る会社では、真面目に働いてきた社員が、気の毒です。できれば、警察沙汰になる前に、止めさせることができればいいちゃけど……。当人のためにも。会社の為にも」

「そうじゃね。俺も心の底から同感するよ。悪戯が罷り通って、副社長が捕まるなんて、どう考えても許せん」

 真野の言葉に、瑠実も大きく頷く。瑠実は正面から真野を見据えていた。

「父は絶対、計算書偽造は、しちょりません。もちろん、発注書や見積偽造も。真野さん、手を貸してください。私は、香月建設を潰したくはない」

 たとえ真野が偽造計算書の犯人だとしても、少しでも良心があるのなら、犯人捜しに協力して欲しいと思うし、もしも本当に真野が計算書偽造の犯人ならば、自首して欲しい。これは懇願だった。真野は急に優しい顔つきになった。

「わかった。俺にできることがあれば、協力するよ。俺だって副社長が計算書偽造するなんて思っちょらんし、発注書や見積偽造したヤツを許すつもりはない」

 はっきりした口調で言われて、瑠実は心強かった。全部が全部、真野を信用できるわけではないが、それでも協力すると言ってくれた。真野の言葉は、まんざら嘘ではないと思う。多少なりとも、真野の下で働く瑠実には、心当たりがたくさんあった。瑠実が見つけた発注書偽造の件も、元は真野のパソコンからデータを持ち帰り、判ったものだ。最初はてっきり真野が発注書偽造の犯人だと思っていたが、実際、真野が起こした行動は、偽造を食い止めようとするものだった。少なくとも、発注書偽造と、見積偽造には関わっていないのは間違いない。見積書偽造の件で、瑠実が高橋を尾行していたときも、真野は付き合ってくれた。少しずつだが、瑠実の中で、真野に対する信頼関係が形成されているのかもしれない。

「なら、残りの仕事も、しっかりやってもらわんとね」

 にやりと笑う真野は、いつもの顔だった。真面目ぶりがウリの、優等生の顔だ。

 しまった! と思ったが、もう遅い。だが、香月建設を救うためだ。瑠実は「乗り掛かった船ですから、しかたないですね」と苦笑いするしかなかった。


to be  continued……




 瑠実は真野に、設計料の請求について質問した。

「見積の詳細を見ると、本来の見積書の中には、設計料が入っていました。じゃけど、偽造見積書の中には、別途請求とありました。なんで違うんですか?」

「簡単に言うと、設計が分裂発注かどうか、の違いやね」

「なんです? 分裂発注というのは」

「ウチの会社は設計部門もあるから、普通は設計料込の施工費を見積として出すのが、ほとんどじゃつよ。分裂発注は、施工はウチ、設計は別の設計事務所ってところだね」

 なるほど。別に発注するから分裂発注なのか。名前は知らなかったが、おおよそ瑠実が予想していた答だったので、納得がいった。

「発注方法の違いはわかりますが、実際、この物件は分裂型なんですか?」

「そうそう。そこが問題」

 待ってましたとばかり、真野は一度さっと自分のデスクに戻ると、広げたままの見積書を持って来た。設計料の欄を瑠実に見せる。瑠実も前に見たとおり、ちゃんと明細内容と金額も明記してある。次に瑠実がコピーした偽造見積の設計料の欄を広げた。

「見て。瑠実さんがゆうたとおり、ここには別途発注となっちょる。でも、実際は全部、ウチで設計するんやけどね」

「別途発注じゃないとすると……どういうカラクリのつもりなんでしょうか」

「その前に、設計料の報酬の基準って、わかる?」

 基準があるとは知らなかった。でも、決まったレートみたいなものは有りそうだ。具体的な数字までは全然わからなかったが、瑠実は「建築費の何パーセントかが、設計料になるんでしょう?」と答えた。

「確かに有名な建築家に設計を依頼する場合だと、決まったパーセンテージを取る遣り方もあるっちゃけど、本来、設計料の報酬は、告示で決められちょるとよ」

 ここでいう告示とは、建築基準法告示のことだ。法令で定めた内容を、更に細分化してより具体的に明記された法律が告示。真野は高橋のパソコンをネットに繋ぎ、検索を始めた。液晶画面には、建築基準法の法令が解説されているサイトが映し出され、更にいくつか選択してクリックすると、設計事務所の報酬料について書かれたページが現れた。

「ちょっと、ここ見て」

 真野が指した場所は、設計料の定められた告示と解説が載っていた。

 見ると、建築費については触れられず、基本的には作業従事時間に比例する――とある。つまりは、人件費がどれだけ掛かったか――によるものだ。

「え? 作業時間で決まるんですか?」

 考えたら当たり前だ。順当な請求とも言える。

「そうそう。さっき瑠実さんがゆうちょった建築費基準のものだと、建築費が小さい物件やと、設計事務所はやっちょられんやろ? 建築費なんて、仕様でいくらでも差が出てくるっちゃから」

 確かに、そうだろう。建築費が安くても、設計する手間は、さほど変わらない。特に設計変更など出た場合は、手間はもっと増えるだろう。

「本来の設計料の報酬は、直接人件費と諸経費と技術料。それに特別経費を合わせたものだ。直接人件費は、建築地でも多少は変わってくる。相場は当然、都心のほうが高くなっていくんだ。ほら、都会のほうが物価が高いから」

「……なるほどね」

 真野は違うページをクリックすると、更に話を続けた。

「もっと細かくいうと、計画建物の用途と、設計を担当する技術者によっても、違いがある。建物用途が、倉庫や車庫といった建物のように、内部が伽藍堂になっているものだと手間が掛からないだろう? 反対に、病院やホテルといった、用途が複雑なものだと、より専門的な知識が必要だからね」

 確かに、そうだろう。言われてみれば、素人にも判断がつく。設計するには、建物を使用する人や、働く人々の行動も把握しなければならないし、複合建物になると建築基準法だけなく、消防法や都市計画法の知識もいるはずだ。だが、真野は技術者によっても報酬は違うと言った。技術がある、ない――は、いったい誰が決めるのか。瑠実が真野に尋ねようとかと思っていると、真野は更に違う画面をクリックした。技術者別の報酬表のようなものが目に入る。

「真野さん、これは?」

「技術者の業務能力換算表」

「こんなものがあるんですか!」

 能力の換算表まであるとは、ついぞ知らなかった。見ると上はAランクからFランクまである。Aランクは一級建築士資格取得後十八年以上、または二級建築士資格取得後二十三年以上とある。仮に一人前の一級建築士の仕事率を一とすると、ちなみにAランクの一級建築士の倍率は一・八三倍だ。これが最低ランクFだと未資格で倍率は〇・六九となっている。つまりは、資格取得してからの経験年数を技術力として見ているのだろう。少し考えればわかることだが、具体的に経験年数が、係数に表されていると知ると、少しげっそりする。けっこうシビアな世界だ。

「倍率まであるとは、知りませんでした。これ見ると、早く資格を取ったほうが得なのかも。やはり資格は大事なんですね」

「まあ、あくまで目安だから。ばってん、瑠実さんも建築の世界でやっていこうとするなら、出来るだけ早く一級建築士の資格は取ったほうがいいね。無資格じゃいくら仕事ができても話にならない」


to be  continued……



 しばらくすると、真野の手が止まった。落ち着いたところで、瑠実は見積書のコピーを手に入れるまでの経緯を真野に話した。真野は真面目な顔をして話を聞くと、ようやく納得したようだった。

「実は、前から偽造見積書の存在には気がついちょったっちゃけど、データが一向に見つけられんかったとよ。なるほど。高橋さんが持っちょったからやね」

 一人で納得顔だが、瑠実には意味が全然わからない。なぜ、高橋が持っていたデータを真野は探すことができなかったのだろう。瑠実が小首を傾げて真野の顔を見ているのに気づき、説明をしてくれた。

「高橋さんは事務職……つまりは、経理担当や。基本的に会社のパソコンはネットワークで繋がれちょるんじゃけど、経理は大事な部署やから、俺たち設計業務のパソコンから経理のパソコンへは、アクセスできんごつなっちょるとよ。ほら、個人情報や、給料明細やら、簡単に他の社員に見られたら、困るやろ?」

 わかりやすい真野の言葉に、瑠実も理解できた。要するに、経理のパソコンだけは、他の業務のネットワークと隔離されているらしい。おそらく高橋は黒木に頼まれ、データを隔離された経理のパソコンに保存していたのだろう。なぜ頼まれたのかは、理由はわからない。印刷はソフト上のUSBの識別キーがついており、会社のパソコンからでないと、印刷できないように設定されてある。わざわざ会社に戻り、印刷したのはそのためだろう。それに見積の内容は高橋は把握できなくても、数量を変更するぐらいなら、簡単にできるはずだ。

 あ! それってもしかして……。

 瑠実は説明を聞きながら、重要な事実に気づいた。真野のいう説明では、経理のパソコンは、業務用のパソコンからアクセスできない。考え方によっては、経理のパソコンは、絶好の隠れ蓑にならないか? もしかして、偽造した構造計算書もあったりして……。

 ナイス・アイデア?

 だが、隠し場所としてはありうるかもしれないが、すでにデータ自体処分してしまっているかもしれない。けれど万が一にも、残っているとしたら……。思いついたら、瑠実は気になって、いてもたってもいられなくなった。ちらりと真野を見やると、相変わらず見積書を見比べていた。瑠実は偽造見積書も気になるが、一番は偽造計算書の存在だ。真野なら、経理用のパソコンを見ることができるだろうか。

「真野さん、見積書偽造のデータは、経理のパソコンにあるんでしょうか? だとしたら今すぐ、中身を確認できませんか?」瑠実の言葉に、真野も大きく頷いた。

「俺も今、そう思っていたところだ。偽造データなんて、早く削除してしまわないと」

 真野は同じフロアにある、暗くなった経理のデスクの島に向かった。瑠実も後を従いて行く。真野は高橋の席に座り、パソコンの電源を入れた。

(パスワードとか、必要だったりして……)

 瑠実が思った通り、液晶画面には、パスワードを入力する画面が映し出された。もしかして、無理かも? と思った矢先、真野は経理のパスワードを知っているらしく、難なくパソコンを立げ上げた。瑠実の心配は、杞憂だったようだ。

「これって……いいんですか?」

「今更、何をゆうとや。俺にハッカーみたいなことさせといて」

 真野は液晶画面から目を離さず文句を言ったが、口調は柔らかい。瑠実も真野の後ろに陣取り、画面に注目した。データのサーバーに入り、日付から、最近の使用ファイルを選択。直接クリックする。名前で検索しても、物件名をそのままファイル名にするとは、限らないからだろう。

 ビンゴ!

 真野の考えは当たったようで、見事に偽造見積のデータを探し当てた。ちなみにデータの名前は「雑務メモ」だった。物件名や、日報、連絡表などは、誰が覗くかわからない。雑務メモなら、個人のファイルだと認識され、わざわざ開いて見る輩は、ほとんどいないだろう。なるほど。高橋も考えたものだ。それにしても真野も、すぐにファイルを探し当てられる辺りは、流石に手慣れている。もしかして、真野も同じ手口で、どこかに不都合なデータを隠し持っているからか? と瑠実は思ったが、黙っていた。真野は偽造データだと確認すると、ごみ箱に入れず、すぐに全消去した。

「これで……安心ですね」

「んにゃ、こんなの、一時しのぎじゃわ。データが削除されたのがわかったら、また作るやろうし。大事なのは、データ削除じゃなくて、偽造見積を作るという考えを、犯人の頭の中から削除することやろうね」

 もっともな意見だ。納得はできたが、偽造見積書を作る意味がわからなかった。見積書を二通作り、差額をピンハネ……というところまでは予想が付く。だが、見つかれば大事だ。いくらお金が欲しくても、高橋はお金に困っている風でもないのに、そこまでの危険をなぜ冒すのか。二つの見積金額の差は約二千万円。項目が違えば、工事過程も違ってくるだろう。むしろ項目も変えず、金額を少しずつ増額する手だってあると思う。いくら素人に提出する見積だとはいえ、違いがばれたら大変だ。お金を全額払うか、わかったものでもない。一か八かの大勝負のように思えた。

「真野さん、こんなに項目が違うのは、なんででしょう? しかも設計料のところが一番大きく違いが出ると思うっちゃけど……」

 瑠実は疑問に思っている設計料の別途請求について聞いてみた。

「ああ。……これね。これは、見つかったらホントにヤバイと思う」

 何がヤバイのか、瑠実にはさっぱり判らなかった。この際だから、真野に判る専門知識は全部ごっそり聞き出してしまえ。


to be  continued……


 その後、瑠実と真野は会社に戻った。真野が持っていたコンビニの袋をデスクに置くと、中身が見える。夜食を買ってきたんだな。と、何気なく注目すると、中身はプリンだった。

 そう言えば、先程、喫茶店でもパフェを完食していたっけ……。男のクセに甘いモノが好きなのか……と思っていたら、真野が瑠実の視線に気づいたようだ。

「なに?」

「ああ……甘いモノがお好きなんですね」

 瑠実の視線がプリンに注がれているのに気づいた真野は、「ああ……これね。欲しかったら一つあげるわ」と、ガサガサとコンビニ袋からプリンとスプーンを出してきた。

「いえいえ。さっきパフェを食べたので……」と、断ろうとすると、「遠慮せんでいいが。二つ買ってきたから」と自分の分のプリンをデスクに置く。

(二つ? もしかして私の分? それとも、一人で二つ食べるとか?)

「ちょっと温くなっちょるけど、美味いよ? もしも要らんかったら、俺が食っちゃる」

 え? さっきパフェを完食していおいて、プリンを二個も食べるつもり?

 瑠実は呆気に取られていたが、真野は動じることなく、早速プリンを開けていた。

 どれだけ甘いモノが好きなんですか! さっきパフェを食べたでしょう! 瑠実はツッコミたい言葉が喉元まで出掛かって、ぐっと嚥下させた。葛藤している間にも、真野は平気な顔をして、あっという間にプリンを食べ終わっている。

「あー、お茶が飲みたいな……」

 甘いモノを食べ終わったら、早速お茶の催促ですか。真野は瑠実にチラリと視線を送ると、「そういえば、俺って、誰かさんの命の恩人なんだよなぁ……」と独り言にしては大きな声で話した。そうでした。私は真野さんに、助けられたんだった。瑠実は抱き抱えられた時の真野の大きな胸を思い出した。思い出すと、今でも脈拍が上がりそうだ。いや……今はダメだ。真野がどうこう言っている場合じゃない。瑠実が今更ながら胸の高鳴りを押さえる一方、真野はお構いなしに一人で喋っていた。

「お茶じゃなくて、やっぱりコーヒーの気分かな……」

 再びチラチラと瑠実を横目で見る辺りは、確信犯だ。だが、リアクションが子供っぽいので、不思議と嫌みには思えない瑠実は半分あきれながらも「はいはい。わかりました。今、コーヒーを淹れてきますから」と席を立つ。やれやれ。しかたないか。瑠実は苦笑しながら給湯室へと向かった。

 給湯室で二人分のコーヒーを淹れている間も、真野の甘いモノスキーな性格を思い出すとついつい顔がゆるんでしまう。普段は仕事の鬼なのに。ちゃんと瑠実の分と二つプリンを買ってきてくれたことを思い出して、更に瑠実は頬を緩めた。なんとなく嬉しい。今まで夜食やおやつを買ってくる時は、自分の分しか買ってこなかったのに、二人分というのは、少なからず仕事馬鹿な真野にとっても、瑠実のことも頭の片隅にはあるのだろう。多少は、毎日残業をしている労いの意味があるのかもしれない。

 少しは、打ち解けてきたってこと……?

 いやいや。でも真野は計算書偽造の犯人かもしれないし。瑠実の中で、真野の線引きが、だんだんとあやふやになっているのを、自覚しないわけにはいかなかった。

 瑠実がコーヒーを持ってデスクに戻ってみると、真野のデスクには例の見積書が、そのままひろげてあった。これは、報告しておいたほうがいいのか? それとも、自宅に戻り、一人で解析してみるか? どうしようか迷ったが、瑠実はバッグに忍ばせた見積書を出し、真野に見せた。

「これは?」

「高橋さんが黒木さんに渡した見積書のコピーです」

「嘘! なんで瑠実さんが持っちょると?」

 流石の真野も、驚いた様子だった。えへへ。と笑ってごまかすと、それ以上しつこく真野は問い質さなかった。真野は驚きながらも、「実は、これを探しちょったとよ」と、食いつく勢いで、デスクにあった見積書と見比べ始めた。真野はプリンを食べていた時とは大違いの仕事モードだ。瑠実は邪魔しないように、黙って仕事ぶりを見ていた。

 比べると工事項目と、見積総額が違っていた。電卓で計算すると、差額は二千万円。全体の総工費が二億円なので、約一割の差だ。真野は見比べながら、所々に附箋を貼り、マーカーで印をつけてゆく。時折かたかた電卓を叩く音だけが、辺りに響いた。

 瑠実は真野が計算している間、今までの経緯を思い返していた。

 真野が怪しいと言われ、捜査し始めたが、他にも怪しいと思われる人間が出てきた。

 まず、偽造計算書を作った疑いがあるのは、真野本人だ。未だに証拠となる計算書が見つからないのが悔しいところだ。次に、偽造発注書をいじったと思われるのが、加藤と黒木。それに加え、偽造見積書に関わっていると思われる高橋と黒木。黒木と電話していた古賀も気になるところだが、電話が掛かってきたのは、単なる偶然かもしれない。

 どうやら瑠実は、重大な証拠を見つけたらしい。けれど、一番欲しいはずの偽造計算書をまだ手に入れていない。潜入捜査のつもりだったのが、余計な偽造発注書や、偽造見積書まで見つけてしまい、瑠実の頭の中は混乱するばかりだ。気がつけば、香月建設は、偽造だらけの書類にまみれ、好き勝手にやっている会社に見える。

 ホントにこのままでは、会社が潰れてしまう。隆司の容疑が晴れて会社に戻ってきたとしても、会社存続できないかもしれない。一学生である瑠実が心配してもどうにもならないのかもしれないが、どうか杞憂でありますように、と願うばかりだ。

 結局、信じられるのは自分だけなのかもしれないが、一人で捜査するには限界もあるし、そもそも建築についての実地知識に自信がない。こうなったら、身近にいる真野をうまく利用してやろう。幸い、真野は瑠実を少しずつだが信頼してくれていると思う。瑠実が捜査していると悟られないように、うまく専門知識だけを抽出して、犯人を突き止めなければ。偽造計算書でも、偽造発注書でも、偽造見積書でも、全部ごっそり纏めて犯人を突き止めてやる! 瑠実は決意を新たにしていた。


to be  continued……

 4

 その時だった。後方から携帯電話のバイブ音がした。高橋か、もしくは一緒にいる相手に電話が掛かってきたらしい。ガタンと席を立つ音と共に、挨拶らしい会話が聞こえた。

「ああ、古賀部長」

 男の声で、小さく古賀の名前を呼ぶ声が聞こえた。どうやら電話の相手は、古賀のようだ。男は高橋に断りを入れ、瑠実の後方を、電話を耳に当てたまま通り過ぎた。

 あ、見つかる。瑠実は、思わず息を詰め、身を小さくする。俯いて顔を伏せていると、会話に夢中なのか、瑠実と真野には気づかなかったようだ。

 ほっとした直後、ふと、どこかで嗅いだ匂いがした。コロンの香りだ。どこで嗅いだっけ……。確か、アルバイトに来た初日、呑みに行かないかと誘われた時――。

 瑠実が思い出すのと、真野が顔を上げたのは同時だった。

「真野さん、今のは……」

 即座に真野も気づいたようだ。瑠実が真野から男の後ろ姿に視線を送ると、男を追いかけていく高橋の後ろ姿があった。

「ああ。……そうだ」

 真野も瑠実と同じ考えだと肯定した。男と高橋は会計を済ませ、やがて二人は店外へ出て行った。あの後ろ姿には、見覚えがある。黒木だ。いつもコロンを愛用していたので、間違いない。瑠実は一部始終を見届けると、呆気にとられていた。まさか、黒木と高橋が繋がっていたなんて。瑠実はしばらく、呆然としながら、店の扉を見つめていた。高橋が偽造見積を渡した相手が黒木だったなんて。……ということは、黒木が犯人か? いや、なんで黒木がわざわざ高橋に見積書を頼むのだろう。しようと思えば、自分で偽造見積なり、発注書なり作成できる上、印刷だって可能だろう。現に発注書は真野が握り潰したが、容疑者はわかっていない。考えを巡らせていると、店員が目の前にオーダーしたパフェを置いたのも、気が付かなかった。

「食べないの? 溶けちゃうよ?」

 正面を見ると、真野はすでに華奢なスプーンを器用に使い、パフェを口に運んでいた。男のくせに、綺麗な食べ方だ。いやいや、今は真野の食べ方に感心している場合じゃない。なんで高橋が黒木に見積書を渡していたのか。これが一番の関心事だろう。瑠実は考えを巡らせながら、捩ったナプキンを広げ、柄の長いスプーンを取り出した。ようやく一口目のパフェを口に運びながら真野を見ると、すでに半分は平らげている。どうやら、甘いものは得意らしい。それなのに、痩身なスタイルの真野が、憎たらしくなる。そういえば、真野はなんで驚かないのだろう。疑惑の見積書の存在を知っていながら、受け渡しを阻止するわけでもなし、始終ずっと、落ち着いた態度だ。もしかしたら、初めから知っていたとか? 瑠実は考えると真野に問いただした。

「真野さん、気付いてたんですか? 相手が黒木さんだって」

「いやいや。そこまではわからんかった。でも、あの二人が付き合っている噂はあったからね。今となっては、納得やけど」

 真野は瑠実の質問に動揺するわけでもなく、挨拶する程度にのんびりと答えた。ヒドイ。知っていたのなら、教えてくれればいいのに。それとも、もしかして、真野も高橋とグルとか? そもそも古賀は、真野が怪しいと言っていた。怪しいのは真野だけでなく、黒木だったのか? もう誰が、怪しいのさえわからなくなってくる。
 考えると腹が立った。尾行捜査だと、浮きだっていた自分が恥ずかしい。瑠実は怒りに任せ、華奢なスプーンでパフェを掻き混ぜながら真野を睨んだ。「なにか?」「いいえ」

 瑠実は真野を睨み不服そうな顔をしたが、具体的に何を言って良いのかわからない。もやもやする気持ちをかかえ、黙っているのがやっとだった。真野は、瑠実の考えを読みとったらしい。相変わらず平然とパフェを食しながら「言っとくけど、俺がグルと違うけん」と先に断りを入れた。考えがタダ漏れなのなら、話は早い。瑠実は半分ほど溶けてなくなりそうなパフェを掻き混ぜた手を止め、真野に聞いた。

「なんで真野さんは、驚かんとですか?」

 ほぼパフェを完食した真野は、ナプキンで口を拭くと、ゆっくりと口を開いた。

「高橋さんと黒木が繋がっちょるのは、前から噂はあった。ただ……ちょっと不思議やとよね」

 真野が不思議だというのは珍しい。今までなんでも解っている風なので、瑠実は意外だった。

「何が不思議なんです?」

「フェミニストの黒木の性格じゃったら、女の尻を追いかけるのは納得やっちゃけど、高橋さんに関しては、逆。どうも、高橋さんが黒木を追いかけ回してるようじゃわ。なんでか、ようわからん。黒木はどう思っちょるかわからんけど、高橋さんが黒木を好きだからやろうか?」

 真野の言葉を聞いて、瑠実はすぐに理解できなかった。

「え?」

 フェミニストの黒木が高橋に? 追いかけているのは逆じゃなくて? 真野が不思議というも、少しわかる気がした。

「気付かんかった?」

 高橋と黒木が一緒のところを見たのは、これが初めてだった。そう言えば以前、給湯室で、高橋が黒木について詳しく語っていた気がする。

 ……ああ、なるほど。

 恋愛沙汰は興味がないわけではない。アンテナ具合だって普通だと思っているのだが、友人にいわせると「瑠実は恋愛に関しては、ホント疎いよね。自分から言い寄らんでも、男が寄ってくるからやわ」と、昔から言われていたのを思い出した。

(別に疎くはないと思うっちゃけど……。まあ、そうかも)

 瑠実は頬を膨らませたが、「まあ、瑠実さんは、そういうところがいいっちゃないと?」と、はぐらかされた。なにがどういいのかわからない。問い質すのも馬鹿馬鹿しくなって、瑠実は半分以上も溶けたパフェをヤケ食いとばかり、勢いをつけて食べ始めた。

 目の前にいる真野は驚いて見ていたが、いつの間にか優しい瞳になっていた。


to be  continued……