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本の虫凪子の徘徊記録

新しく読んだ本、読み返した本の感想などを中心に、好きなものや好きなことについて気ままに書いていくブログです。

【再読】  椰月美智子『しずかな日々』 講談社文庫

 

本日はこちらの作品を再読しました。

小学生の男の子を主人公に、彼が少しずつ成長していく様子を描いた作品です。

「夏休み」の場面が大部分を占めているので、かなり夏を感じることができます。

それでは早速、内容について書いていきたいと思います。

 

以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。

 

この物語の主人公は、母子家庭で育った小学五年生の男の子・枝田光輝。勉強も運動も苦手で内気な性格の少年ですが、クラス替えで明るくてお調子者の押野と友達になり、それをきっかけに少しずつ、自身の性格も明るくなっていきます。押野からつけられたニックネームは「えだいち」です。

それまでのえだいちの世界には、母親と自分しかいませんでした。二回の転校経験があり、友達を作るのも苦手。学校では一人で、放課後は寄り道せずに真っ直ぐ家に帰り、簡単な家事をこなし、母と二人でご飯を食べる。母との仲は良好ですが、会話の少ない静かな生活でした。
それが、押野との出会いから一変します。
彼に誘われたのがきっかけで、放課後には三丁目の空き地でクラスや学年、学校も違う子たちと草野球をするようになります(下手っぴですが)。人との会話に慣れていないえだいちは、最初こそおどおどしていたものの、だんだんと他者とのコミュニケーションや自分の意見を言うことを恐れないようになっていきます。ヘタクソ、とからかわれることすら楽しい、と思えるようになったえだいち、大きな進歩です。クラスでもしっかり自分の意見を言えるようになりました。
担任が、光輝の意思を大事にしてくれる椎野先生だったのも良かったと思います。

その後、母の仕事の都合で引っ越すことになったのですが、当然、えだいちは転校するのを嫌がります。
最終的には母だけが引っ越し、彼は近くに住んでいるほとんど面識のない祖父のもとに預けられることになりました。

この祖父の家で過ごす夏休みが、物語の中心になっていると言っても良いでしょう。なんてことのない日常が、丁寧に描かれています。
広い庭、どっしりとした古い家、貫禄のある祖父の顔。はじめは緊張していたえだいちも、徐々に祖父との生活に慣れていきます。さすがに子供は順応が早いですね。
朝早く起きて掃除をし、朝ごはんにすっぱい梅干し入りの巨大なおにぎりを食べる、非常に健康的な生活です。時期は夏休み。庭で素振りをした後、ラジオ体操に行きます。家では水撒きや廊下の雑巾がけをしたり、宿題をしたり、テレビや読書をして過ごしたり、それから三丁目の空き地で押野たちと遊んだり、プールに行ったり、夏休みを満喫しています。良いですね。

これぞ田舎家、というようなおじいさんの家の描写が大好きです。
築百年以上経つという、柱も床も黒光りした木造の家。クーラーもないのになぜか涼しい。きっとほんのり線香や藺草の香りがするんでしょう。どっしりとした雰囲気は、どこかお寺を思わせます。生活感のあるお寺。私の母の実家がこんな感じなので、読んでいるといつも懐かしい気持ちになります。
ギュウギュウ詰めの冷蔵庫が妙にリアルでした。田舎の冷蔵庫って、大家族でなくても常に物がギュウギュウに詰まっているイメージです。買い置き、作り置きが多いからでしょうね。
おやつには熱いお茶とぬか漬け。風呂上がりには、縁側でうちわと麦茶で夕涼み。滅茶苦茶風流な生活です。日本の夏を全力で楽しんでいます。羨ましい。
終盤で押野や他校生のじゃらし、ヤマが泊まりに来る場面は読んでいて楽しい部分です。
友達同士でスーパーに買い出しに行ったり、狭いお風呂場で大騒ぎしたり、縁側でスイカの種を飛ばし合ったり。みんな本当に楽しそうで、私も混ざりたいくらいです。

それから、おじいさんと暮らし始めてからはご飯の描写がとても美味しそうになるので、読んでいるとお腹が空いてきます。
おじいさんがガス釜と井戸水で炊き上げるほっかほかのご飯と、しっかり出汁をとった味噌汁。なんて贅沢なんでしょう。やっぱり日本人には米です。白いご飯。ちなみにおかずはえだいちの担当。おじいさんが甘い卵焼き好きなのは少し意外でした。私はちょっと甘めくらいが好きです。
お泊まりのときのお好み焼きや手巻き寿司、それから押野のお姉さんが作るお菓子も美味しそうでした。それから、押野が遊びに来た日の昼、二人でポテトチップスをおかずにマヨネーズ入りのカップ焼きそばを食べるシーンも結構好きです。ジャンク。何だかすごく「夏休み感」がありました。夏休みのお昼って適当に済ませがちな印象があります。少なくとも私が子供の頃はそうでした。親がいないときはインスタントラーメンとか、あるものを適当に食べていた記憶があります。まあ、家庭にもよるとは思いますが。

他に印象的だった場面は、押野がえだいちに、ロボットの工場や宇宙の話をするところです。無邪気な腕白坊主が、意外にも深い考えと豊かな想像力を持っていたことが明らかになります。自分の世界がある、というのは本当に素敵なことだと思います。そして、それを打ち明けられる相手、笑わないで聞いてくれる相手がいるというのも、本当に素晴らしいことです。えだいちにとっては押野との出会いが人生の転機となりましたが、押野にとっても、えだいちとの出会いはかけがえのないものだったと思います。
中学卒業後は別々の道に進み、お互いに会うこともなくなったようですが、この先どこかでばったり遭遇するようなことがあれば面白いですね。

そういえば、主人公の母親のその後について書くのを忘れていました。この母親、詳細は不明ですが、恐らく新興宗教関連の仕事をしていたようです。教主、教祖かもしれません。別れて以降は疎遠になり、えだいちの誕生日くらいにしか顔を見せることはありませんでしたが、終盤では、紫色の着物を着て、唇と爪は真っ赤、眉間にはほくろのような謎のしるし、という姿で息子の前に現れました。もう完全に別世界の人、知らない人です。
どうしても「息子を捨てた」という印象が拭いきれないのですが、彼女の方は一体どう思っていたのでしょう。少なくとも、一緒に暮らしていた頃はまだ良い母親でした。誕生日にはごちそうを作って、たくさん話を聞いてくれたり。
たった一人の実子を捨てて、何万人もの「息子」や「娘」を得た彼女ですが、果たして本当に幸せだったのでしょうか。彼女を主人公にした物語があるのなら、ぜひ読んでみたいところです。

最終章で、大人になったえだいちは「人生は劇的ではない」と結論づけていますが、私はその反対だと思いました。後から思い返せばそうかもしれませんが、渦中にいるときはやっぱり劇的に感じるものでしょう。
でも、辛かったことも楽しかったことも、心穏やかに振り返ることのできる「今」がある、というのは、何より素晴らしいことだと思います。ぱっと見はただ流されているようにも見えますが、えだいちの静かな生き方からは、学べることも多いはずです。
人生について、少し考えさせられます。

以上。
小学五年生の一人称小説なので、難しい言葉も少なく、非常に読みやすい作品です。国語の問題にもよく使われているだけあって、椰月さんは本当に文章がお上手です。

それでは今日はこの辺で。
 

 

 

 

【再読】  ウィリアム・シェイクスピア シェイクスピア全集『夏の夜の夢』小田島雄志訳 白水Uブックス

 

今日も暑いですね。世間ではそろそろ夏休みの時期でしょうか。

本日はこちらの作品を再読しました。シェイクスピアの『夏の夜の夢』。

シェイクスピアは悲劇や史劇よりも喜劇の方が好きです。実際の舞台演劇では悲劇を観ることが多いですが。ちなみに、訳は断然小田島先生派です。

こちらは喜劇の中でも特に有名なものの一つですね。

シェイクスピア作品を全く読んだことのない私の妹は、『ガラスの仮面』でやっていたやつ、という認識をしていました。あちらでは職人パートが結構カットされていますが、その他は原作通りだったはずです。どちらも未読の方は、まず『ガラスの仮面』から入ってみるのも良いかもしれません。

 

以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。

 

ストーリーをざっくり纏めると、人間と妖精、それぞれの抱える問題が、色々あって一晩で解決するお話です。

ストーリーの中心となるのは四人の男女です。
ライサンダー、ディミートリアスという二人の若者と、ハーミア、ヘレナという二人の乙女。
両想いのハーミアとライサンダー、ハーミアを恋するディミートリアス、ディミートリアスを慕うヘレナ、という面倒くさい四角関係です。
ハーミアの正式な婚約者はディミートリアスの方なので、彼女は嫌でもライサンダーと別れてディミートリアスと結婚するしかありません。拒めば死刑か修道院送りです。アテネの法律は厳しいので。
まあ、なんやかんやあって、最終的にはハーミアとライサンダー、ディミートリアスとヘレナの組み合わせで結婚できました。

この四人の他には、不仲なオーベロン(妖精の王)とタイテーニア(妖精の女王)、いたずら妖精のパック、劇の稽古をする町の人々などが登場します。
オーべロンとタイテーニアの嫌味の応酬が結構好きです。会った瞬間からもう喧嘩腰。今回のことに限らず、こういう夫婦喧嘩をちょくちょくしているんだろうな、という確信があります。
この二人も、最終的には仲直りしました。

シーシュースとヒポリタ、ハーミアの父のイージーアスは最初と最後くらいしか出て来ませんが、結構重要な立ち位置のキャラクターだと思います。特にシーシュース。終始名君っぽい雰囲気を醸し出していました。

物語を動かしているのは主にオーべロンとパックですね。道化のパックは小生意気で、軽快な台詞回しが特徴。『ガラスの仮面』でマヤが演じていました。非常に魅力的なキャラクターです。ロビン・グッドフェローよりパックという呼び方のほうがやはりしっくり来ます。

物語が面白くなるのは、男二人が花の魔力でヘレナに惚れてしまうところからでしょう。
シーンとして好きなのは、ハーミアとヘレナの女同士の罵り合いです。ハーミアの口汚さときたら。ハーミアは恋人の裏切りではなくヘレナに対して激怒するんですよね。
お淑やかさをかなぐり捨ててヘレナを罵るハーミア。「この爪はあなたの目に届くわよ」って、暗に目を潰してやると言っているのでは?怖いです。ヘレナの方も、ハーミアが背の低さを気にしているのを知っていて、小さいだの低いだのと繰り返すあたり、なかなか性格が悪い。この二人、問題が解決した後もしばらくはギスギスしたんじゃないでしょうか。

第五幕ラストのオーべロンとタイテーニアの歌、締めのパックの台詞も好きです。見事なハッピーエンド。大団円。綺麗な終わり方だと思います。最後のは、言うのがパックだからこそ許されるセリフですね。

何度読んでも面白い作品です。シェイクスピアの喜劇の中でもとりわけ好きな作品です。

余談ですが、職人たちの名前は何度読んでも覚えられません。ロバ頭のボトムくらいしか記憶に残らないんですよね。なぜか。

それでは今日はこの辺で。
 

 

 

 

【再読】  モーパッサン『女の一生』新庄嘉章訳 新潮文庫

 

本日はこちらの作品を再読しました。

何度も読み返している、大好きな作品の一つです。

夢や望みが一つずつ破れていき、さんざんな人生を送る女性の物語。悲劇的ではありますが、そこまで陰惨というか、救いようのないほど絶望的、というわけではありません。

長編ですが、非常に読みやすく訳されているため、割とさらっと読めてしまいます。

それでは早速、感想を書いていきたいと思います。

 

以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。

 

主人公のジャンヌは男爵家の一人娘。修道院育ちの、素直で善良なお嬢さんです。
ブロンドに青い瞳の魅力的な乙女ですが、彼女が夢見るのは華やかな生活ではなく地に足のついた結婚生活であり、ここから、素朴さを愛する性質の持ち主であることがうかがえます。感傷的で夢見がちなところは母親譲りです。

修道院を出て、両親と共に海辺の所有地であるレ・プープルで一夏を過ごすことになったジャンヌ。そこで、気さくで情熱的な美男子・ラマール子爵と出会い、彼との結婚を決めたことで、彼女の人生は大きく動き始めました。

幸せなのは新婚旅行が終わるまでで、それ以降の夫婦仲ははっきり言って最悪です。ハネムーンから帰ってきた途端、一気に甘い空気が消え、お互い他人行儀になります。正直、婚約するまでの、初めての恋に戸惑っていた頃がジャンヌは一番幸せそうでした。
子爵が実際はケチでずぼらで不作法だということが早々に判明し、みるみる冷え切っていく夫婦仲。いくらなんでも破綻が早すぎます。
まあ、初夜のときから彼の強引で自分勝手な性質は薄っすらと描写されていましたし、そのときから既に不和の徴候はあったように思います。初夜での彼の行いは、修道院育ちの初心な小娘相手にしてはかなり乱暴で、ほぼ手篭め状態でした。
基本的に彼は自己中心的で、ジャンヌの心に寄添おうとはしないんですよね。
ジャンヌの方も、夫の乱暴な態度に口ごたえできる性格ではないため、結果としてますます彼が増長していくことになります。

結婚した後、二人はレ・プープルで暮らし始めましたが、しばらくして子爵が女中のロザリと寝ていたことが発覚します。しかも、もうずっと前からの関係でした。ちなみにロザリはジャンヌの乳姉妹でもあります。ロザリが私生児を出産した際の子爵の反応は本当に最低でした。控えめに言っても人間の屑です。半ば自業自得とはいえ、弄ばれて捨てられたロザリには同情します。
夫の裏切りに絶望するジャンヌでしたが、直後に、自身も妊娠していることが判明します。その後、彼女は息子のポールを出産しました。

子爵の浮気が「貴族男性の若気の過ち」ということで水に流されたのには納得いきません。確かに、貴族の男が女中に手を出すのは、当時は当たり前だったのかもしれません。が、それでもジャンヌを傷つけたことに変わりはないわけですから、当然、子爵にも何らかの罰があって然るべきだと思います。浮気自体はまあ良いとしても、傷ついたジャンヌを前に平然としていられるその神経だけは許しがたい。

その後も彼は懲りずに、亭主持ちのフールヴィル伯爵夫人と逢瀬を重ねたりと好き放題やっていましたが、今度はそれが相手の主人にばれ、最後には夫人ともども殺されてしまいました。こうしてジャンヌは未亡人になります。
フールヴィル伯爵が二人を殺してしまう場面はなかなかにインパクトがあります。大男の彼は、二人が籠もっていた小屋を引っ張って、小屋ごと彼らを谷底に突き落としたのです。ゴリラすぎる。どんなパワーですか。
このフールヴィル伯爵は、作中でも結構好きなキャラクターです。素朴で一途な大男で、ジャンヌとは良い友人同士でした。彼と結婚していた方が彼女は幸せだったかもしれません。
ただ、この二人では恋愛はできないでしょう。なんとなく二人とも、ダメ人間というか、華やかで奔放な人間に惹かれるタイプに見えます。ジャンヌにしろ、子爵と結婚しなかった場合はまた別の駄目男に引っかかっていたような気がします。

このあたりから、ジャンヌの受難の描写が更に増えていきます。
まず母の死。そして尊敬していた彼女が過去に父の親友と浮気していたことを知ってしまい、動揺するジャンヌ。
それから、良い相談相手だったピコ神父が出世して別教区に異動になり、新しい司祭とは、最初は上手くいっていたものの、後に絶交。
二人目の子は死産、これは夫の死の直後です。
成長した愛息子のポール(愛称プーレ)は、学校にも真面目に行かず、賭博で借金を背負い込み、女と遊び、母親の愛情につけ込んで金を無心する、という絵に描いたような堕落ぶりを見せます。まあ、これに関しては、幼少期のジャンヌの度を越した溺愛が悪い方向に働いてしまったのだと思います。彼を外見が良いだけの無知で愚かな子供にしてしまったのは、彼女の罪でもあるでしょう。
そしてその後、父も死に、叔母も死に、とうとうレ・プープルにはジャンヌ一人きり。司祭からも小作人たちからも嫌われ、友達もいません。
息子の借金のせいで財産のほとんどを失い、最終的には住み慣れたレ・プープルの屋敷まで売り払う羽目になりました。
何もこれらの不幸がいっぺんに起きたわけではなく、それなりの長い年月のうちに起きた出来事なわけですが、こうして挙げていくと、ジャンヌの人生が物凄く不幸続きなものに思われます。幸福そうな場面がほぼゼロ、というのも彼女の不幸感を強調しています。
唯一の救いは、終盤で再登場したロザリの存在くらいでしょうか。彼女だけがジャンヌの頼りです。立派な百姓女になったロザリは、ジャンヌの世話をするためだけに戻って来てくれました。そして以降は無給で献身的に働いてくれます。ずるずると息子を甘やかしてしまうジャンヌを厳しく叱ってくれる、得難い存在です。

手紙で金の無心だけしてくるポールは擁護のしようもないろくでなしですが、それに流されてしまうジャンヌもジャンヌです。ロザリの言葉も右から左へと聞き流しています。
終わり近くで、すっかり老いたジャンヌが息子を探してパリの街をうろうろと彷徨う場面、あの場面のジャンヌの惨めさったらありませんでした。華やかなパリを、地味な着物を着てお上りさん丸出しでうろつく姿は、とても貴族には見えなかったことでしょう。最初の頃の、艶やかなブロンドの乙女の姿はどこにも残っていません。

一応、ラストシーンはやや明るく希望を残したものではありますが、その後のジャンヌがどのような人生を送ったのかまでは描かれていないため、勝手に推測するしかありません。ポールが余計なことをしたり、ジャンヌが孫を溺愛しすぎて息子の二の舞にしたりせず、家族三人で穏やかに暮らしてくれれば良いのですが。

最後を飾るのはロザリのセリフ。
「世の中って、ねえ、人が思うほどいいものでも悪いものでもありませんね」


本当に、何度読んでも面白い作品です。
情景描写のみずみずしさもさることながら、主人公・ジャンヌの心情描写が本当に丁寧で、女性らしく揺れ動く心が見事に描かれています。本文中の、
【人間の心というものは、どんな推理力もはいりこめぬ神秘を持っているものである。】
という一文が指す通りの、人間の複雑な感情、幸福の絶頂の中でふっと突然気持ちが沈んだり、些細なことに自分でも驚くほど強い感動を覚えたり、そういった感情の浮き沈みの表現が非常に巧みです。

人生山あり谷ありとは言いますが、ジャンヌの場合は若干不幸の方が多めでしたね。
控えめな性格は彼女の美徳でもありましたが、もう少し奔放な方が、案外楽に生きられたのかもしれません。意思が弱いわけではないものの、人や物事に対して少し受け身すぎました。
まあ私は、こういうジャンヌが好きですし、ジャンヌの生き方もこれはこれで美しいものだと思っています。真似をする気はありませんが。
感受性が強く繊細だったジャンヌ。闇の中を手探りで進むように、悩み、迷いつつも精一杯に自分の人生を生きた彼女は、個人的には、非常に魅力的な人物だと思います。

本日も良い読書時間を過ごすことができました。
それでは今日はこの辺で。
 

 

 

 

【再読】  桜庭一樹『ほんとうの花を見せにきた』 文春文庫

 

本日はこちらの作品を。

再読とは言っても、昔に一度読んだきりなので内容はほとんど覚えていません。タイトルと、読んで感動したことだけは覚えていたので、書店で見かけて思わず購入してしまいました。

私が読んだのは単行本でしたが、文庫版の表紙がこんなに可愛らしいとは。意外です。

作者は『GOSICK』シリーズの桜庭さん。『GOSICK』は確か角川文庫で読んだ記憶があります。

では、こちらの作品を読んだ感想について書いていきたいと思います。

 

以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。

 

三つのお話から成っており、バンブーという生き物が物語の中心です。 
バンブーというのは個体名ではなく種族全体を指した呼称で、その名の通り竹の妖怪。彼らは見た目こそ人間そっくりですが、若い姿のまま年を取らず、高い自己治癒能力や空を飛ぶ力を持った吸血種族です。人間の血を飲み、肉を食らいます。竹なのになぜ人の血肉を食らうのかは分かりません。ちなみに体臭はすぅっとした竹の香りだそうです。
寿命は百二十年。日光が大敵で、陽の光を浴びると焼け焦げて死んでしまうため、昼間は眠り、夜の間に活動します。鏡に映らなかったり、血液を介して同族を増やしたりと、類似点は多々あるものの、ヴァンパイアではなく「バンブー」です。分類上はおそらく植物。
元々は中国の山奥に住んでいた種族でしたが、前世紀に1グループが日本に移住し、彼らは人に紛れて隠れ住んでいます。生きた人間を襲うことは掟によって禁じられているため、多くのバンブーは死者の血を啜って生きています。
性格には当然個人差がありますが、生粋のバンブーであっても喜怒哀楽などの基本的な感情は割と人間と大差無いようです。人間と比べて特に冷酷であったり残虐であったりということもなく、吸血鬼ではあるのですが、獰猛で血に飢えた闇の生き物、といった印象は薄いです。
血は飲むが人は殺さない、という点や、厳しい掟があるという点は『ダレン・シャン』のバンパイアたちと少し似ています。

『ちいさな焦げた顔』
一番ページ数がある、メインのお話です。
舞台は東日本のとある半島に位置する町。海沿いということもあり、色んな国から流れ着いたよそ者やならず者どもが跋扈している、治安最悪の土地です。富める「上の町」ではマフィア同士が抗争に明け暮れ、海辺の「下の町」、つまり貧民街では子供が普通に売春をしています。主な舞台となるのはこの下の町の方です。強盗、強姦、殺人など、常に危険と隣り合わせの町。これでも一応日本です。多民族でごちゃごちゃしているため、それに紛れるように多くのバンブーたちが隠れ住んでいます。

このお話の主人公は、十歳の少年・梗ちゃん。人間です。
彼はマフィアに殺されかけたところをバンブーのムスタァに救われ、その後彼と、もう一人のバンブー・洋治の手で密かに育てられることになりました。マフィアの追手に見つからないよう、女装して、南子と名を変えて、ムスタァと洋治と、海辺のコテージで暮らし始めます。

髭面で陽気なムスタァと、繊細で几帳面な洋治。吸血種族だというのに、二人に陰気さや残酷さは欠片もなく、過保護とも思えるほど優しく、温かく、梗ちゃんの成長を見守ります。人間と暮らすことは掟で禁じられているにも関わらず、殺されそうな子供を見捨てることができなかった二人。仲間にバレたら死刑になることは確実ですが、それでも梗ちゃんを守り、共に暮らし続けます。相当なお人好しです。
バンブーの性質として昼間は眠っているため顔を合わせる機会は少ないものの、三人でいるときは本当の兄弟や親子のようです。

不老である彼らが、すくすくと成長していく梗ちゃんを見て感動し、大袈裟なほど喜んでいる場面が印象的でした。背が伸びた、髪が伸びたというだけで大騒ぎし、梗ちゃんが高校に行きたいと言い出したときには二人して感涙しかけます。
「なんだよ、梗ちゃん。おまえ、勉強して、受験して、高校生になるってのかよ。すげぇなぁ!」とムスタァ。
「それから大人になって、就職試験を受けて、社会人になる?あんなにちいさかったあなたが?あぁ、ほんとに?」と洋治。

いつの間にか、梗ちゃんの成長を見守ることが彼らの幸福になっていたのです。梗ちゃんを立派に育てて送り出すことが、彼らの使命であり、喜びであり、生きがいになっていました。
「あなたが希望に満ちて明るくて元気だから、ぼくたちがどんなにうれしいか。日々幸せか」
「あぁ、梗ちゃんはどんどんおおきくなるんだなぁ!来年にはもう高校生か。おまえ、ほんとにさぁ。すくすく育ってかわいいよなぁ」
二人の言葉からは溢れんばかりの愛情が感じられて、読んでいるこちらの胸まで熱くなりました。

そしてその後、ケーキ屋でバイトをするポニーテールの女子高生になった梗ちゃん。もうすっかり女装も板についています。
しかし、このあたりから物語は大きく動き始めます。

人間である梗ちゃんが、二人とずっと一緒にいたい、バンブーになりたい、と思うのは当然の流れでしょう。しかし彼らはその願いを拒絶し、人間として生きるよう彼を諭します。それに納得できるはずもなく、傷ついた梗ちゃんは二人とは少し距離を置き、偶然出会った少女のバンブー・茉莉花とつるむようになります。茉莉花は無邪気で奔放で、生きた人間を襲う、掟破りのバンブーです。そんな茉莉花と共に、夜な夜な悪人を殺して回るようになった梗ちゃん。善人が虐げられる社会に義憤を覚えての行動ではあるのですが、それとは別に、彼にも無慈悲に他者の命を奪うことを楽しんでいる節がありました。
最終的に、梗ちゃんは茉莉花共々他のバンブーたちに捕らえられ、彼女の共犯者として王の前に引きずり出されてしまいます。重ねて、彼がバンブーによって育てられたこともバレてしまいました。
王である類類(るいるい)は滅茶苦茶冷血で意地悪で、嫌な奴です。
人殺しの罰として、拷問され、左腕と片耳を千切られ、鼻をそがれ、樽に詰められて土中に埋められた茉莉花。しかし、人間と共に暮らしたバンブーへの罰は更に厳しく、火刑による死刑と決まっています。
引きずり出されたムスタァと洋治。
どちらに育てられたのかと詰問され、精神的に追い詰められていく梗ちゃん。
最終的に彼は、洋治一人を指差しました。

残酷な判断だったと思います。
梗ちゃんが、直接的な命の恩人であるムスタァの方を特に慕っていたのは、洋治も分かっていたでしょう。そして、梗ちゃんがムスタァの相棒である洋治に、少しだけ嫉妬していたことにも気がついていたと思います。それでも、七年間愛情を込めて育て続け、その成長を自身の誇りと言うほど大切に思っていた子から切り捨てられたとき、彼は一体、どう思ったのでしょうか。全てを受け入れ、穏やかに燃え尽きていった彼の最期はあまりにも悲しすぎます。
たった一人の相棒を失ったにも関わらずムスタァが意外と冷静なので、もしかすると、彼らの間ではいずれこういう日が来ることも予想されていたのかもしれません。自分とムスタァなら梗ちゃんはムスタァを選ぶだろう、という確信が洋治の中に以前からあったのだとすると、より悲しいものがあります。いっそのこと、両方指差して二人一緒に死なせてやった方が良かったのでは、という気すらしてきます。

その後、ムスタァとも別れて一人で町を出た梗ちゃんは、女装を止め、名前を変え、普通の男として、普通の人間としての人生を送り始めます。
個人的には、ここからが好きな部分です。
十年が過ぎ、二十年が過ぎ。働き、遊び、恋をし、結婚し、子供も生まれ、そういった日常の中で、徐々に過去のバンブーのことを忘れていく梗ちゃん。過ぎゆく年月の残酷さや、二つの種族が決して交わることができないという事実がまざまざと突きつけられるようでした。
梗ちゃんが茉莉花の名前すら思い出すことができなかったのにはショックを受けました。残酷ではあるものの、純粋で、南子(梗ちゃん)のことは本当に大好きだったのであろう茉莉花。土中から出てきてすぐ、南子を探し、三十過ぎの男として生活している彼を見つけ出して、真っ先に会いに来た茉莉花。相手が自分を覚えていないことを知り、失望して、涙を流しながら去って行った彼女の心情を思うと、やるせない気持ちになります。見た目で気づくことはできなくても、せめて名前くらいは呼んであげて欲しかったです。

そして終盤、六十歳になった梗ちゃんは、昔住んでいた町に帰り、懐かしい海辺のコテージを借りて自身の終の棲家とします。
死を前に穏やかに暮らす彼のもと、姿を現したのはムスタァでした。
ムスタァは自分が助けてしまった人間の少女を梗ちゃんに託すと、バンブーたちに捕まる前に、自ら陽光を浴びることに決めます。
最期まで明るく、楽しげな姿が印象的でした。梗ちゃんが初めて会ったときと何も変わっていません。大好きだったムスタァと再会し、梗ちゃんの方も幼い頃の口調に戻ります。
二人で静かに夜明けを待つラストシーンはあまりに美しく、悲しく、思わず涙が出そうになりました。ムスタァは最後まで笑っていましたね。

ちなみに、このお話の中で一番好きなキャラクターは洋治です。ムスタァと違って純粋なバンブーということもあり、何というか、清らかさというか、「竹」感がありました。
次に好きなのは梗ちゃんの恩師・ゆう先生。教育熱心で、貧民街の子供たちの将来を本気で考えていた、教師の鑑です。元生徒に刺殺され、財布を奪われて道路脇に放置、という最期はちょっと悲惨すぎました。本当に、なぜ善良な人ほど苦しい目に遭ってしまうのでしょうか。


『ほんとうの花を見せにきた』
前話とは逆に、人間と暮らすバンブー側の視点から描かれたお話です。
登場するのは女バンブーの茉莉花と人間の少女・桃。この桃は前話ラストでムスタァが連れてきた、梗ちゃんの養女となった女の子です。梗ちゃんは既に亡くなっており、線香を上げに来た茉莉花が身寄りの無い桃を拾いました。二人は定住せず、町から町へと渡り歩いては、人間から血とお金を奪って生きるようになります。一応、殺しはしません。
初めの頃は茉莉花に捨てられないよう必死だった桃ですが、徐々に茉莉花が人を襲うことに忌避感を抱くようになり、彼女から離れていこうとします。
定住して人間として生きたい、という桃。そしてそんな桃を許せない茉莉花。梗ちゃんたちとは正反対の構図です。
寿命の近い茉莉花は、せめて死ぬまでは一緒にいて欲しいと懇願しますが、桃はそのまま茉莉花から離れていきました。

桃の意見は人として正しいものかもしれませんが、どうしても茉莉花を「捨てた」という印象が拭いきれません。今まで桃が生きて来られたのは彼女のおかげでしょうに。茉莉花に引き取られたときに、世話になった養父(梗ちゃん)の方を振りかえりもしなかった、という描写もあったせいで、どうしても桃が薄情で現金な女のように見えてしまいます。悪い子ではないのですが。

その後、しばらく経ち、すっかり大人になって幸福に暮らしている桃の前に突然茉莉花が現れます。その姿は変わらず、十五歳の少女のまま。欠損した左腕と片耳、削がれた鼻。
彼女は桃に、バンブーが死に際に咲かせる花を見せに来たのです。
梗ちゃんと同じように自分のことを忘れているのかと思いきや、桃がしっかりと覚えていたので逆に驚く茉莉花。それでも、二人の会話からはお互いの感情の温度差がはっきりと感じ取れてしまいます。桃にとってもう茉莉花は懐かしい知人でしかないようですが、茉莉花は桃のことがまだ大好きなのです。だからこそ、最期の花を見せるためにわざわざ会いに来たのです。

だいすき、という最期の言葉すら伝わらないまま、白い花となって消滅してしまった茉莉花。 
せめて桃がこれからもずっと、年老いても、茉莉花のことを忘れずにいてくれれば、と思います。

体温のない茉莉花が、生きている桃の温もりを尊ぶ様子が印象的でした。ムスタァや洋治もきっと同じ気持ちだったのでしょう。


『あなたが未来の国に行く』
こちらはバンブーたちが日本に移住する前のお話です。
舞台は中国の山奥。そこに住んでいた竹族、つまりバンブーが、人間によって住処を奪われていく様子が描かれます。

主人公は竹族の第三王女。賢く好奇心旺盛で活発な少女で、内気な弟の世話を焼く良いお姉ちゃんでもあります。彼女に引っ着いて歩く末弟が可愛いです。
この主人公の名は最後まで明らかになりませんでした。まだ若いながらも王としての資質を持った気高い少女でしたが、竹族の国が人間たちに襲われた際、身を挺して弟を逃がし、自らは日光に焼かれて消滅してしまいました。
やめてください、私は年下を守るお姉ちゃんってシチュエーションに弱いんです。
竹族たちが銃や矢で撃たれ、太陽光を浴びて灰になっていく様子は酷いものでした。人間離れした力を持つ彼らも、弱点である日光の下では無力です。人間たちは野蛮な殺戮者です。

何とか難を逃れ、船で日本を目指す一団の中には、姉によって生かされた弟王子・類類の姿がありました。その手には、姉が作った新しい国の法律が。掟を絶対視する冷酷な王・類類はこうして生まれたのです。
最初の話に登場した類類は、茉莉花を拷問し、洋治を処刑した無慈悲な王でしたが、この過去編を読むと印象ががらっと変わりますね。この直後に裁判シーンを読み直してみましたが、この話の後だと、立派になったなあ、という感慨深さすら感じました。最初とは真逆の感想です。

そういえば、人間から詩集を貰った青年はやっぱり洋治なんでしょうか。


以上、全三話でした。
一番好きなのは、最初のお話ですね。
二人の吸血鬼と幼い子供、という構図は、昔、初めて読んだときにも既視感を覚えたのですが、そういえば『ポーの一族』にも似たような話があった気がします。エドガーとアランが小さい女の子と暮らすお話が。既視感の正体は多分それです。

それから、バンブーが「植物性の吸血鬼」と表現されていたのが個人的にツボに入りました。これだけだと、知らない人にはどういったものか全く想像がつかないと思います。人間そっくりの食肉植物、と言った方がまだ伝わりやすいかもしれません。

最初に書いた通り、本編の内容はほとんど覚えていなかったので、新鮮な気持ちで読むことができました。良い読書時間でした。

それでは今日はこの辺で。
 

 

 

 

【再読】  芥見下々『呪術廻戦 公式ファンブック』 集英社 ジャンプ・コミックス 

 

少年漫画、特にジャンプ作品が大好きです。

本日の一冊は呪術廻戦のファンブックです。読書と呼べるかは分かりませんが、目についたのでパラパラと読み返してみました。

本誌での秤VS鹿紫雲はアツい戦いでしたね。ここ数週で私は一気に金ちゃんファンになりました。

ちなみに一番好きなキャラクターは東堂です。脳筋っぽい見た目のわりに戦い方がクレバーで格好良い。再登場が楽しみです。

私の妹は宿儺推しです。アニメのCV諏訪部順一はちょっとずるい。アニメ化で宿儺が好きになった人、結構いるんじゃないですかね。

 

以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。

 

表紙の虎杖がトレンカ履いてるのは萌えポイントだと思います。

 

キャラクターごとの個別紹介ページが全体の五割くらいを占めています。
よくあるファンブックと同様に、キャラクター紹介はプロフィールとQ&Aから成っています。プロフィール欄に「ストレス」の項目があるのが特徴的ですね。虎杖のストレスは「理系科目(molで躓きました)」だそうです。野薔薇のストレスは「乾燥」、女の子の大敵。伏黒のストレスは「人間(9割)」。若干の闇を感じます。
京都校でストレスに「東堂」を挙げている人が複数人いて笑いました。二人いる同級生の両方からストレス認定されてるって相当ですよ。

キャラクターごとのQ&Aも面白いです。名前の由来やキャラデザについてのアンサーがあるのも嬉しい。楽巌寺学長のキャラデザはやはりネテロと山本総隊長由来でしたね。
Q&Aは東京校の生徒以外の方が、意外性があって面白かったです。特に京都校の子たちとか。

その他にも、スキルグラフや身長対比表(分かりやすかったです)、芥見先生の過去の質問&トリビア(本名を聞かれて「芥見上々(アゲアゲ)です」と答えているあたり信憑性は低いかもしれませんが)、世界観や用語の解説(術式の解説もあり)、渋谷事変前までの各話解説(個人的に一番面白かった部分です)、イラストコメンタリー、久保帯人先生との対談、など、情報が満載の一冊となっています。
久保先生の描いた夏油は何となく月島さんっぽさがあります。芥見先生のマユリも雰囲気があって良い。

私の好みが芥見先生と似ていることもあり、読んでいて非常に楽しいです。富樫先生の漫画やTYPE-MOON作品(Fateアニメでは私もZeroが一番好きです)、洋画やジャンプ以外の漫画など、芥見先生が好きなものとして挙げる作品がことごとく私の好みと同じなので、「芥見先生'sバイブル」のページが特に楽しい。私は『ぼくらの』を読んでいる人にはリアルで会ったことがありません。
ちなみに、芥見先生がよく見返しているロボアニメは「エヴァ」と「ギアス」と「エウレカ」だそうです。世代を感じます。どれも言うほどロボアニメか?という気もしますが(ガンダムなどと比べると)。

呪術ファンの中でも、芥見先生と同世代のアニメ・漫画好きな人には特に「ハマる」一冊だと思います。

原作派の方はぜひ読んでみるべきです。アニメ勢の方はまず原作を読んだ上で、こちらもぜひ。
アニメ2期も楽しみです。

 

それから、祝・チェンソーマン第二部開始。こちらも早くアニメが見たい。


それでは今日はこの辺で。