4/9(土)
今日は病院で開催されるマタニティクラスの日。
全3回の講習会で、今日の会は立会出産についてもメニュに含まれる。
立会いをするひと(警察病院の場合は夫もしくは女性1名のみ限定で立会が可能である)は必須参加。
わが家は夫立会の出産なので夫と同行する。

ぎりぎりまでいえで仕事をしていた夫、
ランチはいつもどおりそとかな?と思っていたのだが
いえで食べようということなので
先日つくって冷凍しておいたミートソースでスパゲッティを、
卵スープが食べたいというので野菜をたくさん入れた卵スープをつくる。
ここのところ夫は具だくさんの卵スープがお気に入りである。

食事のあと、警察病院へ。
余裕をもって出かけたつもりがなぜか遅刻ぎりぎり。
いちばん前の席しか空いておらず、その席に着席する。
病院ですすめている呼吸法などをまずおこなってから、立会出産時についてを学び、
最後は病棟の見学をして終了。
分娩室に入ってから産まれたあとのカンガルーケアまでの非常に生々しい(へその緒を切る前の血まみれの赤ちゃんとか)ドキュメンタリーフォトの上映もあり、
女性からすれば、出産ってまあこんなものでしょというか、赤ちゃん血まみれなんですけど!という当たり前の事実より、無事に産まれてよかったね、かわいい~というような印象のひとが多いのではないかと思うのだけれども、
男性からすると、うわっ・・・という印象を抱くひとも少なからずいるのではないかと思う。
わが夫はどうか?とちらりと横目で様子をうかがうと、へその緒って太いんやーとかへえとか赤ちゃんかわいいなあとかいいながらスライドを見ていた。
この調子なら大丈夫であろう。

病棟見学も楽しかった。
入院する部屋(警察病院は4人部屋か個室になる。私はまわりのひとに気を使わなくて済み、かつ夫が気兼ねなく来られる個室をリクエストしている)や浴室、分娩室などを見学。
どこかしらから赤ちゃんの泣き声が聞こえてきたりして、
夫と、いま産まれたのかな?どうかな?などといいあう。

マタニティクラスのあいだ中、暴れまくるちびちび。
赤ちゃんが(おなかのなかに)いっぱいいたので同調していたのだろうか。

一連のメニュ終了後、夫のフットサルまでは時間が空いたので
病院の1回にあるカフェコーナーでお茶。

それにしても今日のマタニティクラスで実感したのは、
あと3週間で正規産に入る、という事実だった。
3週間!
わかってはいたことだけれども、自覚を深めて改めて考えると、それってあっという間である。

あっという間だねえ、と夫にいうと
ほんまやで、と夫。
ここまで来たら早く産まれてきてほしいなあと夫もいっている。

しかも私は正規産に入ったらすぐにでも産みたいという気合十分なので、
ということは(まあ気合だけで産めるわけないので予定日を過ぎる可能性はもちろんありますが)、
比較的自由に動けるのもあと3週間、準備に充てられるのもあと3週間、ということ。
改めてスケジュールを見ると、妊婦検診やら鍼灸やら区の妊婦関連の用事やらで週の半分は何かと予定が入っているではないか。
おおお、これは毎日ある程度やることを決めて動かないと、諸々、散漫になってしまう可能性大だ。気をつけねば。

時間がきたので夫を駅まで見送り、
スーパーマーケットに寄ってから帰宅。
雨がたくさん降ると思っていたのだがそうでもない。
この分なら明日まで桜ももつだろう。

フットサル後、帰ってきた夫といえごはん。
またまたナムルをつくったのでビビムパと、あとはサムギョップサルで韓国晩ごはんである。

ちびちびが元気に動くたびにうれしくなる。


4/10(日)
いい天気。
お花見日和ではあるのだけれども、夫は昼から仕事。
もし仕事が早く終わったら夜桜を見に行こう、ということにする。

投票はいつものように不在者投票で済ませてしまっている。
夫には選挙権がない。
しかしいつも選挙のたびに、選挙ってどんな感じなん?ナオは誰に入れるのん?と聞くので、
投票所の話や自分が投票しようと思っているひとのことなどを話す。
夫に選挙権がない分、私の一票には夫の意志も反映させてあげようと、私も夫に「入れられるなら誰に入れたい?」と聞くようにしている。
候補者が同じならいいし、もし違った場合は夫が入れたいと思っているひとの政策などを見直してもう一度、考えてみる。
今回は夫と私、入れたいひとが同じだった。
しかしそういえばO教授も同じことを書いていらしたが、私が投票するひとは、ここのところ全然まったくちっとも受からない。なぜ?
(今回の都知事選も受かりませんでした。O教授も同じだった模様)

午前中、洗濯機の搬入と設置。
昨晩、別の業者さんにお願いして搬出を終えていたこともあり思ったより短い時間で終わる。

終了後、夫とともに家を出て、
夫の仕事先である門前仲町へ。
私はそのままUターンをし、高田馬場で下車してから自宅までウォーキング。
途中で「エカイエ」に寄り、お茶と読書。

歩き疲れたせいか、帰宅後、しばらくうとうとしていると
夫から電話。
仕事が終わったので夜桜を見に行こう!という内容。うれしい。

晩ごはんを食べてから中野通りを散歩。
たっぷりと咲いた夜の桜並木はほんとうにきれい。
きれいだねえ、そうやなあ、といいあいながら歩く。
ちびちびも見えているかな。
きっとこの気配は・・・しあわせの雰囲気は伝わっていることだろう。
新井薬師の公園では21時過ぎなのに屋台が少しあって、お花見客がたくさんいて、
なかには子どもも混じっていて、ブランコに乗ったり走りまわったり家族のそばに座っていたりする。
それぞれのしあわせな時間。

来年は3人でお花見なんだね、と私。
そうやな、いろんなことが全部変わるなあ、と夫。
長いことふたりでやってきたけれど、
これからはいつも3人だ。

たとえば週末は動物園や公園なんかにしょっちゅういくんだろうし、
そんなふうにいつも子どもを中心に考えて行動していくことになるのだろう。
ディズニーランドなんかも行くんやろうなあ、子どもいなかったら俺は一生いかへん場所やのに。
と、これまで1度、しかも上京してきた従姉に頼まれてしぶしぶ行っただけの夫がいう。
本当だよね、私たちふたりだったら絶対に並ばないアトラクションも、子どもが乗りたいっていったら並んじゃったりするんだよね、と私。

からだの丈夫な子どもにしよう、と私がいうと
菓子とかからだに悪いものは絶対あげへん、と夫がいう。
あげるとしてもそれは特別な日とかなにかの対価でしかあげへん、と気合に満ちた声でいう夫。
おもちゃとかさ、なんでも泣いたら買ってもらえると思ったら大間違いだよね、と私。
ほんまやで、友だちがみんな持ってるとか通用せえへんで、と夫。
そういう年齢になるのはまだまだ先のことだけれども
親になるってこういうことなんだろうなと思いながら夜の道を歩く。
桜と春の気配に満ちた、夜の道。
いまはまだおなかのなかのちびちびと夫と私。

人見知りのしない子にしよう。
外で遊ぶ子にしよう。
なにはともあれ健康な子にしよう。

そんなことを話しながら歩く。
夜桜散歩。

最近さ、高校生くらいの男の子とか見ると、あーそのうちこんなふうになるんだなあってしみじみしちゃうんだよね、と私がいうと、俺もそうやーと夫がいう。
反抗期とかあるんやで、そうだよね、おやじぃ~とかいわれちゃうんだよね、などと笑い合う。

そんな話はいくら時間があっても足りない。
足りないし尽きない。

私がとてもいいなと思うのは
夫のこうしたい、こうなってほしい、だからこうしようという思いと
私のそれが、ほとんどまったく同じであるということだ。
趣味も志向も違う夫と私なのに、どういうわけかそういうところはぴたりと合う。
ということは結局は似た夫婦ということか。
おそらくはそれぞれが自分の人生について、こう生きたい、あるいはこういう自分でありたい、
という根幹の部分の多くが共通しているということなのだろう。

だからこそ、出産も、産まれてくるのも楽しみだし
それから続く子育てもとても楽しみなのだろう。
おそらくそのときどきの不安や迷いや悩みはあるだろう。
でもひとつひとつ解決していけると思っているのとそうでないのとでは全然違う気がする。
夫が夫でよかったといつも思う。
夫もそう思ってくれていたらいい。

ちびちびは夜遅くまで暴れていた。

4/4(月)
鍼灸院へ。
S院長に、からだの調子がとてもよくなってきている、といわれる。嬉しい。
いろいろと地道に繰り返していることが功を奏してきたらしい。
復活したヨガ(90分)にウォーキング(こちらは短め、40分程度)、水分の摂取(果物多め)などなど。

ちびちびは鍼灸で治療を受けているとすごく不思議な動きをする。
いつももこもこ動いているのだけれども、うにうに動くというか。
骨盤が順調に開いてきてるね、いよいよ出産へのからだの準備がはじまっているね、とSさん。
確かに先週くらいから恥骨にも痛みを感じるようになってきた。
そうかー。私もからだ、いよいよ出産を迎えようとしているのだな。
Sさんにもこころの予定日の話をし、それならあと1ヵ月くらいだから、いえでも安産に向けて毎日お灸をしていきましょう、ということになる。

鍼灸のあとは新橋まで歩き、「七蔵」で稲庭うどん。
なつかしの「七蔵」。
みょうがが入った独特のごまだれスープが気に入っていて、ときどき行っていた店だ。
すっかりと堪能し、帰宅。

夜、帰宅した夫、鍼灸どうやった?とたずねる。
めちゃくちゃよかったーという話をする。

夫がお風呂に入っているあいだにお灸。
三陰交というくるぶしの上のほうにあるつぼに、右足→左足の順でお灸をするのだが、
あぐらをかかないとうまくお灸ができない場所。
なのであぐらをかいてお灸をしていると、夫がお風呂から出てきた。
そうして私を見るなり笑いだした夫、なにをいうのかと思ったら
「なんやパンダみたい」といって笑っている。
確かにおなかがぼーんと出ている状態であぐらをかいている様は、パンダが笹を食べているの図にそっくりなのである。
私も思わず笑ってしまったが、一応、ひどーいと抗議をすると、
ええやん、パンダ、いま流行りやし。などと夫はいっていた。
トントンやったっけ?(違います)、流行ってるやん。とかなんとか。

それにしてもそうか、こころの予定日まであと一ヵ月ということは、買物などもすすめておかなくてはということだ。
大物とかだいたいの衣類などはおさがりをいただいたのだけれども、
消耗品や産まれてすぐに必要な小物、私に必要なものなどについて。

今週は出産準備をきちんとしよう。


4/5(火)
というわけで早速、小物を購入。
中野には赤ちゃん関連の店が皆無なのと、本当は赤ちゃん本舗や西松屋などに行ってみたいのだけれども、ここのところの週末は夫も忙しくて行けないこともあり(やはり荷物持ちがいたほうが良いだろうし)、だいたいのものはネットで買うことにした。
便利な世の中である。
買う必要があるものは暫く前からリストアップ済みなので、それにあわせ、赤ちゃん本舗やアマゾンやいくつかのお店からそれぞれチョイスしポチポチ。
沐浴時に使う湯音計やら紙おむつやら(慣れない最初の1ヵ月くらいは紙で、途中から布おむつに切り替える予定)厚手で大判のコットンやら(いわゆる「赤ちゃんのおしりふき」は使いたくないのでコットン+お湯で代用)爪切りやら綿棒やらなにやら。
消耗品や小物はあまり悩まないで購入できるのだが、しかしたとえばスリングとかおむつペールのようなものについては、どちらがいいのかな?とかもっといいものはないのかな?というようなことで悩んでしまう。
結局、悩むものと悩まないものに振り分けて、まずは悩まないものだけ第一弾で購入してみた。
いずれも明日、とか遅くとも金曜日までには届くらしい。素晴らしい。
世の中に明かりがなくても平気だけど、こういう便利さはやはりうれしいと思う。
まあそれすらも、ないならないなりに快適に過ごせそうな気もするけど。

昼は駅前のお鮨屋さんへ。
ここのところやたらと食べたくなるお鮨。

中野通りの桜はまだ3分咲きというところ。
今週には満開になるのだろうか。

昼過ぎから皮膚炎がまた強烈な痒みを持つ。
完全に快復傾向にあると思っていたのだけれども、やはりそう簡単には治らないのか。

夜、お灸をしているとちびちびがやはりうにうにと動く。
もこもこではなく。
なにが違うのだ?今度S院長に聞いてみよう。


4/6(水)
朝から妊婦検診。
異動の時期らしく、3分の1くらいの医師がいなくなり、新しい医師になっていた。
私の主治医のおじいちゃん先生はもちろんそのまま。
今日はとても早い時間の検診だったので、待ち時間もあまりなくスムーズに終了。
前回に比べ、皮膚の調子がだいぶよくなっていたことに先生も助産師さんも驚く。
ちびちびは32週にして既に2300グラム。お、おおきい・・・。
こころの予定日はともかく本当の予定日まであと1ヶ月半もあるのだが・・・。
どこまで成長するのか。
ちびちびがまだほんのちいさいころに、毎日、おおきくな~れおおきくな~れといいながらおなかをさすっていたせいか。

夫に電話。
順調だったよ、と報告。
まだいえにいるとのことだったので、帰宅し、
夫とともにいえを出てパスタキッチンへ。
平日のパスタキッチンは久しぶりだ。夫と平日のランチというのも。
事務所へ行く夫を見送り、ウォーキング。
中野通りの桜は5分咲きというところ。
新井薬師まで行き、お薬師さんでおまいりしてからUターン。

午後、妊婦仲間とお茶。
先日の区で開催された「赤ちゃん学級」で一緒になった気の合うひとたち数人で「チーム高齢」(仮称)というグループ?を結成したのである。
その第一回お茶会。
1ヶ月間、毎週開催された「赤ちゃん学級」にて、たまたま仲良くなったのが現在35歳以上、という初産で高齢出産組、総勢7名である。
もちろん年齢制限をしたいわけではないので、そのうちひとも増えていくだろうし増やしたいとも思っている。
一方で特段に高齢にこだわってひとあつめをしたつもりはないのだけれども、やはり同じ年代だとなんとはなしに話や雰囲気があうのも事実といえば事実だ。
その仲間にメールして、お茶しようよ、いいねいいね~という感じで、今回は集まった。というか集めてみた。
まだ仕事を続けているひともいるので、平日に集まれる4人でひとまずお茶。
みんな中野区在住で、しかも東中野か中野という比較的ご近所さん、来月頭から7月頭にかけて出産する4人である。
そのため気になっていること、などもたいてい同じ。
どこで買物する?とか何を買う?とか評判のいい小児科知らない?とか。
またみんなつい最近まで仕事をしていて「つわりがきつくて」とか「切迫流産をして」とかで退職もしくは休職しているひとばかりなので、仕事復帰の話や夫の話。
さらにはこういう年代の初産のひとたちに特有なのか「私も里帰りしない」「夫と二人だけで産後も頑張る」というひとがやはり多いので、区で行われているサポートやそれぞれでできることの相談、親(夫の親や自分の親)との関係、などなど。
話は尽きなくて、結局、5時間近くも話をする。
みんなが満足してくれたようでほうっとする。もちろん私も。

カフェを出てから気がついたが、昼間とはうってかわって風が強くとても寒い。
さすが妊婦仲間たちはみな厚着である。しまった・・・。
そうして中野通りの桜は一気に8分咲き~満開くらいになっていた。
ものの数時間で!

ウォーキングしようと思ったが、あまりに寒いのでスーパーマーケットにも寄らずに帰宅。
肌寒いのみならず背筋がぞくぞくと寒いし喉も痛い。
もしや風邪では?大事にしなくては。

夜、体調がどんどん悪化する。
リビングで夫が帰宅するまでずっと寝る。
夜遅く、夫が帰宅、見るからに具合悪いです風情の私を発見し、だいぶ心配していた。
しかしちびちびはこんなときも元気である。


4/7(木)
たくさん眠ったせいか、体調はすっかり快復。よかった。
来週はひとあし先に息子ちゃんが誕生した友だちのいえに遊びに行くので
すこしでも風邪っぽかったら絶対に行けないしで心配だったのだ。

もしかしたら風邪ではなく花粉症かもと思い当たる。
花粉症の季節、私は微熱が出て喉が痛くてぞくぞくするのが1ヵ月以上続くのだ。
もちろん目の痒みやくしゃみや鼻水がずっと出る、などの花粉症諸症状もある。
この熱っぽい感じ、は、風邪と同じような症状なので、毎年、もしや風邪?と思い当初は薬などを飲んだりもするのだが
結局花粉がおさまると体調もおさまる。
今年はほかの症状が重いせいかなんなのか、花粉症の症状はほとんどないのが救いだったのだが、
さすがにこの花粉が飛びまくる季節にはいつもの10分の1程度ではあるが花粉症の症状も出ている。

ウォーキングがてら高円寺に行き、「アール座読書館」でお茶。
小一時間ほど本を読み、帰宅。
ちびちびと沿道のお花見。
桜や木蓮を見ながら、きれいだねきれいだね、と歩く。

夜、おおきな地震。
驚いてテレビをつけると、東北でとても強い余震がきたとのこと。
ライフラインが復旧し始めたところにまた強烈な余震では、全然やすまらないだろうに・・・。

夫に地震すごかったけど大丈夫だったよ、とメールをすると
すぐに折り返しの電話がきた。
帰宅しようと駅に着いたところだったので気付かなかった、大丈夫か?こちらは電車が止まった、という。
冷蔵庫が少し動いてたけど大丈夫、帰り気をつけて、といって電話を切った。

震災以来、地震酔いがひどい。
ずうっと揺れているような感じが続いていて、
少しおさまったかな?と思うと、地震でもないのに全体が揺れているような感じになる。
三半器官が弱いひとに起こりがちという地震酔い。
車酔いがひどいひとは気をつけて、と聞いていたが、車に15分も乗れない私は見事に地震酔いである。

夫、帰宅。
ふたりでテレビを見ながら、東北のひとたちの眠れぬ夜について話をする。


4/8(金)
午前中はいえで少し仕事。
最近ちょこちょことしている仕事(毎日少しずつしている)は、
自分主導の仕事ではなく、もっぱら夫の仕事の手伝い。
ほんのほんのほーんの少しだけだけれども、夫からすると結構効果が高いことを手伝えているらしく、
事務所にいるときに効果が見られると、嬉しそうにお礼のメールや電話がかかってくる。
こんなことでも夫をサポートできるならうれしい。

昼にいえを出て、桜を見ながら哲学堂まで散歩。
中野通りの桜は、新井五差路を越えたあたりから桜の木が旧く、
幹が太く枝ぶりも大きくなっていて、とても美しい。
桜のトンネルのなかをすすんでいくような。
ちびちびと一緒に桜を眺める。
ちびちび、見えますか?きれいだね。といいながら。

哲学堂公園で休憩。
名所だけあって、平日なのになかなかのにぎわい。
ベンチで休んでから公園の小山のほうまで登り、また下っていくところから桜を眺める。
ここから見る桜を、私はとても気に入っている。
夫もこの光景を見られたらいいのにと思うのだけれども
今週末は土曜日は用事もあるし雨も降るらしいし、
日曜日は仕事だから、きっとこの桜をゆっくりと愛でることは難しいだろうなと思う。
また来年、一緒に来よう。
そのときはおなかのなかのちびちびはおなかのそとのちびになっていることだし。

しばらく休憩してからもときた道を戻り、
新しくできたカフェでお茶をし、スーパーマーケットに寄ってから帰宅。

明日は夫と、分娩を行う病院で行われる両親学級に参加。
病棟の見学などをする。楽しみだ。

4/2(土)
皮膚炎の調子がよくなってきたおかげで
体調全般がかなり上向きになってきた。
おなかの張りも減ったし、夜も眠れる時間がどんどん増えている。

一方で妊娠後期特有の症状・・・すぐ疲れる、息切れがする、動悸が激しい、などは増えていっている。
たとえば仰向けに横になると、息が苦しくて心臓がどきどきとしたりする。
妊娠というのはおもしろい。
いままで味わったことのないものものがどんどんと起こる。
皮膚炎がひどかったりつわりがひどかったりする渦中のときは
おもしろいとはいっていられないのだけれども。

被災地の海の映像を見ると思い出すのは
Sのことだ。
学生時代、長いあいだ恋人だったS。
大好きだったS。
Sへの思いや気持ちはいまもなくならない。
それは夫のことやこのおなかにいる新しいいのちをたいせつに思う気持ちとは全然別のものだ。
全然別で、だから両立もする。
忘れるわけがないと思う。
せめて私は憶えていようとも思う。
Sと過ごした日々。Sが生きていたということ。

Sが海で事故にあってからもう何度春を過ごしただろう。
最近、よく思う。
波に流されたときSに意識はあったのだろうか。怖かっただろうか。
できれば怖い思いをすることがなかったのならいいなと思う。
眠るように安らかであってほしいと思う。
いまもこの地球のひろいひろい海のどこかに眠るS。

昼、恒例のパスタキッチンへ。
夫といつものパスタ2種をもりもりと食べる。満足。

桜が咲いていたらお花見がてらぶらぶらしたいところだが
開花宣言が出たとはいえ中野の桜は駅前をのぞきまだ一分咲きくらい。
お花見は来週しよう?と夫といいあう。
ちびちびと3人のはじめてのお花見。

そういえばお花見自粛なんてこともいわれるご時世だけれども
お花見も宴会もなんでもすればいいと思う。
それをできることに感謝しながら。
いま桜を愛でることができないでいるひとたちへの想像力を持ちながら。
そうしてできることならば被災された地方の特産物なぞを肴に、あるいは地酒や地ジュースなぞで乾杯したりしながら。

節電の世の中で過ごしていて思うのは
日常生活はこれでいいじゃない?ということ。
工場や道路や経済を支えるものなどは別として、一般の家庭や駅やお店屋さんや看板や
そういうものに明かりがなくたって、あるいは照度を落としていたって、ちょっとくらい寒かろうが暑かろうが、全然困らないし支障はない。
どうしてあんなに明るかったのだろう?
思えば海外を旅行していて、アジアやヨーロッパなどのお店はたいていがこうだったなあ。
(アメリカは行ったことがないからわからないけれども)
そうしてそのことで不愉快になったり困ったことってなかったし。

夕方、夫はフットサルへ。
疲れてきていたので私はいえにいることにする。
夜、はぁ~気持ち良かった!といいながら夫が帰宅。
あたたかくなってきたので汗をいっぱいかけてとても気持ちがよかったとのこと。
よかったよかった。
夫といえごはん。
今日もしあわせないちにちだ。



4/3(日)
ずいぶんとお腹が張る。
疲れてもいないし雨でもない。
もしかして?と思い月の暦を見ると、やはり新月である。
人間のからだってすごい。

お腹が張ると思ったら新月だったよ?
と仕事部屋にいる夫に報告にいくと
そうなん?人間ってすごいなあと夫も同じことをいう。

新月や満月に近いときに出産が多いということと
実際の予定日(5/27)よりも正規産に入ったら2~3週間くらい早く産みたいという私の希望から
ちびちびの私のこころの予定日は5/15頃になっている。

早く生まれてきて欲しいんだよね、5月の10日とか15日くらいに。
というと、たいていのひとは戸惑ったかおでえっ?という。
えっ?そんなこと(まで)考えているんだ?のえっ?だとたぶん思うのだけれども。
そうしてつづいて、えっ?どうして?ときかれる。
それでいつもこたえている。
だって早く会いたいし。
そうこたえると、これまたたいていのひとは納得した顔にはなる。

そう。
私はちびちびに早く会いたい。
無理して早くということではなく、ちびちびと私にとって無理のない範囲で早く。
このおなかのなかでうごうごうごめいている子どもを
早く見たいし抱きしめたい。
夫にも早く見せたいし抱きしめてほしい。
夫も早く会いたいなあといっている。
どんな顔してるんやろ、とにこにこしながら夫はいつもいう。
きっとTに似ていると思うよ、髪の毛とかぴんぴんで!と笑いながらこたえると、
髪の毛はきっとまっすぐやろうなあ、ナオも俺も髪の毛はまっすぐやから、でもまてよ、ナオのお父さんは癖っ毛やしわからんで~などと想像をふくらませている。
きっとどちらにも少しずつ似ている私たちのちびちび。
ああ早く会いたいな。

意外と子どもってそういう母親の願いを聞いてくれるものだよ、ときくので、
ちびちびにはいつも、早く会いたいね、といっている。
早く会いたいね、ちびちびちゃん。そういいながらおなかをとおしてちびちびをなでる。
ここはあたま。ここはあし。ここは手。ここは背中。
そんなふうにいいながら。
「産まれてくるタイミングがベストなタイミング」ということなので
どこまで私の願いを聞いてもらえるかはわからないのだけれども。

午後、夫がすこし仕事にいくというので
私もついていき、夫の仕事の手伝い。
だいぶはかどる。
これから出産までに私が手伝えること、
産後もできそうなこと(産褥期をのぞいて)などを話し合う。
できるだけ夫の手助けをしたいというのが私の願い。

夕方には終わり、スーパーマーケットに寄ってから帰宅。

夜はいえで。
夫とゆっくりとあたたかいごはんを食べられるしあわせを
今日も噛みしめる。



3/28(月)
予定がない一週間。
貴重。

ためていた事務的なことや
出産に伴う各種の申請などを今週、一気にやってしまうことにする。
妊娠してからというもの集中力が全然続かないので
事務的なことをするのがとても億劫で
ついついあとまわしにしてきてしまったのであるが。

今日はやるぞ!と決めていたため、
思いのほかすんなりといろいろなことをこなすことができた。
良かった。

ここ数日、とても疲れやすい。
ちょっと動くと疲れ、
ごろんと横になると眠ってしまうことすらある。

同じ週数くらいの妊婦仲間に聞くと
みな同じことをいっているので、おそらくそういうものなのだろう。

夫は毎晩のように1時間程度うたたねをする。
私が起きているあいだのうたたねは起こしてあげられるからいいのだけれども
眠ってしまってからのうたたねは数時間つづく可能性があるので
うたたねはしちゃだめ!とよくいっていた。
のだが。
いまは私が毎晩うたたねをし、
夫にあっち(寝室)で寝ぇ?と起こされている始末である。



3/29(火)
夜、サッカーの試合があるので夫は早めに帰宅。
夫といえごはん。

しかし急ぎの仕事があったようで、
途中で何度も電話がかかってきたり、そのたびに仕事部屋に行っている。

最近のちびちびはますます元気に暴れている。
足がどんどん大きくなってきていて、いまたぶん3~4センチは軽くありそうだ。
その足がおなかの上部にあたるときに、
ちびちびちゃん、これはなに?足ですか?といいながら足をそうっと押すと、
足が引っ込んで他の部分が・・・頭とかからだとか手とかもうひとつの足などが動いたりするのでおもしろい。

夫にも、ほら足だよ?といって触ってもらった。
ほんまや、ここだけかたい!とおもしろがる夫。

ちびちび、早くちびちびに会いたい。



3/30(水)
皮膚の調子がだいぶよくなってきた。
それに伴い、いつもぱんぱんに張っていたお腹も少しずつもとに戻ってきた。
やっぱり皮膚炎が悪影響を与えていたのだろう。

おなかどうや?と毎朝毎晩夫がたずねるので
そのたびにぺろんとおなかを出して夫に見せる。
だいぶよくなってきたやん!よかったなあ、と夫。
私もそう思う。
思い切って病院を変えてよかった。

からだの痒みで起きてしまうことはかなり減ったのだが、
代わりにというかなんというか、
からだ全体がだるくて目が覚めることが増えた。
これはおそらく、妊娠後期特有のものだと思う。

午後、新しくできた妊婦仲間と会う予定にしていたのだが、
体調が少し悪いということなので、無理せずに寝ているようにメールする。
時間がぽっかりとできたので高円寺まで散歩。
久しぶりに「アール座読書館」へ。
喫茶店なのだが、名前のとおり、読書を目的としたひとたちのための喫茶店。
ゆえに店内でおしゃべりするひとは皆無。
みな自分の本か、あるいはお店の壁一面にある書棚の本を手に取り、もくもくと本を読んでいる。
席も教室形式でみんなひとつの方向を向いていて、
それぞれの席にテーマがあって、たとえばジオラマを置いてあったり、ベタの水槽があったり、
やたらと木が繁っていたりする。
このあたりでもっとも好きな喫茶店のひとつである。
今日はおおきな水槽のある席を選び、魚を見たり、本を読んだりして過ごす。
こちらの喫茶店は、飲み物もおいしいのだがお手製デザートもなかなかのもの。
ついついデザートを食べてしまった・・・ああ意志の弱い私である。

ちびちびとおいしいねといいながら食べる。
ちびちびにはこのおいしさはまだ届かないけれども
おいしいと私が思っている気持ちは届くだろう。



3/31(木)
朝、めずらしく夫がのんびりしているな~と思ったら、
今日は11時のアポイント先に直接向かうという。
こういう日に限って私は朝から出かける用事(今日は病院)が入っていたりする。つまらない。

夫に玄関まで見送ってもらって
東京女子医大の皮膚科へ。

東西線で早稲田まで行き、早稲田から歩く。
徒歩20分ほどだが、晴れているしいい運動。

皮膚の調子はだいぶよくなっているのが自分でもわかったのだが、
K教授は患部を見るなり、これはだいぶよくなりましたね、本当によかったですね、とおっしゃっる。
おかげさまで夜もだいぶ眠れるようになりました、という話をし、
今後の治療方針と治療方法について説明を受け、皮膚科終了。
思ったより2時間ほど早く終わった。

心配している夫に電話し、
治療方針などを報告。
よかったよかった、と夫。

病院後、再び早稲田まで歩き、神田で所用を済ませたところで
時刻は11時過ぎ。
もしかしたら今日は絶好の「銀座あさみ」日和では?ということに気づき、
予約もせずにお邪魔してみることにした。
以前、会社勤めをしていた頃はしばしば訪れていた
鯛茶漬けがおいしいお店である。

12時ちょっと前の到着。
店内は既に数隻残して満席、それも予約で埋まっているというが、
次の予約の方がいらっしゃるまでの30分間でよければどうぞ、とのこと。
鯛茶漬けは早く出していただけることもあり、
せっかくだから食べていくことにする。
(席に座ると間もなく食べ終わった方が帰られたのでゆっくりどうぞ、とお店のかたから声をかけられた)

そうして食べた、久しぶりの「銀座あさみ」の鯛茶漬け。
し、しびれる。
本当においしい。
こちらの鯛茶漬け、私はあえてお茶漬けにはせずに
そのまま食べてしまうのが好きである。
そのまま数切れいただき、ごはんだけお茶漬けにしてから鯛とは別にいただく。
味が濃い目の胡麻だれにたっぷり漬かったぷりっぷりの鯛。
しあわせとはこのことだろうとしみじみと思いながら堪能し、
お茶請けの道明寺までしっかりといただいてからお店をあとにする。
ああ来てよかった。
出産したらしばらくは、本当にしばらくは行けないだろうお店のひとつ、「銀座あさみ」。

銀座に出たついでに「椿屋珈琲店」でお茶。
いまでは都内にいくつかお店があるが、やはり私はこの銀座店がいっとう好きだ。
シフォンケーキを食べたい欲望にかられるが、我慢我慢。
しばらく本を読んでいると雲行きが怪しくなってきたので帰宅することに。

東京駅まで歩く予定が、雨があたってきたので銀座から東京までも電車に乗り、帰宅の途へ。

中野はどうやらかなりの雨が降ったらしく、
道がすっかりと濡れている。
お茶をしていてよかった。

スーパーマーケットなどに寄りながら帰宅。
品薄だった納豆、近所の店に入っていた。
無類の納豆好きとしては嬉しい限り。
ヨーグルトはまだない。
ヨーグルトも大好きで、毎日食べる習慣だったのだがここ数日は食べられない。

しかしどうも気になっているのだが、
世の中のひとはそんなに納豆とヨーグルトが好きだったのだろうか?
どちらかというといつも余っている、という印象だったのだが・・・。



4/1(金)
今日から32週。
9か月である。9か月!
来たな~という感懐。
しかし京都の姉にメールをすると「あと1ヵ月ってなってからが長いねん」という返信を何度ももらう。
よほど「あと1ヵ月」を長く感じたということだろうか。

ぼちぼち入院準備をはじめた。
入院に必要なもので、いえにないものを買ったり、いえにあるものはひとまとめにしたり。

収納が不足していたので、小さめのたんすをひとつ購入。
ちょうど震災の前日に買っておいたのだが、
納期遅れで一昨日届いた。
東北の会社なので大丈夫かと思っていたのだが思っていたよりもよほど早い到着。
損壊もいろいろあっただろうに・・・ありがたいと思う。

そのたんすに、ちびちびの服やグッズなどを入れ替えた。
姉からおさがりでもらったもの、友だちからお祝いといっていただいたもの、
まだ早い~と思いつつ自分で買ったもの、など。
新生児のものはどれもとても小さくてかわいらしい。

昼過ぎ、また復活したウォーキングへ。
途中、公園で休んでいると、小学校高学年くらいの男の子が友だち数人に
「今年はエイプリルフールなくなったらしいよ」といっている。
え、そうなんだ、そんなことってあるの?とつい聞き耳を立てる私。
「なんか今年は嘘をついてる場合じゃないだろうとか不謹慎だとかって、
あちこちからクレーム来たらしくてさ、それでエイプリルフールないんだって」
男の子の友だちもへえ~そうなんだ!と納得、もちろん私もなるほど~納得。

すると一拍置いて男の子、「いまの、嘘!」

・・・騙された~!!!やるなあ!!!と友だちたち。
もちろん私もこころのなかで拍手を送った。完全に騙されたぞ。やるなあ少年。


新聞に、震災当日に避難所で産まれた赤ちゃんの話が載っていた。
急に産気づいたため産婦人科に行くこともできず、
避難所の女性たちが懐中電灯で照らし、みなで手を貸して産まれてきたという赤ちゃんの話。

そんなふうにしてこの世に産まれてきた君よ。
ちびちびといつかどこかで出会うかもしれない君よ。
君が産まれてきたことは、きっとみんなのこころをあたたかくやさしくつよくしたことだろう。
産まれながらにしてそんな役目を果たした君が
これからも元気ですこやかに育っていくことを
いつか復興した明るい街のなかで育っていくことを
私も願う。強く願う。



3/26(土)
PUPPPのステロイド治療に踏み切ってから、飛躍的に症状が改善してきた。
蕁麻疹状の赤みが引いてきて、その上にあったつぶつぶの突起状の湿疹の数も減ってきている。
何より痒みが引いてきた。
恐るべし、ステロイド。
しかしおかげで2~3時間は継続して眠れるようになった。
2~3時間するとからだがあたたまり痒くなるため目が覚める。
目が覚めてしばらくするとまた眠れる、というふうに。
顔の妊娠性疱疹のほうも目を見張る回復ぶり。
痒みはほとんどなくなり、紅斑のまわりにあった環状の突起物(水泡とその名残り)がだいぶ消えてきた。
紅斑はまだあるけれども、以前の赤い状態に比べると差は歴然としている。
かといってこれから出産までの2ヶ月間、ステロイド治療を続けるのには抵抗がある。
ひとまず使用頻度と量を減らすことにし、朝晩2回の塗布を夜のみ1回にし、6日後の次回診察まで様子を見ることにする。

おなかはどう?と一日に何度も聞いてくる夫、
様子をみて、だいぶ回復してきた、と安心している様子。

朝、久しぶりに喫茶店へ。
いまのいえに引っ越す前はむしろ夫とふたり、喫茶店でモーニングを食べるのを習慣にしていたのだけれども、
引っ越してからはほとんどいえごはんだ。
たまにモーニングっていうのも楽しいね、と夫といいあう。

ゆっくりと朝食をいただき、夫はその足でマッサージへ。
私は帰宅し、中掃除など。

余っていた食材でミートソースをつくっているところに夫が帰宅。
土曜日恒例のパスタキッチンへは行かず、
昼はいえでスパゲッティミートソースを食べることにした。

夫は急遽入ってきた仕事に忙殺されている。
また以前のように遅い帰宅になったこともあり目に見えて疲労が増しているけれども、
(夫は忙しければ忙しいほど眠れなくなるタイプでもある)
でも充実している様子もうかがえる。
夫が体調を壊さないように、無理をしないでといっても無理をするのは承知のうえで
いまを乗り切る手助けをすることは私のしごとのひとつだ。

夕方、夫はフットサルへ。
疲れていてもこれが夫の健康維持方でもある。
見送りがてら高円寺まで一緒にいき、夫はその先の阿佐ヶ谷へ。
私は「ネルケン」でお茶をしてから歩いて帰宅。
ちびちびは「ネルケン」にいるあいだ、ずうっと暴れている。

「ネルケン」を出るころ、急に寒くなってきた。
寒いね寒いねとちびちびと話しながら帰宅。

連日連夜、どのテレビ局も震災の情報だったが、
いまは報道の時間を除きどの局も「いつもの」状態に戻っている。
NHKだけ報道の時間そのものを増やしているけれども。
新聞やネットニュースをあわせても現状を断片的にしか知ることができないけれども、
知れば知るほど胸が痛む。
まだ行方不明のたくさんのひとたち。その家族。
がれきの山になっている家々。街並み。
避難所や壊れかけた住まいで日用品や食糧や医療援助を待っているひと。
原発の影響で売れない農産物。牛乳も魚も。それにたずさわるひとびと。
いまも生命を賭して救命活動や復旧活動をしているひとたち。
胸がふさがるし頭がさがる。
いつか安心で安全な世の中が戻ってくるように祈り願い、いま私にできることをすること。
なによりも。このことを忘れないこと。
今回起きたこと。知ったこと。そのことすべてを。


3/27(日)
弟から電話。
ときどき妊娠経過をメールしているのだが、皮膚炎の診断結果はPUPPPだったよ!とメールしたら
それについて早速電話がかかってきた。
いま何週だっけ?ときくので、31週。とこたえると、
それならもう産まれてもだいじょうぶだね、もしいつもと違う感じとかなにかあったら、迷わずすぐに病院にいくようにね、と弟。
弟に診察してもらう患者さんは幸せだと思う。弟は小児科だけど。

4月から、いまいる大学病院から以前いた県立子ども病院に転勤。
今日は引っ越しの準備をしているという。
忙しいんだから業者さんにぜんぶやってもらえばいいのに?というと、
あまりにも汚いから業者さんに悪くて・・・といっている。
子ども病院への転勤は、本人の希望がかなったかたちではあるのだが、
子ども病院にいたころ、いつ会っても睡眠不足と疲労で青ざめどんどん痩せていく弟を、姉としてはやはり心配ではある。
一方で、からだを壊さないように、たくさんのいのちを救ってあげてほしい。
子どもと家族の眼を輝かせてあげてほしい。
あの病院には弟を待っている患者さんがたくさんいるのだ。
そんなふうにも思う。強く。

弟の結婚式は11月に決まったという。
軽井沢の音羽の森にて。
しかし両親(主に母)と予想どおりひと悶着あった、というか現在進行形であるそうで、
ひとしきりその話も聞く。
ああやっぱりそうくるか!というような内容だったので、そういうときはこうこたえたほうがいいかもね、というようなアドバイスなども。

現在のところ主に揉めているのはご招待客についてで、
本当は150人入れるホールでやりたかったのだけれども、どうしても日程の関係で50人のホールしかとれなかった、そもそも家族だけでこぢんまりやりたいという希望だったけれども、やはり仕事柄、教授や小児科の部長さんやお世話になっているひとや同僚などはお招びしなければならず、またお招びしたい、ついては親戚は各家1人でお願いしたい(そもそも親戚づきあいなんてしてないんだし)、というのが弟の要望。
それに対して母は、親戚各家1人なんて考えられない、また親戚のなかでもYさんはどうしても招んでほしい(弟は招ぶつもりはない)、祖母は招ばなくていいから、といったのだという。
「っていうかさ、おばあちゃんをよばなくていいからYさんよんでってそもそもおかしくね?だっておばあちゃんは家族なんだよ」と弟。
た、確かにそうだよね…。
ここでいう「おばあちゃん」は父方の祖母。母方の祖母が元気だったら、なにはなくてもぜったいにいのいちばんに祖母を優先するはずだ。うーんやっぱりなにかがねじまがっているんだよなあ、母。
それにしても弟の話は、母の性格や思考回路をよく知る私からすれば、意外でもなんでもない。
一方で弟は「おかあさんのあれって加齢かな?前はあんなんじゃなかったよね」と、ようやく私がここ十数年、頭を悩ませ続けた問題に気付いた模様である。
そもそも母は以前から「弟の結婚式はきっと弟の勤務先である松本の大きなホテルで大々的にやることになるだろう、だって教授や先生がたをいっぱいご招待しないといけないはずだから!ナオのときは京都だったから仕方なかったけど(!)、そのときにご招待できなかった親族諸々とご近所の皆様を、バスを仕立ててご招待しよう」といっていて、それを聞いていた私は、弟はぜったいにそういう大々的なことはきらいだしやらないから、親戚や近所に弟の結婚話はまだしちゃだめだよ、と伝えていたのだ。
しかし案の定、母はあちこちで吹聴して歩いていたらしい。
母からすれば、弟は自慢の息子なのだ。吹聴のひとつやふたつ、したくてたまらないのだろう。
もうYさんにも近所のひとにも言っちゃったのに!という母と、そんなの知らねえよ!という弟のバトルは想像の範囲内だ。
母は以前の母ではないので気をつけなくてはいけないこと、同じことをいうにしても、たとえば「式場の調整は最後まで頑張るけどいまのところどうしても小さいホールしか取れていない、Yさんや親戚のみなさんにご夫婦で出席してほしいとは自分も思ってるけどできないかもしれない、だからまだ誰にもいわないで」というようないい方をすること、こんなことお母さんにしか相談できないんだけど、お母さんならわかってくれると思うんだけど、的なよいしょを適度に入れること(本来はいいことではないけど)、などと話をして、ありがとう、ああめんどくさー、ナオちゃんからだに気をつけて、と弟はいいながら電話を切った。

夫に弟から電話があったこと、
弟の結婚式が決まったこと、
母と揉めているらしいこと、などを話す。

話しながら、思う。
いつも思う。
私のほうの家族はみんなちょっとおかしい。

たとえば私は出産のときに気を使うからそばにいてほしくないと母に対して思ったりするし、夫の実家には行きたがるくせいに自分の実家にはほとんど帰省も連絡もしないし、私だけではなくきょうだいみんな、年齢をおうごとにほとんど実家には寄りつかなくなったし、親戚づきあいは子どもの頃からほとんどない。
思えばたとえば親戚づきあいがどうしてないかというと、両親が親戚づきあいを面倒くさがって全然しなかったから、というのが理由として大きい。
またあの親戚の○さんはお金にうるさいとか性格が悪いとかいうようなことを母からさんざん・・・それも子どもの頃から聞かされて育っている私たち兄弟に、いまさらその顔見知り程度の親戚と仲良くしろといわれても無理な話ではないかと思う。
もちろんそれに乗じていた私を含め私たち兄弟にも問題があるだろう。すべてが親だけではない。当然だ。
そうしてさらにもちろん、いるだけで感謝してもいる。
親という存在について。
ただ一方で、「うまくいっていない」感はぬぐえない。

夫と結婚して驚いたのは、夫の親族の仲の良さ・・・というか結束の固さである。
家族はもとより、血縁者全員に一体感がある。
もちろん細かいいろいろはあるしあるのだろうが、それでも私のほうとは全然違うものがある。
在日韓国人だから、なのかもしれないが、その一体感をまったく持たない私にはそういうまとまりのようなものや時にうっとうしくなるかもしれない(私はそう感じたことはないけど)温かさは新鮮で、羨望を感じることもある。
たとえば今回の震災のときも、結婚式や法事でしか顔をあわせる機会がなかった親戚ですら、ナオさん大丈夫?なにかあったらいつでもこっちにおいで、と連絡をくれたりするような。

夫にそういうと、それは在日一世である夫のハルモニ(祖母)の教えで、
常に親族一同で助け合うこと、をK家の家訓としていたというのが大きいと思う、という。なるほど。

私は産まれてくる子どもには、いくつになっても家族や親族と仲の良い子どもになってほしいと思っている。
私のようにいつも距離を置こうとするのではなくて。
そのためにしたほうがいい具体的ないくつかのことをしようとも思っているんだよ、と夫と話す。
そうやな、そのほうがいいと思うで、と夫。

昼はパスタキッチンへ。
にちようびは休みのオーナーシェフが、今日は応援、といって仕事に出ていた。
ラッキーだ。
やっぱりシェフがつくるものは味が全然違う。

夫が少し仕事にいくというので、
私も手伝いに高田馬場の事務所へ。
夫の仕事を手伝えるのはうれしい。

夕方、帰宅。
いつもなら昼寝をする夫、仕事部屋にこもって仕事のつづき。
忙しそうだ。

妊娠後期、おなかの張りがますますひどい。
横になっていない限り常に張っているし、
眠っているあいだも張っている模様。

ちびちびはしかしそんなことをものともせず暴れまわっている。
元気な子どもだ。