その時だった。後方から携帯電話のバイブ音がした。高橋か、もしくは一緒にいる相手に電話が掛かってきたらしい。ガタンと席を立つ音と共に、挨拶らしい会話が聞こえた。
「ああ、古賀部長」
男の声で、小さく古賀の名前を呼ぶ声が聞こえた。どうやら電話の相手は、古賀のようだ。男は高橋に断りを入れ、瑠実の後方を、電話を耳に当てたまま通り過ぎた。
あ、見つかる。瑠実は、思わず息を詰め、身を小さくする。俯いて顔を伏せていると、会話に夢中なのか、瑠実と真野には気づかなかったようだ。
ほっとした直後、ふと、どこかで嗅いだ匂いがした。コロンの香りだ。どこで嗅いだっけ……。確か、アルバイトに来た初日、呑みに行かないかと誘われた時――。
瑠実が思い出すのと、真野が顔を上げたのは同時だった。
「真野さん、今のは……」
即座に真野も気づいたようだ。瑠実が真野から男の後ろ姿に視線を送ると、男を追いかけていく高橋の後ろ姿があった。
「ああ。……そうだ」
真野も瑠実と同じ考えだと肯定した。男と高橋は会計を済ませ、やがて二人は店外へ出て行った。あの後ろ姿には、見覚えがある。黒木だ。いつもコロンを愛用していたので、間違いない。瑠実は一部始終を見届けると、呆気にとられていた。まさか、黒木と高橋が繋がっていたなんて。瑠実はしばらく、呆然としながら、店の扉を見つめていた。高橋が偽造見積を渡した相手が黒木だったなんて。……ということは、黒木が犯人か? いや、なんで黒木がわざわざ高橋に見積書を頼むのだろう。しようと思えば、自分で偽造見積なり、発注書なり作成できる上、印刷だって可能だろう。現に発注書は真野が握り潰したが、容疑者はわかっていない。考えを巡らせていると、店員が目の前にオーダーしたパフェを置いたのも、気が付かなかった。
「食べないの? 溶けちゃうよ?」
正面を見ると、真野はすでに華奢なスプーンを器用に使い、パフェを口に運んでいた。男のくせに、綺麗な食べ方だ。いやいや、今は真野の食べ方に感心している場合じゃない。なんで高橋が黒木に見積書を渡していたのか。これが一番の関心事だろう。瑠実は考えを巡らせながら、捩ったナプキンを広げ、柄の長いスプーンを取り出した。ようやく一口目のパフェを口に運びながら真野を見ると、すでに半分は平らげている。どうやら、甘いものは得意らしい。それなのに、痩身なスタイルの真野が、憎たらしくなる。そういえば、真野はなんで驚かないのだろう。疑惑の見積書の存在を知っていながら、受け渡しを阻止するわけでもなし、始終ずっと、落ち着いた態度だ。もしかしたら、初めから知っていたとか? 瑠実は考えると真野に問いただした。
「真野さん、気付いてたんですか? 相手が黒木さんだって」
「いやいや。そこまではわからんかった。でも、あの二人が付き合っている噂はあったからね。今となっては、納得やけど」
真野は瑠実の質問に動揺するわけでもなく、挨拶する程度にのんびりと答えた。ヒドイ。知っていたのなら、教えてくれればいいのに。それとも、もしかして、真野も高橋とグルとか? そもそも古賀は、真野が怪しいと言っていた。怪しいのは真野だけでなく、黒木だったのか? もう誰が、怪しいのさえわからなくなってくる。
考えると腹が立った。尾行捜査だと、浮きだっていた自分が恥ずかしい。瑠実は怒りに任せ、華奢なスプーンでパフェを掻き混ぜながら真野を睨んだ。「なにか?」「いいえ」
瑠実は真野を睨み不服そうな顔をしたが、具体的に何を言って良いのかわからない。もやもやする気持ちをかかえ、黙っているのがやっとだった。真野は、瑠実の考えを読みとったらしい。相変わらず平然とパフェを食しながら「言っとくけど、俺がグルと違うけん」と先に断りを入れた。考えがタダ漏れなのなら、話は早い。瑠実は半分ほど溶けてなくなりそうなパフェを掻き混ぜた手を止め、真野に聞いた。
「なんで真野さんは、驚かんとですか?」
ほぼパフェを完食した真野は、ナプキンで口を拭くと、ゆっくりと口を開いた。
「高橋さんと黒木が繋がっちょるのは、前から噂はあった。ただ……ちょっと不思議やとよね」
真野が不思議だというのは珍しい。今までなんでも解っている風なので、瑠実は意外だった。
「何が不思議なんです?」
「フェミニストの黒木の性格じゃったら、女の尻を追いかけるのは納得やっちゃけど、高橋さんに関しては、逆。どうも、高橋さんが黒木を追いかけ回してるようじゃわ。なんでか、ようわからん。黒木はどう思っちょるかわからんけど、高橋さんが黒木を好きだからやろうか?」
真野の言葉を聞いて、瑠実はすぐに理解できなかった。
「え?」
フェミニストの黒木が高橋に? 追いかけているのは逆じゃなくて? 真野が不思議というも、少しわかる気がした。
「気付かんかった?」
高橋と黒木が一緒のところを見たのは、これが初めてだった。そう言えば以前、給湯室で、高橋が黒木について詳しく語っていた気がする。
……ああ、なるほど。
恋愛沙汰は興味がないわけではない。アンテナ具合だって普通だと思っているのだが、友人にいわせると「瑠実は恋愛に関しては、ホント疎いよね。自分から言い寄らんでも、男が寄ってくるからやわ」と、昔から言われていたのを思い出した。
(別に疎くはないと思うっちゃけど……。まあ、そうかも)
瑠実は頬を膨らませたが、「まあ、瑠実さんは、そういうところがいいっちゃないと?」と、はぐらかされた。なにがどういいのかわからない。問い質すのも馬鹿馬鹿しくなって、瑠実は半分以上も溶けたパフェをヤケ食いとばかり、勢いをつけて食べ始めた。
目の前にいる真野は驚いて見ていたが、いつの間にか優しい瞳になっていた。
to be continued……