人はなぜ生まれ、なぜ生きるのか?
生まれてきた意味はなんなのか?
死んだらどうなるのか?
誰しも考えることだと思います。
カントが言うように
死後の世界のような超次元的なことは
いくら考えてもわからない…
と言うのがリアルな話ですが
今ではこの世界が多次元の中の1つの
ホログラフィー世界に過ぎない…というような
多次元論も生まれていますし
さまざまな化学的な仮説も生まれています
そこをいくら考えてみても
今の自分の生活がどう変わるか?
と言うこととは関わりはなく…
なので僕は人生を
自分というキャラを操作する
ゲームだと思って生きています
面倒だしやめとこうかな…
後にしようかな…
もうどうでもいいや!
と思うことって多々ありますが
自分は、あるゲームや漫画・映画の主人公を
操作しているゲーマーだと
考えると見方も変わってきます
何してる!がんばれ!お前!
と自分を動かそという気持ちになるもんです…
恋愛ドラマを見ていて
主人公がもどかしい時やうっとりするラブシーン
ヒーロー映画を観ていて
頼りない姿を見る時や勇敢な姿を見る時
客観的に観ている私たちは
無責任に苛立ちや感動を感じたりしますが
それは自分の心の投影でもあります
うじうじしている姿は自分の情けない姿への苛立ち
勇敢な姿は自分ができないことへの憧れ
それを人は共感と呼びます
であれば自分を俯瞰から客観的に操作してみてはどうか?
と考えると人生なかなか面白い!
失敗したっていいんです
所詮、最悪、死ぬだけのことなので
死ぬと言うのは、いわばゲームオーバーのこと
大したことではありません
ちょっと宗教的かもしれませんが
このゲームは、いかに徳を積むかが
ゲームオーバー後のポイントになっていて
そのポイントが高いほど次のゲームで
いい条件でスタートできると思っています
(いわゆる輪廻というもの)
ポイントがマックスになった人はゲーム卒業!
もう苦行である3次元世界で
シミュレーションしなくていいわけです
(いわゆる解脱というもの)
ただ、ポイントの高低は人が決めたルールとは
異なるジャッジかもしれませんが😁
逆にインチキをした場合、リタイヤした場合は
かなり不利な状況からゲーム再開
させられるんじゃないかと思います
なので、親になぜ自分を産んだのか?
ということを考えてもナンセンスだと思います
親が自分を産んだのではなく
その設定からスタートするために
自分が親の体内に送り込まれたと
考える方が自然だからです…
あ、これまでの話は
全く宗教的、科学的に根拠のない話で
あくまで僕の人生観でしかないので悪しからず😁
あくまで生きる意味から生み出した
僕の人生哲学です
だから、毎日自分を罵ればいいし、
時々自分を褒めてあげること
操作している自分の動きが悪ければ
その原因を探してみることも
ある意味楽しかったりします!
ゲームでレベル上げが苦ではない人は
できるんじゃないかな…きっと