【再読】 モーパッサン『女の一生』新庄嘉章訳 新潮文庫
本日はこちらの作品を再読しました。
何度も読み返している、大好きな作品の一つです。
夢や望みが一つずつ破れていき、さんざんな人生を送る女性の物語。悲劇的ではありますが、そこまで陰惨というか、救いようのないほど絶望的、というわけではありません。
長編ですが、非常に読みやすく訳されているため、割とさらっと読めてしまいます。
それでは早速、感想を書いていきたいと思います。
以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。
主人公のジャンヌは男爵家の一人娘。修道院育ちの、素直で善良なお嬢さんです。
ブロンドに青い瞳の魅力的な乙女ですが、彼女が夢見るのは華やかな生活ではなく地に足のついた結婚生活であり、ここから、素朴さを愛する性質の持ち主であることがうかがえます。感傷的で夢見がちなところは母親譲りです。
修道院を出て、両親と共に海辺の所有地であるレ・プープルで一夏を過ごすことになったジャンヌ。そこで、気さくで情熱的な美男子・ラマール子爵と出会い、彼との結婚を決めたことで、彼女の人生は大きく動き始めました。
幸せなのは新婚旅行が終わるまでで、それ以降の夫婦仲ははっきり言って最悪です。ハネムーンから帰ってきた途端、一気に甘い空気が消え、お互い他人行儀になります。正直、婚約するまでの、初めての恋に戸惑っていた頃がジャンヌは一番幸せそうでした。
子爵が実際はケチでずぼらで不作法だということが早々に判明し、みるみる冷え切っていく夫婦仲。いくらなんでも破綻が早すぎます。
まあ、初夜のときから彼の強引で自分勝手な性質は薄っすらと描写されていましたし、そのときから既に不和の徴候はあったように思います。初夜での彼の行いは、修道院育ちの初心な小娘相手にしてはかなり乱暴で、ほぼ手篭め状態でした。
基本的に彼は自己中心的で、ジャンヌの心に寄添おうとはしないんですよね。
ジャンヌの方も、夫の乱暴な態度に口ごたえできる性格ではないため、結果としてますます彼が増長していくことになります。
結婚した後、二人はレ・プープルで暮らし始めましたが、しばらくして子爵が女中のロザリと寝ていたことが発覚します。しかも、もうずっと前からの関係でした。ちなみにロザリはジャンヌの乳姉妹でもあります。ロザリが私生児を出産した際の子爵の反応は本当に最低でした。控えめに言っても人間の屑です。半ば自業自得とはいえ、弄ばれて捨てられたロザリには同情します。
夫の裏切りに絶望するジャンヌでしたが、直後に、自身も妊娠していることが判明します。その後、彼女は息子のポールを出産しました。
子爵の浮気が「貴族男性の若気の過ち」ということで水に流されたのには納得いきません。確かに、貴族の男が女中に手を出すのは、当時は当たり前だったのかもしれません。が、それでもジャンヌを傷つけたことに変わりはないわけですから、当然、子爵にも何らかの罰があって然るべきだと思います。浮気自体はまあ良いとしても、傷ついたジャンヌを前に平然としていられるその神経だけは許しがたい。
その後も彼は懲りずに、亭主持ちのフールヴィル伯爵夫人と逢瀬を重ねたりと好き放題やっていましたが、今度はそれが相手の主人にばれ、最後には夫人ともども殺されてしまいました。こうしてジャンヌは未亡人になります。
フールヴィル伯爵が二人を殺してしまう場面はなかなかにインパクトがあります。大男の彼は、二人が籠もっていた小屋を引っ張って、小屋ごと彼らを谷底に突き落としたのです。ゴリラすぎる。どんなパワーですか。
このフールヴィル伯爵は、作中でも結構好きなキャラクターです。素朴で一途な大男で、ジャンヌとは良い友人同士でした。彼と結婚していた方が彼女は幸せだったかもしれません。
ただ、この二人では恋愛はできないでしょう。なんとなく二人とも、ダメ人間というか、華やかで奔放な人間に惹かれるタイプに見えます。ジャンヌにしろ、子爵と結婚しなかった場合はまた別の駄目男に引っかかっていたような気がします。
このあたりから、ジャンヌの受難の描写が更に増えていきます。
まず母の死。そして尊敬していた彼女が過去に父の親友と浮気していたことを知ってしまい、動揺するジャンヌ。
それから、良い相談相手だったピコ神父が出世して別教区に異動になり、新しい司祭とは、最初は上手くいっていたものの、後に絶交。
二人目の子は死産、これは夫の死の直後です。
成長した愛息子のポール(愛称プーレ)は、学校にも真面目に行かず、賭博で借金を背負い込み、女と遊び、母親の愛情につけ込んで金を無心する、という絵に描いたような堕落ぶりを見せます。まあ、これに関しては、幼少期のジャンヌの度を越した溺愛が悪い方向に働いてしまったのだと思います。彼を外見が良いだけの無知で愚かな子供にしてしまったのは、彼女の罪でもあるでしょう。
そしてその後、父も死に、叔母も死に、とうとうレ・プープルにはジャンヌ一人きり。司祭からも小作人たちからも嫌われ、友達もいません。
息子の借金のせいで財産のほとんどを失い、最終的には住み慣れたレ・プープルの屋敷まで売り払う羽目になりました。
何もこれらの不幸がいっぺんに起きたわけではなく、それなりの長い年月のうちに起きた出来事なわけですが、こうして挙げていくと、ジャンヌの人生が物凄く不幸続きなものに思われます。幸福そうな場面がほぼゼロ、というのも彼女の不幸感を強調しています。
唯一の救いは、終盤で再登場したロザリの存在くらいでしょうか。彼女だけがジャンヌの頼りです。立派な百姓女になったロザリは、ジャンヌの世話をするためだけに戻って来てくれました。そして以降は無給で献身的に働いてくれます。ずるずると息子を甘やかしてしまうジャンヌを厳しく叱ってくれる、得難い存在です。
手紙で金の無心だけしてくるポールは擁護のしようもないろくでなしですが、それに流されてしまうジャンヌもジャンヌです。ロザリの言葉も右から左へと聞き流しています。
終わり近くで、すっかり老いたジャンヌが息子を探してパリの街をうろうろと彷徨う場面、あの場面のジャンヌの惨めさったらありませんでした。華やかなパリを、地味な着物を着てお上りさん丸出しでうろつく姿は、とても貴族には見えなかったことでしょう。最初の頃の、艶やかなブロンドの乙女の姿はどこにも残っていません。
一応、ラストシーンはやや明るく希望を残したものではありますが、その後のジャンヌがどのような人生を送ったのかまでは描かれていないため、勝手に推測するしかありません。ポールが余計なことをしたり、ジャンヌが孫を溺愛しすぎて息子の二の舞にしたりせず、家族三人で穏やかに暮らしてくれれば良いのですが。
最後を飾るのはロザリのセリフ。
「世の中って、ねえ、人が思うほどいいものでも悪いものでもありませんね」
本当に、何度読んでも面白い作品です。
情景描写のみずみずしさもさることながら、主人公・ジャンヌの心情描写が本当に丁寧で、女性らしく揺れ動く心が見事に描かれています。本文中の、
【人間の心というものは、どんな推理力もはいりこめぬ神秘を持っているものである。】
という一文が指す通りの、人間の複雑な感情、幸福の絶頂の中でふっと突然気持ちが沈んだり、些細なことに自分でも驚くほど強い感動を覚えたり、そういった感情の浮き沈みの表現が非常に巧みです。
人生山あり谷ありとは言いますが、ジャンヌの場合は若干不幸の方が多めでしたね。
控えめな性格は彼女の美徳でもありましたが、もう少し奔放な方が、案外楽に生きられたのかもしれません。意思が弱いわけではないものの、人や物事に対して少し受け身すぎました。
まあ私は、こういうジャンヌが好きですし、ジャンヌの生き方もこれはこれで美しいものだと思っています。真似をする気はありませんが。
感受性が強く繊細だったジャンヌ。闇の中を手探りで進むように、悩み、迷いつつも精一杯に自分の人生を生きた彼女は、個人的には、非常に魅力的な人物だと思います。
本日も良い読書時間を過ごすことができました。
それでは今日はこの辺で。