3/14(月)
世界が変わってしまうということがある。
「それ以前」と「それ以降」。
実際に事物が変わるという部分と、受け止め方や行動が変わるという両方において。
今回の震災もそうだと思う。
起きる前と起きたあとでは、決定的に違ってしまった。
いろいろなこと。日常というもの。
阪神のときもそうだった。
あのときも世界が変わった。
想定はしていても実際に起きることとは全然違った。
阪神のときに受けた衝撃、教訓は私にとっては大きいものだった。
そうしてそれに積み重ねるような今回の震災。
生きている。
そのことがどれだけ幸福なことなのか。
そのことを毎日意識する。何度も。何度も。何度でも。
3/15(火)
仕事中の夫から電話があり、京都の両親が、私だけでも京都に避難したほうがいいのではないかといわれたという。
放射能の胎児への影響を心配してくれてのこと。
長野の両親からも同じような話が先日あった。
とてもあたたかい心遣い。
ありがたい話だ。
でもいまの各種報道による情勢把握や、また拡散している放射線量と、放射線による胎児への影響、
一方で私ひとりで京都に移動し、かつ京都に基盤を移すことへの肉体的・精神的負荷とを天秤にかけたとき、
まだ京都に移動する必要はないと判断する。
本当にありがたい心遣いなのだ。それはわかっている。
でも福島にだって妊婦さんはいるのだ。どれくらい心細い思いをしていることだろう。
それになによりも。
もし仮に。夫も一緒にいまから行こう、というのなら、それなら行きましょう、というふうに話は別になるのかもしれないが、
夫だけひとり東京に残し、私とおなかの子どもだけ安心なところにいる、という状況は私には耐えがたい。
しかし夫は俺ひとりならなんとでもなる、でもナオは妊婦やし無理はでけへんから、ナオだけでも京都に行っていてくれたほうが安心できる、という。
みんながこぞって東京から離れるという状況になるその前に、ナオは逃げておいて欲しいと。
その夫の気持ちも理解できる。
でもやっぱり私にはそれはできない。
(第一、いま、そこまで、この東京から出立する必要はないと思う)
まずは落ち着いて、夜、仕事から戻ってから各種の報道等で現状を分析し(夫はネットニュースで断片的に知っているだけなので)、さらに私が見地している放射線に関する知識などを把握したうえで、どうするかを話し合おう、明日の朝までに結論を出して、それを両親には伝えよう、ということでひとまず電話を切る。
夜、早めに夫が帰宅。
話し合った結果、やはり現段階では京都に行く必要はない、ということで落ち着いた。
ただしいつでも京都に行けるように、帰省の荷物だけはまとめておくこと。という条件で。
夫がとても心配してくれることもありがたいことだ。
3/16(水)
午後から母親学級。
いえを出ると、なぜか片側だけ道路が渋滞している。
平日の日中に渋滞することはないのだけれども?といぶかしく思いながら歩いていると、
ガソリンスタンドの待ち渋滞であることが判明した。
そうか・・・う~んと思いつつも、まあ実際、気持ちはわからなくない。
たとえば商用で車を使うひと。供給がどうなるか不透明ななかで、いま給油しておかないと商売あがったりだ、という思いを抱くのだろう。
たとえば子どもがいるひと。いざというときに給油しておかなくて困った、と慌てたりもするだろう。
私も今回の震災をとおして、立場がひとを変えるのは本当だなと痛感しているところだ。
阪神大震災のとき。中越地震のとき。スマトラのとき。
激甚災害だけれども、でももしあのような災害が自分の身に降りかかったとしても、ひとりの健康な大人として、着の身着のまま、いざとなったら田舎に歩いていけばいいや、という気楽さは正直いってあったと思うし、実際に阪神大震災のときから、非常食や数日間分の各種グッズを詰めた避難リュックだけは常に用意している。元来「買いだめ派」で、日用品は1カ月くらいもつくらいの備蓄を常にストックしている性分なのだけれども、それに輪をかけるようにもなった。
でも備えをしていることと、意識とはまた違っていて、まあなんとかなるでしょう、という気楽さや身軽さはやはり私のなかにも少なからずあっただろうし、でもそれはもう消えようとしている。
夫がいて、子どもがいる(まだおなかのなかだけど)。
それだけで、いやそれだからこそ、いざ、というときに対する準備レベル・・・精神的なものも含めて・・・は全然違うのだ。
もしかしたら子どもが中学生とか、そういうもう大人という年頃になればまた変わるのかもしれないけれども。
だからといって買いだめに走ったりするようなことは私の場合は必要がなかったのだが(だって買いだめしてあるし、日用品だのは一時的な供給不足なだけだから)、買いだめに走りたくなるひとたちの気持ちもわからなくない、と思うのだ。
さて今日の母親学級は、沐浴と最初に買っておくべきもの(買う必要がないもの)に関する指導。
沐浴指導は、等身大(身長50センチ、体重3000グラム)の人形を使い、ベビーバスにきちんとお湯を張って、肌着やおむつなども本物を使ってのもの。
なかなかおもしろい。
そうして人形なのに、胸に抱きかかえるとふわ~っと温かい気持ちになるから不思議。
母性だねえ~、わかる!なんか出るよねえ~と、出席していた妊婦たちと笑い合う。
帰りがけ、やはり私と同じように、関西方面に実家があったり婚家があったりする妊婦たちは、移動したほうがいいのでは?という申し出を受けたという話になった。
来月が出産であるひとりの妊婦さんは、もう転院の手続きをおこない、来週から夫の実家のある大阪に移動し、産後まで滞在することが決まったという。
一方で、福島の妊婦さんたちが東京に避難しているくらいだし、ここ以外いくとこないしね!という妊婦さんももちろんいる。
福島から250キロの東京にいてすらこうなのだから、福島にいる妊婦さんたちはさぞや不安なことだろう。早く事態が収拾することを切に願う。
地震以来、早く帰ってきてくれる夫。
今日も20時は帰宅(といってもいえでずうっと仕事をしているけれど)。
母親学級、どうやった?おもしろかった?ときくので、
とてもおもしろかったこと、そうして妊婦さんのなかには東京から離れるひともいること、などを話した。
今週末は両親学級で、今度は夫が沐浴体験をするのだ。どうなることやら。うふふ。
肌の調子は相変わらず悪く(顔の半分はフランケンシュタインのようである)、おなかは大きく肌がつっぱりはちきれんばかり。
地震や放射能で不安なことも多いけれども、それでもちびちびは元気に動いている。
3/17(木)
銀座の鍼灸院へ。
かなり悲惨な肌の状態を見て、S院長はびっくり。
しかもからだをさわっていただくと「なんというか、だらしなくなってる」という。
そ、それは・・・この2週間のあいだに、風邪をひき寝込み腹が張り起きられずさらに地震がきて、ということで、日課にしていたウォーキング1時間とヨガ(動きが激しいほう)をできていないせいだと思われます、というと、ああやっぱり運動してなかったんだね~それが理由かあ~といわれた。
たった2週間で「だらしないからだ」になってしまうなんて、人間の肉体ってそういうものなんだ。知らなかった。
ウォーキングは難しいかもしれないけれども、ヨガは復活しようと固く誓う。
京都の夫の姉から電話。
体調はどう?足りないものや心配なことはない?という内容。
みんながあたたかい気持ちで思いやってくれる。本当にありがたいことだ。
しばらくいろいろと話しをする。
皮膚炎になったことや子どもが大きいこと(それはもううちの血やからしょうがないねとか)、
また夫のたくましさについて。
私の夫はいつどんな状況でも生き残っていけるだろうという期待を感じさせるたくましいタイプで、それはもりもり筋肉があるとかそういうことではなく、しなやかで強靭で臨機応変な精神と嗅覚、そして健康な肉体を持っている。
恋人時代からこのひとのサバイバル能力はぜったいに高いなと思っていたし、実際、私の理想の男子はどんな天変地異が起ころうとも生き残れるサバイバル男子、であるので、無意識的にそういうひとを選んでいたのかもしれないのだが、結婚してからますますその能力が私と、そして子どもにも向けられるようになったため、夫の頼もしさを日々感じている。
T(夫の名前)のサバイバル能力が半端ないのでたのもしいです、と姉にいうと、わかるわ~なんかむっちゃわかるわ~Tはほんまたくましいからねえ、と共感しあい、笑い合う。
そして、なにかあったらなんでも頼ってな、またね、がんばりやーといって電話は切れた。
夫の実家からたんじょうびプレゼントが届く。
毎年恒例、肉。である。
それも絶対に自分たちだけでは買わないような高級な肉。
私の好物がいちごだと知っている姉からのアドバイスであろう、おいしそうないちごもたくさん入っていた。
ありがたくいただく。
夕方、夫の実家に電話をすると両親はおらず、姉としばらく話をする。
おなかが大きくて重いです、というと、姉は「私は6ヶ月のときにはらまわり100センチあったんよ」と衝撃の事実を教えてくれた。ギネス級やってよく言われててん、と。
姉は小柄でほっそりとした体形。
それでも産前はさらに細かったそうだ。いったいどれくらいすごい状態だったか…という感じである。
私は8カ月半ばで90センチ、それでもはらまわりが大きいといわれているのに・・・。
妊娠、恐るべし。
まあ子どもが元気ならええよね、といいあいながら電話を切る。
夜、オモニと電話。
いつでも京都にきてええから、まあとりあえず楽しい誕生日をしてや~と明るく笑っていた。
早く帰ってきた夫と、いただいた肉を焼いて食べる。
塩だけのシンプルな食べ方と、オモニ直伝特製だれをつけて焼く食べ方のふたとおり。
舌のうえでとろけていくような肉に、夫とふたり、おいしいおいしいといいあう。
たいせつなひととおいしいものを食べられるしあわせを感じる。
ちびちび、寝る時間になっておおさわぎ。
最近は睡眠のリズムができてきたせいか、30分程度の睡眠周期ではなく、3時間くらい寝ては30分くらい起きて騒ぐ、の繰り返しになってきた。
ちびちびと会話(ぽんぽんってやってごらん?というと、おなかを蹴ってくる)をするのが楽しい。
3/18(金)
今日から30週。
ちびちびは今日も元気いっぱい動いている。
午前中、皮膚科へ。
今日は夫と診察時間が重なったので一緒に出かける。
薬があわないようだったのでパッチテストをしてみたのだが、実際にあわない薬はなく、う~んという感じ。
やはり出産まで治らないのか。
痒いしすごい見た目だしで、かなりつらいのだが・・・。
高田馬場まで移動し、夫とランチ。
事務所まで送り、その先にあるバス停からバスで帰宅する。
地震と、そして原発のことを思うと本当に胸が張り裂けそうな気持ちになる。
たいせつなひとを失ってしまったたくさんのひとたち。
いまこのときにも最前線で必死で、文字通り必死で、作業をしていてくださる方々。
その家族。
どんな思いでいるのだろう。
とにかく頑張ってください、無事でいてくださいとこころのなかでたくさん祈る。
何度も。何度でも祈る。