3/26(土)
PUPPPのステロイド治療に踏み切ってから、飛躍的に症状が改善してきた。
蕁麻疹状の赤みが引いてきて、その上にあったつぶつぶの突起状の湿疹の数も減ってきている。
何より痒みが引いてきた。
恐るべし、ステロイド。
しかしおかげで2~3時間は継続して眠れるようになった。
2~3時間するとからだがあたたまり痒くなるため目が覚める。
目が覚めてしばらくするとまた眠れる、というふうに。
顔の妊娠性疱疹のほうも目を見張る回復ぶり。
痒みはほとんどなくなり、紅斑のまわりにあった環状の突起物(水泡とその名残り)がだいぶ消えてきた。
紅斑はまだあるけれども、以前の赤い状態に比べると差は歴然としている。
かといってこれから出産までの2ヶ月間、ステロイド治療を続けるのには抵抗がある。
ひとまず使用頻度と量を減らすことにし、朝晩2回の塗布を夜のみ1回にし、6日後の次回診察まで様子を見ることにする。

おなかはどう?と一日に何度も聞いてくる夫、
様子をみて、だいぶ回復してきた、と安心している様子。

朝、久しぶりに喫茶店へ。
いまのいえに引っ越す前はむしろ夫とふたり、喫茶店でモーニングを食べるのを習慣にしていたのだけれども、
引っ越してからはほとんどいえごはんだ。
たまにモーニングっていうのも楽しいね、と夫といいあう。

ゆっくりと朝食をいただき、夫はその足でマッサージへ。
私は帰宅し、中掃除など。

余っていた食材でミートソースをつくっているところに夫が帰宅。
土曜日恒例のパスタキッチンへは行かず、
昼はいえでスパゲッティミートソースを食べることにした。

夫は急遽入ってきた仕事に忙殺されている。
また以前のように遅い帰宅になったこともあり目に見えて疲労が増しているけれども、
(夫は忙しければ忙しいほど眠れなくなるタイプでもある)
でも充実している様子もうかがえる。
夫が体調を壊さないように、無理をしないでといっても無理をするのは承知のうえで
いまを乗り切る手助けをすることは私のしごとのひとつだ。

夕方、夫はフットサルへ。
疲れていてもこれが夫の健康維持方でもある。
見送りがてら高円寺まで一緒にいき、夫はその先の阿佐ヶ谷へ。
私は「ネルケン」でお茶をしてから歩いて帰宅。
ちびちびは「ネルケン」にいるあいだ、ずうっと暴れている。

「ネルケン」を出るころ、急に寒くなってきた。
寒いね寒いねとちびちびと話しながら帰宅。

連日連夜、どのテレビ局も震災の情報だったが、
いまは報道の時間を除きどの局も「いつもの」状態に戻っている。
NHKだけ報道の時間そのものを増やしているけれども。
新聞やネットニュースをあわせても現状を断片的にしか知ることができないけれども、
知れば知るほど胸が痛む。
まだ行方不明のたくさんのひとたち。その家族。
がれきの山になっている家々。街並み。
避難所や壊れかけた住まいで日用品や食糧や医療援助を待っているひと。
原発の影響で売れない農産物。牛乳も魚も。それにたずさわるひとびと。
いまも生命を賭して救命活動や復旧活動をしているひとたち。
胸がふさがるし頭がさがる。
いつか安心で安全な世の中が戻ってくるように祈り願い、いま私にできることをすること。
なによりも。このことを忘れないこと。
今回起きたこと。知ったこと。そのことすべてを。


3/27(日)
弟から電話。
ときどき妊娠経過をメールしているのだが、皮膚炎の診断結果はPUPPPだったよ!とメールしたら
それについて早速電話がかかってきた。
いま何週だっけ?ときくので、31週。とこたえると、
それならもう産まれてもだいじょうぶだね、もしいつもと違う感じとかなにかあったら、迷わずすぐに病院にいくようにね、と弟。
弟に診察してもらう患者さんは幸せだと思う。弟は小児科だけど。

4月から、いまいる大学病院から以前いた県立子ども病院に転勤。
今日は引っ越しの準備をしているという。
忙しいんだから業者さんにぜんぶやってもらえばいいのに?というと、
あまりにも汚いから業者さんに悪くて・・・といっている。
子ども病院への転勤は、本人の希望がかなったかたちではあるのだが、
子ども病院にいたころ、いつ会っても睡眠不足と疲労で青ざめどんどん痩せていく弟を、姉としてはやはり心配ではある。
一方で、からだを壊さないように、たくさんのいのちを救ってあげてほしい。
子どもと家族の眼を輝かせてあげてほしい。
あの病院には弟を待っている患者さんがたくさんいるのだ。
そんなふうにも思う。強く。

弟の結婚式は11月に決まったという。
軽井沢の音羽の森にて。
しかし両親(主に母)と予想どおりひと悶着あった、というか現在進行形であるそうで、
ひとしきりその話も聞く。
ああやっぱりそうくるか!というような内容だったので、そういうときはこうこたえたほうがいいかもね、というようなアドバイスなども。

現在のところ主に揉めているのはご招待客についてで、
本当は150人入れるホールでやりたかったのだけれども、どうしても日程の関係で50人のホールしかとれなかった、そもそも家族だけでこぢんまりやりたいという希望だったけれども、やはり仕事柄、教授や小児科の部長さんやお世話になっているひとや同僚などはお招びしなければならず、またお招びしたい、ついては親戚は各家1人でお願いしたい(そもそも親戚づきあいなんてしてないんだし)、というのが弟の要望。
それに対して母は、親戚各家1人なんて考えられない、また親戚のなかでもYさんはどうしても招んでほしい(弟は招ぶつもりはない)、祖母は招ばなくていいから、といったのだという。
「っていうかさ、おばあちゃんをよばなくていいからYさんよんでってそもそもおかしくね?だっておばあちゃんは家族なんだよ」と弟。
た、確かにそうだよね…。
ここでいう「おばあちゃん」は父方の祖母。母方の祖母が元気だったら、なにはなくてもぜったいにいのいちばんに祖母を優先するはずだ。うーんやっぱりなにかがねじまがっているんだよなあ、母。
それにしても弟の話は、母の性格や思考回路をよく知る私からすれば、意外でもなんでもない。
一方で弟は「おかあさんのあれって加齢かな?前はあんなんじゃなかったよね」と、ようやく私がここ十数年、頭を悩ませ続けた問題に気付いた模様である。
そもそも母は以前から「弟の結婚式はきっと弟の勤務先である松本の大きなホテルで大々的にやることになるだろう、だって教授や先生がたをいっぱいご招待しないといけないはずだから!ナオのときは京都だったから仕方なかったけど(!)、そのときにご招待できなかった親族諸々とご近所の皆様を、バスを仕立ててご招待しよう」といっていて、それを聞いていた私は、弟はぜったいにそういう大々的なことはきらいだしやらないから、親戚や近所に弟の結婚話はまだしちゃだめだよ、と伝えていたのだ。
しかし案の定、母はあちこちで吹聴して歩いていたらしい。
母からすれば、弟は自慢の息子なのだ。吹聴のひとつやふたつ、したくてたまらないのだろう。
もうYさんにも近所のひとにも言っちゃったのに!という母と、そんなの知らねえよ!という弟のバトルは想像の範囲内だ。
母は以前の母ではないので気をつけなくてはいけないこと、同じことをいうにしても、たとえば「式場の調整は最後まで頑張るけどいまのところどうしても小さいホールしか取れていない、Yさんや親戚のみなさんにご夫婦で出席してほしいとは自分も思ってるけどできないかもしれない、だからまだ誰にもいわないで」というようないい方をすること、こんなことお母さんにしか相談できないんだけど、お母さんならわかってくれると思うんだけど、的なよいしょを適度に入れること(本来はいいことではないけど)、などと話をして、ありがとう、ああめんどくさー、ナオちゃんからだに気をつけて、と弟はいいながら電話を切った。

夫に弟から電話があったこと、
弟の結婚式が決まったこと、
母と揉めているらしいこと、などを話す。

話しながら、思う。
いつも思う。
私のほうの家族はみんなちょっとおかしい。

たとえば私は出産のときに気を使うからそばにいてほしくないと母に対して思ったりするし、夫の実家には行きたがるくせいに自分の実家にはほとんど帰省も連絡もしないし、私だけではなくきょうだいみんな、年齢をおうごとにほとんど実家には寄りつかなくなったし、親戚づきあいは子どもの頃からほとんどない。
思えばたとえば親戚づきあいがどうしてないかというと、両親が親戚づきあいを面倒くさがって全然しなかったから、というのが理由として大きい。
またあの親戚の○さんはお金にうるさいとか性格が悪いとかいうようなことを母からさんざん・・・それも子どもの頃から聞かされて育っている私たち兄弟に、いまさらその顔見知り程度の親戚と仲良くしろといわれても無理な話ではないかと思う。
もちろんそれに乗じていた私を含め私たち兄弟にも問題があるだろう。すべてが親だけではない。当然だ。
そうしてさらにもちろん、いるだけで感謝してもいる。
親という存在について。
ただ一方で、「うまくいっていない」感はぬぐえない。

夫と結婚して驚いたのは、夫の親族の仲の良さ・・・というか結束の固さである。
家族はもとより、血縁者全員に一体感がある。
もちろん細かいいろいろはあるしあるのだろうが、それでも私のほうとは全然違うものがある。
在日韓国人だから、なのかもしれないが、その一体感をまったく持たない私にはそういうまとまりのようなものや時にうっとうしくなるかもしれない(私はそう感じたことはないけど)温かさは新鮮で、羨望を感じることもある。
たとえば今回の震災のときも、結婚式や法事でしか顔をあわせる機会がなかった親戚ですら、ナオさん大丈夫?なにかあったらいつでもこっちにおいで、と連絡をくれたりするような。

夫にそういうと、それは在日一世である夫のハルモニ(祖母)の教えで、
常に親族一同で助け合うこと、をK家の家訓としていたというのが大きいと思う、という。なるほど。

私は産まれてくる子どもには、いくつになっても家族や親族と仲の良い子どもになってほしいと思っている。
私のようにいつも距離を置こうとするのではなくて。
そのためにしたほうがいい具体的ないくつかのことをしようとも思っているんだよ、と夫と話す。
そうやな、そのほうがいいと思うで、と夫。

昼はパスタキッチンへ。
にちようびは休みのオーナーシェフが、今日は応援、といって仕事に出ていた。
ラッキーだ。
やっぱりシェフがつくるものは味が全然違う。

夫が少し仕事にいくというので、
私も手伝いに高田馬場の事務所へ。
夫の仕事を手伝えるのはうれしい。

夕方、帰宅。
いつもなら昼寝をする夫、仕事部屋にこもって仕事のつづき。
忙しそうだ。

妊娠後期、おなかの張りがますますひどい。
横になっていない限り常に張っているし、
眠っているあいだも張っている模様。

ちびちびはしかしそんなことをものともせず暴れまわっている。
元気な子どもだ。