私と出会った人は必ず幸せになる!
生きづらさ解消の専門家
心屋カウンセラー

うえのゆり(ゆりちゃん)です。

 

 

わたしの人生~中学校~の続きです。

 

 

高校時代は自分の価値観や思い込みを


真っ向から否定される経験をしてきました。

 

 

 

間違いを犯して、恥ずかしいと思う経験を


今までで1番している時期で向き合うのが


とても苦痛でした。

 

 

 

つらかったけど、記憶をたどって


ひとつひとつの気持ちを受け止めていけて


よかったなと思います。

 


===============

 

高校は通い始めて


2ヶ月ほどは順調だったような気がします。

 

 

 

中学校の同級生に部活のマネージャーに


なってほしいと誘われて


とても楽しく部活に行っていました。

 

 

 

マネージャーの先輩がすごく優しくて


私はすごく依存していてなんかすごかったなw

 

 

正直、クラスにはなじめなくて。


いじめられていたらしいのに気が付かなかったのんきな私


触れているこの人と同じクラスで


いじめられてたのかな?




わからんのだけど。


今思えば、あたりが強かったり


クスクス笑いだったり


悪意丸出しだったのか!と思います。




うん、私、いじめられておりました。


クラスになじめない、可哀想な人として


見られている気がして


居場所がなくて孤独でした。

 

 

 

進学校だったので勉強のペースが早くて


ついていけない。


難しいし、理解できてないから


なにがわからないのかもわからない。


そんな感じで授業は過ぎていきました。


自分が唯一、人の上に立てると思っていた 


勉強ですらついていけないことに


だんだんつらくなっていきました。

 

 

 

部活では、必要ないと言われても


いらぬ世話をして、気持ちを押し付けたり


迷惑がられたり、うざがられていることに


後から気が付いて、恥ずかしい思いをしました。

 

 

クラスにも部活にも居場所はなくて


できることもなくて


人からバカにされてる気がして


否定されてる気がして


可哀想だと思われている気がして


わざと明るくふるまってみたり


下手に出てゴマすってみたり


クラスには興味ないふりをして


違うクラスの人のところに行ってみたりと


いろんなことをしていました。


つらかったなぁ。

 

 

 

定期考査で初めて赤点を取って


すごく落ち込んで


追試の場所に知り合いがいたとき


顔から火が出るほど恥ずかしくて


もうここに存在することはできないと


絶望と逃げたい気持ちでいっぱいになりました。


頭が真っ白になってそのあとどうしたのか


記憶はありません。

 

 

 

高校生になって、携帯電話を持てるようになって


SNSを使って男性と知り合うようになりました。

 

 

 

学校が苦しいので、男性と仲良くなって


ちやほやされることで


発散させていた部分があります。


母はこういうのを恐れていたのだと


今はわかります。


でも男性が私の心を安定させてくれていました。

 

 

 

学校にも行かなくなって6月くらいから


違う学校の友達と遊び歩くようになりました。

 

 

 

このころ友達に一緒にリスカしようと誘われて


傷が残るのが嫌だからって


断った記憶があります。

 

だが大学でやりはじめるw


 

 

友達が一緒に遊んでくれない日は


とりあえず学校に行くふりをして


家を出て、ぶらぶらと時間をつぶしてから


見つからないように家に帰ったりしていました。


孤独やひとりぼっち、居場所がなくて


寂しくて、とてもつらかったです。

 

 

 

記憶があいまいなのですが


学校から登校していない連絡が


家族に行って、家庭訪問などありました。

 

 

 

担任の先生や保健体育の先生が


とてもよくしてくださったことを覚えています。


特に保健体育のおじいちゃん先生は


いつも味方でいてくれ


「なにがあっても、お前は俺の生徒だけんな」って


言ってくれたことがとても嬉しかったことを


思い出します。

 

 

 

よい先生たちに恵まれました。

 

 

退学をしたくらい?


記憶があいまいなのですが


病院に行って「うつ」の診断を受けました。

 

 

 

もう頑張らなくていい。休んでいい。


家にいていい理由ができたと


安心した記憶があります。

 

 

 

同時期かそのあとくらいに


お兄ちゃんもメンタルの調子を崩してしまって


病院に通院していました。

 

 

 

このころから、お母さんは急におどおどし始め


何を決めるにもおばさん頼み。


おばあちゃんは怒っていて


おばさんは急に偉そうになって


いろんな命令や暴力、暴言が増えました。


 

 

 

お母さんがそんな風に別人のように


弱々しくなってしまったのが


私の罪悪感を刺激して頑張らなきゃ!


となりました。

 

 

 

おばさんからのひどい扱いからは


誰も助けてくれない。


お母さんは私を守ってはくれない。


寂しさと孤独感も感じていました。

 

 

 

退学後、高1の2月に近くの高校に編入。


そこはまた人を見下せる環境であったこと


県外の大学進学するには


国公立の大学しか無理と言われたので


勉強を一生懸命頑張ることで


周りの雑音を聞かないようにしていました。

 

 

 

編入して1週間。


クラスメイトと大喧嘩してしまい


その後、卒業までの2年間


クラスメイトの1人だけ仲良くなったので


会話するけど、他の人とは事務的な会話以外


ほぼ話さない状態で卒業しました。


私、気が強すぎるw

 

 

 

朝から晩まで、1番遅くまで残って勉強して


積極的に質問しに行っていたので


クラスメイトからは「ひいきされてる」と


妬まれるし、陰口言われるし


いろいろあったけど


県外の大学に進学するんだって気持ちが


私を奮い立たせていました。

 

 

 

編入後もお母さんはいつも不安げで


自信がなさそうで、悲しそうで


私がこうなったからだ。


私が頑張らなきゃって気持ちになりました。


罪悪感を刺激されていたのですよね。

 

 

 

高校2年生で初めて


障害児と関わるボランティアをして


私は人生のオアシスをみつけたような


そんな気持ちになりました。


 


 

大学受験では県外の大学を無事受験でき


合格して、卒業後の3月末から引っ越して


準備をしていました。

 

 

 

お母さんを喜ばせることができた!


これでお母さんは元気になる。


家を出るって願いも叶った。


それまでの人生で一番、高揚した気持ちで


前途洋々な気持ちでいました。

 

 

 

大学で一気に崩れ落ちるんですが


その話は次のブログで。

 

 

わたしの人生~大学その1~に続きます。

 

 

★わたしの人生シリーズ

わたしの人生~幼少期~

わたしの人生~小学校~

わたしの人生~中学校~

 

 

自己紹介/用語解説

 
ご提供中のメニュー

 

SNS
ポンコツエピソード満載なFacebook
流れ星うえのゆりのFacebook
たまにブラックが顔を出す!Twitter
流れ星うえのゆりのTwitter
動いて話す私はこちら!Youtube
流れ星うえのゆりのYoutube
たまに配信してます!LINE@流れ星

https://line.me/R/ti/p/%40psv6492n

友だち追加

 

 
*リブログ、リンク、ご自由にどうぞ。

*いただいたメッセージ、メール、コメント等は
 お名前がわからないよう
  掲載させていただく場合があります。
 ご了承ください。


*いただいたメッセージ、メール、コメント、リブログ等
 全てにお返事することはできませんが
 とても嬉しく拝見しています。
 ありがとうございます。
 

ふんわりリボンお問い合わせはコチラから!→お問い合わせフォーム

 

フォローしてね

 


カウンセリングランキング