3/7(月)
風邪は回復傾向にあるが、おなかの張りがひどい。
鉄の球がお腹に入っている、というような状態。
夕方になってさらに症状が悪化していることに気が付いたため、受診している産婦人科の助産師さんに電話して相談すると、すぐに来てください、とのこと。
慌てて警察病院へ。
タクシーのなかから夫に電話をする。
いつも混んでいる早稲田通りも今日は空いていて、5分とかからずに病院に到着。
いえから近い病院で本当によかった。
外来は終わっている時間なので救急にかかる。
さほど待たずに受診してもらえ、早産とか、そういう胎児と母体に影響がある要素はなにも見られないこと、張りどめの薬を処方してもらう。
もしや入院もありうると思っていただけにほうっとし、夫に電話。
夫もひとまず安心したようで、しかしそれから1時間ほどして帰宅してくれた。
受診結果などをもういちど説明し、私の顔を見てやっと安心できたようだ。よかった。
それにしても病院に行くまではとても怖かった。
金曜日の夜から風邪でいえから一歩も出ておらず、またいえでもほとんど寝ていたために気がつかなかったのだが、
私のおなかは思っていた以上に張っていたらしい。
タクシーを拾うために歩く2~3分のあいだに、たとえていうと「固くて重くておなかが落ちちゃう!」と思ってしまうくらいに重たくかちかちになっていたのだ。
そぼふる雨のなか、本当に怖かったのだが、でもそれは私自身のからだに対してではなく、また私のからだのなかにいる子どもにもしものことがあったらという恐怖とも違って(実際におなかの子どもに「もしも」があるとは微塵も考えなかった。無知ということではなく、ぜったいに大丈夫、という「想い」として)、なにがあってもこの子だけは私が絶対に守る、だから安心しておなかにいなさい、というような、そういう強い、母としての想いを持った。
その感情はおなかに子どもが宿ってからのあいだに、いつのまにか強く私に芽生えていたものなのだろう。強く、限りなく。そんなことを思う。想いというものについて。
そうしてそんな状況でも、元気で動いているちびちびに励まされる。
午前中は雪が降っていた。
今年の東京はよく雪が降る。
3/8(火)
張りどめのおかげか、風邪が抜けていく過程なのか、体調はだいぶよくなってきた。
まだおなかは張るが、昨日の比ではない。よかった。
ちびちびも元気に動いている。
金曜日から今日にかけて、体重が2キロ減っていた。
ほとんど食べられなかったのだから当然だが、やっと食欲らしきものが芽生えてきたのでいろいろと食べていたらなぜか1日で2キロ太った。つまりプラスマイナスゼロ。な、なぜ・・・。
忙しい夫、仕事中にもかかわらず何度もメールで大丈夫か?ときいてくる。
これこれこんな感じ、もうだいぶよくなってきたよとか、そういうことを伝える。
午後、代々木の皮膚科へ。
昨日受診の予定を今日に延期してもらっていたもの。
妊娠期特有のものとはいえ、からだの痒みは本当につらい。
風邪で体力が落ちた分、またひとつ蝕まれた気がする。
3/9(水)
午前中、妊婦健診。
私の前のひとまで快調に順番がきていたのに、直前になって急に滞った。
待合室に出る「次はこのひと」という番号ランプも消えている。
これはなにかあったな・・・と待つこと1時間弱。
「もう産まれるからすぐに入院だって」と、なかから出てきた妊婦さんが、待合室で待っていた旦那さんらしき男性に慌てた様子で話している。どうしよう、荷物・・・とか、お母さんに連絡して・・・とかふたりで話しあう声が聞こえてくる。
立って歩いて出てこられたくらいだからまだ猶予はあるということだが、こんなこともあるんだ。
さてやっときた私の順番。
「Kさん(私の苗字)なんかおなかまわり大きくない?臨月みたいな感じ」と馴染みになった助産師さん。
ですよねえ・・・私もそう思うんです。
道を歩いていると「来月?」とか「臨月?」とかおばあちゃんとかおばちゃんにいわれるし。
友だちにも「おなか大きいね」といわれる。
体重は「ここまで増えていいですよ」の週数目安の上下幅のちょうど真ん中くらい。優秀な部類だと思うんだけど。
実際、毎回検診で測ってもらう腹囲は確かに標準より大きい。
「もしかしてKさんって大きく産まれてない?」とたずねられ、ハイ、私は3600か3800で、夫は4000で産まれてます。とこたえると、ああそれだ・・・赤ちゃん、大きくなるよ~大きくなる遺伝子もっているってことだからね、といわれた。そういうものなのか。
確かに夫側の親族はみんな大きいし(男性はみんな180センチ以上、女性も170センチ以上)、かつ大きく産まれている。4歳の甥っ子も3920あり、新生児室でひとりだけ大きかったと聞いているし。
私のほうの家系はあまり大きいひとはいないのだが、産まれたときはみんな大きかった。
ああただでさえ大きいおなか、これからのほうが大きくなるものなのだが、いったいどこまでいくのだろう。
既に自分の足元が見えず、そとを歩くときは結構怖いんだけど。
担当のおじいちゃん先生は、救急の履歴を見つつ内診をしてくれて、この様子なら張り止めは飲まないでね、とおっしゃる。張り止めというのは張っているから飲むものではなく、産まれそうなのをおさえるために飲むものだからね、と。そうなんだ、そういうものなんだ。知らなかった。
ともあれ母子ともに引き続き順調とお墨付きをいただく。とてもうれしいと感じるときのひとつだ。
夫に報告の電話。
夫も喜んでいる。
午後は区の母親学級2回目。
今日は口腔ケアと栄養指導。
栄養指導は、妊婦全般に共通のものではなく、先週の母親学級にて提出したアンケート票から作成したらしき、個別にカスタマイズされたものを渡される。素晴らしい!
前回の母親学級で知り合った同世代の数人と席が近くになったこともあり、終了後も話が盛り上がる。
連絡先を交換し、また来週!と手を振ってわかれる。
なかなか楽しい母親学級になってよかった。ためになることもたくさん聞けたし。
ちびちびの最近のトレンドはサンドバッグ。
つまりボクシングでサンドバッグにスパーリングするように、ぼこぼこと手と足を動かし続けるのである。
元気だなあ。
と思っていたら、母親学級で知り合った、だいたい同じ週数で、かつおなかの子は男子、という方も、同じように「すごい動くよね!こんなに元気だと思わなかった」と教えてくれた。
おなかのいるのが女子、というひとたちは、ええーそんなに動くの?私は全然・・・という反応なので、やはり男子特有のものなのかもしれない。個人差はあるだろうけれども。
夜になって、おなかの張りはだいぶ和らいできた。
少なくとも横になっているあいだは張っていない。
ただ立ったり座ったりしていると、以前よりずいぶんと張ってしまう。
これはおそらく週数的なものもあるだろう。
しかしこれからはもう少し、自分のからだをいたわろうと思う。
夫からも、またつい先週子どもが産まれた友だちからも、ウォーキングしすぎと注意された。
確かにそうかも。
ついつい張りきってしまう性分だけど、疲れるまで歩いても本末転倒だしね。
3/10(木)
今週の頭くらいから、妊娠性痒疹が悪化。
赤みを伴う湿疹ができて、それがひたすら・・・もう気が狂うんじゃないかというくらいに痒いこの症状、私は先週からではじめて、今週になって一気におなかまわりと背中に広がった。
かいちゃだめ、とわかっていてもあまりにもつらくて一度、すごくかいてしまって、そこが蚯蚓腫れになり、またそのまわりに湿疹ができている。
さらに今日になって、胸やおなかの下のほうにまで湿疹が広がってきた。
とにかく痒い。
からだが温まると余計に痒くなるので、暖房も切って、お風呂も極力短くして、氷で冷やして・・・としているのだが、
それでも食事や睡眠などでからだがあたたまるとどうしようもないくらいに痒い。
熱が下がった月曜日から、今度はからだが痒くて全然眠れなくなってしまった。
うとうとしても1時間に1度はかゆくて目が覚める。
かいてはいけないのでそのたびに、手でさすってからだをなだめる。
もちろんそれだけではなだめられないので、ひたすらもだえて苦しむ。
この妊娠性痒疹、妊婦の1%程度のひとがなるといわれているものなのだが、
私の場合はさらに妊娠性疱疹も併発している。
疱疹のほうは顔と胸。こちらは痒疹よりもやっかいで、痒いうえに水疱ができて、膿む。
妊娠性疱疹は妊婦の2%程度のひとがなるらしい。
併発している私っていったい・・・。
もともとアレルギー体質なところに、子どもは男子だし(母体と胎児が違う要素であればあるほど出やすいらしい)、きっと血液型もB型ではないのだろう(自分と血液型が違うと出やすいらしい)。
もしかしたら夫と民族が違うということも関係があるのだろうか。
そういえばベルギー人(かフランス人)と結婚した友だちも妊娠性疱疹で悩まされていた。
あまりにも痒いし、痒くて眠れないのもつらい。
夫もとても心配してくれるが、しかしそれで痒みが減ったりなくなるわけではないとことがつらいところ。
産後すぐに治る場合も治らない場合もあるらしいこの2つの病。
なんとかして症状を緩和したいと思いいろいろと調べてみるものの、
抜本的には打つ手なし、というところらしい。
あとは乳製品をとりすぎない、とか刺激物を食べない、とかを徹底し、
綿製品のみを着用、とか(以前からしてるんだけど)できることをさらに追求するしかない。
こうしているあいだも本当は痒くて痒くてたまらない。困った。
3/11(金)
昨日は韓国料理祭りのように一気に韓国惣菜をつくった。
筋クッ(牛筋を煮込んでつくる具だくさんスープ)、各種ナムル、蒸し豚など。
朝ごはんは夫と炊きたてごはんとともにいただく。
午後、中学時代の友だちと会う。
数年前に、10年ぶりくらいに再会した友だち。
難民救済を仕事にしていて、アフリカのシエラレオネやボスニアなどに数年単位で滞在していた。
3月末まで産休・育休中だ。
中野まで来てくれるというのでお言葉に甘えて新しくできたマルイのカフェでランチとお茶。
2年ぶりの再会に、お互いの近況報告やらなにやらを楽しくしていると、地震。
これまでに感じたことがないくらいのおおきなもので、しかも長い。
これはちょっとまずいかもしれないね、と友だちといいあう。
窓から見える向かいのビルや街路樹までも揺れているし、お店のひとの誘導で机の下に避難したりする。
しばらくすると揺れはおさまり、夫から電話とメール。
無事を伝えあいほうっとしていると、京都の姉(兄の実姉のほう)からやオモニからも電話が入る。
テレビ見てびっくりしてん、ナオさん大丈夫か?とみな一様に心配してくれてありがたい気持ち。
大丈夫です、と伝えつつ、余震が来たりしたので早々に電話を切る。
ひとまず様子を見ようとカフェにとどまっていると、また大きな地震。
戸外に誘導され、この先どうなるかわからない状態になったので、友だちとともに一旦、いえに帰宅してテレビなどで様子を確認し、友だちはそれから帰宅方法を考えようということになった。
幸いにも友だちの1歳の娘ちゃんは耐震がしっかりした大学の保育園で無事、夫の無事も確認できた。
帰宅。
幸い大物は倒れていなかったけれども、小物などがあちこち散乱していてまずはそれにびっくりし、
さらにテレビをつけてみて驚く。
なんだこれは?
津波?え?火事???
とにかくとてもおそろしい事態になっていることだけはわかり、
友だちはバスでなんとかいえに帰れそうなルートを見つけたので、またいえを出て途中まで友だちを送り、
それからまたいえに戻る。
ちびちびは元気だけれども地震の緊張のせいかとてもお腹が張る。
しばらくゆっくり休まねば。
先週と今週、読んだ本。
伊藤たかみさん「フラミンゴの家」「指輪をはめたい」
朝倉かすみさん「好かれようとしない」
こちらは初読。
佐藤多佳子さん「しゃべれどもしゃべれども」「神様がくれた指」「サマータイム」
こちらは再読。