4/9(土)
今日は病院で開催されるマタニティクラスの日。
全3回の講習会で、今日の会は立会出産についてもメニュに含まれる。
立会いをするひと(警察病院の場合は夫もしくは女性1名のみ限定で立会が可能である)は必須参加。
わが家は夫立会の出産なので夫と同行する。
ぎりぎりまでいえで仕事をしていた夫、
ランチはいつもどおりそとかな?と思っていたのだが
いえで食べようということなので
先日つくって冷凍しておいたミートソースでスパゲッティを、
卵スープが食べたいというので野菜をたくさん入れた卵スープをつくる。
ここのところ夫は具だくさんの卵スープがお気に入りである。
食事のあと、警察病院へ。
余裕をもって出かけたつもりがなぜか遅刻ぎりぎり。
いちばん前の席しか空いておらず、その席に着席する。
病院ですすめている呼吸法などをまずおこなってから、立会出産時についてを学び、
最後は病棟の見学をして終了。
分娩室に入ってから産まれたあとのカンガルーケアまでの非常に生々しい(へその緒を切る前の血まみれの赤ちゃんとか)ドキュメンタリーフォトの上映もあり、
女性からすれば、出産ってまあこんなものでしょというか、赤ちゃん血まみれなんですけど!という当たり前の事実より、無事に産まれてよかったね、かわいい~というような印象のひとが多いのではないかと思うのだけれども、
男性からすると、うわっ・・・という印象を抱くひとも少なからずいるのではないかと思う。
わが夫はどうか?とちらりと横目で様子をうかがうと、へその緒って太いんやーとかへえとか赤ちゃんかわいいなあとかいいながらスライドを見ていた。
この調子なら大丈夫であろう。
病棟見学も楽しかった。
入院する部屋(警察病院は4人部屋か個室になる。私はまわりのひとに気を使わなくて済み、かつ夫が気兼ねなく来られる個室をリクエストしている)や浴室、分娩室などを見学。
どこかしらから赤ちゃんの泣き声が聞こえてきたりして、
夫と、いま産まれたのかな?どうかな?などといいあう。
マタニティクラスのあいだ中、暴れまくるちびちび。
赤ちゃんが(おなかのなかに)いっぱいいたので同調していたのだろうか。
一連のメニュ終了後、夫のフットサルまでは時間が空いたので
病院の1回にあるカフェコーナーでお茶。
それにしても今日のマタニティクラスで実感したのは、
あと3週間で正規産に入る、という事実だった。
3週間!
わかってはいたことだけれども、自覚を深めて改めて考えると、それってあっという間である。
あっという間だねえ、と夫にいうと
ほんまやで、と夫。
ここまで来たら早く産まれてきてほしいなあと夫もいっている。
しかも私は正規産に入ったらすぐにでも産みたいという気合十分なので、
ということは(まあ気合だけで産めるわけないので予定日を過ぎる可能性はもちろんありますが)、
比較的自由に動けるのもあと3週間、準備に充てられるのもあと3週間、ということ。
改めてスケジュールを見ると、妊婦検診やら鍼灸やら区の妊婦関連の用事やらで週の半分は何かと予定が入っているではないか。
おおお、これは毎日ある程度やることを決めて動かないと、諸々、散漫になってしまう可能性大だ。気をつけねば。
時間がきたので夫を駅まで見送り、
スーパーマーケットに寄ってから帰宅。
雨がたくさん降ると思っていたのだがそうでもない。
この分なら明日まで桜ももつだろう。
フットサル後、帰ってきた夫といえごはん。
またまたナムルをつくったのでビビムパと、あとはサムギョップサルで韓国晩ごはんである。
ちびちびが元気に動くたびにうれしくなる。
4/10(日)
いい天気。
お花見日和ではあるのだけれども、夫は昼から仕事。
もし仕事が早く終わったら夜桜を見に行こう、ということにする。
投票はいつものように不在者投票で済ませてしまっている。
夫には選挙権がない。
しかしいつも選挙のたびに、選挙ってどんな感じなん?ナオは誰に入れるのん?と聞くので、
投票所の話や自分が投票しようと思っているひとのことなどを話す。
夫に選挙権がない分、私の一票には夫の意志も反映させてあげようと、私も夫に「入れられるなら誰に入れたい?」と聞くようにしている。
候補者が同じならいいし、もし違った場合は夫が入れたいと思っているひとの政策などを見直してもう一度、考えてみる。
今回は夫と私、入れたいひとが同じだった。
しかしそういえばO教授も同じことを書いていらしたが、私が投票するひとは、ここのところ全然まったくちっとも受からない。なぜ?
(今回の都知事選も受かりませんでした。O教授も同じだった模様)
午前中、洗濯機の搬入と設置。
昨晩、別の業者さんにお願いして搬出を終えていたこともあり思ったより短い時間で終わる。
終了後、夫とともに家を出て、
夫の仕事先である門前仲町へ。
私はそのままUターンをし、高田馬場で下車してから自宅までウォーキング。
途中で「エカイエ」に寄り、お茶と読書。
歩き疲れたせいか、帰宅後、しばらくうとうとしていると
夫から電話。
仕事が終わったので夜桜を見に行こう!という内容。うれしい。
晩ごはんを食べてから中野通りを散歩。
たっぷりと咲いた夜の桜並木はほんとうにきれい。
きれいだねえ、そうやなあ、といいあいながら歩く。
ちびちびも見えているかな。
きっとこの気配は・・・しあわせの雰囲気は伝わっていることだろう。
新井薬師の公園では21時過ぎなのに屋台が少しあって、お花見客がたくさんいて、
なかには子どもも混じっていて、ブランコに乗ったり走りまわったり家族のそばに座っていたりする。
それぞれのしあわせな時間。
来年は3人でお花見なんだね、と私。
そうやな、いろんなことが全部変わるなあ、と夫。
長いことふたりでやってきたけれど、
これからはいつも3人だ。
たとえば週末は動物園や公園なんかにしょっちゅういくんだろうし、
そんなふうにいつも子どもを中心に考えて行動していくことになるのだろう。
ディズニーランドなんかも行くんやろうなあ、子どもいなかったら俺は一生いかへん場所やのに。
と、これまで1度、しかも上京してきた従姉に頼まれてしぶしぶ行っただけの夫がいう。
本当だよね、私たちふたりだったら絶対に並ばないアトラクションも、子どもが乗りたいっていったら並んじゃったりするんだよね、と私。
からだの丈夫な子どもにしよう、と私がいうと
菓子とかからだに悪いものは絶対あげへん、と夫がいう。
あげるとしてもそれは特別な日とかなにかの対価でしかあげへん、と気合に満ちた声でいう夫。
おもちゃとかさ、なんでも泣いたら買ってもらえると思ったら大間違いだよね、と私。
ほんまやで、友だちがみんな持ってるとか通用せえへんで、と夫。
そういう年齢になるのはまだまだ先のことだけれども
親になるってこういうことなんだろうなと思いながら夜の道を歩く。
桜と春の気配に満ちた、夜の道。
いまはまだおなかのなかのちびちびと夫と私。
人見知りのしない子にしよう。
外で遊ぶ子にしよう。
なにはともあれ健康な子にしよう。
そんなことを話しながら歩く。
夜桜散歩。
最近さ、高校生くらいの男の子とか見ると、あーそのうちこんなふうになるんだなあってしみじみしちゃうんだよね、と私がいうと、俺もそうやーと夫がいう。
反抗期とかあるんやで、そうだよね、おやじぃ~とかいわれちゃうんだよね、などと笑い合う。
そんな話はいくら時間があっても足りない。
足りないし尽きない。
私がとてもいいなと思うのは
夫のこうしたい、こうなってほしい、だからこうしようという思いと
私のそれが、ほとんどまったく同じであるということだ。
趣味も志向も違う夫と私なのに、どういうわけかそういうところはぴたりと合う。
ということは結局は似た夫婦ということか。
おそらくはそれぞれが自分の人生について、こう生きたい、あるいはこういう自分でありたい、
という根幹の部分の多くが共通しているということなのだろう。
だからこそ、出産も、産まれてくるのも楽しみだし
それから続く子育てもとても楽しみなのだろう。
おそらくそのときどきの不安や迷いや悩みはあるだろう。
でもひとつひとつ解決していけると思っているのとそうでないのとでは全然違う気がする。
夫が夫でよかったといつも思う。
夫もそう思ってくれていたらいい。
ちびちびは夜遅くまで暴れていた。
今日は病院で開催されるマタニティクラスの日。
全3回の講習会で、今日の会は立会出産についてもメニュに含まれる。
立会いをするひと(警察病院の場合は夫もしくは女性1名のみ限定で立会が可能である)は必須参加。
わが家は夫立会の出産なので夫と同行する。
ぎりぎりまでいえで仕事をしていた夫、
ランチはいつもどおりそとかな?と思っていたのだが
いえで食べようということなので
先日つくって冷凍しておいたミートソースでスパゲッティを、
卵スープが食べたいというので野菜をたくさん入れた卵スープをつくる。
ここのところ夫は具だくさんの卵スープがお気に入りである。
食事のあと、警察病院へ。
余裕をもって出かけたつもりがなぜか遅刻ぎりぎり。
いちばん前の席しか空いておらず、その席に着席する。
病院ですすめている呼吸法などをまずおこなってから、立会出産時についてを学び、
最後は病棟の見学をして終了。
分娩室に入ってから産まれたあとのカンガルーケアまでの非常に生々しい(へその緒を切る前の血まみれの赤ちゃんとか)ドキュメンタリーフォトの上映もあり、
女性からすれば、出産ってまあこんなものでしょというか、赤ちゃん血まみれなんですけど!という当たり前の事実より、無事に産まれてよかったね、かわいい~というような印象のひとが多いのではないかと思うのだけれども、
男性からすると、うわっ・・・という印象を抱くひとも少なからずいるのではないかと思う。
わが夫はどうか?とちらりと横目で様子をうかがうと、へその緒って太いんやーとかへえとか赤ちゃんかわいいなあとかいいながらスライドを見ていた。
この調子なら大丈夫であろう。
病棟見学も楽しかった。
入院する部屋(警察病院は4人部屋か個室になる。私はまわりのひとに気を使わなくて済み、かつ夫が気兼ねなく来られる個室をリクエストしている)や浴室、分娩室などを見学。
どこかしらから赤ちゃんの泣き声が聞こえてきたりして、
夫と、いま産まれたのかな?どうかな?などといいあう。
マタニティクラスのあいだ中、暴れまくるちびちび。
赤ちゃんが(おなかのなかに)いっぱいいたので同調していたのだろうか。
一連のメニュ終了後、夫のフットサルまでは時間が空いたので
病院の1回にあるカフェコーナーでお茶。
それにしても今日のマタニティクラスで実感したのは、
あと3週間で正規産に入る、という事実だった。
3週間!
わかってはいたことだけれども、自覚を深めて改めて考えると、それってあっという間である。
あっという間だねえ、と夫にいうと
ほんまやで、と夫。
ここまで来たら早く産まれてきてほしいなあと夫もいっている。
しかも私は正規産に入ったらすぐにでも産みたいという気合十分なので、
ということは(まあ気合だけで産めるわけないので予定日を過ぎる可能性はもちろんありますが)、
比較的自由に動けるのもあと3週間、準備に充てられるのもあと3週間、ということ。
改めてスケジュールを見ると、妊婦検診やら鍼灸やら区の妊婦関連の用事やらで週の半分は何かと予定が入っているではないか。
おおお、これは毎日ある程度やることを決めて動かないと、諸々、散漫になってしまう可能性大だ。気をつけねば。
時間がきたので夫を駅まで見送り、
スーパーマーケットに寄ってから帰宅。
雨がたくさん降ると思っていたのだがそうでもない。
この分なら明日まで桜ももつだろう。
フットサル後、帰ってきた夫といえごはん。
またまたナムルをつくったのでビビムパと、あとはサムギョップサルで韓国晩ごはんである。
ちびちびが元気に動くたびにうれしくなる。
4/10(日)
いい天気。
お花見日和ではあるのだけれども、夫は昼から仕事。
もし仕事が早く終わったら夜桜を見に行こう、ということにする。
投票はいつものように不在者投票で済ませてしまっている。
夫には選挙権がない。
しかしいつも選挙のたびに、選挙ってどんな感じなん?ナオは誰に入れるのん?と聞くので、
投票所の話や自分が投票しようと思っているひとのことなどを話す。
夫に選挙権がない分、私の一票には夫の意志も反映させてあげようと、私も夫に「入れられるなら誰に入れたい?」と聞くようにしている。
候補者が同じならいいし、もし違った場合は夫が入れたいと思っているひとの政策などを見直してもう一度、考えてみる。
今回は夫と私、入れたいひとが同じだった。
しかしそういえばO教授も同じことを書いていらしたが、私が投票するひとは、ここのところ全然まったくちっとも受からない。なぜ?
(今回の都知事選も受かりませんでした。O教授も同じだった模様)
午前中、洗濯機の搬入と設置。
昨晩、別の業者さんにお願いして搬出を終えていたこともあり思ったより短い時間で終わる。
終了後、夫とともに家を出て、
夫の仕事先である門前仲町へ。
私はそのままUターンをし、高田馬場で下車してから自宅までウォーキング。
途中で「エカイエ」に寄り、お茶と読書。
歩き疲れたせいか、帰宅後、しばらくうとうとしていると
夫から電話。
仕事が終わったので夜桜を見に行こう!という内容。うれしい。
晩ごはんを食べてから中野通りを散歩。
たっぷりと咲いた夜の桜並木はほんとうにきれい。
きれいだねえ、そうやなあ、といいあいながら歩く。
ちびちびも見えているかな。
きっとこの気配は・・・しあわせの雰囲気は伝わっていることだろう。
新井薬師の公園では21時過ぎなのに屋台が少しあって、お花見客がたくさんいて、
なかには子どもも混じっていて、ブランコに乗ったり走りまわったり家族のそばに座っていたりする。
それぞれのしあわせな時間。
来年は3人でお花見なんだね、と私。
そうやな、いろんなことが全部変わるなあ、と夫。
長いことふたりでやってきたけれど、
これからはいつも3人だ。
たとえば週末は動物園や公園なんかにしょっちゅういくんだろうし、
そんなふうにいつも子どもを中心に考えて行動していくことになるのだろう。
ディズニーランドなんかも行くんやろうなあ、子どもいなかったら俺は一生いかへん場所やのに。
と、これまで1度、しかも上京してきた従姉に頼まれてしぶしぶ行っただけの夫がいう。
本当だよね、私たちふたりだったら絶対に並ばないアトラクションも、子どもが乗りたいっていったら並んじゃったりするんだよね、と私。
からだの丈夫な子どもにしよう、と私がいうと
菓子とかからだに悪いものは絶対あげへん、と夫がいう。
あげるとしてもそれは特別な日とかなにかの対価でしかあげへん、と気合に満ちた声でいう夫。
おもちゃとかさ、なんでも泣いたら買ってもらえると思ったら大間違いだよね、と私。
ほんまやで、友だちがみんな持ってるとか通用せえへんで、と夫。
そういう年齢になるのはまだまだ先のことだけれども
親になるってこういうことなんだろうなと思いながら夜の道を歩く。
桜と春の気配に満ちた、夜の道。
いまはまだおなかのなかのちびちびと夫と私。
人見知りのしない子にしよう。
外で遊ぶ子にしよう。
なにはともあれ健康な子にしよう。
そんなことを話しながら歩く。
夜桜散歩。
最近さ、高校生くらいの男の子とか見ると、あーそのうちこんなふうになるんだなあってしみじみしちゃうんだよね、と私がいうと、俺もそうやーと夫がいう。
反抗期とかあるんやで、そうだよね、おやじぃ~とかいわれちゃうんだよね、などと笑い合う。
そんな話はいくら時間があっても足りない。
足りないし尽きない。
私がとてもいいなと思うのは
夫のこうしたい、こうなってほしい、だからこうしようという思いと
私のそれが、ほとんどまったく同じであるということだ。
趣味も志向も違う夫と私なのに、どういうわけかそういうところはぴたりと合う。
ということは結局は似た夫婦ということか。
おそらくはそれぞれが自分の人生について、こう生きたい、あるいはこういう自分でありたい、
という根幹の部分の多くが共通しているということなのだろう。
だからこそ、出産も、産まれてくるのも楽しみだし
それから続く子育てもとても楽しみなのだろう。
おそらくそのときどきの不安や迷いや悩みはあるだろう。
でもひとつひとつ解決していけると思っているのとそうでないのとでは全然違う気がする。
夫が夫でよかったといつも思う。
夫もそう思ってくれていたらいい。
ちびちびは夜遅くまで暴れていた。