3/22(火)
皮膚病の診察で、東京女子医大へ。
家から比較的近い・産科が強い(同じような症例が多いだろうから)という条件で選ぶ。
火曜日は皮膚科の教授の初診診察日にあたっていたため、混んでいるかな~と思ったら、
諸々手続きを済ませ、皮膚科まで辿りついて、さてトイレでも・・・とトイレに入ろうとしたところで名前を呼ばれてびっくりとする。
まずは助手のような方によるヒアリング。
かなりいろいろとヒアリングを受け、また私からも過去に受けた各種血液検査やアレルギーテストの結果、
今回女子医大に辿り着くまでに治療してきた内容、薬剤などをお伝えする。
ヒアリング終了後、5分もしないうちに診察。
あまりにもスムーズだ。
待たされて当然と思っていたところがこんな状態だと逆に不安になるのだが・・・。
しかし結果的に、行って良かった。とこころから思った。
K教授はとても優しい方だったし、病気に関する話や治療方針も明確に教えてくださった。
K教授は私の患部を見るなり「これはひどいですね・・・これでは夜も眠れないでしょうね。痒かったでしょう、かわいそうに。これは本当に辛かったですよね」とおっしゃった。
この言葉に救われる思い。
そ、そうなんです・・・本当に本当につらくて、でもこの痒みからくるつらさは、実際に痒く、そのせいで眠れずに、また食事もお風呂もつらがっている私を毎日目の当たりにしている夫にしか正確に伝わっていない気がしていたし、夫ですら、本当の痒みはわからないだろう。当人ではないのだから。だいたい病気ってそういうものだし。
私にとって大きかったのは、病名が特定できたこと。
なんだかわからないけど通常と違う、というのがいっとう嫌だったから。
特定された病名、腹部と背中はPUPPPで、顔は妊娠性疱疹(こちらは予想どおり)。
PUPPPは初産婦の1%程度のひとがかかる蕁麻疹状の皮膚炎で(蕁麻疹の上に湿疹ができているような感じ)、強烈な痒みを伴うもの。出産後スムーズに治ることが多い。
妊娠性疱疹は、初産婦・経産婦を問わず3%程度の割合で発症し、水ぼうそうのような症状で、紅斑ができそのまわりに環状に水泡ができてそれがつぶれ、化膿する。こちらも痒みを伴うもの。

私の症状を診た先生(写真も撮られた・・・そんなにひどいのか?)、ここまでくるとステロイドを塗布する以外では治せないということで(ただしPUPPPの方は、出産までは症状は軽くはできても完治はしないとのこと)
また胎児には影響がないという話でもあるので、なるべくステロイドは使わない主義ではあるけれども、ステロイド治療に踏み切ることにする。

ああどうか、早く、少しでもいいから改善しますように。
せめて夜、眠れる時間がとれますように。

診察後、夫に電話。
病院、行って良かったよ!と報告すると夫もとても喜んでくれた。

夜、早めに帰宅した夫と鍋。
ちびちびは元気だが、お腹がすごく張るせいかどうか、以前より動きが鈍い気がする。心配だ。
ちびちびのためにも皮膚炎を少しでも軽くしたい。

余震が大きくてとても怖い。
被災地の方はもっと不安だろう。
早く落ち着いた世の中になりますように。


3/23(水)
妊婦健診。
私の順番までのあいだに、担当医のおじいちゃん先生は緊急会議に呼ばれたり(何かあったらしい)、妊婦健診で急遽入院が決まるひとが3人も!いたりと、結局4時間待ち。
ここまで待つのは史上初である。
疲れてきたが、産科にトラブルはつきものだ。
私だってどうなるかわからないのだ。お互いさまである。

待合室の隣に姉妹の妊婦さんが座っていたのだが、
どうやら妹さんのほうは福島の方で、中野在住の姉を頼ってこちらに転院してきたらしい。
不安だっただろうな。
どうか少しでも穏やかな気持ちで出産の日を迎えられるといいと思う。

やっと順番が来て、診察。
ちびちびは順調そのもの。
しかし私のお腹と背中を見た先生、うわ・・・これは・・・PUPPPですか~しかしここまでひどいひとは初めてだなあ、とおっしゃる。
この道40年以上(多分)の先生にまでそんなことを言われる私って・・・。
これは痒いでしょう、ここまでひどいとなるとストレスも半端じゃないだろうから、正規産に入ったら、陣痛促進剤を使って、早めに産んじゃうほうがいいかもしれないねえ、と先生。
そうか、そういう手があるのか!
促進剤を使うことのメリットデメリットはまだよくわからないので、自分でもいろいろと調べて結論を出そうと思う。
3児の母である顔なじみの助産師さんからも、うわーこれはホントにひどいですね、とびっくりされる。
Kさん(私の苗字)でなければ、狂っちゃってたかもね、辛いだろうけど、この経験は子育てに絶対に生きますよ、と励まされる。喜んでいいのかどうか・・・。

午後、赤ちゃん学級最終回へ。
病院の時間がずれ込んだので、相当の遅刻である。
それにしても赤ちゃん学級、行って良かった。
行く前は、1度行ってつまらなかったら途中でも帰っちゃおうとか、知識を得るためだけの参加する、というスタンスだったのだが、気がつけばこの赤ちゃん学級の日を楽しみにしている自分がいた。
同じような週数の妊婦たちと会うこと。話をすること。
参加者はみな同じような気持ちだったらしく、回を追うごとに、学級終了後に居残って話をするひとが増えていったし、個人的にメールアドレスの交換をする相手も何人かできた。
こんなふうになるとは思わなかった。うれしい誤算。

夫は遅めの帰宅。
ちびちびは元気に動いていて、夫が触ったタイミングでびくんびくんとはねまわっていた。


3/24(木)
東京の水に汚染が!ということで、世の中からミネラルウォーターが消えているらしい。
東京の水は乳児のみが制限されているが、胎児をもつ私としてはやはり心配であるが、
幸いなことに、わが家は夫の強い希望で、去年からウォーターサーバーを導入している。
サーバー用のストックもある。
だから今回の水騒動もまったく気にしないで済んだ。
導入前は場所をとるしどうにも見た目が麗しくないウォーターサーバーを自宅に置くなんて嫌だなあと思っていたのだけれども、まさかこんなときに役に立つとは!さすが夫、先見の明があるというかなんというか。
今日もまた夫に感謝である。

午後、銀座の鍼灸院へ。
だいぶ顔(の疱疹)がよくなってきましたね!といわれ(実際、ステロイド治療をはじめてものの数日で薬効があらわれてきた。さすがステロイド、おそるべしステロイド)、
ステロイド治療に踏み切ったんですよ、とお答えする。
S院長はステロイドにもとても詳しくて、どうしてステロイドがそんなに効くのかとか、どれくらいの期間、どれくらいの量のステロイド治療を続ければ悪影響が出ないか、などを詳しく教えていただいた。
曰く、ステロイドは人体にもともとある物質であり、あまりにも痒みや痛みが強いと、体内のステロイドが増えてしまうので、その分、かえって免疫力を低下させてしまう。そのため、私のように症状が強い場合は外部からのステロイド治療は有効であること。
ただし治療期間は長くて10日間とすること。7日くらいが一番いい。
7日以内に辞めてしまうと、また症状が出てしまう可能性が高いので、7日間、治療は辞めないこと。
とはいえ快方してきたら、その段階から薬の塗布量、塗布回数を減らすこと。
なるほど。勉強になりました。
からだも修復してもらい、満足ながら鍼灸院をあとにする。

昨晩、久しぶりに母から電話。
最初は皮膚炎などの話だったので穏便に話ができたのだが、後半で、どうしても分娩の時に立ち会いたい、病院にいたい、それがだめなら自宅で待っていたいと言われ、辟易とする。
私が産む病院では「立会出産」をする人(私の場合は夫)以外は、待つ場所もないので遠慮してください、という方針。
出産当日と翌日はやることがたくさんあるから、親などは翌々日から来てもらいましょう、というふうに助産師さんからも言われていて、なんて素晴らしい!(というか私に合っている!)と心から安心していた。
そうして母にはそのことを既に話してあり、もちろんすごく文句を言われたし、それでも不服ながらも、最終的にはそれを承諾していたはずなのだが・・・。
だいたい出産に何時間かかるかもわからないし、10時間以上かかったなんていうのはざらな話だ。
陣痛が始まったというタイミングで電話をしてから来たとしても、何時間待つかわからない。
私としてはやはり病院の方針どおりに、2日後に来てくれた方がどれだけ助かるだろう。
結局、話は決裂し、母は電話を切ってしまった。
どうしてうまくいかないのだろう。
うまく子どもをやれない私にも原因があるし、母の性格にも問題があるだろう。
電話を受けるたびにいつもこの関係について頭を悩まされる。

電話を切った(切られた)後は、案の定、お腹が痛いくらいに張っている。
ごめんね、ちびちび。

夜遅く帰ってきた夫、鍼灸はどうやった?と真っ先に聞くので、
詳しく話をする。
夫と話していると、先ほどの電話の後味の悪さも忘れられる。

先週くらいからちびちびの動きの種類によって膀胱を激しく刺激される。
その度にトイレに直行する私である。


3/25(金)
今日から31週。

予定がない一日。
ずうっと予定があったり外出が続いていたので、ほうっとする。

今週から復活したヨガを今日もし、
そのあと、ウォーキングへ。
自宅近辺だけだけれども、歩くのはやはり気持ちがいい。

そろそろ出産の準備もしておかなくてはいけないだろう。
たいていのものはおさがりでいただいたのだけれども、
小物などや消耗品は買わないといけない。
レンタルするベビーカーも見つくろっておかなくては。

ちびちび、今日も元気。







3/19(土)
たんじょうび。
37歳である。

自分が子どもだったころ「お母さんは36歳」という記憶がなぜか強い。
私は母が26歳くらいのときの子どもだから、当時の私は9歳とか10歳で、小学校の行事などでそういうことを書いたり言ったりする機会が多かったのだろうか。

その「母の年齢」を超えた。今年。

震災で不安定ななか、毎年必要以上にたんじょうびを楽しみにしているイベント好きの私ですら
たんじょうびのことを忘れていたのだが(震災前までは憶えていたのだけれども)
夫から、たんじょうびどうしようか?と数日前に聞かれて思い出した。
そうだ、たんじょうびだったんだ!

プレゼントは靴がいいと思ってんねんけど、いまの靴って紐があるからお腹大きいとすっと履きにくいやろ、それに子どもができたら余計に履くのが簡単な靴がええやろ、
あとはいろいろとおいしいものを買ってきて食べよう。
と、夫からの提案。
私たちは互いのたんじょうびやクリスマスなんかのイベントごとのあるときは、そとでごはんを食べずにいえでごはんを食べる。
ずうっと以前はすこしばかり豪華なそごとはんをしていたのだけれども、いつからかやっぱりいえのほうが落ち着くよね!ということになった。
私の負担?を軽減するため、いつもは買わないようなデパートの地下などでいくつかの品物を買ってきたりする。
いいねえ!あと、ケーキも食べたいですぅというと、ずうっとがまんしてたもんな、と夫。
そうなのだ。大好きな苺のショートケーキ、クリスマス以降は一度も食べていないのだ。

被災地の方々のことを思うと、ぜいたくしてていいのかなとも思うのだけれども、
だからこそこのちょっとしたぜいたくを、こころから感謝して、たいせつにしようと思うのだ。

さてたんじょうび。
昼はパスタキッチンに行き、いつものパスタをおいしくいただく。
それから買い物へ。
思いのほか早くとてもいい靴が見つかり、ほかに欲しいものないのん?と聞かれたので、その店にあった授乳用のウエアなども数点、プレゼントしてもらった。ありがとう。

お惣菜を選ぶ段になって、そういえばメインディッシュは京都から贈ってもらった肉がたっぷりあるのでそれを食べよう、ということになったため、ちょっとだけ食べたい物を買い、ケーキも買って、思っていたよりもスムーズにあっというまに買物は終了。

いえに帰り、すこしのんびりしたあと、夫はフットサルへ。

夜、夫が帰宅してからたんじょうびパーティをする。
夫と過ごす、7回目のたんじょうび。
夫と私とおなかの子どもと。3人のはじめてのたんじょうびパーティ。
こんなふうに、静かにおいしいものを食べられるってほんとうにしあわせなことだよね。と夫といいあう。
来年からは3人でお祝いするんだね。去年のたんじょうびのときには想像もしてなかったね。そんなことを。


3/20(日)
午前中、両親学級。
区が主催しているもので、主に夫向けに、沐浴指導やおむつ替え指導、夫の妊婦体験や安産にするためにたいせつなこと、などの講習を受ける。

母親学級で一緒の方もそれぞれのパートナーと何組かいらしていて、
そうして夫婦というのは不思議なもので、どのカップルもお似合いだなあ~という印象。
雰囲気がとても似ているのだ。
私たちも似ているのかな?と夫にいうと、どうやろーといって夫は笑っていたけれども。

夫が赤ちゃん人形相手に沐浴していたり、おむつ替えをしているのを見るのはとてもおもしろかった。
初めての経験にあたふたとしたり、あるいは夫らしく疑問に思ったことを指導者に次々と質問していたりしている。
妊婦体験では臨月分の重さ(7キロくらい)の剣道の胴着みたいな亀の甲羅みたいなのをおなかにつけて、靴を履いたり横になってから起きたりという体験学習をしていた。
お、重い、信じられん・・・なんていう声があちこちから聞こえてきて、夫ももれなく同じことをいっていた。
おもしろいので写真を何枚も撮ったりした。

終了後、駅の近くで蕎麦を食べ、新宿へ行き、洗濯機の下見。
子どもが産まれるのを機に、乾燥機がきちんとついた洗濯機を買うことにしたのだ。
いまの洗濯機にも乾燥機はついているのだけれども、あまり機能しない。
とはいえこのご時勢、乾燥機はなるべく使わないと思うし、もともと天日干し派なので、使うとしても梅雨時のすこしの期間とあとは冬場、そして花粉の季節だけだろうとは思うのだけれども。

気に入ったものを見つけ、細部にわたるまで採寸を終えてから、
銀座へ薬膳鍋を食べにいく。
ほんとうはいつも行く日本橋の店がよかったのだけれども、地震の影響でお休みとのことで、同じ系列店の違う場所を紹介される。
いつもながらおいしくからだにやさしい薬膳鍋を堪能し、一生思い出しては笑えるね!ということをしたりしながら、楽しい時間を過ごす。

おなかがいっぱいだから東京駅まで歩こう!ということになり、
歩いている途中からずうっと、痒疹ができている下腹部と背中に信じられない痒み。
いつも痒いが過去最高に痒い。
痒みがあまりにも強いとその集合体として痛みになるんだよ、と鍼灸の先生がおっしゃっていたのだけれども、もはやそれに近い。
うううううと悶えながらなんとか東京駅まで歩き、電車のなかでは息もたえだえ状態で呻き、やっとのことで帰宅。
冷たく濡らしたタオルを背中とおなかにはりつけて、2時間くらいしたところでやっとすこし痒みがひいてきた。
本当は冷やしたくない場所だけれども、もはや仕方ない。
夫、とても心配そうである。

やっぱりこの皮膚の状態ではあと2カ月を乗り切るのはかなりつらい気がする。
セカンドオピニオンならぬサードオピニオンくらいで、別の病院にかかってみることを決意する。
だいたい痒みで夜もほとんど眠れないし、からだがあたたまるため痒みが増す食事とお風呂のことを思うと憂鬱になるし、実際に憂鬱だ。
さらによくないのは、痒みが増すときにおなかが張る、という相関関係があること。
このままでは私の精神だけでなく、こどもの肉体に影響が出てしまうだろう。
それを避けるためには、主義には反するのだけれどもステロイドによる治療も視野に入れたほうがいいかもしれない。
とにかく週明けに違う病院に行ってみようと思う。

痒みがすこし引いてきたところで、たんじょうびケーキを食べる。
3本のキャンドルを立てて、あかりを消して、夫はいつものようにハッピーバースディのうたを歌ってくれる。
ひとまえでは歌わない、主義の夫の、調子っぱずれのハッピーバースディトゥユゥ。
ありがとう。夫のやさしさに私はいつも救われる。


3/21(月)
朝から雨。
雨と皮膚炎の影響かおなかが強く張る。

夫は朝からフットサルの大会へ。
前回の大会も雨だったから、対戦チームによほど雨男でもいるのかしらね、と夫にいうと、
夫もそうやなあそうかもしれんと同意する。
夫を見送りがてら駅まで散歩をし、買物などをしてから帰宅。

昼過ぎ、からだの冷え切った夫が帰宅。
沸かしておいたお風呂に入り、ビールを飲んで昼寝をする夫。
私もつられて少し眠る。
1~2時間程度なら、からだがあたたまらないので痒みもそこまで出ない。だから眠ることができるのだ。

病院は東京女子医大の皮膚科に行くことにした。
いえから比較的近い大学病院で(大学病院だと私が怪しいと思っている皮膚炎を特定するための検査が受けられるらしいので)、かつ産科に強いところ(妊娠性だと思われるため、妊婦が多い病院であるほど症例が蓄積されている可能性が高いと予測)、ということで女子医大。
幸い初診でもいきなり行って大丈夫らしいので、明日は朝からすべての予定をキャンセルし、病院に行くことにする。
ああ今度こそ、なんとか病名が特定されて、治療ができますように。

夜、お腹の張りと痒みでやはり体調がすぐれないので、いえでごはんをつくる気力が湧かず、
夫とそとごはんにした。

昨日の妊婦体験の成果が出て、いつもやさしい夫ではあるのだけれども
いつも以上に気遣い満点である。
たとえば玄関の横にそろえておく靴を、履くタイミングで正面にそろえてくれたり。
すごいなあ、妊婦体験!ありがとう、妊婦体験!!





3/14(月)
世界が変わってしまうということがある。
「それ以前」と「それ以降」。
実際に事物が変わるという部分と、受け止め方や行動が変わるという両方において。

今回の震災もそうだと思う。
起きる前と起きたあとでは、決定的に違ってしまった。
いろいろなこと。日常というもの。

阪神のときもそうだった。
あのときも世界が変わった。
想定はしていても実際に起きることとは全然違った。
阪神のときに受けた衝撃、教訓は私にとっては大きいものだった。
そうしてそれに積み重ねるような今回の震災。

生きている。
そのことがどれだけ幸福なことなのか。
そのことを毎日意識する。何度も。何度も。何度でも。


3/15(火)
仕事中の夫から電話があり、京都の両親が、私だけでも京都に避難したほうがいいのではないかといわれたという。
放射能の胎児への影響を心配してくれてのこと。
長野の両親からも同じような話が先日あった。
とてもあたたかい心遣い。
ありがたい話だ。

でもいまの各種報道による情勢把握や、また拡散している放射線量と、放射線による胎児への影響、
一方で私ひとりで京都に移動し、かつ京都に基盤を移すことへの肉体的・精神的負荷とを天秤にかけたとき、
まだ京都に移動する必要はないと判断する。
本当にありがたい心遣いなのだ。それはわかっている。
でも福島にだって妊婦さんはいるのだ。どれくらい心細い思いをしていることだろう。

それになによりも。
もし仮に。夫も一緒にいまから行こう、というのなら、それなら行きましょう、というふうに話は別になるのかもしれないが、
夫だけひとり東京に残し、私とおなかの子どもだけ安心なところにいる、という状況は私には耐えがたい。
しかし夫は俺ひとりならなんとでもなる、でもナオは妊婦やし無理はでけへんから、ナオだけでも京都に行っていてくれたほうが安心できる、という。
みんながこぞって東京から離れるという状況になるその前に、ナオは逃げておいて欲しいと。
その夫の気持ちも理解できる。
でもやっぱり私にはそれはできない。
(第一、いま、そこまで、この東京から出立する必要はないと思う)

まずは落ち着いて、夜、仕事から戻ってから各種の報道等で現状を分析し(夫はネットニュースで断片的に知っているだけなので)、さらに私が見地している放射線に関する知識などを把握したうえで、どうするかを話し合おう、明日の朝までに結論を出して、それを両親には伝えよう、ということでひとまず電話を切る。

夜、早めに夫が帰宅。
話し合った結果、やはり現段階では京都に行く必要はない、ということで落ち着いた。
ただしいつでも京都に行けるように、帰省の荷物だけはまとめておくこと。という条件で。
夫がとても心配してくれることもありがたいことだ。


3/16(水)
午後から母親学級。

いえを出ると、なぜか片側だけ道路が渋滞している。
平日の日中に渋滞することはないのだけれども?といぶかしく思いながら歩いていると、
ガソリンスタンドの待ち渋滞であることが判明した。
そうか・・・う~んと思いつつも、まあ実際、気持ちはわからなくない。
たとえば商用で車を使うひと。供給がどうなるか不透明ななかで、いま給油しておかないと商売あがったりだ、という思いを抱くのだろう。
たとえば子どもがいるひと。いざというときに給油しておかなくて困った、と慌てたりもするだろう。

私も今回の震災をとおして、立場がひとを変えるのは本当だなと痛感しているところだ。
阪神大震災のとき。中越地震のとき。スマトラのとき。
激甚災害だけれども、でももしあのような災害が自分の身に降りかかったとしても、ひとりの健康な大人として、着の身着のまま、いざとなったら田舎に歩いていけばいいや、という気楽さは正直いってあったと思うし、実際に阪神大震災のときから、非常食や数日間分の各種グッズを詰めた避難リュックだけは常に用意している。元来「買いだめ派」で、日用品は1カ月くらいもつくらいの備蓄を常にストックしている性分なのだけれども、それに輪をかけるようにもなった。
でも備えをしていることと、意識とはまた違っていて、まあなんとかなるでしょう、という気楽さや身軽さはやはり私のなかにも少なからずあっただろうし、でもそれはもう消えようとしている。
夫がいて、子どもがいる(まだおなかのなかだけど)。
それだけで、いやそれだからこそ、いざ、というときに対する準備レベル・・・精神的なものも含めて・・・は全然違うのだ。
もしかしたら子どもが中学生とか、そういうもう大人という年頃になればまた変わるのかもしれないけれども。
だからといって買いだめに走ったりするようなことは私の場合は必要がなかったのだが(だって買いだめしてあるし、日用品だのは一時的な供給不足なだけだから)、買いだめに走りたくなるひとたちの気持ちもわからなくない、と思うのだ。

さて今日の母親学級は、沐浴と最初に買っておくべきもの(買う必要がないもの)に関する指導。
沐浴指導は、等身大(身長50センチ、体重3000グラム)の人形を使い、ベビーバスにきちんとお湯を張って、肌着やおむつなども本物を使ってのもの。
なかなかおもしろい。
そうして人形なのに、胸に抱きかかえるとふわ~っと温かい気持ちになるから不思議。
母性だねえ~、わかる!なんか出るよねえ~と、出席していた妊婦たちと笑い合う。

帰りがけ、やはり私と同じように、関西方面に実家があったり婚家があったりする妊婦たちは、移動したほうがいいのでは?という申し出を受けたという話になった。
来月が出産であるひとりの妊婦さんは、もう転院の手続きをおこない、来週から夫の実家のある大阪に移動し、産後まで滞在することが決まったという。
一方で、福島の妊婦さんたちが東京に避難しているくらいだし、ここ以外いくとこないしね!という妊婦さんももちろんいる。
福島から250キロの東京にいてすらこうなのだから、福島にいる妊婦さんたちはさぞや不安なことだろう。早く事態が収拾することを切に願う。

地震以来、早く帰ってきてくれる夫。
今日も20時は帰宅(といってもいえでずうっと仕事をしているけれど)。
母親学級、どうやった?おもしろかった?ときくので、
とてもおもしろかったこと、そうして妊婦さんのなかには東京から離れるひともいること、などを話した。
今週末は両親学級で、今度は夫が沐浴体験をするのだ。どうなることやら。うふふ。

肌の調子は相変わらず悪く(顔の半分はフランケンシュタインのようである)、おなかは大きく肌がつっぱりはちきれんばかり。
地震や放射能で不安なことも多いけれども、それでもちびちびは元気に動いている。



3/17(木)
銀座の鍼灸院へ。
かなり悲惨な肌の状態を見て、S院長はびっくり。
しかもからだをさわっていただくと「なんというか、だらしなくなってる」という。
そ、それは・・・この2週間のあいだに、風邪をひき寝込み腹が張り起きられずさらに地震がきて、ということで、日課にしていたウォーキング1時間とヨガ(動きが激しいほう)をできていないせいだと思われます、というと、ああやっぱり運動してなかったんだね~それが理由かあ~といわれた。
たった2週間で「だらしないからだ」になってしまうなんて、人間の肉体ってそういうものなんだ。知らなかった。
ウォーキングは難しいかもしれないけれども、ヨガは復活しようと固く誓う。

京都の夫の姉から電話。
体調はどう?足りないものや心配なことはない?という内容。
みんながあたたかい気持ちで思いやってくれる。本当にありがたいことだ。
しばらくいろいろと話しをする。
皮膚炎になったことや子どもが大きいこと(それはもううちの血やからしょうがないねとか)、
また夫のたくましさについて。
私の夫はいつどんな状況でも生き残っていけるだろうという期待を感じさせるたくましいタイプで、それはもりもり筋肉があるとかそういうことではなく、しなやかで強靭で臨機応変な精神と嗅覚、そして健康な肉体を持っている。
恋人時代からこのひとのサバイバル能力はぜったいに高いなと思っていたし、実際、私の理想の男子はどんな天変地異が起ころうとも生き残れるサバイバル男子、であるので、無意識的にそういうひとを選んでいたのかもしれないのだが、結婚してからますますその能力が私と、そして子どもにも向けられるようになったため、夫の頼もしさを日々感じている。
T(夫の名前)のサバイバル能力が半端ないのでたのもしいです、と姉にいうと、わかるわ~なんかむっちゃわかるわ~Tはほんまたくましいからねえ、と共感しあい、笑い合う。
そして、なにかあったらなんでも頼ってな、またね、がんばりやーといって電話は切れた。

夫の実家からたんじょうびプレゼントが届く。
毎年恒例、肉。である。
それも絶対に自分たちだけでは買わないような高級な肉。
私の好物がいちごだと知っている姉からのアドバイスであろう、おいしそうないちごもたくさん入っていた。
ありがたくいただく。

夕方、夫の実家に電話をすると両親はおらず、姉としばらく話をする。
おなかが大きくて重いです、というと、姉は「私は6ヶ月のときにはらまわり100センチあったんよ」と衝撃の事実を教えてくれた。ギネス級やってよく言われててん、と。
姉は小柄でほっそりとした体形。
それでも産前はさらに細かったそうだ。いったいどれくらいすごい状態だったか…という感じである。
私は8カ月半ばで90センチ、それでもはらまわりが大きいといわれているのに・・・。
妊娠、恐るべし。
まあ子どもが元気ならええよね、といいあいながら電話を切る。

夜、オモニと電話。
いつでも京都にきてええから、まあとりあえず楽しい誕生日をしてや~と明るく笑っていた。

早く帰ってきた夫と、いただいた肉を焼いて食べる。
塩だけのシンプルな食べ方と、オモニ直伝特製だれをつけて焼く食べ方のふたとおり。
舌のうえでとろけていくような肉に、夫とふたり、おいしいおいしいといいあう。
たいせつなひととおいしいものを食べられるしあわせを感じる。

ちびちび、寝る時間になっておおさわぎ。
最近は睡眠のリズムができてきたせいか、30分程度の睡眠周期ではなく、3時間くらい寝ては30分くらい起きて騒ぐ、の繰り返しになってきた。
ちびちびと会話(ぽんぽんってやってごらん?というと、おなかを蹴ってくる)をするのが楽しい。


3/18(金)
今日から30週。
ちびちびは今日も元気いっぱい動いている。

午前中、皮膚科へ。
今日は夫と診察時間が重なったので一緒に出かける。
薬があわないようだったのでパッチテストをしてみたのだが、実際にあわない薬はなく、う~んという感じ。
やはり出産まで治らないのか。
痒いしすごい見た目だしで、かなりつらいのだが・・・。

高田馬場まで移動し、夫とランチ。
事務所まで送り、その先にあるバス停からバスで帰宅する。

地震と、そして原発のことを思うと本当に胸が張り裂けそうな気持ちになる。
たいせつなひとを失ってしまったたくさんのひとたち。
いまこのときにも最前線で必死で、文字通り必死で、作業をしていてくださる方々。
その家族。
どんな思いでいるのだろう。
とにかく頑張ってください、無事でいてくださいとこころのなかでたくさん祈る。
何度も。何度でも祈る。



3/12(土)

昨日、帰宅してからずうっとテレビにくぎ付けになっている。

被災された現地の方々を思う。

いま、私にできることはなに?



昨晩、夫は事務所から歩いて帰宅。

幸い事務所とわが家は徒歩30分程度の距離。

電話で夫と事務所が無事だったことは確認していたのだけれども

それでも10分に1度はある余震に、

夫の顔をこうして現実に見られたこと、一緒にいられることの

こころづよさ、ありがたさを強く感じる。



被災地では家族やたいせつなかたを亡くしたかたも大勢いらっしゃる。

「いえ」というのは本来、とても安心できる場所だ。それはどうぶつの本能だと思う。

「いえ」に帰れば大丈夫、「いえ」にいれば安心。そんなふうに。

でもそんな「いえ」が現実に、流されていく。消えていく。

目の前で。あとかたもなく。



私にできることのひとつは

このことを忘れないこと。

いまあることに感謝すること。

そうして私のたいせつなものを守ること。



ひとりでも多くのかたのいのちが救われることを

こころから祈る。





3/13(日)

こうしたことが起きるたびに思うのは

自分で判断をきちんとしようということ。

曇らされずに、きっぱりとした気持ちと態度で。



そうして日ごろ、当たり前だと思っていることを維持するために

どれくらいの労力がはらわれているのかということも

忘れずにいたい。



たとえば今回の計画停電もそう。

対応が批判されたりもしているけれども

そういう側面だってあるだろうけれども

でも現場にいる方々は必死で働いているのだ。

なんとかしたい、守りたいといちばん思っているのこそ

安穏としている私たちではなく、彼らだということを忘れてはいけない。



原発だってそう。

是非はこの場では置いておいて、

いま、東電の方々は現地で「いろいろなことを度外視して」限界作業を続けていると

関係している方から聞いた。

「いろいろなことを度外視」の意味。



さまざまなことを憶測し

批判することは簡単だけれども

ひと呼吸おいておきたい。

報道されることに、ええっと焦ったりすることもある。

もちろん私だっていろいろなことが怖いし、安全で快適な生活を送りたい。

でも安全と快適、それを維持するために

見えないところでたくさんのひとたちが働いているのだ。

いつだって。



ときを追うにつれ、

悲惨な状況が次々と報じられる。

なんということだろう。

こころが痛い。





でもいま生きている、

私にできることもきっとある。



そうしていつも希望を捨てないで。

いっときはしたを向いたとしても、いつかは前を向いて。

http://prayforjapan.jp/tweet.html





3/7(月)

風邪は回復傾向にあるが、おなかの張りがひどい。

鉄の球がお腹に入っている、というような状態。

夕方になってさらに症状が悪化していることに気が付いたため、受診している産婦人科の助産師さんに電話して相談すると、すぐに来てください、とのこと。

慌てて警察病院へ。

タクシーのなかから夫に電話をする。

いつも混んでいる早稲田通りも今日は空いていて、5分とかからずに病院に到着。

いえから近い病院で本当によかった。

外来は終わっている時間なので救急にかかる。

さほど待たずに受診してもらえ、早産とか、そういう胎児と母体に影響がある要素はなにも見られないこと、張りどめの薬を処方してもらう。

もしや入院もありうると思っていただけにほうっとし、夫に電話。

夫もひとまず安心したようで、しかしそれから1時間ほどして帰宅してくれた。

受診結果などをもういちど説明し、私の顔を見てやっと安心できたようだ。よかった。


それにしても病院に行くまではとても怖かった。

金曜日の夜から風邪でいえから一歩も出ておらず、またいえでもほとんど寝ていたために気がつかなかったのだが、

私のおなかは思っていた以上に張っていたらしい。

タクシーを拾うために歩く2~3分のあいだに、たとえていうと「固くて重くておなかが落ちちゃう!」と思ってしまうくらいに重たくかちかちになっていたのだ。

そぼふる雨のなか、本当に怖かったのだが、でもそれは私自身のからだに対してではなく、また私のからだのなかにいる子どもにもしものことがあったらという恐怖とも違って(実際におなかの子どもに「もしも」があるとは微塵も考えなかった。無知ということではなく、ぜったいに大丈夫、という「想い」として)、なにがあってもこの子だけは私が絶対に守る、だから安心しておなかにいなさい、というような、そういう強い、母としての想いを持った。

その感情はおなかに子どもが宿ってからのあいだに、いつのまにか強く私に芽生えていたものなのだろう。強く、限りなく。そんなことを思う。想いというものについて。

そうしてそんな状況でも、元気で動いているちびちびに励まされる。


午前中は雪が降っていた。

今年の東京はよく雪が降る。



3/8(火)

張りどめのおかげか、風邪が抜けていく過程なのか、体調はだいぶよくなってきた。

まだおなかは張るが、昨日の比ではない。よかった。

ちびちびも元気に動いている。


金曜日から今日にかけて、体重が2キロ減っていた。

ほとんど食べられなかったのだから当然だが、やっと食欲らしきものが芽生えてきたのでいろいろと食べていたらなぜか1日で2キロ太った。つまりプラスマイナスゼロ。な、なぜ・・・。


忙しい夫、仕事中にもかかわらず何度もメールで大丈夫か?ときいてくる。

これこれこんな感じ、もうだいぶよくなってきたよとか、そういうことを伝える。


午後、代々木の皮膚科へ。

昨日受診の予定を今日に延期してもらっていたもの。

妊娠期特有のものとはいえ、からだの痒みは本当につらい。

風邪で体力が落ちた分、またひとつ蝕まれた気がする。



3/9(水)

午前中、妊婦健診。

私の前のひとまで快調に順番がきていたのに、直前になって急に滞った。

待合室に出る「次はこのひと」という番号ランプも消えている。

これはなにかあったな・・・と待つこと1時間弱。

「もう産まれるからすぐに入院だって」と、なかから出てきた妊婦さんが、待合室で待っていた旦那さんらしき男性に慌てた様子で話している。どうしよう、荷物・・・とか、お母さんに連絡して・・・とかふたりで話しあう声が聞こえてくる。

立って歩いて出てこられたくらいだからまだ猶予はあるということだが、こんなこともあるんだ。


さてやっときた私の順番。

「Kさん(私の苗字)なんかおなかまわり大きくない?臨月みたいな感じ」と馴染みになった助産師さん。

ですよねえ・・・私もそう思うんです。

道を歩いていると「来月?」とか「臨月?」とかおばあちゃんとかおばちゃんにいわれるし。

友だちにも「おなか大きいね」といわれる。

体重は「ここまで増えていいですよ」の週数目安の上下幅のちょうど真ん中くらい。優秀な部類だと思うんだけど。

実際、毎回検診で測ってもらう腹囲は確かに標準より大きい。

「もしかしてKさんって大きく産まれてない?」とたずねられ、ハイ、私は3600か3800で、夫は4000で産まれてます。とこたえると、ああそれだ・・・赤ちゃん、大きくなるよ~大きくなる遺伝子もっているってことだからね、といわれた。そういうものなのか。

確かに夫側の親族はみんな大きいし(男性はみんな180センチ以上、女性も170センチ以上)、かつ大きく産まれている。4歳の甥っ子も3920あり、新生児室でひとりだけ大きかったと聞いているし。

私のほうの家系はあまり大きいひとはいないのだが、産まれたときはみんな大きかった。

ああただでさえ大きいおなか、これからのほうが大きくなるものなのだが、いったいどこまでいくのだろう。

既に自分の足元が見えず、そとを歩くときは結構怖いんだけど。


担当のおじいちゃん先生は、救急の履歴を見つつ内診をしてくれて、この様子なら張り止めは飲まないでね、とおっしゃる。張り止めというのは張っているから飲むものではなく、産まれそうなのをおさえるために飲むものだからね、と。そうなんだ、そういうものなんだ。知らなかった。

ともあれ母子ともに引き続き順調とお墨付きをいただく。とてもうれしいと感じるときのひとつだ。


夫に報告の電話。

夫も喜んでいる。


午後は区の母親学級2回目。

今日は口腔ケアと栄養指導。

栄養指導は、妊婦全般に共通のものではなく、先週の母親学級にて提出したアンケート票から作成したらしき、個別にカスタマイズされたものを渡される。素晴らしい!

前回の母親学級で知り合った同世代の数人と席が近くになったこともあり、終了後も話が盛り上がる。

連絡先を交換し、また来週!と手を振ってわかれる。

なかなか楽しい母親学級になってよかった。ためになることもたくさん聞けたし。


ちびちびの最近のトレンドはサンドバッグ。

つまりボクシングでサンドバッグにスパーリングするように、ぼこぼこと手と足を動かし続けるのである。

元気だなあ。

と思っていたら、母親学級で知り合った、だいたい同じ週数で、かつおなかの子は男子、という方も、同じように「すごい動くよね!こんなに元気だと思わなかった」と教えてくれた。

おなかのいるのが女子、というひとたちは、ええーそんなに動くの?私は全然・・・という反応なので、やはり男子特有のものなのかもしれない。個人差はあるだろうけれども。


夜になって、おなかの張りはだいぶ和らいできた。

少なくとも横になっているあいだは張っていない。

ただ立ったり座ったりしていると、以前よりずいぶんと張ってしまう。

これはおそらく週数的なものもあるだろう。

しかしこれからはもう少し、自分のからだをいたわろうと思う。

夫からも、またつい先週子どもが産まれた友だちからも、ウォーキングしすぎと注意された。

確かにそうかも。

ついつい張りきってしまう性分だけど、疲れるまで歩いても本末転倒だしね。



3/10(木)

今週の頭くらいから、妊娠性痒疹が悪化。

赤みを伴う湿疹ができて、それがひたすら・・・もう気が狂うんじゃないかというくらいに痒いこの症状、私は先週からではじめて、今週になって一気におなかまわりと背中に広がった。

かいちゃだめ、とわかっていてもあまりにもつらくて一度、すごくかいてしまって、そこが蚯蚓腫れになり、またそのまわりに湿疹ができている。

さらに今日になって、胸やおなかの下のほうにまで湿疹が広がってきた。

とにかく痒い。

からだが温まると余計に痒くなるので、暖房も切って、お風呂も極力短くして、氷で冷やして・・・としているのだが、

それでも食事や睡眠などでからだがあたたまるとどうしようもないくらいに痒い。

熱が下がった月曜日から、今度はからだが痒くて全然眠れなくなってしまった。

うとうとしても1時間に1度はかゆくて目が覚める。

かいてはいけないのでそのたびに、手でさすってからだをなだめる。

もちろんそれだけではなだめられないので、ひたすらもだえて苦しむ。


この妊娠性痒疹、妊婦の1%程度のひとがなるといわれているものなのだが、

私の場合はさらに妊娠性疱疹も併発している。

疱疹のほうは顔と胸。こちらは痒疹よりもやっかいで、痒いうえに水疱ができて、膿む。

妊娠性疱疹は妊婦の2%程度のひとがなるらしい。

併発している私っていったい・・・。


もともとアレルギー体質なところに、子どもは男子だし(母体と胎児が違う要素であればあるほど出やすいらしい)、きっと血液型もB型ではないのだろう(自分と血液型が違うと出やすいらしい)。

もしかしたら夫と民族が違うということも関係があるのだろうか。

そういえばベルギー人(かフランス人)と結婚した友だちも妊娠性疱疹で悩まされていた。


あまりにも痒いし、痒くて眠れないのもつらい。

夫もとても心配してくれるが、しかしそれで痒みが減ったりなくなるわけではないとことがつらいところ。


産後すぐに治る場合も治らない場合もあるらしいこの2つの病。

なんとかして症状を緩和したいと思いいろいろと調べてみるものの、

抜本的には打つ手なし、というところらしい。

あとは乳製品をとりすぎない、とか刺激物を食べない、とかを徹底し、

綿製品のみを着用、とか(以前からしてるんだけど)できることをさらに追求するしかない。


こうしているあいだも本当は痒くて痒くてたまらない。困った。



3/11(金)

昨日は韓国料理祭りのように一気に韓国惣菜をつくった。

筋クッ(牛筋を煮込んでつくる具だくさんスープ)、各種ナムル、蒸し豚など。

朝ごはんは夫と炊きたてごはんとともにいただく。


午後、中学時代の友だちと会う。

数年前に、10年ぶりくらいに再会した友だち。

難民救済を仕事にしていて、アフリカのシエラレオネやボスニアなどに数年単位で滞在していた。

3月末まで産休・育休中だ。

中野まで来てくれるというのでお言葉に甘えて新しくできたマルイのカフェでランチとお茶。

2年ぶりの再会に、お互いの近況報告やらなにやらを楽しくしていると、地震。

これまでに感じたことがないくらいのおおきなもので、しかも長い。

これはちょっとまずいかもしれないね、と友だちといいあう。

窓から見える向かいのビルや街路樹までも揺れているし、お店のひとの誘導で机の下に避難したりする。

しばらくすると揺れはおさまり、夫から電話とメール。

無事を伝えあいほうっとしていると、京都の姉(兄の実姉のほう)からやオモニからも電話が入る。

テレビ見てびっくりしてん、ナオさん大丈夫か?とみな一様に心配してくれてありがたい気持ち。

大丈夫です、と伝えつつ、余震が来たりしたので早々に電話を切る。

ひとまず様子を見ようとカフェにとどまっていると、また大きな地震。

戸外に誘導され、この先どうなるかわからない状態になったので、友だちとともに一旦、いえに帰宅してテレビなどで様子を確認し、友だちはそれから帰宅方法を考えようということになった。

幸いにも友だちの1歳の娘ちゃんは耐震がしっかりした大学の保育園で無事、夫の無事も確認できた。


帰宅。

幸い大物は倒れていなかったけれども、小物などがあちこち散乱していてまずはそれにびっくりし、

さらにテレビをつけてみて驚く。

なんだこれは?

津波?え?火事???

とにかくとてもおそろしい事態になっていることだけはわかり、

友だちはバスでなんとかいえに帰れそうなルートを見つけたので、またいえを出て途中まで友だちを送り、

それからまたいえに戻る。


ちびちびは元気だけれども地震の緊張のせいかとてもお腹が張る。

しばらくゆっくり休まねば。


先週と今週、読んだ本。

伊藤たかみさん「フラミンゴの家」「指輪をはめたい」

朝倉かすみさん「好かれようとしない」

こちらは初読。

佐藤多佳子さん「しゃべれどもしゃべれども」「神様がくれた指」「サマータイム」

こちらは再読。