【再読】 椰月美智子『しずかな日々』 講談社文庫
本日はこちらの作品を再読しました。
小学生の男の子を主人公に、彼が少しずつ成長していく様子を描いた作品です。
「夏休み」の場面が大部分を占めているので、かなり夏を感じることができます。
それでは早速、内容について書いていきたいと思います。
以下、内容についての記載あり。未読の方はご注意ください。
この物語の主人公は、母子家庭で育った小学五年生の男の子・枝田光輝。勉強も運動も苦手で内気な性格の少年ですが、クラス替えで明るくてお調子者の押野と友達になり、それをきっかけに少しずつ、自身の性格も明るくなっていきます。押野からつけられたニックネームは「えだいち」です。
それまでのえだいちの世界には、母親と自分しかいませんでした。二回の転校経験があり、友達を作るのも苦手。学校では一人で、放課後は寄り道せずに真っ直ぐ家に帰り、簡単な家事をこなし、母と二人でご飯を食べる。母との仲は良好ですが、会話の少ない静かな生活でした。
それが、押野との出会いから一変します。
彼に誘われたのがきっかけで、放課後には三丁目の空き地でクラスや学年、学校も違う子たちと草野球をするようになります(下手っぴですが)。人との会話に慣れていないえだいちは、最初こそおどおどしていたものの、だんだんと他者とのコミュニケーションや自分の意見を言うことを恐れないようになっていきます。ヘタクソ、とからかわれることすら楽しい、と思えるようになったえだいち、大きな進歩です。クラスでもしっかり自分の意見を言えるようになりました。
担任が、光輝の意思を大事にしてくれる椎野先生だったのも良かったと思います。
その後、母の仕事の都合で引っ越すことになったのですが、当然、えだいちは転校するのを嫌がります。
最終的には母だけが引っ越し、彼は近くに住んでいるほとんど面識のない祖父のもとに預けられることになりました。
この祖父の家で過ごす夏休みが、物語の中心になっていると言っても良いでしょう。なんてことのない日常が、丁寧に描かれています。
広い庭、どっしりとした古い家、貫禄のある祖父の顔。はじめは緊張していたえだいちも、徐々に祖父との生活に慣れていきます。さすがに子供は順応が早いですね。
朝早く起きて掃除をし、朝ごはんにすっぱい梅干し入りの巨大なおにぎりを食べる、非常に健康的な生活です。時期は夏休み。庭で素振りをした後、ラジオ体操に行きます。家では水撒きや廊下の雑巾がけをしたり、宿題をしたり、テレビや読書をして過ごしたり、それから三丁目の空き地で押野たちと遊んだり、プールに行ったり、夏休みを満喫しています。良いですね。
これぞ田舎家、というようなおじいさんの家の描写が大好きです。
築百年以上経つという、柱も床も黒光りした木造の家。クーラーもないのになぜか涼しい。きっとほんのり線香や藺草の香りがするんでしょう。どっしりとした雰囲気は、どこかお寺を思わせます。生活感のあるお寺。私の母の実家がこんな感じなので、読んでいるといつも懐かしい気持ちになります。
ギュウギュウ詰めの冷蔵庫が妙にリアルでした。田舎の冷蔵庫って、大家族でなくても常に物がギュウギュウに詰まっているイメージです。買い置き、作り置きが多いからでしょうね。
おやつには熱いお茶とぬか漬け。風呂上がりには、縁側でうちわと麦茶で夕涼み。滅茶苦茶風流な生活です。日本の夏を全力で楽しんでいます。羨ましい。
終盤で押野や他校生のじゃらし、ヤマが泊まりに来る場面は読んでいて楽しい部分です。
友達同士でスーパーに買い出しに行ったり、狭いお風呂場で大騒ぎしたり、縁側でスイカの種を飛ばし合ったり。みんな本当に楽しそうで、私も混ざりたいくらいです。
それから、おじいさんと暮らし始めてからはご飯の描写がとても美味しそうになるので、読んでいるとお腹が空いてきます。
おじいさんがガス釜と井戸水で炊き上げるほっかほかのご飯と、しっかり出汁をとった味噌汁。なんて贅沢なんでしょう。やっぱり日本人には米です。白いご飯。ちなみにおかずはえだいちの担当。おじいさんが甘い卵焼き好きなのは少し意外でした。私はちょっと甘めくらいが好きです。
お泊まりのときのお好み焼きや手巻き寿司、それから押野のお姉さんが作るお菓子も美味しそうでした。それから、押野が遊びに来た日の昼、二人でポテトチップスをおかずにマヨネーズ入りのカップ焼きそばを食べるシーンも結構好きです。ジャンク。何だかすごく「夏休み感」がありました。夏休みのお昼って適当に済ませがちな印象があります。少なくとも私が子供の頃はそうでした。親がいないときはインスタントラーメンとか、あるものを適当に食べていた記憶があります。まあ、家庭にもよるとは思いますが。
他に印象的だった場面は、押野がえだいちに、ロボットの工場や宇宙の話をするところです。無邪気な腕白坊主が、意外にも深い考えと豊かな想像力を持っていたことが明らかになります。自分の世界がある、というのは本当に素敵なことだと思います。そして、それを打ち明けられる相手、笑わないで聞いてくれる相手がいるというのも、本当に素晴らしいことです。えだいちにとっては押野との出会いが人生の転機となりましたが、押野にとっても、えだいちとの出会いはかけがえのないものだったと思います。
中学卒業後は別々の道に進み、お互いに会うこともなくなったようですが、この先どこかでばったり遭遇するようなことがあれば面白いですね。
そういえば、主人公の母親のその後について書くのを忘れていました。この母親、詳細は不明ですが、恐らく新興宗教関連の仕事をしていたようです。教主、教祖かもしれません。別れて以降は疎遠になり、えだいちの誕生日くらいにしか顔を見せることはありませんでしたが、終盤では、紫色の着物を着て、唇と爪は真っ赤、眉間にはほくろのような謎のしるし、という姿で息子の前に現れました。もう完全に別世界の人、知らない人です。
どうしても「息子を捨てた」という印象が拭いきれないのですが、彼女の方は一体どう思っていたのでしょう。少なくとも、一緒に暮らしていた頃はまだ良い母親でした。誕生日にはごちそうを作って、たくさん話を聞いてくれたり。
たった一人の実子を捨てて、何万人もの「息子」や「娘」を得た彼女ですが、果たして本当に幸せだったのでしょうか。彼女を主人公にした物語があるのなら、ぜひ読んでみたいところです。
最終章で、大人になったえだいちは「人生は劇的ではない」と結論づけていますが、私はその反対だと思いました。後から思い返せばそうかもしれませんが、渦中にいるときはやっぱり劇的に感じるものでしょう。
でも、辛かったことも楽しかったことも、心穏やかに振り返ることのできる「今」がある、というのは、何より素晴らしいことだと思います。ぱっと見はただ流されているようにも見えますが、えだいちの静かな生き方からは、学べることも多いはずです。
人生について、少し考えさせられます。
以上。
小学五年生の一人称小説なので、難しい言葉も少なく、非常に読みやすい作品です。国語の問題にもよく使われているだけあって、椰月さんは本当に文章がお上手です。
それでは今日はこの辺で。