1245)冬の山崎(3)ー白鳥・雷鳥・しなの・EF58荷物列車ー昭和55年1月18日の朝 | 千葉の鉄道、そして Now & Then

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の続きです。

 

 1980(S55).1.18 8:26 4013M 雷鳥5号(後追い)金沢行

 列車番号の4001M~(日本海縦貫線のトップナンバー)は「白鳥」に割り振られ、その続番は 以前は大阪~新潟の「北越」、ダイ改以降は新潟行き「雷鳥」に割り振られていました。従って「雷鳥」は 4011Mからです。

 朝の発車順に、4011M雷鳥1号(大阪7:05発の富山行)、

 4003M雷鳥3号(大阪7:35発の新潟行)、と続いた3本目で、4013Mは大阪8:05発です。

 16往復の雷鳥の内、581系(大ムコ)4往復以外はサワ(金沢運転所)とムコ(向日町運転所)の485系6M6Tで運転されており、もともと11連だった関西系統一編成に 9号車サハ481 を挿入した12連。大阪方1号車から

 Tc M'M Ts Ts TD M'M T M'M Tc(12号車)➡新潟方

 エル特急ですので自由席があり、新潟方10~12号車が自由席。

 Tsはサロ481,TDはサシ481。

 

 山崎の下り本線(外側線)のさらに外側に側線があり、コキが積載状態で10両くらい留置されています。ここはもう貨物扱いは無いはずなのに・・と気になりましたが、機関車の姿は無くわかりません。もしかしたら廃車待ちの留置車両なのかもしれません。

 

 朝の小雪がやみ、いい晴れ間が広がりました。

 

 8:52 4049Mしなの9号 塩尻方1号車はクハ381-11(長ナノ) 

 大阪8:30→10:55名古屋11:00→13:10塩尻13:15→13:27松本13:31→14:25長野

 号車番号は塩尻方が1号車と、東海道本線とは逆、中央本線の列車と一致します。

 このころは塩尻はまだ旧駅で、甲府・新宿方面までスイッチバックせずに行けました。そのまま新宿までたどると1号車が四ツ谷方、さらに起点の東京駅までたどると、東京駅ホームにて東海道本線と一致することがわかります。全国をたばねる国鉄は 東京駅中心主義。

 後方の6号車にサロ381が入り、塩尻方1~3号車が自由席でした。

 

 4049Mしなの9号(後追い)

 編成の構成は MM'ユニットの奇偶数方向が東海道と一致し、奇数方が東京方。

 当時は長野運転所所属で、長野に帰ると 信越本線の「あさま」189系などとは逆向きになります。これはこのあと,S58年7月5日に岡谷~みどり湖間の塩嶺ルート開通、塩尻駅移転、神領電車区に移動、の時に塩尻以北が逆向きになったことにより解消されました。

 

 

 回5001M「白鳥」用の485系12連 

 クハ481-346 盛アオ の8M4T 

 大阪10:18→17:24新潟17:30(S.B.)→23:50青森

 「回送」幕ではなく良かった。でも当時はこれが標準運用だったかも。

 クハ481の300番台はまだ新製まもなくで、屋根の銀色がキレイ。

 

 大阪⇔向日町 を往き来する回送は、列番が 本列車+1000です。同様の例は、上野を出入りする尾久や東大宮間との回送にも適用され、そちらは本列車+50だったかと思います(貨物が無かったから 51~も使えたのだと思います)

 

 

 回5001M(後追い)

 雪国の所属のため、西日本の485系ならば 6M6T のところ、積雪対応強力編成の 8M4T となっています。

 新潟方1号車は クハ481-349。 

こちらより Tc M'M M'M Ts TD M'M M'M Tc→大阪方 (8M4T)

 (表記TD は全室食堂車、Tdをビュッフェとしています)

 新潟でスイッチバックします。従って、所属の青森運転所に戻った時に 他の485系等と MM'ユニット、号車番号とも向きが揃います。ということは、北陸本線内では雷鳥等と号車番号が逆で、1号車が新潟方。3両ある自由席は、並ぶ客の混乱を防ぐため雷鳥に合わせて新潟方の3両でしたが、それは1〜3号車が付番されています。

 

 屋根に積もる雪は、昨夜北陸方面で乗せて来たものなのか。

 

 9:29 171レ 

 雪が残る三島郡大山崎町を ワム+タキ+ヨなどの普通貨物がトコトコと行く。

 なにげなく撮った1枚ですが、当時の大山崎のしっとりとした雰囲気が感じられる 好きな1枚となりました。牽引機はたぶん EF60だったような? 

 ここから、神足(こうたり のちの長岡京)~山崎間に移動しました。

 

 9:43 荷39レ EF58 118(米) +マニ60等

 汐留21:28~名古屋5:40~10:05大阪10:31~23:51東小倉

 EF58が多かったころには 米原区所属車はバリエーションが少ないのか、稲沢所属と並んで人気はやや低めだったかと思います。大窓も無かったし。人気筆頭は 東京、次に宮原、そして浜松。このころ東京には(お召し等の特例を除いて)ほぼ配置が無くなっていたかもしれません。人気が低め といっても、ゴハチとなると必ずといっていいくらいカメラを向けましたが。

 まもなく 東海道の荷レが信越本線を下山した EF62牽引になるとはびっくり!思ってもいませんでした。

 

 ここの手前側に、徒歩だけ渡れる小さな踏切がありました。その西側は民家や小さい畑に続いていて、阪急京都線との交差部を見下ろすことができました。今ではどうなっているかわかりません。

 

 荷39レ(後追い)

 マニから蒸気暖房の蒸気がもれ、寒い朝らしい1枚。

 

 このあたりには8往復の荷物列車があり、時刻表(大判)の該当ページ最後部に掲載されています。1978(S53).10.2改正から拾ってみます。

 

荷31 汐留9:33→19:04京都19:16→19:50大阪20:27→18:47東小倉

荷33 汐留12:39→21:29京都21:55→22:30大阪22:50→16:00熊本

荷2033 盛岡15:25→(東海道経由)→0:30京都

荷35 汐留14:52→0:37京都1:00→1:35大阪1:58→20:12熊本

荷4048 青森0:57→2:26米原3:00→4:24京都4:50→5:33大阪

荷37 汐留19:20→4:54京都5:23→6:00大阪6:34→18:18東小倉 

荷39 汐留21:28→9:05京都9:26→10:05大阪10:31→23:51東小倉

荷2031 汐留23:41→11:15京都11:55→12:36大阪13:19→1:15東小倉

 もちろん上りも同じ規模。

 

  (以降、続きます)