私と出会った人は必ず幸せになる!
生きづらさ解消の専門家
心屋カウンセラー

うえのゆり(ゆりちゃん)です。

 

 

わたしの人生~大学その1~の続きです。

 

 

 

だんだんうつ状態がひどくなって


対人恐怖症の症状で


外に出ることが


できなくなってきていきました。

 

 

 

彼が買い物をしてきてくれ


食事の準備や家事などもしてくれました。

 

 

 

彼をお母さんたちに


紹介したのはいつかな?


忘れたけど。


私がうつのときに


世話してくれていたので


彼のことは受け入れてくれました。

 

 

 

彼のおかげで今、生きてます。


ありがとう。

 

 

 

このころには


お母さんたちも


毎日の電話で異変に気付いていて


「家に帰ってくるように」と


言われることが多くなっていました。

 

 

 

確か1年生の7月くらいだったと思います。


業を煮やしたお母さんが


おばあちゃん、お兄ちゃん


看護師であるおばさんと一緒に


長崎まで私を連れ戻しに来ました。


ここで、1年の後期は休学が決定しました。

 

 

 

最初は説得していたけど


頑として譲らない私。

 

 

 

いろいろ悶着した後


彼が一緒なら帰ると言って


実家に帰りました。

 

 

 

それからは


おばが探してきた精神科の病院へ


1ヵ月?(忘れました)くらい


入院することになりました。

 

 

 

担当の先生と相性がよく


当時の看護部長さん


そこの臨床心理士さんが


丁寧に話を聞いてくださり


サポートしていただいたおかげで


心も元気になってきました。

 

 

 

その3人に出会ったおかげで


今、私はこんな風に


生きていられるんだと思います。

 

 

 

入院していても


「嫌」が言えなくて


我慢ばかりしていました。

 

 

 

離人感も激しく


常に孤独で


つらかった記憶があります。

 

毎日、死にたいと思っていましたが


なんせ、病院。

 

 

 

体を傷つけられる道具がないので


過食に走りました。

 

 

 

退院後、通院しながら


実家で療養していたのですが


このころは「死にたい」という気持ちが強く


リスカやオーバードーズ(薬の過剰服用)


首を吊ろうとしたり


農薬を飲もうとしたり


どうにかして死のうとしていました。

 

 

 

リスカやオーバードーズが


できないように


刃物や薬類はお母さんが管理していました。

 

 

 

うつって一番悪いときは


体が動かないのでいいんですが

(よくはないか?)


体がちょっと元気になって


動くようになると


死にたい人は死ぬための行動を起こせるように


なるんですよね。

 

あの時期が一番


危なかったなって


今でも思います。

 

 

 

わたしの人生~大学編その3~に続く

 

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