しかしなんやね -3ページ目

しかしなんやね

人生いろいろって訳ですね

東京に出てきてTRPGをタラタラ遊んでいましたが、所々で
「女傑」
とも言える女性達に合ってきたなと最近思い返す。

彼女たちは男子が偉そうに語るTRPG論的な何かを安々と軽々とそして華麗に乗り越え、
それぞれ独自の「TRPG感」を颯爽と心を遊ばせていた。

そしてそんな彼女たちを眺める度に
「TRPGって女性向けの遊びなんかな」
と考えさせられる。


この辺の同じ衝動をコスプレイヤーさん達と一時期交流をした時にも思った事で、
彼女たちは自分の好きに真摯に真面目に取り組み心を遊ばせていた。


TRPGもシステムと世界観を使って心を遊ばせるものだと勝手に考えているのでよりそんな女傑達の戯れる姿を眺めながらこの遊びの奥深さを感じさせられる。


そして自分ももっと自由に心遊ばせるよう心がけようと思うし、
しかしそう心がける事こそ自由に遊ぶ事の妨げになるし、
考えも無しにやるとまた問題だな。

なんて事を考える。


そしてまた彼女たちのプレイをただ眺める事になる訳である。

悪意を肯定してそれを仕方なしとする考え方に疑問を持ちつつ、それでも組織に入って色々と「そんな」判断を続けてそれが社会人だと思い込みつつ、自分には及びもつかない社会戦組織戦を駆使して他者を追い落とす事に長けている人も目撃し実際に攻撃を受け、彼らには良心の呵責はあるのかなと一瞬考えたが彼らの中には自分たちのような人間を「無能」というレッテルを貼ることでその両親の呵責的な状況を「甘さ」という単語で払拭するのに長けているのかなと思う。

そしてその会社内組織内での立ち振舞に特化した人たちのお陰で、自分のようなあまちゃんがあまちゃんのまま社会に寄生するように生きる事が出来るのかなと。

今の社会活動とは経済活動であり、そしてその経済活動を法律は法人という存在を人格を持った人間として、株式会社がデフォルトな状態にして常に株が公開する株主至上主義を構築して彼ら彼女らが損しないようにする事こそ資本主義だという状態であり、それを守ることこそ正義だといううねりの中、日本は日本の組織特有の会社でのランクイコール人間としてのランクと思い込ませる一種カースト制度のような状態の中、考える必要のない日本の経済活動の頂点とされている人たちは、漫画「会長島耕作」のように品行方正に判断する事無くただただ書面上とは言え日本人が頑張って動かした経済をそのまま市場開放という形で略取されている。本来経済は流れるものなのに全く流れてこない一方通行の大河に国々で稼いだ金が流れている。

そして流れた後は書電子上取引情報という形でどんどん価値が一方通行で溜まっていく訳で、それらがまた市場に戻ってくる事はほぼほぼ無いのかなと、世界の資産家の貯蓄をざっくりと眺めながら考える。

そんな世界的な経済戦争ならぬ経済プロレスを繰り広げられる世界ってリングの中で、日本は低いカーストとなった人たちが疲弊しながら経済を動かし、高いカーストになった人が自分たちで動かしているフリをする事を続けながら世界の資本に飲まれるなと。

ここ数年、RPGを分解分析せんと色々な方面を経験してみた。

【演劇としてのRPG】
まぁとある機会から舞台を見るように成った訳です。

舞台では決められた時間内に役者たちが物語を時には台本通り、時にはアドリブも交えて演じていた。

ライブ感はハンパないなと思いつつ、逆に人様の前で行う訳だから所謂「失敗」をしない為に練習をされているんだなと。

同じ台本でも演じる演者によってその味付けは代わり結果全体の舞台ががらりと変わる。

今のTRPGって決められた台本と言っても過言じゃないシナリオを、どーやって動かすかって所に力を入れいてるんだなとこういう舞台を観ながらふと具体的に考える事ができました。

【遊戯としてのRPG】
まぁテーブルゲームをガチで行った訳です。

様々なゲームに身を委ねて目的に向かって遊ぶって面白いなと。

こうやって明確な目標と手順と目的がある状態ってストレスが少ないのかなと。
負けても自己責任ですし。
まぁ時折ルールが酷くて腑に落ちないこともありますが其処はご愛嬌かなと。

【娯楽としてのRPG】
オープンワールド系のRPGをがっつり遊んでしました。

シェンムーで夢想し、亜米利加で花開いて結果映画よりも制作費を使って儲けているジャンルです。

これはまさに自己責任と自己実現及び事故実現のシュミレーターであり、その用意された世界を堪能する点ではGMに迷惑を掛けない分健全なのかなと。

そしてオンラインで複数人で同じ舞台を遊ぶのってすげぇ楽しいなと。
MMOのようになんかストレスを感じる他者とのつながりより、仲良い人間で同じ箱庭を走り回るのってなんかRPGのセッションを再現しているなと。

【ではRPGとはなんなのか】
自分の勝手な定義は
「与えられた役割で用意されたシナリオを決められたルールに則って空気を読んで遊ぶゲーム」
だと思ってます。

ロールプレイって言うぐらいだから役割を演技する事がまず重要だし、
マスターが作ったシナリオを楽しむのは礼儀だと思うし、
ルールがあるから公平に競えそして表現される世界もあるし、
周りの雰囲気空気を大人力(ヂカラ)を駆使して読んで騒いで遊ぶのもまたレジャーだし、

みたいな要素が詰まった遊びかなと。

それを細分化すると、いろんな場面でその細分化された部分を堪能できるのですが、でもやっぱりそれらが渾然一体と成る状態を堪能できるRPGってせわしないが面白いのかなと。

今出回っているのはテーブルゲームに近づけたスタイルのゲームが多い。
それは誰もが同じ土俵で、というのを書面で提案するにはやっぱシステムが有効なのかなと。
集まる人間の雰囲気とかそんな不確定要素でゲームなんて、って考える日曜日が休める社会人達がなんかこぞって遊んでいるような気がする。

しかし、RPGってそんな状況をすべて引っ括めて遊べるんだなと考えている。
そう、シナリオを堪能したい人やルールを熟知している人なんかもそれぞれがそういう役割で、全体を盛り上げんと協力する、そう考え方や価値観の違いを一旦セッションに落としこんでその価値観なんかも理解し合えるのかなと。

【まぁそんなことを】
夢見ている四十路だったりします。


以上、正に戯言でした。
【過去の悪夢】
まぁ一年ほど前に表題のゲームのGMを大失敗しました。
平たく言えばリサーチ不足。
自分のエゴをプレイヤーに押し付けた結果です。
その辺を一年掛けて色々考えました。

【お初】
今回生まれて初めて
「オチまで決めたシナリオ」
を作成。

それを元にハンドアウトを作成。
今回はどーしても
「プレイヤー同士の会話を促進させたい」
と考え、プレイヤー同士を
「親子」
という立ち位置にし、同じ問題を互いに協力して解決するような流れを作成。

結果、リアルお父さんプレイヤーが父親を行い、彼のレベルの高い父親ロールプレイに助けれられ、味わい深いセッションになりました。

【結局】
どんなに最後まで流れを作ったとしても、結果はプレイヤーが決めるものだなと。
そう、プレイヤーがシナリオを観測することでようやくセッションって完成するんだなと。
ここ一年色々とGMを続けてみて色々と頑なになっていた自分の価値観を揉みほぐしながら行った結果がここで実を結んだなと勝手に感じたセッションでございました。

最後に参加したプレイヤーの方々、ありがとうございました。
【古巣で古巣のTRPG】
今回は
「ブルーフォレスト物語」
って人生で初めて買ったシステムのリファイン作品をプレイ。
当時は箱で5000円ぐらいで発売されており、購入して箱を開けたら薄っぺらい本が三冊しか入ってなくて
「…高っ」
って衝撃を受けた思い出深いシステムです。

非常にアバウトで想像力全面のシステムに懐かしさを味わう。
当時はどうやって遊べばよいかすら想像し、自分なりの手段を模索した時代だったなと。

【情報項目も無い世界で】
今回は添付シナリオをプレイ。
これが酷くて、特定の能力を取らないと致命的に情報が入ってこないし、特定の能力を取っちゃったらシナリオが破綻するって状態である。

で、これをどうやって遊ぶかといえば、もうGMが空気を読んで色々手を加え、プレイヤーも最後まで諦めない心で手探りで情報を集めそこからどうすれば最良の結果に出来るか考える作業が必要になる。

現代っ子から観たらトンデモナイ仕様だが、当時の冒険者達はこれを徒手空拳で遊びそしてそこから勝手にRPGってのを学んだもんだなと思いながらプレイ。

さらにキャラクターもランダムで決まるため、自分のキャラクターが非戦闘能力しか獲得してない状態でスタートしてしまいもう生き残るために情報をかき集め他のプレイヤーに交渉し、そして所持金無しだった為にどうやって金を作るか考えながらプレイする羽目に。

なんだろう、まるで今放送しているドラマ版の「極悪がんぼ」のような状態、女性キャラクターが如何に悪知恵を働かせ生き残るか、みたいな感じになってしまった。

しかし、自分で判断して結果を出してそれがゲームに反映されて結果様々なドラマが生まれた訳で、こうやってハンドアウトも情報項目も最後の戦闘も用意されたエンディングも無い世界で自己責任で何とかするって体験は古参ゲーマーにとっては時折必要だなと思った訳です。

【いや別に】
何かを否定するとかロートルが昔が良かったとか宣うようなそういう意味ではなく、自分がRPGってのを遊ぶ上での必要な言わば「儀式」を経験したな、みたいな感じですね。

そして自分のスタイルの都合いわゆる「発想力」や「感働き」みたいな奴をブラッシュアップするには、こういう投げっぱなしなスタイルを経験するもまた必要かなとやっぱり思いましたね。

そんな事を、同卓した自分の年令の2分の1ぐらいの青年にドヤ顔で語った次第です。
https://www.youtube.com/watch?v=Md3VN0mP7js

【クレしん映画ももう21年】
時折名作を生み出してきた娯楽アニメ映画ももう21年ですって。
たしか世間を騒がせた「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」や「嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦」からもう10年以上経過します。
個人的には「嵐を呼ぶ 栄光のヤキニクロード」が焼き肉を食うだけの話をここまで感動的に描いたなと感心したりしました。

ちなみに今回久しぶりに劇場で観ようと思ったのは中島かずき脚本だったからです。
いや、脚本家がしょっぱなからテロップで登場する当たり配給側も目玉にしているんだな、等と。

【とーちゃんが主役、じゃなく】
この作品は基本父親の愛情を描いた作品でした。
が、その設定が結果なんか哲学的な様相を醸し出してくれた。

今回の作品ではしんのすけの父親ひろしのロボットが登場する。
初めはその変わり果てた姿に戦々恐々とするも、とあるシーンを切っ掛けにその存在を父親と認めだす。

しかし途中で本物のひろしが登場し実はロボットはひろしの意識を植えつけただけだと物語的に判ると、混乱するも自分が本物の野原ひろしである事を誇示しようと躍起に成り結果それが周りに不信感を増長させ、その現状より現実をジワジワと直視しだす。

そして結果この作品らしい落とし所でこのロボットは終着点を見出すのですが、いや家族愛がテーマだって言っているのに、このロボットの行末が滅茶苦茶気になって、何時もの「野原一家ファイアー」が霞んでしまったなと。

【で落ち着いて考えると】
クレヨンしんちゃんの映画って家族全員が同じ困難に立ち向かって行く事が多い稀有な内容だなと。
そういう意味では家族愛ってのを大手を振って描いて良いのってこの作品かサザエさんかあたしンちぐらいかなと。

あ、結構有るか。

【まぁとにかく】
中島かずきらしいセリフ回しがなんかクレヨンしんちゃんの気持ちナチュラルな会話の間とはちょっと違うな感がありましたが、バラエティー溢れるファミリー映画でした。

家族一緒かオッサン1人で観ると味わい深く観られると思います。
【3年目突入】
勢い始めるだけはするが尻切れトンボになりかねない小生のキャンペーンですが、参加者様方々のご助力のお陰で何とか3年目に突入しました。

色々ありましたがやっぱり感無量です。

【ダンジョンシナリオ】
今回はメンバーの1人のGMを堪能する。
シナリオはダンジョンアタック。
デスダンジョンじゃないがそれでも歯ごたえのある謎や仕掛けが多くTRPG開始当初の感覚を思い出す。

野球にたけし城にクイズ王にと、バラエティーに富んだセッションでした。

【フェイバリットキャラクター】
TRPG歴でもっともしっくり来ているキャラクターを動かすのはとても気持ち良い。
愛車を乗り回す感覚、と言った感じでしょうか。
…車の免許持ってねぇけど

【1足りない祭り】
今回正味10回近く
「1足りない」
状態に陥る。

振り直しが出来るゲームでこれは一種快挙だなと。

しかし、要所要所でクリティカルは出てくれて、要所要所で活躍できたなと。
でも、最後の最後でセッション最大火力を出したのに
「…あ、敵のHP2残った」
って成った時はむしろ逆においしく感じたのは関西人の性だなとおもったりしておりました。

【そんな訳で】
平日休みに成って疎遠になりそうな感じのTRPGですが、それでも遊んでくれる人が居るって事は幸せだなと感じた今日此の頃でございましたとさ。
以前から色々とインスパイアさせてもらっているかワタミ渡邉美樹氏の美談を永久に残したいと思い非礼を承知で転載させて頂くことをまずは深くお詫び申し上げます。

「ワタミがまだ、ちっぽけな居酒屋だった頃からウチで働いてくれてた創業メンバーのひとりが独立開業したいからワタミをやめると言って、辞めたんです。その頃にはワタミも大きくなっていて彼も何百人もの部下を抱える地位に付けてあげていたにもかかわらず辞めた。独立と言っても、驚いた事に彼はワタミのフランチャイズオーナーにならなかった。彼はワタミを辞めたあと、ワタミと競合する商売ガタキとして飲食店開業したんです。こうなるともう、恩をアダで返した敵ですから、もちろん全力で潰しました。彼の店のすぐ近くにワタミを作って、その店だけ他のワタミよりもうんと安くした。そしたら彼の店、潰れましたよ。その彼ですが、自分の店が潰れたあとワタミに戻ってきてくれたんですよ。うれしかったですねー。彼も一度ワタミを飛び出して、それでようやくワタミの素晴らしさがわかってくれたんです。彼は、なんでもやるからワタミでやり直ししたい!そう言ってくれたのでトラックの運転手として雇いました 彼は辞める前は部長の地位でしたが、今は一番下の新人運転手としてがんばってます」

…人の過ちを受け入れるその懐の深さに感銘いたしましたw
まぁ何とか楽しくアナログなRPGを作った人間関係内でほそぼそとやっております。

しかし、自分が初めた頃はネットもナニも無い時代でしたらから基本人間が現場に言って集って互いに本名で語り合ってそして人間関係を作っていたんだなと、こうやってブログ書いて反応を観たりようやく慣れてきた「ハンドルネームで呼び合う行為」っての経験してから、当時のなんちゅうかアグレッシブさってのですか、やっぱりそれしか手段が無い状況で若さも手伝ってか色々行われていたコンベンションをハブに色々と遊ばせていただいたんだなと。

で、それが基本人間同士が面を合わせて語らう遊びのアナログRPGにとってはちょうどよかったのかなと。

いろんな価値観を通じて、自分のプレイスタイルを確立したりしたのですが、その後仕事の都合で参加して遊ぶ機会が激減してくると、いやいやなんちゅうかどんどんコンベンション離れが進んでいるんだなと。

まぁ確かにもうコンベンションでRPG遊ぶ時代じゃないんだなぁと。
ある人が言った「コンベンションは吹き溜まりでしかない」っていう意見もまんざら外れじゃななと。

何度かRPGのコンベンションやってみましたけど、対人関係不得手な人がそれでもRPG楽しもうと前向きに参加する姿勢っていいんじゃない、って思いましたけどそんな不得手をウザイを受け取る人の気持も分かりますよ、でもしゃぁないやん、人間得手不得手有るんやから。

まぁ個人的には不特定多数と時折遊んで自分のスタイルブラッシュアップしたり吸収したりもまた大事な作業やけど、そんな場がどんどん無くなっている現状が何ともいえないなぁ、って事を最近考えます。

コンベンション以外だと難しいのかなと。
やっぱIT頼みやなと。


とにかく、もっとRPGに多様性を復活させる何かを準備できればなぁなんて。

以上、超戯言でした。


RPGってプロレスだと思っている。

真剣勝負か八百長か。
プロレスラーは強いか弱いか。
そんな事を言っている内はまだプロレスを解っていない。
って言葉を以前聞いた。

RPGもそうだと思う。

まずフェアなんてRPGには本当は存在しない。
存在するとすれば「フェアだなぁ」って感じさせる事ぐらいだ。

かつてマスタースクリーンが存在したのはその為だ。
それらを駆使してGMは名勝負を演出する。
それが名勝負と言える状態をマッチメイクする。
ありとあらゆる事を尽くして盛り上がれる準備をする。
それがGMの上手さだと考えられる。

そしてRPGは正直強くなる方法なんていっぱいある。
正直、経験点さえ与えられたり、
都合、強い状態でスタートしたりと、
強さなんて正直飾りになる。

またプロレスではレスラーは「強さ」より「上手さ」を求められる。
どんなに強くても上手くなければ意味が無い。
しかし強くなくては上手さを演出しても結果説得力が生まれない。

そしてRPGに関する強さとは「ルールの把握」と「ルールの使いこなし具合」だと思っている。
その把握したルールで如何に卓を演出できるか、振る舞えるかがRPGに関する「上手さ」だと思う。
プロレスが格闘技という強さが下地に無いと結果プロレスとして成り立たないのと一緒だ。

以上ナニが言いたいかと言えば、ゲームというもの自体を格闘技という枠組みとして捉えると、RPGはプロレス的な位置付け、勝負して強い弱いではなく、勝負を通じてどう振る舞えるかを考えたほうが、RPGにとって良い方向にまた進められるのかなと思う。

極論を述べれば、RPGはゲームという装いをした何か、ゲームのフリをした何か、真剣勝負のフリをした何か、だと考える方がこの遊びは楽しめるのではないかと考えている。

そして、でもRPGはゲームとしての振る舞い俺強いという自負心も許容できる懐の深さもある、と考えたほうが良いのかなとも考える。

そこまで考えて、やっぱりRPGはプロレスだと思う。

以上とりとめのない戯言でした。