4/2(土)
皮膚炎の調子がよくなってきたおかげで
体調全般がかなり上向きになってきた。
おなかの張りも減ったし、夜も眠れる時間がどんどん増えている。
一方で妊娠後期特有の症状・・・すぐ疲れる、息切れがする、動悸が激しい、などは増えていっている。
たとえば仰向けに横になると、息が苦しくて心臓がどきどきとしたりする。
妊娠というのはおもしろい。
いままで味わったことのないものものがどんどんと起こる。
皮膚炎がひどかったりつわりがひどかったりする渦中のときは
おもしろいとはいっていられないのだけれども。
被災地の海の映像を見ると思い出すのは
Sのことだ。
学生時代、長いあいだ恋人だったS。
大好きだったS。
Sへの思いや気持ちはいまもなくならない。
それは夫のことやこのおなかにいる新しいいのちをたいせつに思う気持ちとは全然別のものだ。
全然別で、だから両立もする。
忘れるわけがないと思う。
せめて私は憶えていようとも思う。
Sと過ごした日々。Sが生きていたということ。
Sが海で事故にあってからもう何度春を過ごしただろう。
最近、よく思う。
波に流されたときSに意識はあったのだろうか。怖かっただろうか。
できれば怖い思いをすることがなかったのならいいなと思う。
眠るように安らかであってほしいと思う。
いまもこの地球のひろいひろい海のどこかに眠るS。
昼、恒例のパスタキッチンへ。
夫といつものパスタ2種をもりもりと食べる。満足。
桜が咲いていたらお花見がてらぶらぶらしたいところだが
開花宣言が出たとはいえ中野の桜は駅前をのぞきまだ一分咲きくらい。
お花見は来週しよう?と夫といいあう。
ちびちびと3人のはじめてのお花見。
そういえばお花見自粛なんてこともいわれるご時世だけれども
お花見も宴会もなんでもすればいいと思う。
それをできることに感謝しながら。
いま桜を愛でることができないでいるひとたちへの想像力を持ちながら。
そうしてできることならば被災された地方の特産物なぞを肴に、あるいは地酒や地ジュースなぞで乾杯したりしながら。
節電の世の中で過ごしていて思うのは
日常生活はこれでいいじゃない?ということ。
工場や道路や経済を支えるものなどは別として、一般の家庭や駅やお店屋さんや看板や
そういうものに明かりがなくたって、あるいは照度を落としていたって、ちょっとくらい寒かろうが暑かろうが、全然困らないし支障はない。
どうしてあんなに明るかったのだろう?
思えば海外を旅行していて、アジアやヨーロッパなどのお店はたいていがこうだったなあ。
(アメリカは行ったことがないからわからないけれども)
そうしてそのことで不愉快になったり困ったことってなかったし。
夕方、夫はフットサルへ。
疲れてきていたので私はいえにいることにする。
夜、はぁ~気持ち良かった!といいながら夫が帰宅。
あたたかくなってきたので汗をいっぱいかけてとても気持ちがよかったとのこと。
よかったよかった。
夫といえごはん。
今日もしあわせないちにちだ。
4/3(日)
ずいぶんとお腹が張る。
疲れてもいないし雨でもない。
もしかして?と思い月の暦を見ると、やはり新月である。
人間のからだってすごい。
お腹が張ると思ったら新月だったよ?
と仕事部屋にいる夫に報告にいくと
そうなん?人間ってすごいなあと夫も同じことをいう。
新月や満月に近いときに出産が多いということと
実際の予定日(5/27)よりも正規産に入ったら2~3週間くらい早く産みたいという私の希望から
ちびちびの私のこころの予定日は5/15頃になっている。
早く生まれてきて欲しいんだよね、5月の10日とか15日くらいに。
というと、たいていのひとは戸惑ったかおでえっ?という。
えっ?そんなこと(まで)考えているんだ?のえっ?だとたぶん思うのだけれども。
そうしてつづいて、えっ?どうして?ときかれる。
それでいつもこたえている。
だって早く会いたいし。
そうこたえると、これまたたいていのひとは納得した顔にはなる。
そう。
私はちびちびに早く会いたい。
無理して早くということではなく、ちびちびと私にとって無理のない範囲で早く。
このおなかのなかでうごうごうごめいている子どもを
早く見たいし抱きしめたい。
夫にも早く見せたいし抱きしめてほしい。
夫も早く会いたいなあといっている。
どんな顔してるんやろ、とにこにこしながら夫はいつもいう。
きっとTに似ていると思うよ、髪の毛とかぴんぴんで!と笑いながらこたえると、
髪の毛はきっとまっすぐやろうなあ、ナオも俺も髪の毛はまっすぐやから、でもまてよ、ナオのお父さんは癖っ毛やしわからんで~などと想像をふくらませている。
きっとどちらにも少しずつ似ている私たちのちびちび。
ああ早く会いたいな。
意外と子どもってそういう母親の願いを聞いてくれるものだよ、ときくので、
ちびちびにはいつも、早く会いたいね、といっている。
早く会いたいね、ちびちびちゃん。そういいながらおなかをとおしてちびちびをなでる。
ここはあたま。ここはあし。ここは手。ここは背中。
そんなふうにいいながら。
「産まれてくるタイミングがベストなタイミング」ということなので
どこまで私の願いを聞いてもらえるかはわからないのだけれども。
午後、夫がすこし仕事にいくというので
私もついていき、夫の仕事の手伝い。
だいぶはかどる。
これから出産までに私が手伝えること、
産後もできそうなこと(産褥期をのぞいて)などを話し合う。
できるだけ夫の手助けをしたいというのが私の願い。
夕方には終わり、スーパーマーケットに寄ってから帰宅。
夜はいえで。
夫とゆっくりとあたたかいごはんを食べられるしあわせを
今日も噛みしめる。
皮膚炎の調子がよくなってきたおかげで
体調全般がかなり上向きになってきた。
おなかの張りも減ったし、夜も眠れる時間がどんどん増えている。
一方で妊娠後期特有の症状・・・すぐ疲れる、息切れがする、動悸が激しい、などは増えていっている。
たとえば仰向けに横になると、息が苦しくて心臓がどきどきとしたりする。
妊娠というのはおもしろい。
いままで味わったことのないものものがどんどんと起こる。
皮膚炎がひどかったりつわりがひどかったりする渦中のときは
おもしろいとはいっていられないのだけれども。
被災地の海の映像を見ると思い出すのは
Sのことだ。
学生時代、長いあいだ恋人だったS。
大好きだったS。
Sへの思いや気持ちはいまもなくならない。
それは夫のことやこのおなかにいる新しいいのちをたいせつに思う気持ちとは全然別のものだ。
全然別で、だから両立もする。
忘れるわけがないと思う。
せめて私は憶えていようとも思う。
Sと過ごした日々。Sが生きていたということ。
Sが海で事故にあってからもう何度春を過ごしただろう。
最近、よく思う。
波に流されたときSに意識はあったのだろうか。怖かっただろうか。
できれば怖い思いをすることがなかったのならいいなと思う。
眠るように安らかであってほしいと思う。
いまもこの地球のひろいひろい海のどこかに眠るS。
昼、恒例のパスタキッチンへ。
夫といつものパスタ2種をもりもりと食べる。満足。
桜が咲いていたらお花見がてらぶらぶらしたいところだが
開花宣言が出たとはいえ中野の桜は駅前をのぞきまだ一分咲きくらい。
お花見は来週しよう?と夫といいあう。
ちびちびと3人のはじめてのお花見。
そういえばお花見自粛なんてこともいわれるご時世だけれども
お花見も宴会もなんでもすればいいと思う。
それをできることに感謝しながら。
いま桜を愛でることができないでいるひとたちへの想像力を持ちながら。
そうしてできることならば被災された地方の特産物なぞを肴に、あるいは地酒や地ジュースなぞで乾杯したりしながら。
節電の世の中で過ごしていて思うのは
日常生活はこれでいいじゃない?ということ。
工場や道路や経済を支えるものなどは別として、一般の家庭や駅やお店屋さんや看板や
そういうものに明かりがなくたって、あるいは照度を落としていたって、ちょっとくらい寒かろうが暑かろうが、全然困らないし支障はない。
どうしてあんなに明るかったのだろう?
思えば海外を旅行していて、アジアやヨーロッパなどのお店はたいていがこうだったなあ。
(アメリカは行ったことがないからわからないけれども)
そうしてそのことで不愉快になったり困ったことってなかったし。
夕方、夫はフットサルへ。
疲れてきていたので私はいえにいることにする。
夜、はぁ~気持ち良かった!といいながら夫が帰宅。
あたたかくなってきたので汗をいっぱいかけてとても気持ちがよかったとのこと。
よかったよかった。
夫といえごはん。
今日もしあわせないちにちだ。
4/3(日)
ずいぶんとお腹が張る。
疲れてもいないし雨でもない。
もしかして?と思い月の暦を見ると、やはり新月である。
人間のからだってすごい。
お腹が張ると思ったら新月だったよ?
と仕事部屋にいる夫に報告にいくと
そうなん?人間ってすごいなあと夫も同じことをいう。
新月や満月に近いときに出産が多いということと
実際の予定日(5/27)よりも正規産に入ったら2~3週間くらい早く産みたいという私の希望から
ちびちびの私のこころの予定日は5/15頃になっている。
早く生まれてきて欲しいんだよね、5月の10日とか15日くらいに。
というと、たいていのひとは戸惑ったかおでえっ?という。
えっ?そんなこと(まで)考えているんだ?のえっ?だとたぶん思うのだけれども。
そうしてつづいて、えっ?どうして?ときかれる。
それでいつもこたえている。
だって早く会いたいし。
そうこたえると、これまたたいていのひとは納得した顔にはなる。
そう。
私はちびちびに早く会いたい。
無理して早くということではなく、ちびちびと私にとって無理のない範囲で早く。
このおなかのなかでうごうごうごめいている子どもを
早く見たいし抱きしめたい。
夫にも早く見せたいし抱きしめてほしい。
夫も早く会いたいなあといっている。
どんな顔してるんやろ、とにこにこしながら夫はいつもいう。
きっとTに似ていると思うよ、髪の毛とかぴんぴんで!と笑いながらこたえると、
髪の毛はきっとまっすぐやろうなあ、ナオも俺も髪の毛はまっすぐやから、でもまてよ、ナオのお父さんは癖っ毛やしわからんで~などと想像をふくらませている。
きっとどちらにも少しずつ似ている私たちのちびちび。
ああ早く会いたいな。
意外と子どもってそういう母親の願いを聞いてくれるものだよ、ときくので、
ちびちびにはいつも、早く会いたいね、といっている。
早く会いたいね、ちびちびちゃん。そういいながらおなかをとおしてちびちびをなでる。
ここはあたま。ここはあし。ここは手。ここは背中。
そんなふうにいいながら。
「産まれてくるタイミングがベストなタイミング」ということなので
どこまで私の願いを聞いてもらえるかはわからないのだけれども。
午後、夫がすこし仕事にいくというので
私もついていき、夫の仕事の手伝い。
だいぶはかどる。
これから出産までに私が手伝えること、
産後もできそうなこと(産褥期をのぞいて)などを話し合う。
できるだけ夫の手助けをしたいというのが私の願い。
夕方には終わり、スーパーマーケットに寄ってから帰宅。
夜はいえで。
夫とゆっくりとあたたかいごはんを食べられるしあわせを
今日も噛みしめる。