政府は貨幣(お金)を作り、国民は財(商品)を生産する。
この役割分担が経済社会の基本です。
国民は働けば働くほど誰でも財(商品)を生産することが出来ます。
しかし働いても働いても貨幣(お金)を生産することはできません。
“国民が勝手にお金を作ってはならない”そういう法律があるのですから当然です。
ところが働けば働くほどGDPが増え、
お金も増えると錯覚を起こしているのが財務省を筆頭に日本の経済学会であり、主流派の政治家達です。
働いて財(商品)を大量に生産しても売れなかったら、国民はお金を得ることできませんが、
そんな事お構いなしに、それを働いていないというのが今の日本の主流派の考えです。
例えば、キャベツが豊作になれば、国民は食べきれなくて値崩れを起こし、結局生産者は破棄せざるを得なくなり豊作貧乏となることもありました。
それを主流派の人たちは働いていないというわけです。
結局、主流派の彼等は、どんなに財を生産しようと、お金を稼げなかったら、働いていないと判断しているだけなのです。
このような考えは間違いです。国民は財を生産できてもお金を増やすことができないのですから。
しかし、そのような考えを持つ彼らは、自分らこそ常識人でまともな論理人だと思いこんでいて、さらに多数派であると思っているから本当に困ります。
少し説明してみます。
財(商品)と貨幣(お金)の流れは逆方向であることにご注目ください。
例えば、
①
国民Aが1個50円のキャベツを1000個生産して、
国民Bがそれをすべて購入したとき、
キャベツ1000個は、国民Aから国民Bに移動します。
その代金5万円は国民Bから国民Aに移動します。
これを経済学では、付加価値(GDP)5万円が生まれたと称しますが、この時、お金が生まれていないことをご確認ください。
またさらに、
②
国民Aは得た5万円で、国民Cが捕獲したイノシシを5万円で購入したとしましょう。
この時、国民Cから国民Aにイノシシが移動しますが、逆に、こくみんAから国民Bに5万円が移動します。
この時、経済学ではやはり、付加価値(GDP)5万円が生じたとカウント(算定)します。
そうすると、①+②で10万円のGDPになりますが、
ところが、
貨幣(お金)の量は5万円のままなのです。
これが、
政府は貨幣(お金)を作り、国民は財(商品)を生産する。
ということの意味なのですが、
これに加えて、政府は通貨発行権を持つのですから、打ち出の小槌を持っているということでもあります。
つまり、政府が得ることができるお金は、税金だけではなく下記のように打ち出の小槌を使ってもよいということなのです。
国債発行で、銀行からお金を借りる形でお金を作ってもいいし(これも信用創造機能)
必要なら政府通貨発行でお金を作ってもいいのです。
(もちろんどちらが適切かは、その時の状況によります)