私ってブ○でしょぅ?って唐突に聞かれたら
どう答えたらいいんでしょうね^^;

1.いやいや、可愛いよ!と見え透いたお世辞を言う。
2.う~ん、よくわかんないな…
 ブ○ではないんじゃないかな…と誤魔化す。
3.人間、顔じゃない、中身だよ!と論点を変えて褒める。
4.確かにブ○だ!でも俺の好みだ!と意表を突く。
5.僕も不細工だからね、お互いさまだね…と共感に持ち込む
6.どうだろ…被害妄想なんじゃないの?といい…
 論点をブ○か否かの話題からそらす。
7.その通りだよな!とハッキリ言った後に、俺って嫌なヤツだろ?
 と自分が嫌なヤツになることで逆説的に前言を撤回する。
8.そんなことないんじゃない?とサラっと適当にあしらう。
9.そうだね、可哀想だね、と冷酷に突き放す。

などなどなどなど…
ズラズラと相手に打ち返す言葉が無数に出て来ますが、
上記選択肢に条件を重ねて行くと選択の幅は狭くなります。

まずは…
→その相手と仲良くなりたいのか(有益か?)
→その相手と仲良くなりたくないのか(無益か?)
の大きな2択!
仲良くなる必要性を感じなければ
8、9辺りとなりますが、
9は敵意を抱かれる可能性すらあるので基本厳禁。
8は一見無難なようですが、
その相手に興味なさそうな態度=否定も同然なので
そういう意味では9と同罪…

次に相手の自認…
→その相手が自分を本当にブ○だと思っている場合
→その相手が自分をブ○だと言うのは謙遜である場合
ここではその相手が本当にブ○であるかどうかは関係ありません。
前者である場合は1.2はNGです。嘘がミエミエです!
逆に後者の場合は1.2以外がNGとなります。
1.2以外は全て相手をブ○だと認める発言だからです。

相手と自分の性格、または自分と相手との距離…
→性格が明るくポジティブな場合、または付合いが親しい
→性格がネガティブで社交的でない、または付合いが浅い
前者の場合は3、4,5、7辺りを
冗談っぽく言うのも手かもしれませんが、
そうでない場合は険悪になってしまう可能性が高くなります。
よって、2・6辺りが無難かと…

まだまだチェック項目はありますが、
同じ選択肢でも相手の性格や相手との距離、
言うタイミング、相手の機嫌など
状況に応じてその意味は180度変わってしまうのが
コミュニケーションの怖いところ…

僕はコミュニケーションは風のようなものだと思っていまして、
相手がそのようなことを自分に聞くということには
求めている答え・意味・目的(風下)というのが
必ずあるはずと考えています。
ここで言う相手の求めている風下は
自分はブ○ではないということを認めさせる発言を得ること…
でなければ、吹く風の行き先がないことになりますから^^;

ポイントとしては、これをいかにワザとらしくなく
そしてニュートラルに、ナチュラルに、
相手を傷つけないように匠に受け流し、
自分を通して、心地よい風を相手に返してあげられるか…
そうすれば相手は必ず素敵な笑顔を見せてくれるはずです。
このことはビジネスも同様です。
相手の交渉・提案にはかならず風下があります。
相手の風下に立つか風上に立つか…
その力関係を交渉することを
ネゴシエーションと呼ぶのでしょう…

ま、僕が相手の子からその質問をされたら…
フツーに怒りますけどね\(*`∧´)/

そういうこと言うと怒るよ!って、
ブ○な人が聞いてたらどやされるぞ~!!ってね^^;
ブ○であることを否定しながら、お世辞とも取られず、
親身になって答えてるってことで
一石三鳥だと思いません?
まぁ、僕は36年生きてきてブ○な人を見たことがないので、
本当のところよくわかりませんが(。・ε・。)

ペタしてね
はぁ…ちょいと手抜きをしまして^^;
過去に僕が別のSNSで書いたテーマの転載です。

僕が幼い頃からその存在、魅力に惹かれて病まないのが「阿修羅」。
寺社仏閣好きの僕が大好きな仏像のひとつです…
奈良、興福寺の宝物殿にある阿修羅像はとても有名ですが、
僕はその中性的かつ美しい姿に惹かれてしまうのです…

阿修羅は元々シュメールではアンシャル
アッシリアではアッシュル、
ゾロアスター教ではアフラ・マズダと呼ばれ、
いずれも最高神に近い存在だったと言われます。
が、インドに伝来した際にアスラとなり、
太陽神となりました。
ところが帝釈天との戦いに敗れ悪魔とも魔神とも呼ばれる、
神とは相反する存在となったわけです。
(もちろん諸説ありますが…)
いわゆる堕天使ルシフェルと同じような境遇でしょうか…

ですが、後に仏法に於いてはその守護者として
八部衆に数えられる存在となりました。
善になったり、悪になったり、そしてまた善になったりと
とても興味深く思ったのを覚えています。

天使は白くて悪魔は黒い…
これもまた白人文化の中で肌の黒い者の差別を
表しているとも言われています。
敵対する相手の崇めている神は、
味方にとっては悪魔以外の何ものでもないですからね…

善悪、陰陽、表裏、勝敗、吉凶、生死、男女、幸と不幸…
物事は様々な二面性を持っています。
禍福は糾える縄のごとし…
その境目はとても複雑で見極めにくく
自分の意思で変えることがとても難しいものなんですね…
当然立場によっても入れ替わります。

自分がよい状況にある時とそうでない時、
太陽の動きによって、日向が知らない間に日陰に変わるように、
時と場合で状況も移り変わるものだと…
または周りにある物や人との関わりで好転したり、悪化したり…

正直爺さんは本当にイイ人か?
という話を過去に議論したことがありますが、
ブ○な人を見て、ブ○って正直に言っちゃう人って
嫌な人じゃありませんか?
僕はイイ人って、嘘とわからない嘘、
または聞いてて気持ちのイイ嘘をつける人だと思うんです。
ま、嘘も方便ってヤツですかね…
人を騙し欺くこと、言い逃れ、その類の嘘は悪意に満ちていて
許されるものではありません、
こっちは…嘘つきは泥棒の始まり…ってヤツですね^^;
腰を低くし下手に出るとナメられる…
立場を利用し高圧的に出ると反感を買い潰される…
そうなることは火を見るより明らかでした。
なので、必要だったのは、

相手を敬いながら、相手から信頼を得ること。

これが最も求められることでした。
テクニック、経験、センス…
その全てに於いてはるかに未熟な僕が
先達の人たちから信頼と服従を得るために出来ること…
それは体力と根気を駆使した“粘り”だけでした。

1.全ての仕事を断らない
2.人より先に根を上げない
3.相手への敬意を怠らない


とにかくこの3つのことを徹底しました。
辛い時は誰しも辛いわけです。
ですから、自分が他の誰よりも粘り強くいること…
普通なら愚痴を言う場面で堪えること…
誰もが苦手と思うクライアントを好きになること…
他の人なら出来ないような過酷な仕事を
たとえやせ我慢であっても、
さも造作もないことのような顔で
平然とこなしてみせること…ただ、それだけでした。

やんちゃしてた頃は2度ほど殺されかけましたし、
子供の頃から徹夜グセがあり、
もともと睡眠時間も短くてこと足りる方だったので、
16時間労働だろうが、20時間労働だろうが、
死ぬ気で堪えました。

このことで、
どんなベテランでも自分に対し驚異を感じるワケです。
その状況で相手を持ち上げる…
するとベテランの人たちは悪い気はしないのです。

自分を追い落とそうとする者を誰しも排除しようとします。
排除しないまでもその人のことを悪く思います。
その黒い感情は誰かに陰口を言ったり、
仕事をする時に全力を発揮できない…
などのマイナス効果として具現化してしまいます。
つまり仕事がうまくいかないわけです。
関わり合う全ての人が不幸になる状況を作り出してしまいます。

ですが、人は自分に好意的な者を排除しようなどとは考えません。
逆に何かあったら助けてやろうとさえ考えるようになります。
この作用を利用しない手はないのです。
ほんの少し、自分が驕慢に酔うことを抑えるだけでいいわけです。
僕が長年培ってきたプラスマイナスゼロの論理は
このあたりから生まれました。

僕が一時の驕慢に酔うことをプラス3とすると
僕の下で仕事をしている人(仮に3人とすると)は
マイナス3×3人
結果、マイナス6の負を生み出します。

人は自分の自慢をすると気持ちがよくてプラスになります。
人は他人の自慢を聞くと気分を害しマイナスになります。

この生み出された6のマイナスは自然消滅することはありません。
自然の摂理がどこかでツジツマを合わせようと作用します。
例えば他所で悪口を言われたり、二度と相手にされなくなったり…
酷いときには自分と接したこともない人からまで軽蔑されたり…
それは悪事千里を走る…の言葉通り、
効果覿面、自分にマイナスの効果として跳ね返ってきます。
これぞまさに因果応報…

もしこのマイナスを至るところで生み出していると
負のスパイラルが発生し、谷底へと吸い込まれていきます。
マイナス6が×2にも×3にもなってしまうことも…

逆に言えばプラスの効果も同様なワケです。
失ったマイナス分を他の人間がカバーし
埋めてくれようと作用します。
そのプラスの効果は至る所でシナジー効果を発揮し、
予想以上に自分を思ってくれたり、助けたりしてくれるのです。
その効果が発揮されると初対面の人からすでに信頼されている…など

これを生産的心のシナジー効果と呼んでます。

まさに持久戦とも呼べる心理合戦です。
焦らず、傲らず、ただただ相手を敬い、そして耐える…
相手が自分に対して、
僅かでも畏敬の念を感じてくれたらしめたものです。
勝手に動き出し、いつか、どこかで、
自分にとってプラスの結果を
もたらしてくれたりするものですから…
このことは自分と部下の関係だけでなく、
自分とクライアントの関係構築にも応用できるワケです。

僕は、仕事はセンスや技量、知識のような
可視可能なものと同様に、
こういった地固め…
目に見えない砦作りも大切なことだと思っています。

他山の石を以て玉を攻むべし…

人と人が関わり合うのが人間、
その出会いの中には一つたりとも無駄などないと
信じている偽善者です。

ペタしてね

日々の忙しさを軽減するために、
会社はフリーのデザイナーを使っていました。
多いときは事務所に4~5人が集まり、
その人たちに指示をして膨大な仕事量を分担していたのです。
みな30代~40代のベテランデザイナーばかりでした。

アルバイトだった頃は
アシスタントとしてその人たちに使われる立場でしたが、
正社員となってからは、
逆にその人たちを使う立場になりました。
自分の10倍も20倍も経験のある
デザイナーたちを煽てたり、
フォローしながら自分の仕事を手伝ってもらいました。

当初、社長の仕事と、
もう一人の役員(先輩)の仕事があり、
僕はアシスタントとして
先輩の仕事の方を手伝っていたのですが、
自身のクライアントが出来たことや
先輩がとちったクライアントを僕が引き継いでいたので、
先輩のアシストが難しくなり、
途中から僕は別チームとして一人独立させて貰っていました。

営業から打ち合わせ、デザイン制作、
見積り・請求までの一連を
全て一人でこなさなければならなかったのですが、
そのおかげで早い段階から
仕事の全体像というものを把握出来たのです。

外部の人たちは社長や先輩が食事や打ち合わせに出ると
あまり真剣に仕事をしていませんでした…
社長たちはいつも会社に戻ると、
あまり仕事が進んでいないことを嘆いていました。
その様子を見て、僕は人の使い方の難しさを実感したのです。

ある程度経験のあるベテランのデザイナーたち…
アルバイト時代を除けば、
1年にもみたない経験しか持たない僕は
そういう人たちを上手に使っていくための
方法を模索していました。

ペタしてね

その年、44名のクラスで
卒業と同時に就職出来たのは僕を含めても5名だけでした。
この年から数年、新卒にとっては就職氷河期となったため、
結果的に僕が希望の学校に合格出来なかったことが、
ある意味ラッキーだったといえるのです。
20歳にして2年の経験を持っていることは
その後いろいろと有利でした。

しかし…
過酷な日々が始まりました。
徹夜、徹夜、徹夜の日々…
月曜日に出社して金曜日に帰宅することもざらでした。
平均睡眠時間は3時間前後、
食事も5分で済ますということもしょっちゅうでした。
不健康きわまりない暮らしでした。

何せ人が少ないのでいろいろやらなければなりません。
ゴミ捨て、食器洗い、事務所の清掃、デリバリー、
それからようやくデザインワーク…
後は…見積りに請求書の発行、外部スタッフとの打ち合わせ、
それらの合間や移動中にアイデア…
処理しなければならないことが多すぎて、
精神的にもかなり参っていました。
が、
そんな僕を影ながら支えてくれていたのは
当時の彼女、今の妻でした。
妻とは10年間交際し、現在までの18年、
口喧嘩ひとつしたことはありません…
妻は常に僕の考えや行動を肯定し、
自信とやる気を高めてくれました。
そのおかげで僕は何度挫折しても
立ち直ることが出来たのだと思います…

人間、そんなに強いものではありませんから…
常に自分の心の中に安全地帯とも呼べる、
心を安息させリセットさせられる
逃げ場のようなものが必要なのだと思います。
それが人であっても、物であっても、場所であっても…

今、僕は自分と関わり合う人にとって
自分がそんな存在になれたら…
と常日頃思っています。


人は自然治癒力を持っています…
傷つき倒れ、挫折し、反省し、後悔し、
まさに七転八倒…
七転八起…いろいろ経験してみればいいのだと思います。

人は悩み、傷つき、後悔することで多くを学び、
次への展望を自ずと考え、
そのキャパシティを増やしていきます。
ですから、失敗することや傷つくことを軽減することよりも、
その病んだ精神をリセットする方法こそが
重要なのだと思っています。

心をリセットする安全地帯…
それはまさに薬のようなもの…
頼ってはいけないし、服用しすぎてもいけません。
改善・改良してやろうなどとは傲慢なんです。
人ってもともと生命力に満ちていますから…
もとの軌道に戻してやるくらいでいいのです。

そりゃ人道に反することは諫めなければなりませんが、
その人がやりたいこと、
進みたいと願う道を肯定し、励まし、
見守ってあげるだけでよいのではないかと…
人ってアドバイスとか必要な時は、
既に自分なりの結論を出していたりするものですから^^

信は力なり…

アドバイスとは…
正しい道や答えを指し示すことではなく、
その人が正しいと信じた道を肯定し、
信じ込ませてやること…
これが僕が十年以上に渡り、
部下を育ててきて思ったことです。

信念を貫き行動する人間のパワー、
それは計り知れないですよ^^




何も持っていない僕には退却する場所はありませんでした。
まさに…それこそ、背水の陣でした。
上司は優秀なデザイナーでしたが、
コミュニケーションやマネージメントが苦手な人間だったため、
度々その尻ぬぐいをさせられました。
ただ、そのおかげで、クライアントからは信頼を得ることが出来、
上司を差し置いて指名で仕事を受けることも増えてきました。
学生バイトでありながら、
数々の有名企業の本社に出入り出来る機会を貰えたのです。
とにかく徹夜の日々でしたが、
僕は虎視眈々と出世の機会を狙っていました。

学校には通っていましたが、
もうほとんど学校での勉強は無意味でした。
学生が1ヵ月ほどかかって作る作品は
プロの世界ではほぼ1日…それも何案も作ります。
アイデア段階のサムネールでは30案40案50案・・・と
その数も桁違いなのです。
様々な制約…条件、立場、競合他社の動向やターゲットの特性…
加味しなければならない要素が複雑に入り組んでいる上に
予算や納期も限られています。
条件を自由に設定出来て時間的にもゆとりのある
学校の課題はもはや苦ではありませんでした。

そして在学中、デザイン業界にも不況の煽りが来ていました。
バブル崩壊の余波でした。
通常の業界にワンテンポ後れて、その波が押し寄せたのです。
学校に張り出されていた求人の知らせは激減しました。
掲示板いっぱいに張り出されていたものが、
ほんの数枚程度にまで減り、大手プロダクションも
新卒の採用を見送る方向に出たのです。
学校内では大騒ぎとなりました。
就職出来ない可能性の高い生徒が大勢出て来たのです。

そういう意味で、僕はラッキーでした。
在学中に2年の経験を積めたため、
卒業時には3社から声がかかっていました。
結局、僕は2年勤めたアルバイト先のデザイン事務所に
正社員としてそのまま勤続することとなったのです。
月給14万だった給料は、卒業と同時に20万となりました。
もう一人のアルバイトの子は、
卒業と同時に別の制作会社へと移りました。

2人の役員と僕のみの3人の会社…
忙しい時は、全てフリーの外部のデザイナーを
かき集めて対処しました。
狭い事務所に少ない人数…多くの赤字を抱えた
デザインの制作プロダクション…
それが僕のデザイナーとしての出発点でした。

ペタしてね
正社員(役員)2人、アルバイト2人…
ボロアパートの一室にある小さなデザイン事務所でした。
面接はその場で採用となりました。
翌日から出社しました。
驚いたのは、出社すると社員の一人が床で寝ていました。
床は紙くずだらけで、前夜の激戦を物語っていました。

もう一人1歳年上のアルバイトの女の子がいました。
その子もデザイナー志望の夜学生でした。
僕らの仕事は基本、ゴミ出し、デリバリー、
資料集めなどのデザイナーのアシストワークでした。
それと、空き時間は線引き…
Macのなかった時代ですから、
線はロットリング(その前は烏口)という
専用のペンを使って引いていました。
始業から終業まで…B3の用紙に0.1mmの線を1mm間隔で、
紙面がグレーに見えるようにびっしりと引くワケです。
根性試しのような修行でした。
それだけで辞めてしまうデザイナーも大勢いるようでした。

10:00に出社し、
17:00には退社、
18:00から21:00まで学校、
帰宅してから夜中まで学校の課題…
やはりヘビーな日々でした。
しんどさに耐えかねてか、
もう一人のアルバイトの女の子は
週5日から週3日になっていました。
かなり僕の負担は増えていました。

そして夏休み…学校が休みなので、
僕は強化特訓ということで終業時刻になっても退社せず、
先輩たちの仕事を深夜まで手伝いました。
時には翌朝まで、一緒に徹夜しました。
女の子は学校とともに夏休みはバイトも休んでおり、
雑務も含め全ての仕事を僕がしなければならなかったので、
当時は休んでいたその子を恨みました。
だって、残業しても徹夜しても給料は一緒だったんですから^^;

しかし、そのおかげもあってか、いち早く線引きを卒業し、
版下(当時そういうもので印刷へ入稿していた)作りを覚え、
そしてレイアウトの手伝いなど…
夏休みが終わる頃には仕事内容の大半が
デザインワークになっていました。
日常の雑務のほとんどが女の子の方に回されたため、
アルバイトを初めて2ヵ月あまりで、
僕は小さな仕事を任されるようになっていました。
クライアントとの打ち合わせにも顔を出すようになりました。
17:00の退社も17:30となり、18:00となり
度々学校に遅刻することも出ていました。
仕事が忙しい時には、学校が終わってから事務所へ戻り、
翌朝まで徹夜で仕事をすることも多々ありました。

会社は全体的に赤字でしたが、
社長が僕の努力と成長を買ってくれていたため、
2ヵ月に1度くらい特別の賞与(10万くらい)をくれたので、
月給は14万でしたが、自宅から通っている僕は
生活にはそれほど不自由しなかった気がします…
ま、でも月給の半分は親に持って行かれましたが^^;

そしてその頃から、
前のバイト先で知り合い、心を寄せていた子と
本格的に交際するようになりました。
忙しい毎日ではありましたが、
週に1度は必ず会っていたと思います。

ペタしてね


親父が病で倒れ、経済的ゆとりのない僕に
遊んでいる暇はありませんでした…
浪人時代やっていたアルバイトを継続しながら、
夜、デザインの専門学校に通いました。

しかし、夜学というのはいろいろな人がいます。
一度大学を出た人、会社を辞めてもう一度勉強をしにきている人、
すでにデザイン会社で仕事をしながらの人…などなど
学校で気になったのは授業以上に
休み時間や学校帰りに交わされる仕事の話でした。
数人の友人は知識も経験も豊富で、
僕の知らないことをたくさん知っていました。
焦りました…
自分がいかに遅れを取っているか…

次の日から就職課でデザイン会社での
アルバイト先を探しました。
給料は最低限あればいいので、
僕の中で条件というものはほとんどありませんでした。
学生の間にプロの現場に触れられさえすれば
会社などどこでもよかったのです。

手頃な会社が4社ほどあり、片っ端から電話しましたが、
僕がまだ1年生だという理由だけで3社落とされました。電話だけで…
そして最後の4社目…面接をしてくれることになりました。
拍子抜けでした。年齢も学年も経験も聞かれませんでした。
作品もなくてもよいと言われました。
不思議に思いましたが、面接をして貰えるだけで光栄でした。

18年勤め、現在僕が営むデザイン会社との出会いが待っていました。
心を改め受験勉強に専念していました。
自業自得なのですが、大幅に遅れをとっていました。
希望の大学への合格は絶望的でしたが、
全力投球しました。

その頃アルバイト先で知り合った子に恋をしました。
僕と同い年…大学の一年生でした。
男性と付き合ったこともないという、
田舎から出て来たばかりのピュアな女の子でした。
受験勉強のさなか、たまにお茶したり、食事をしたり、
いろいろ励ましてもらい元気をもらいました。
この女の子が今の僕の妻となる人でした。

恋もし、アルバイトもし、正直、なめた受験生でした。
当然希望校には合格出来ませんでした。
ですが、この希望校に合格出来なかったことが、
怪我の功名と言うべきか、負け惜しみとも言うべきか、
僕にとっては良い結果を生むことになるのでした…

人間万事塞翁が馬…

どこでどういう道が開けるかわからないものです…
兵法と同じで、人生も時と場、人との関わりの中で
流れのようなものを見極めて動くことこそ、
最も大切なことなのかもしれません…

結局、僕は某デザイン専門学校の夜学に入学しました。
昼間部はそこそこ難関の学校でしたが、
夜間部は倍率も比較的低かったので無事合格出来ました。
金ない、コネない、学歴ない…
ないものづくしの僕に、いばらの道が待っていました。
遊びまくり、悪友とつるみ、
喧嘩やナンパに明け暮れる日々でした。
受験勉強は片手間となり、歌舞伎町に入り浸り…
いい気になっていました。
いきがっていました。

ある日いつもの連中と別れ、
深夜、親しくしていた親友とそいつの車で
某海岸を流していました。
数台の族に絡まれ、乱闘に…
相棒は仲間の中でも最っも腕っぷしの強いヤツで
8人相手に2人で大立ち回り。

あまり強くない相手だったとはいえ思わぬ大苦戦…
死闘の末、相手に大きな打撃を与えて
なんとか追い払ったものの
僕は前歯を5本損傷、全身打撲、
意識も失うほどの重体で病院に担ぎ込まれました。
情けない話死にかけました^^;

入院中大きな反省がありました。
ヘタレの僕は全てのことが怖くなっていました。
受験などやめてそっちの世界で生きようか…
などと考えていたことが馬鹿らしく思えていました。
死ぬことなど何とも思っていなかった自分を
恥ずかしく思いましたが、
同時に生きていることの喜びを実感しました。

退院を境に受験勉強に専念することにしました。
お金のことがあるので、
夜中のバイトだけは辞められませんでしたが、
しばらく休んでいた予備校に復帰して、
再び受験を目指しました。
もう秋も終わりに近づき、
冷たい風が吹き始めた頃でした。