今日も定時ダッシュ -90ページ目

ゼノブレイド シナリオ

 ようやく終了。いや~長かった~。

 結局ジャンクス以降はクエストを無視して、最低限のレベル上げ以外はシナリオを黙々と進める方針で遊んでいたおかげで、ゼノブレイドのシナリオについても色々思うことが出てまいりました。

 まず、シナリオをどうこう言う前に自分のスタンスを説明いたしますと、現在のわたくしは映画ですらシナリオを大して重要だと思っていない人間で、ストーリーなんて所詮は映画がダレない程度に緊張感を与えてくれる程度のもので良いのではないかと思っております。そしてゼノブレイドにおけるシナリオは、まさにこの「プレーヤーがダレない程度にゲームの筋を通す」という点において、とてもバランス良くゲームに組み込まれていると思いました。
 
 二つの神の骸がゲームの世界であるという設定がゲーム性としてしっかり発揮されていて、普通のRPGが平面的に広がっていくことでゲームが進むのと異なり、ゼノブレイドは上下に移動することでゲームが進んで行く。それが下に飛び降りる時の爽快感(←たまに死ぬが)だったり、遠くに聳える機神の異様なビジュアルだったりと、しっかり遊びや見た目に反映されて、ゼノブレイドが面白いという理由の一端は、この世界観の表現がゲームプレイに見事に昇華されているからだと思う。

 もうちょっとシナリオ寄りの感想としましてゼノブレイドの物語の構造というのは、破壊と再生を司る神に対して「オレら生きてるんだから勝手に破壊されちゃ困るよ」という人間の話である。この神様は概念的にヒンドゥー教のシバ神のようだ。詳しくは知らんが。

 神と人間との対峙を人間側から見た話というのは珍しくはないのだが、これを神の側から、何故作っちゃ壊しを繰り返す必要があるのか、ということを人間とは別の物語として説明したのは少ないように思う。この神様は発生から不完全な存在で、それゆえに孤独を嘆いて知性を持った生物を創造するも、彼らが神を超えてしまうことを常に恐れているというアンビバレントな感情が世界の基礎になっている。ゲームは人間側からの物語しか語られないので、神様の事情は最後にドバッと台詞だけで済ましてしまうのが残念なのだが、ザンザから見た物語というのもゲームにすると中々面白そうな感じであります。

ナイト&デイ

 トム・クルーズとキャメロン・ディアスの、なんとなくどちらも旬を過ぎた感じのヨレ具合が妙に映画にマッチしていて、緩いサスペンスコメディならがも非常に楽しめる映画でした。

 映画の冒頭からトム・クルーズの怪演が光っていて、カーチェイスのシーンでキラキラ目のドヤ顔でフロントガラスに貼り付いたり、人当たりの良い笑顔を振りまきながらも「こいつはヤバい」と思わせる狂気を備えていたりと、正体が判明するまでのトム・クルーズはまさにキチガイそのものだった。でもって、そのイメージはここしばらくの奇行が目につくトム・クルーズのイメージそのままだったりして、この役はトム・クルーズだからこそ、という説得力に溢れていた。「ソルト」を蹴ってこっちを取った(←推測)だけのことはある。興行収入では負けてそうだけど。

 けれども、この映画における主役はトム・クルーズではなくキャメロン・ディアスである。「ナイト&デイ」はヒッチコックの「めまい」の男女の役割を入れ替えたような作りになっていて、事件の中心はトム・クルーズでありキム・ノヴァクなのだが、映画の中心はあくまでも巻き込まれる方のキャメロン・ディアスでありジェームズ・スチュアートである。キャメロン・ディアスの老け具合はいくらなんでもコレはダメだろうと思いながらも、トム・クルーズに翻弄されながらも映画の中心に居続けられるだけの女優というと、やっぱりキャメロン・ディアスが一番だと思う。

 映画のラストで、これまで主導権を握っていたトム・クルーズと、彼に振り回されていたキャメロン・ディアスの立場が入れ替わる象徴的な出来事が起こる。そこではもう、トム・クルーズの人外な目ヂカラはなく、訳も分からず右往左往していたキャメロン・ディアスもいない。なかなか小粋なラストでありました。

こんな人にオススメ:予想以上に丁寧な作りの映画だったので、大人のデーとムービーとして是非

ゼノブレイド ジャンクス入手後

 ゲームの中に膨大に仕込まれたクエストは、ゼノブレイドの全ての要素において色々と複雑に絡み合っている。攻略本を見ると、とあるクエストの発生フラグが別のクエストをクリアというものが結構あったりするが、こんなものはまだ序の口で、特定のキャラをメンバーの先頭にすると発生するクエスト、街のキズナが一定以上だと発生するクエスト、街の特定のキャラと会話済みだと発生するクエスト、そして単体ではなく複数のフラグを立てなければ発生しないクエストなど、デバック中に発狂したスタッフがいるんじゃないかという位に入りくんでいる。

 そんな中で結構多くのクエストのフラグになっているものに「ジャンクス入手後」というものがある。ジャンクスが活躍するシーンは、ゼノブレイドの世界の全貌がようやく明らかになる最大のヤマ場であるので、その後で受けられるクエストが多数あるというのも良くわかるのだけれども。

 けれども。ジャンクス入手後の敵の強いこと強いこと。5レベル以上の差があると攻撃が当たらないというルールの存在するゼノブレイドにおいて、平気でレベル差20なんて傍若無人な敵が出てくる。それまではクエストの分量が丁度よい具合にレベル上げの役割になっていて、ストーリーが一段落するとクエストに手をつけ、クエストに飽きた頃にストーリーに戻るとボスキャラと同じくらいの強さになっていた。あまりにも自然なバランスだったので、ジャンクス入手後までそれに全く気付かなかった程であります。

 これはおそらく、ジャンクス以後は一気にストーリーを攻略して、残りのクエストは2周目のお楽しみに残しておくという意図なんじゃなかいと思う。そうやって考えると、ゲーム序盤から異様にレベルの高い敵がウロウロしていたのは、プレーヤーを笑わせるためではなかったのだ(レベル10あたりでレベル70の鳥に瞬殺された時に、あまりのバカバカしさに大笑いした自分)。

 ただ問題は・・・二周目に挑む気力が自分にあるのかという事なのだけれど。

エクスペンダブルズ

 消耗品という意味のこのタイトル。誰もが出演者たちのかつての人気とその凋落ぶりをおちょくったものだと思うことだろう。もちろん自分もそう思った。なかなか自虐的な企画である。

 だがしかし、自分が観て「ああ、こんな奴いたよな」という気分になったのはドルフ・ラングレンとジェット・リーくらい。まあでも、この二人はハリウッド以外でも活躍の場があるので、割と洒落になっているように思う。

 ジェイソン・ステイサムは今現在活躍中というイメージだし、それ以下のキャストについてはそもそも誰か知らない。問題はスタローンと肩を並べるクラスの俳優なのだが、彼らも「かつてのスターが今は哀れな姿に」というのとはちょっと違う。

 まずはミッキー・ローク。この映画が3年前に公開されたのなら確かに痛々しかったのだろうが、「レスラー」で復活を遂げた後では逆にオーラが増した感がある。かつてスタローンと共にレストランを経営していた盟友の一方であるブルース・ウィリスはコンスタントに主演作が公開されている上に映画内の扱いも明らかに別格である。

 そしてもう一方のアーノルド・シュワルツネッガーに至っては「よくぞおでまし下さいました」と久々のお姿に見入ってしまった。確かに久々のシュワルツネッガーは脂が抜けて風貌は大人しくなったが、この人は自身の出世作の続編(ターミネーター4)を袖にしてもスタローンの要請にはキチンと答えているのだ。義理堅くていい人じゃないか。

 当のスタローンも、10年前ならまだしも、ロッキーとランボーという映画史に残る二大シリーズにケリをつけた(ランボーはついてないか?)今となっては、落ちぶれたスターというよりも殿堂入りしたというイメージがある。

 そういう訳で、消耗品のスター達は実は全然消耗しておらず、一時期の低迷期を見事吹き飛ばしたオッサン共が、洒落と分かった上でB級映画の出演を楽しんでいるような雰囲気を感じた。ここにジャン=クロード・ヴァン・ダムが出てこないのは、このヒトだけは「その男ヴァン・ダム」の傷も生々しく、どうにも哀れさをもよおしてしまうからではないかと思う。なんとなくスタッフ全員に名刺配ったりしそうだし。

こんなヒトにオススメ:やっぱり80年代のハリウッドアクションをリアルで観た同志達に観て欲しい。

ゼノブレイド クエスト

 洋の東西を問わず、最近のRPGに付きもののクエスト。ドラクエ9でも採用されて、このスタイルが広く認知されたようです。

 クエストの基本は、住人から依頼を受けて、その依頼をこなし、依頼した住人に報告するという流れになっています。ここでメンドクサイのが最後の「依頼した住人に報告する」部分で、ゼノブレイドはゲーム開始直後からクエストが受けられるシステムで、クエストの数も膨大なため、依頼した住人がドコにいるかなんて一々覚えちゃいません。しかも奴らも移動してるし。そういう訳でゲーム序盤の、まだゼノブレイドの世界や住人に愛着が湧かない時点では、依頼をこなした時点で完了というクエストが多く含まれて、煩わしさを減らしている。

 クエストのシステムは、人によっては「おつかい」と呼ばれて揶揄されている。ゲームのボリュームを増やすために本筋とは関係ない作業をプレーヤーに強いる面があるからだが、自分がゼノブレイドを遊んで感じた事は、クエストはゲームのボリュームを増すためのものではなく、ゼノブレイドの世界を隅々まで遊ばせるためのものである、という事だ。ストーリーを味わうためにゲームをする人にとっては本筋以外の作業はひたすら苦痛なのだろうけど、クエストは本筋をストップしてでも遊ぶに足りる、このゲームの世界の魅力を見せてくれる。

 Wiiは他のゲーム機に比べてパワーが足りないので、それはゼノブレイドのような大きなゲームでこそグラフィックの粗となって見えてしまう。その中でキャラクターのグラフィックの質を犠牲にしてでも舞台となる世界の美しさに力を注いでおり、燐光のザトールや流星の降るエルト海の美しさに、自分は本当に息を呑んだ。フィールドはビジュアルだけでなく、さりげなく冒険心をくすぐる地形になっており、微妙にそれた脇道が思わぬ場所に通じたり、洞窟を抜けると広大な世界が一望できる絶景が広がっていたり、とてもよく考えられている。クエストが楽しいのは、結局はそこで遊ぶ世界が魅力的だからに尽きる。